東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

右翼

2024-07-07 20:04:52 | 日記
 土建国家っていうの?、そういうのって今も続いてるんでしょ?。
 
 東京の三社祭には浅草高橋組という暴力団が参加してるらしいけど、ウィキペディアで調べると、明治42年(1909年)に河合徳三郎という人の身内の高橋金次郎という人が浅草で土建請負業の高橋組の看板を掲げて一家を形成したのが浅草高橋組の始まりらしい。浅草高橋組は住吉会の二次団体らしい。
 
 河合徳三郎という人は実業家で映画プロデューサーだったらしく、土建請負業で財をなし、河合映画製作社や大都映画の社長になって多くの映画製作に関わったらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 大正8年(1919年)に河合徳三郎という人をはじめとする数人が中心となって、当時の原内閣の内務大臣だった床次竹二郎を世話役に、玄洋社の頭山満を顧問に、大日本国粋会という任侠団体が結成されたらしい。大日本国粋会は土建業の人たちを含む全国的な博徒の結集団体で、全国規模の右翼団体で、皇室中心主義や大アジア主義などを信条としていたようだ。総裁には原内閣の司法大臣だった大木遠吉という人が就いて、会長には立憲政友会の幹事長だった村野常右衛門という人が就いたようだ。
 
 大正9年(1920年)には大日本国粋会の大阪本部ができて、大阪の住吉大社で結血式が行われ、住吉大社の宮司の津守国栄という人が会長に就いたらしい。副会長には代議士の人と陸軍大佐の人が就き、顧問には大阪府知事や大阪市長や警察部長や大阪医科大学の学長や弁護士の人などが就いて、1万人近く会員が集まったらしい。
 
 大正10年(1921年)に河合徳三郎という人は立憲政友会の介入に反発して大日本国粋会を脱会して、民政党を後ろ盾にして後藤新平を顧問にして大和民労会を結成したらしい。後藤新平は大正9年(1920年)から大正12年(1923年)まで東京市長を務めてるようだ。大和民労会の結成式は浅草伝法院で行われ、約5000人集まったらしい。その後は大和民労会と大日本国粋会の抗争事件も勃発したようだ。
 
 大日本国粋会ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

右翼

2024-07-07 20:03:21 | 日記
 日本の右翼の源流っていうの?。明治維新は日本乗っ取りだったのかなあ?。
 
 明治以降の日本にはアジア主義といわれる人たちがいて、玄洋社という右翼組織があって、玄洋社から派生した黒龍会という海外工作機関もあったらしい。玄洋社は福岡藩の藩士だった人たちが中心になって結成されたことになってるらしい。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれ、安場保和という人が来て大参事に就いたらしいけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。本当か知らないけど・・・。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたらしい。
 
 杉山茂丸という人は玄洋社の経済基盤確立のために安場保和を福岡県令に就かせたようだ。杉山茂丸は筑豊炭田の取得のために安場保和を福岡県令に就かせたらしい。福岡県令が福岡県知事になったようだけど、ウィキペディアで調べると、安場保和が福岡県令と福岡県知事だった期間は明治19年(1886年)から明治25年(1892年)のようだ。たぶんだけど・・・。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたらしい。児玉源太郎という人は台湾総督に就き、後藤新平を台湾総督府の民政長官に任命したようだ。児玉源太郎は明治31年(1898年)から明治39年(1906年)まで台湾総督に就いていて、後藤新平も、だいたい同じぐらい台湾にいたようだ。
 
 後藤新平はアヘンの撲滅を行おうとしたらしいけど、杉山茂丸という人とアヘン利権にも関わってたらしい。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 日露戦争は第一次桂内閣の時の明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、児玉源太郎は日露戦争では満州軍の総参謀長を務めたようだ。日露戦争の時の日本の陸軍は満州軍というらしい。日露戦争の後に南満州鉄道が日本に譲渡され、後藤新平は明治39年(1906年)に南満州鉄道の初代総裁に就いたようだ。
 
 児玉源太郎は長州藩の支藩の徳山藩の出身ということになってるらしい。児玉源太郎は桂太郎の次の陸軍大臣で、第四次伊藤内閣と第一次桂内閣で陸軍大臣に就き、第一次桂内閣では内務大臣と文部大臣を一時兼任したようだ。児玉源太郎は明治39年(1906年)に亡くなったらしい。
 
 杉山茂丸という人は日露戦争では児玉源太郎の裏で動いていたようだ。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。杉山茂丸という人は日韓併合にも関わったようだ。杉山茂丸という人は昭和10年(1935年)に亡くなったらしい。

 頭山満という人は玄洋社の設立に関わった人で、玄洋社の中心人物の一人だったようだ。頭山満は昭和19年(1944年)に亡くなったらしい。5.15事件で暗殺された犬養毅は頭山満の仲間だったの?。
 
 玄洋社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

韓国

2024-07-07 19:54:05 | 日記
 テレビで韓国の話題が出てくると、イライライライラしてくるもんなあ。日本のテレビ局のメディア戦略みたいなのが垣間見えてくるみたいでさあ。日本のテレビ局って、日本国内の世論誘導のための情報工作機関じゃないの?。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、椎名悦三郎という人は岸信介と一緒に満州国の運営に関り、太平洋戦争の後は政治家になって、岸内閣では内閣官房長官に就き、池田内閣では通商産業大臣と外務大臣に就き、佐藤内閣でも通商産業大臣と外務大臣に就いたようだ。田中角栄と三木武夫が総理大臣だった時は自民党の副総裁だったようだ。椎名悦三郎は明治31年(1898年)の生まれで、昭和54年(1979年)に亡くなったらしい。
 
 日韓基本条約は佐藤栄作が総理大臣の時の昭和40年(1965年)に結ばれたようだけど、椎名悦三郎は日韓基本条約の時の韓国との交渉に関わったようだ。椎名悦三郎は韓国の空港に降りた時に、日本の過去を「深く反省する」みたいに言ったらしい。「深く反省する」とはどういう意味か?と日本の野党の人に質問され、しみじみと反省しているという意味だみたいに答えたらしい。
 
 椎名悦三郎は後藤家の出身で、椎名悦三郎の父の後藤広という人は婿養子で後藤家に入ったらしい。ウィキペディアの注釈のところを見ると、後藤広の後妻との息子が椎名悦三郎らしい。なので、後藤新平は血縁の無い叔父らしい。椎名悦三郎は後藤新平の姉の嫁ぎ先の椎名家に養子に入って椎名悦三郎と名乗ったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、後藤新平は第二次桂内閣で逓信大臣と初代鉄道院総裁、第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣で内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣で内務大臣に就いたようだ。後藤新平は東京市長にも就任したようだ。後藤新平は関東大震災の後に帝都復興院総裁に就き、東京の復興計画を立案したらしい。後藤新平は昭和4年(1929年)に亡くなったらしい。後藤新平はフリーメイソンらしい。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたらしい。児玉源太郎という人は台湾総督に就き、後藤新平を台湾総督府の民政長官に任命したようだ。児玉源太郎は明治31年(1898年)から明治39年(1906年)まで台湾総督に就いていて、後藤新平も、だいたい同じぐらい台湾にいたようだ。
 
 後藤新平はアヘンの撲滅を行おうとしたらしいけど、杉山茂丸という人とアヘン利権にも関わってたらしい。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 日露戦争は第一次桂内閣の時の明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、児玉源太郎は日露戦争では満州軍の総参謀長を務めたようだ。日露戦争の時の日本の陸軍は満州軍というらしい。日露戦争の後に南満州鉄道が日本に譲渡され、後藤新平は明治39年(1906年)に南満州鉄道の初代総裁に就いたようだ。
 
 児玉源太郎は長州藩の支藩の徳山藩の出身ということになってるらしい。児玉源太郎は桂太郎の次の陸軍大臣で、第四次伊藤内閣と第一次桂内閣で陸軍大臣に就き、第一次桂内閣では内務大臣と文部大臣を一時兼任したようだ。児玉源太郎は明治39年(1906年)に亡くなったらしい。
 
 杉山茂丸という人は日露戦争では児玉源太郎の裏で動いていたようだ。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。杉山茂丸という人は日韓併合にも関わったようだ。杉山茂丸という人は昭和10年(1935年)に亡くなったらしい。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に李氏朝鮮は清から独立して、1897年に李氏朝鮮が大韓帝国になったらしい。明治43年(1910年)に大韓帝国は日本に併合され、昭和20年(1945年)まで日韓併合が続いたらしい。
 
 1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言されたようだけど、1950年に朝鮮戦争が勃発し、1953年に停戦になって現在まで続いてるらしい。朝鮮戦争の頃の日本では朝鮮総連や在日朝鮮人や共産党員のテロ事件が多発したようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。朝鮮半島からの密入国者も多数いたようだ。
 
 韓国ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

韓国

2024-07-07 19:51:13 | 日記
 今日も日本のテレビは韓国韓国やってたけどさあ。
  
 児玉誉士夫という人は戦後のフィクサーともいわれる人らしいけど、ウィキペディアで調べると、児玉誉士夫という人は福島県の今の本宮市の出身らしい。少年時代は貧しい暮らしだったらしく、朝鮮半島に渡って朝鮮半島の旧制専門学校を卒業した後に日本に来て、鉄工所で住み込みで働いた後、右翼を組織を転々とするようになったらしい。
 
 児玉誉士夫という人は太平洋戦争の開戦前に海軍航空本部から航空機に必要な物資の調達を託され、上海に児玉機関という店を出し、海軍航空本部と独占契約をして莫大な富を得たらしい。大西瀧治郎という人は海軍の軍人で、神風特攻隊の創始者の一人ともいわれるらしいけど、大西瀧治郎は太平洋戦争の終戦時に自決したらしく、児玉誉士夫という人は大西瀧治郎の自決の時に駆け付けたようだ。
 
 児玉誉士夫という人は太平洋戦争の終戦後の東久邇宮内閣で内閣参与になり、その後にA級戦犯の容疑で逮捕されたようだ。児玉誉士夫という人は鳩山一郎の日本民主党の結党に資金提供して、その後に自民党ができて、鳩山一郎は自民党の初代総裁に就いたようだ。岸信介が総理大臣になるのにも関わっていたようだ。戦後の右翼にも関わっていて、暴力団との繋がりもあったようだ。日韓の国交回復にも児玉誉士夫という人が関わってるらしい。児玉誉士夫という人は企業間の紛争にも介入したり、ロッキード事件にも関わっていたようだ。
 
 昭和の時代の右翼の人たちって、黒いバスのような乗り物に乗って、天皇や皇室どうこう靖国神社どうこうスピーカーで流しながら街の中を走ってた気がするけど、裏でCIAが関わってたのか知らないけどさあ。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、椎名悦三郎という人は岸信介と一緒に満州国の運営に関り、太平洋戦争の後は政治家になって、岸内閣では内閣官房長官に就き、池田内閣では通商産業大臣と外務大臣に就き、佐藤内閣でも通商産業大臣と外務大臣に就いたようだ。田中角栄と三木武夫が総理大臣だった時は自民党の副総裁だったようだ。椎名悦三郎は昭和54年(1979年)に亡くなったらしい
 
 日韓基本条約は佐藤栄作が総理大臣の時の昭和40年(1965年)に結ばれたようだけど、椎名悦三郎は日韓基本条約の時の韓国との交渉に関わったようだ。椎名悦三郎は韓国の空港に降りた時に、日本の過去を「深く反省する」みたいに言ったらしい。「深く反省する」とはどういう意味か?と日本の野党の人に質問され、しみじみと反省しているという意味だみたいに答えたらしい。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に李氏朝鮮は清から独立して、1897年に李氏朝鮮が大韓帝国になったらしい。明治43年(1910年)に大韓帝国は日本に併合され、昭和20年(1945年)まで日韓併合が続いたらしい。
 
 1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言されたようだけど、1950年に朝鮮戦争が勃発し、1953年に停戦になって現在まで続いてるらしい。朝鮮戦争の頃の日本では朝鮮総連や在日朝鮮人や共産党員のテロ事件が多発したようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。朝鮮半島からの密入国者も多数いたようだ。
 
 韓国ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

アメリカ

2024-07-07 19:47:47 | 日記
 日米同盟ですか・・・。
 
 安保闘争について詳しく知らないけど、昭和34年(1959年)から昭和35年(1960年)の安保闘争と昭和45年(1970年)の安保闘争と2回あるらしい。
 
 大平洋戦争の後の吉田茂が総理大臣だった時の昭和26年(1951年)に旧日米安全保障条約が結ばれ、岸信介が総理大臣だった時の昭和35年(1960年)に新日米安全保障条約が結ばれたらしい。60年安保闘争では日本社会党や日本共産党だったり、全学連という学生の人たちがデモに参加し、岸信介はデモを沈静化するために児玉誉士夫という人を頼り、右翼や暴力団の人たちもデモの鎮圧にあたったらしい。
 
 昭和45年(1970年)の安保闘争は昭和35年(1960年)に結ばれた新安保条約の自動延長の際に起こったらしく、学生運動が盛んになり、全共闘といわれる組織が日本各地の大学に広まったらしい。この時の総理大臣は佐藤栄作だったようだ。
 
 児玉誉士夫という人はCIAの仲間らしいけど、岸信介もCIAの仲間なんでしょ?。
 
 児玉誉士夫という人は戦後のフィクサーともいわれる人らしいけど、ウィキペディアで調べると、児玉誉士夫という人は福島県の今の本宮市の出身らしい。少年時代は貧しい暮らしだったらしく、朝鮮半島に渡って朝鮮半島の旧制専門学校を卒業した後に日本に来て、鉄工所で住み込みで働いた後、右翼を組織を転々とするようになったらしい。
 
 児玉誉士夫という人は太平洋戦争の開戦前に海軍航空本部から航空機に必要な物資の調達を託され、上海に児玉機関という店を出し、海軍航空本部と独占契約をして莫大な富を得たらしい。大西瀧治郎という人は海軍の軍人で、神風特攻隊の創始者の一人ともいわれるらしいけど、大西瀧治郎は太平洋戦争の終戦時に自決したらしく、児玉誉士夫という人は大西瀧治郎の自決の時に駆け付けたようだ。
 
 児玉誉士夫という人は太平洋戦争の終戦後の東久邇宮内閣で内閣参与になり、その後にA級戦犯の容疑で逮捕されたようだ。児玉誉士夫という人は鳩山一郎の日本民主党の結党に資金提供して、その後に自民党ができて、鳩山一郎は自民党の初代総裁に就いたようだ。岸信介が総理大臣になるのにも関わっていたようだ。戦後の右翼にも関わっていて、暴力団との繋がりもあったようだ。日韓の国交回復にも児玉誉士夫という人が関わってるらしい。児玉誉士夫という人は企業間の紛争にも介入したり、ロッキード事件にも関わっていたようだ。
 
 昭和の時代の右翼の人たちって、黒いバスのような乗り物に乗って、天皇や皇室どうこう靖国神社どうこうスピーカーで流しながら街の中を走ってた気がするけど、裏でCIAが関わってたのか知らないけどさあ。
 
 第二次世界大戦の頃のアメリカの大統領だったルーズベルトとトルーマンはフリーメイソンらしい。東京大空襲の指揮官で原爆投下を計画して実行したルメイという人もフリーメイソンらしい。連合国軍最高司令官だったマッカーサーもフリーメイソンらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、CIAはアメリカの中央情報局のことで、アメリカの国家の安全保障のための対外情報機関らしい。1947年にアメリカの大統領だったトルーマンの要望で組織されたらしい。
 
 鳩山一郎という人は民主党政権で総理大臣になった鳩山由紀夫の祖父のようだけど、鳩山一郎も日本の総理大臣になった人で、自民党の初代総裁らしい。鳩山一郎もフリーメイソンらしいけど、鳩山一郎はマスターメイソンらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、自民党の結党は昭和30年(1955年)で、平成5年(1993年)の細川内閣の前まで自民党政権が続いていたようだ。細川内閣と羽田内閣と村山内閣と続いて、平成8年(1996年)に自民党政権に戻って、平成21年(2009年)から鳩山内閣と菅内閣と野田内閣と続いて、平成24年(2012年)に自民党政権に戻って、今の岸田内閣ということになってるようだ。
 
 アメリカですか・・・。
 
 
 火をつけるか