澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

貴重な映像記録 !! 国策映画【南進台湾】全編 カラー版 昭和14年(1939年)

2022年06月21日 13時06分10秒 | 台湾

 台湾総督府が監修した国策映画「南進臺灣」(1939年)が、YouTube上でカラーで見られるようになっていた。白黒(モノクロ)画面では断片的に見たことがあり、また、台湾のサイトでは白黒版が見られるようだ。

 この映画が公開された1939年だが、同年9月にドイツがポーランドへ侵攻。これが第二次世界大戦の勃発となった。映画は、資源の乏しい日本が「南進」することで、各種資源を獲得でき、未来が拓けることを再三再四強調する。1940年6月22日、ドイツ軍はパリを占領、フランスは降伏。1940年9月27日、日独伊三国同盟締結。1941年12月8日、日本の連合艦隊が真珠湾攻撃、同時に日本の「南進」が実行され、仏領インドシナ半島(ベトナム)などを占領した。

 1939-41年の二年間で国際情勢は急変する。映画が作られたわずか五年後に日本が敗戦を迎え、台湾を「放棄」するなど、誰が予想できただろうか?もし、日本外交が巧妙、狡猾な術を有していたなら、「南進」を選択せず、日米戦争を避けられたかも知れない。ソ連=コミンテルンのスパイであったゾルゲ、尾崎秀実の謀略にまんまと乗せられてしまった近衛内閣。歴史にIFはないと言うものの、タイムマシーンができたなら、この時代に戻って、歴史の岐路を修正したいものだ、と思う。

 現下のウクライナ戦争で改めて思うのは、一独裁者の思惑一つで、無茶な戦争が始まってしまい、第三者は容易にそれを止めさせられないという事実だ。
 この映画で知るのは、日本の台湾統治は真摯かつ合理的な判断で遂行されたということだ。植民地の近代化という観点からは、欧米列強などよりもむしろ大きな功績を残した。その日本が、この映画の五年後、若者に神風特攻攻撃を命じ(特攻は志願であるという言い訳があるが、実質上の強制であることは疑いない)、戦艦大和は海の藻屑と化した。
 
 この映画は、戦前の健全な時代の最後の映像だったに違いない。二度紹介される鵝鑾鼻(ガランビ)灯台(帝国日本の最南端)には、この五年後、バシー海峡で米軍により撃沈された日本船舶(民間船や病院船も含む)の乗員の死骸で鵝鑾鼻の海岸は埋まった。
 歴史の機微を知るという意味で、実に貴重な映像だと思った。

 

国策映画【南進台湾】全編 カラー版 昭和14年(1939年)



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