東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

神道

2021-05-17 00:01:10 | 日記
 平田篤胤は秋田県にあった久保田藩の出身ということになっていて、復古神道を成立させたことになっているようだけど、平田篤胤の話も怪しいんだよなあ。
 
 平田篤胤は平将門の子孫ということになってるようだけど、東京にある神田明神には平田篤胤が祀ったといわれる平将門像があるみたいです。平田篤胤の子孫は神田明神の宮司だったらしい。
 
 明治維新の後に神道が日本の宗教になるように宣言されたみたいだけど、ウィキペディアの神祇官のところを見ると、平田篤胤の平田派の国学者ではなく、島根県にあった津和野藩にいた国学者の人たちが主導したみたいに載ってる。
 
 明治維新の後に明治天皇から神道が国の宗教になるように宣言され、大教院が設立されたようだけど、数年後に大教院は解散になり、神道事務局が設立されたようだ。本当か知らない。
 
 神道事務局ができて、一定の信者数などの条件を満たした教団は宗派として認められ、それが教派神道になってったみたいです。神道事務局は明治19年(1886年)に組織改編されて神道本局になって教派神道の一派になり、昭和15年(1940年)に神道大教という宗教になったみたいです。
 
 明治15年(1882年)に神道事務局の後継団体として皇典講究所ができて、皇典講究所は太平洋戦争の終戦後の昭和21年(1946年)に解散し、神社本庁に統合されたみたいです。
 
 皇典講究所は神職養成の中央機関で、國學院大學の前身の國學院が皇典講究所に設立され、太平洋戦争の後に國學院大學になったみたいです。ウィキペディアの國學院大學のところを見ると、國學院は国史と国文と国法の研究機関として設立されたようだ。
 
 神社本庁ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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