澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

張学良軟禁の地 台湾・清泉温泉を行く

2008年10月25日 09時46分34秒 | 台湾
今朝の「産経新聞」に「張学良軟禁の地 台湾・清泉温泉を行く」という興味深い記事が載っている。



1936年、満州軍閥の頭目だった張学良は、抗日統一戦線を主張して中国国民党の蒋介石を軟禁した。これを契機として、国共合作が実現し、中国共産党(中共)の影響力は飛躍的に増大した。これが「西安事件」である。

1949年、大陸を逐われた蒋介石は台湾に逃亡した。張学良は香港で捕らえられ、その後何十年も台湾に幽閉されることになった。
蒋介石にとって、張学良は恨み骨髄の相手。「西安事件」が起きなければ、中国国民党がリーダーシップを執って抗日戦争を続けられたいう思いがあり、絶対に赦せない相手だったのだ。

張学良は、1958年から清泉温泉に軟禁され、年2回だけこの「自然の要塞」のような僻地から出ることを許された。通常はラジオでニュースを聞くことも禁じられたという。
「70歳の誕生日を迎えた蒋介石に張学良は懐中時計を贈ったが、…その返礼として蒋氏から届いたのは1本の釣り竿だった。”釣りをしながらゆっくり待つべし” 自由を懇願する思いは軽くあしらわれた」と、この記事には書かれている。
これは、清泉温泉に軟禁される直前の1957年のエピソードと思われる。「懐中時計」は、軟禁で失われていく時間を返して欲しいという暗喩であり、蒋介石の返答もまた伝統中国の文人のような寓意に満ちたものだった。



皮肉なことに、中国では張学良の評価は極めて高い。瀋陽に行くと、張学良の旧居は博物館(張氏師府)となっている。「軍閥」ではあったが、蒋介石に抗日統一戦線を迫り、中国を救った「愛国者」という理屈だ。独裁者・毛沢東にとって、自らの大陸制覇の道を拓いてくれた張学良は、「恩人」という評価なのだ。


《中国・瀋陽・張学良の旧・私邸(張氏師府)の入り口》


  《大青楼-張氏師府を代表する建物》



   《台湾・清泉温泉で張学良が幽閉された日本式家屋》



この両極端に見える張学良の評価は、「歴史を見る眼」の複雑さを教えてくれる。媚中派の「朝日新聞」では、決してこういう記事を載せないだろうから、多数の読者は知る由もない。
故・衛藤瀋吉氏(東大名誉教授・東アジア政治史専攻)は、もう30年も前、北京に行き「蒋介石もまた愛国者だったと言えるかも知れない」と発言し、中国側の激怒を買ったことがある。
今にしてみれば、衛藤氏の発言は、歴史を見据えた真っ当なものだったのだが、当時、「朝日新聞」を中心とするマスコミは、この発言を徹底的に批判したのだった。


先日、旅順の「203高地」を訪れたが、そこにある説明文(日本語)は、日本軍国主義を一方的に非難する内容だった。ロシアについては、極めて寛容な記述だったので、その不公正さに憤慨した。「日露戦争」の歴史さえも、中国側に都合がいいように書き換えられているのだ。


《「二〇三高地」の掲示されている説明文》



   《説明文の日本語部分~中国側の”歴史認識”がよく分かる》

こと中国報道に関する限り、「産経新聞」を読まなければ、”真実”は分からないと言えるかも知れない。別に「産経新聞」の拡販員ではないのだが…。





















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