東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

南部

2021-12-01 23:55:38 | 日記
 今日も生きた心地がしないなあ。
 
 奥州藤原氏は4代目の藤原泰衡の時に源頼朝に攻められて滅ぼされたことになっていて、岩手県の紫波町にある陣ヶ岡歴史公園のそばに藤原泰衡の首を洗ったといわれる井戸があります。藤原泰衡は平泉から逃げて、秋田県大館市のあたりで家臣の裏切りにあって亡くなったらしいです。
 
 岩手県の平泉町にある中尊寺の金色堂には奥州藤原氏の4代目の藤原泰衡の首が納められていて、ウィキペディアで調べると、藤原泰衡の首は昭和25年(1950年)に調査が行われたらしく、何ヶ所もの切傷や刺傷があって、眉間と頭の後ろのほうに釘が打たれたような跡があるらしい。鼻と耳が削がれてるようだ。
 
 藤原泰衡の首は藤原泰衡の兄弟の藤原忠衡の首と中尊寺では言い伝えられてきたらしく、首桶が入っていた箱にも忠衡公と書いてあるみたいです。藤原忠衡は平泉町にある柳之御所の近くに住んでいて、和泉三郎といわれるみたいです。
 
 盛岡にある聖寿寺という臨済宗の寺に南部氏の墓所があるらしい。HPを見ると、昭和5年(1930年)に南部家霊廟が建立されたようだ。さっさと地獄に行けよ・・・。
 
 聖寿寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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