澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

櫻井よしこ 「NHKは反省するか」

2013年12月02日 08時36分12秒 | マスメディア
 今朝の「産経新聞」一面に評論家・櫻井よしこ氏が「NHKは反省するか」という一文を寄せている。

 4年前、NHKが大宣伝をして放送した「シリーズJAPANデビュー」の第一回放送「アジアの”一等国」が偏向番組だとして、視聴者に訴えられた裁判で、東京高裁が一部その主張を認め、NHKに対して賠償を命令した。NHKがこの判決を真摯に受け止め、「自らの報道姿勢を正す反省材料とするだろうか」と櫻井よしこ氏は問いかける。

 だが、NHKはそんな気は毛頭ないらしい。
 そもそも「朝日」や「毎日」の読者には、この訴訟があったことさえ、ほとんど報じられていないのだ。一見、公平、中立を装うNHKを真に受けてはいけない、ということだろう。
 傲慢なNHKには、受信料不払いこそが最も有効な対抗手段となりうる。




NHKは反省するか    櫻井よしこ
2013.12.2 03:40  【産経】

 果たして「NHK」はこの判決を自らの報道姿勢を正す反省材料とするだろうか。

 平成21年4月5日放送の「NHKスペシャル・シリーズ JAPANデビュー」第1回、「アジアの“一等国”」でNHKは、1910年、ロンドンでの日英博覧会で日本が台湾のパイワン族24人を「人間動物園」として展示したと報じた。

 24人のうちの1人の方の娘さん、高許月妹(こうきょげつまい)さんらが、NHKの報道は取材に応じた人々の真意を歪曲(わいきょく)した、名誉と心を傷つけられたとして東京地裁に訴えていた。11月28日、東京高裁は東京地裁の原判決を取り消し、NHK敗訴の判決を下し、高許さんに100万円の支払いを命じた。加えて高裁は判決理由の随所でNHKに対する驚くほど厳しい指摘に踏み込んだのである。

 たとえば、NHKは、「取材を受けた高許さんの話の趣旨を十分に理解しようとする姿勢に欠けていた」「その好意を土足で踏みにじるような結果を招いた」「違法とまではいえないものの、(報道の)基本を怠った」「本件番組は、日本の台湾統治が台湾の人々に深い傷を残したと放送しているが、本件番組こそ、その配慮のない取材や編集等によって、台湾の人たち(中略)の心に、深い傷を残した」という具合だ。

 原告側代理人、高池勝彦弁護士はこのような厳しい表現での言及は異例だと語る。

 NHKにおける「自分の考えに合致する内容の番組を作ることばかりに目が向いていた」偏向報道は歴史問題に限らない。特定秘密保護法案に関する一連の報道にも、同質の偏りを感じる。同法案が衆院で可決された11月26日の「ニュースウオッチ9」を具体的に見てみよう。

 同日の「9」は冒頭で同法案を取り上げたがその論調はおよそ反対一色だった。国会前で拡声器で法案反対を訴える人々の大音声や衆院国家安全保障特別委員会で、委員長席に詰め寄る民主党議員らの映像を見せつつ、「9」は安倍晋三首相以下、自民党の中谷元・特命副幹事長らの意見に民主、日本維新の会の「強行採決は委員会運営の失敗」「数の横暴」などのコメントを対比させながら報じた。

 後半部分では浅田次郎日本ペンクラブ会長の「時代に逆行」との非難、採決前日、福島の公聴会に出席した馬場有浪江町長の「はじめに結論ありきだった」との批判を紹介し、政治部が解説した。

 補正予算、税制改正、外交日程などで会期延長が困難な中、採決に踏み切ったという国会日程の表面的事象のみの説明だ。番組キャスターの大越氏が、日程ありきの審議を批判し、中身の濃い議論に期待する旨語って、同コーナーは終わった。約12分間、NHKは法案の内容も、必要論も賛成論も伝えず、結局、反対論ばかりを伝えた。

 なぜ、日本がいま特定秘密保護法案に取り組み、安全保障体制を根本から整備する必要があるのか、日本を除く諸外国の機密情報保護の法律に比べて日本の法案はどこが問題か、何が不足か、こうした論点の説明をしないのである。NHKは中身の濃い議論をせよと言うが、中身がないのはNHKのほうではないのか。

 反対一色とでも言うべきNHKの報道は、反対論者、賛成論者双方にとっても正しい問題把握を妨げるもので、無意味かつ有害である。

 増大する中国の軍事的脅威の前で、政府は国家安全保障会議(NSC)をつくり、国家安全保障戦略(NSS)と新たな防衛大綱を定めつつある。国家として当然の責務である。そうした制度を整備して日米同盟緊密化を確固たるものにするのが国益だ。

 国の安全保障に関わる情報の適切な秘匿はそのために欠かせない。まともな国は情報の収集、秘匿、そして公開においてきちんとした体制を整備しているものだ。その多くが抜け落ちているわが国だからこそ、中国の脅威が眼前に迫っているいま、急いで体制を整えなければならない。特定秘密保護法案はその重要な一部である。

 他方で、わが国は民主主義と自由を尊重する国である。基本的に全情報は最終的に国民に戻すという原則を守らなければならない。言論、報道の自由を担保する中での特定秘密保護法案という位置づけはゆるがせにしてはならない。

 民主主義のわが国において、そんなことは安倍晋三首相以下、政治家全員が十分に承知していることだ。だからこそ、国民の関心は国民の代表としての政治が目指しているであろう情報の適切な秘匿と適切な公開が、制度上どう保証されるのかという点にある。

 特定秘密を指定するのが各省の大臣、事実上、役人であってよいのか。政治家の思惑をこえて、官僚の恣意(しい)的情報隠蔽(いんぺい)を許してしまう危険はないか。特定秘密の指定や解除に関して公正さは担保できているのか。首相の言及した第三者機関はどう構成すべきなのか。特定秘密に指定された情報は5年毎に更新され、30年を超える場合は内閣の承認で60年まで延長され、その先への延長も可能とされている。30年、60年、さらなる延長でよいのか。

 この一連の重要な事柄を私たちはいま、安全保障上、短期間に決定しなければならない。情報秘匿の必要性についても、反対に公開の重要性についても、成熟した大人の判断力を養わなければならない。メディアの役割は、国民がそのような能力を身につけるための情報を提供することだ。成熟した国民の前では、政治もまた覚悟を求められる。情報は最終的には国民に属するという基本を守れるか、国民は厳しく見詰めるからだ。


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