東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

チベット

2023-10-14 20:42:04 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするし、日本の歴史は嘘の気がするけど、嘘は見抜けないほうが悪いってことなのかなあ?、お坊さんも。
 
 明治時代に河口慧海という黄檗宗の僧は日本人で初めてチベットに行ってきたらしい。本当に日本人か知らないけど・・・。河口慧海は明治30年(1897年)に日本を出発してチベットに行って、明治36年(1903年)に帰国したらしい。帰国した次の年の明治37年(1904年)に「西蔵旅行記」を出版し、また日本を出発してチベットに行って、大正4年(1915年)に帰国したらしい。河口慧海はチベットにいって、たくさんの仏教関連のものを持ち帰ってきたらしい。河口慧海は大正10年(1921年)には僧籍返還したらしいけど、経典の翻訳や研究をしたり、仏教やチベットに関する著作を続けたようだ。
 
 多田等観という人は岩手県花巻市に疎開してたらしいけど、多田等観は浄土真宗本願寺派の法主だった大谷光瑞の援助を受けてチベットにいたようだ。多田等観はダライ・ラマ13世とも懇意にしてたらしい。浄土真宗本願寺派はチベットと交換留学もしていたようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、ダライ・ラマは1642年にチベット政府の長になって、1959年までチベット政府の長だったようだ。チベットのラサというところにポタラ宮という宮殿があるらしい。今のダライ・ラマは14世のようだ。
 
 ポタラ宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

妙見

2023-10-14 20:35:02 | 日記
 長州閥っていうの?、ヤバいよね?。本当に日本人かわからないような人ばっかりだしさあ。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 桂太郎には、お鯉という妾がいたらしいけど、安藤家の養女になった後に芸妓になったらしく、その後に桂太郎の妾になったようだ。お鯉は出家して妙照尼と名乗り、東京にある五百羅漢寺という浄土宗の寺に入ったようだ。
 
 東京都目黒区に五百羅漢寺があって、HPがある。天恩山羅漢寺というみたいだけど、明治41年(1908年)に今の場所に移ったらしい。羅漢寺は鉄眼道光の開山らしい。河口慧海は明治23年(1890年)に羅漢寺の住職になったようだ。河口慧海は明治24年(1891年)に羅漢寺の住職を辞めて僧籍返上したらしいけど、その後に、また僧籍を取ったようだ。昭和13年(1938年)に、お鯉は五百羅漢寺の住職になったようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、江戸時代の初め頃の黄檗宗の僧で鉄眼道光という僧がいて、明から来た隠元が持ってきた大蔵経をもとにして、日本版の大蔵経を刊行したらしい。本当か知らない。鉄眼道光の大蔵経は第二次世界大戦前の日本の教科書にも載るほど著名なもののようだけど、誤字が多いらしい。
 
 明治時代にも大蔵経の編纂が行われたみたいだけど、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間かけて編纂された大正新脩大蔵経が仏教界や仏教研究に大きく影響を与えてるらしい。
 
 大蔵経の中に七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪経があって、その中に「妙見」という言葉の説明があるらしい。大蔵経について詳しく知らないけど、仏教の経典などをまとめた仏教の総合書籍みたいなもんなんでしょうか?。
 
 中国では北極星は北辰といって宇宙の中心と考えられていたようだ。中国の道教では北極星が神格化して天皇大帝になったようだ。北極紫微大帝も北極星が神格化して、北斗真君は北斗七星が神格化したようだ。北辰妙見菩薩は中国の道教に由来するらしい。ウィキペディアの妙見菩薩のところに詳しいことが載ってる。
 
 北辰妙見菩薩ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

千葉

2023-10-14 20:29:06 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするし、日本の歴史は嘘の気がするけど、明治維新の頃なのか明治時代になってからなのか、日本に来た人たちがいたとしか思えないんだよなあ。そういうことを知ってるのか知らないけど、この人たちの子孫が自分たちから自分たちの嘘を認めるって無いと思わない?。
 
 まあ、嘘の歴史を作って、たくさんの人を闇に葬ってきたのかもしれないけどさあ。
 
 中国では北極星は北辰といって宇宙の中心と考えられていたようだ。中国の道教では北極星が神格化して天皇大帝になったようだ。北極紫微大帝も北極星が神格化して、北斗真君は北斗七星が神格化したようだ。北辰妙見菩薩は中国の道教に由来するらしい。ウィキペディアの妙見菩薩のところに詳しいことが載ってる。
 
 道教の御札をグーグル検索すると、いろいろ出てくる。鎮宅霊符神の御札は、真中に鎮宅霊符神がいて、その上に北斗七星が八卦のようなものに囲まれてある。鎮宅霊符神の周りには道教の御札なのか、意味不明な図形のような絵のようなものがたくさんある。霊符っていうのは道教の御札のことでいいんでしょうか?。鎮宅霊符神と北辰妙見菩薩は同じということになってるらしい。
 
 千葉県千葉市にある千葉神社は妙見本宮といってるようだけど、北辰妙見尊星王といって祀ってるようだ。本当に明治時代の前に妙見宮が日本にあったのか知らないけど、さっさと日本から出て行けばいいのに・・・。
 
 千葉神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

水沢

2023-10-14 20:27:41 | 日記
 疲れたなあ。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところは南部鉄器の工場が密集してる場所で、他のところには南部鉄器の工場は奥州市には無いはず。羽田というところは江刺のすぐ近くで、新幹線の水沢江刺駅がある。水沢市と江刺市と胆沢町と前沢町と衣川村が合併して奥州市になってる。羽田の近くで江刺に愛宕という地区があるけど、愛宕と書いて「おだき」と読む。
 
 羽田は今は奥州市になっていて、その前は水沢市だったけど、昔は江刺郡だったようだ。羽田村は明治22年(1889年)にできて、昭和29年(1954年)まであったみたいだけど、ウィキペディアに歴代村長が載ってる。
 
 水沢江刺駅の前には田茂山という丘のような山があって、坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれていて、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってる。奥のほうに愛宕神社があって、古塚がある。明治時代に愛宕神社の社殿を新しく建てたらしい。
 
 岩手県奥州市の水沢の街には日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に水沢伊達氏の留守氏の祖霊社の瑞山神社がある。頭を殴られてるような強烈な頭痛がしたりするしさあ。呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

天台宗

2023-10-14 20:22:44 | 日記
 このブログは坂上田村麻呂の征夷とはなんだったのか?ってことから始まった気がするけど、平安時代の初めから何年もかかって調べていったら、明治時代に着いた。ま、すぐに答えや結果だけを求める人もいるんだろうけどさ。
 
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らない。明治以降の天台座主も名前だけはウィキペディアに載ってる。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。江刺にある勝軍寺という寺の息子らしいけど、行ってみたら、寺が無かった。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。中尊寺の貫首をしていた千田孝信という僧は菅原栄海の親戚らしい。
 
 天台宗は天台法華宗ともいうらしく、法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。日本の天台宗の総本山の滋賀県大津市にある比叡山延暦寺では、密教や禅や念仏もあって、総合仏教といってるらしい。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか