東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

平群

2023-04-19 23:09:59 | 日記
 物部守屋が聖徳太子に討たれたという話は嘘の気がするけど、ここが怖いんだよなあ。
 
 奈良県生駒郡平群町にある信貴山朝護孫子寺は信貴山真言宗の総本山で、毘沙門天王の総本山といっているらしい。朝護孫子寺の由緒は聖徳太子の物部守屋討伐の話と関係あるらしく、朝護孫子寺の奥の院には汗かき毘沙門天が祀られてるらしく、聖徳太子が物部守屋と戦った時に毘沙門天が現れて物部守屋と戦ったことになってるらしい。
 
 朝護孫子寺の鎮守は猪上神社らしく、天足彦国押人命を祀ってるらしい。ウィキペディアを見ると、天足彦命と国押人命と分けて祀ってるらしい。よくわからないが、意味不明だ。
 
 滋賀県大津市の小野神社のHPを見ると、菓子・餅の祖神って書いてある。天足彦国押人命と米餅搗大使主命を祀っていて、天足彦国押人命と米餅搗大使主命は小野氏の祖らしい。小野神社には小野妹子神社と小野篁神社と小野道風神社もあるようだ。
 
 朝護孫子寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平泉

2023-04-19 23:08:18 | 日記
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 日本各地に坂上田村麻呂伝説があるらしいけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。坂上田村麻呂は毘沙門天の化身ということになってるらしい。
 
 岩手県の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺です。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

天台宗

2023-04-19 23:06:34 | 日記
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、久邇宮朝彦親王は明治維新の前は出家していて天台座主にも就いたこともあるらしいけど、本当か知らない。梨本宮守脩親王が江戸時代の最後の天台座主で、梨本宮守脩親王も還俗して、梨本宮守脩親王には後継ぎがいなくて、梨本宮家は久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王が継いだようだ。梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦の頃の伊勢神宮の祭主らしい。
 
 明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らない。ウィキペディアを見ても、明治時代や大正時代に特筆するような天台座主はいなかったみたいなんだよなあ。
 
 天台宗は天台法華宗ともいうらしく、法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。日本の天台宗の総本山の滋賀県大津市にある比叡山延暦寺では、密教や禅や念仏もあって、総合仏教といってるらしい。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

真言宗

2023-04-19 23:05:35 | 日記
 食事ですか・・・。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようだ。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海の御廟のようだ。空海は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というらしい。
 
 空海が高野山の奥の院で生きているという信仰を入定信仰というらしい。高野山の奥の院には、毎日、空海のために食事と服が運ばれてるみたいです。詳しいことは知りませんけど・・・。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2023-04-19 23:03:26 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、明治時代の密教の僧で一番著名な僧は土宜法龍という僧のようだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山のようだけど、仁和寺は皇族の人が出家して住職を務めていた門跡寺院ということになってるらしい。明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。
 
 釈雲照という僧は高野山で学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照は十善会という会を発足したらしい。次の仁和寺の門跡の泉智等という僧も高野山で学び、真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡や江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老になり、高野派の管長や金剛峰寺の座主や真言宗連合総裁に就いたようだ。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王が教えを受けに行ったようだ。土宜法龍は明治26年(1893年)にシカゴで開かれた万国宗教会議に日本の代表として行ってきたらしい。土宜法龍は西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたらしい。土宜法龍は仁和寺の門跡や高野派の管長や真言宗連合総裁を務めたようだ。土宜法龍は南方熊楠と往復の書簡をずっと続けていたようだ。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか