母に会いにいく
お見舞いと言うより会いにいくと言うほうがしっくりする。
この七年間そうだった。
毎週会いに行っていた。
夏までは父がいた。
毎週土曜日、週に一度帰る。
9時ころ出ても電車で片道二時間近くかかるので、
お昼前に着き、ご飯を一緒に食べる。
しばらく他愛無い話をして母の病院へ。
母の爪切りや耳そうじをして、手をにぎることくらいしかできない。
30分もいられない。
それから、自転車の父と待ち合わせて駅に近い珈琲館でお茶をして、
食材や日用品の買い物をするのが日課だった。
そこで別れて、二時過ぎに電車に乗って帰る。
それが今年正月明け、父が入院。
それまでも糖尿病で入退院を繰り返していたが、
今度は壊死した片足膝下切断。
家には戻れなくなった。
軽く痴呆の気もあったと思う。
それから、空っぽになった公団と
父と母の病院をまわる土曜日に変わった。
片づけなくてはならない問題が山積みだった。
ようやく色々なことに目処がついてきた七夕、夏。
あっけなく父が他界した。
あれから4ヶ月が過ぎた。
公団も引き払い、母は杉並区住民となった。
もちろん病院にいるのだけど。
船橋には母にだけ会いに行くようになった。
毎週追われていた土曜日は、少しずつ自分の時間が増えてきた。
毎週が隔週に変わる。
なんとなく罪悪感を覚える。
回数が少なくなった分、長めにいたいし、ゆっくりしようと思う。
そうできないときもあるけど。
帰るときには、またくるね、バイバイと言うと、
軽く手をヒラヒラと振ってくれる。
意識してるかはわからない。
なんとなく表情がかなしげに見えると、立ち去れなくなる。
また手を握ってしまう。
その繰り返し。
母の顔をマジマジと見つめる。
お願いです。一分一秒長く生きてください。
生きたいだけ生きてください。
お父さんはそばにいますか?
もっと太くしっかりしなきゃと自分に言い聞かせる。
ちゃんと前向いて、自分の人生を大切に、
後悔しないように毎日を生きようと思う。
お見舞いと言うより会いにいくと言うほうがしっくりする。
この七年間そうだった。
毎週会いに行っていた。
夏までは父がいた。
毎週土曜日、週に一度帰る。
9時ころ出ても電車で片道二時間近くかかるので、
お昼前に着き、ご飯を一緒に食べる。
しばらく他愛無い話をして母の病院へ。
母の爪切りや耳そうじをして、手をにぎることくらいしかできない。
30分もいられない。
それから、自転車の父と待ち合わせて駅に近い珈琲館でお茶をして、
食材や日用品の買い物をするのが日課だった。
そこで別れて、二時過ぎに電車に乗って帰る。
それが今年正月明け、父が入院。
それまでも糖尿病で入退院を繰り返していたが、
今度は壊死した片足膝下切断。
家には戻れなくなった。
軽く痴呆の気もあったと思う。
それから、空っぽになった公団と
父と母の病院をまわる土曜日に変わった。
片づけなくてはならない問題が山積みだった。
ようやく色々なことに目処がついてきた七夕、夏。
あっけなく父が他界した。
あれから4ヶ月が過ぎた。
公団も引き払い、母は杉並区住民となった。
もちろん病院にいるのだけど。
船橋には母にだけ会いに行くようになった。
毎週追われていた土曜日は、少しずつ自分の時間が増えてきた。
毎週が隔週に変わる。
なんとなく罪悪感を覚える。
回数が少なくなった分、長めにいたいし、ゆっくりしようと思う。
そうできないときもあるけど。
帰るときには、またくるね、バイバイと言うと、
軽く手をヒラヒラと振ってくれる。
意識してるかはわからない。
なんとなく表情がかなしげに見えると、立ち去れなくなる。
また手を握ってしまう。
その繰り返し。
母の顔をマジマジと見つめる。
お願いです。一分一秒長く生きてください。
生きたいだけ生きてください。
お父さんはそばにいますか?
もっと太くしっかりしなきゃと自分に言い聞かせる。
ちゃんと前向いて、自分の人生を大切に、
後悔しないように毎日を生きようと思う。
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