東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

平泉

2024-08-16 11:29:18 | 日記
 海軍って、なんかあったんすかね?。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、斎藤実は第一次西園寺内閣と第二次桂内閣と第二次西園寺内閣と第三次桂内閣と第一次山本内閣と海軍大臣に就き、シーメンス事件で海軍大臣を辞任したようだ。その後に朝鮮総督に就いたようだ。昭和7年(1932年)にあった5.15事件の後に総理大臣に就任し、斎藤実が総理大臣だった時には満州国の承認と国際連盟からの離脱があったようだ。斎藤内閣は帝人事件で総辞職したようだ。斎藤実は昭和11年(1936年)にあった2.26事件で暗殺されたらしい。
 
 ウィキペディアを見ると、子爵斎藤実伝というものがあるらしく、斎藤氏の祖は藤原叙用という人で、藤原叙用は藤原利仁という人の息子で、斎宮頭という官職に就いていたので斎藤らしい。藤原利仁も藤原北家の藤原魚名の子孫で、藤原利仁の子孫の氏族もたくさんあるようだ。
 
 藤原利仁という人と藤原俊仁という人が混同されてるみたいだけど、坂上田村麻呂伝説と似たような悪路王を退治した話があるらしい。御伽草子という書物や平家物語や保元物語や吾妻鏡や義経記に坂上田村麻呂と藤原利仁が似たようなかんじで書いてあるらしい。よくわからんけど・・・。  
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村藩は伊達藩の中にあって、1つの藩のような扱いを幕府から受けていたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 戊辰戦争の頃の田村藩の田村氏の田村邦栄は角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、明治15年(1882年)に再び家督を継いで、明治20年(1887年)に亡くなったらしい。田村崇顕も角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。田村崇顕は大正11年(1922年)に亡くなったらしい。次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、田村丕顕は海軍の軍人で、田村丕顕は昭和20年(1945年)に亡くなったらしい。田村丕顕の息子の田村良顕が継いだようだけど、それ以上わからない。
 
 一関市の隣の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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