澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「黄禍論と日本人」(飯倉章著)を読む

2013年04月01日 01時27分01秒 | 
 「黄禍論と日本人~欧米は何を嘲笑し、恐れたのか~」(飯倉章著 中公新書 2013年3月)をタイトルに惹かれて購入、一気に読了した。

 尖閣事件が起きたとき、野田・前首相は「もう止めましょうよ。我々は良識のある国民だから」と言った。もし、戦前日本の指導者がこの野田の間が抜けた妄言を聴いたら「日本人もここまで落ちたのか…」と愕然としたに違いない。「地球市民」「共生」など軽々しく言う前に、野田サンもこの本を読むべきではなかったか。

 本書の特徴は、欧米の新聞雑誌に著された風刺画を通して、欧米人の見る近代日本・日本人像を描き出す。もちろん、それらは白人の優越感に基づく人種偏見に満ち満ちていた。明治時代の日本人は、白人の人種差別をうち破るためには、自らが彼らに伍する力をつけなければならないと痛感した。風刺画の代表的なものは、次のような画だ。



 これは「ヨーロッパの諸国民よ、汝らのもっとも神聖な宝を守れ!」と題する画で、プロシャのヴィルヘルム二世がヨーロッパの王室、仏大統領、米国大統領などに贈ったという。天使に率いられるのは欧州の各国、すなわち白人のキリスト教徒。右端に鎮座するのは、仏像と龍。これがアジアを象徴していて、龍は中国、仏像は日本を示唆していると言う。

 著者は言う。
 「日本は、アジアにおける非白人の国家として最初に近代化を成し遂げ、それゆえに脅威とみなされ、黄禍というレッテルを貼られもした。それでも明治日本は、西洋列強と協調する道を選び、黄禍論を引き起こさないように慎重に行動し、それに反論もした。また、時には近代化に伴う平等を積極的に主張し、白人列強による人種の壁をうち破ろうとした。人種差別はその後、日本によってではなく、日本の敵側の国々によって規範化された。歴史はこのような皮肉な結果をしばしば生む。」(p.246)

 東日本大震災と福島原発事故以降、マスメディアは「世界が驚く日本人のすごさ」を盛んに吹聴している。また、未曾有の経験をしたことで、何か日本人が「えらく」なったかのような幻想が蔓延しつつある。原発事故の教訓を世界に生かせるとかいう物言いがそれだ。驚くべき慢心と自画自賛。これを佐藤健志氏(評論家)は「単に自然災害に遭っただけ」と一刀両断にした。

 もしこれを明治人が見たら、現代日本人の幼稚さに驚き、憂国の念を深くするに違いない。「黄禍論」はいつでも形を変えて吹き出してくる。あまりに警戒心が足らない…と。



黄禍論と日本人 - 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか (中公新書)
飯倉 章
中央公論新社


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