太平洋戦争とは、1941~45年。
日本がアメリカ海軍が多数駐留するハワイの真珠湾を攻撃し始まった戦争です。では、この太平洋戦争について少し詳しく見てみましょう。
話はヨーロッパに飛んで、ドイツのお話から・・・。ドイツは第一次世界大戦に敗北し、その後の世界恐慌のあおりを受けてファシズム(独裁政治によって軍事力を強化し、海外進出を狙う)に走っていました。
ドイツのナチス党のヒトラーは1939年にポーランドに侵攻。当時、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがそれに対抗しドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が始まります。
1940年にはドイツはイギリスを除く、ほぼヨーロッパ全土を支配下に治めるといった怒涛の勢いを見せるのですが・・・。
その頃、日本は日中戦争の最中。
当時、満州国建国などで国際的に孤立してしてしまっていた日本は、このドイツの勢いに乗ることにします。
1940年、ドイツと同じくファシズムに走っていたイタリアとも手を組み、日独伊三国軍事同盟を結びました。
しかし、遠いヨーロッパの国の2国と軍事同盟を結んだところで実質的な効果はなく、逆にイギリスを支援するアメリカとの対立を深める原因になってしまいます。
そして、アメリカからの経済制裁を日本は受けることになります。
「石油などの燃料や鉄を日本に輸出しないよ」といいだすのです。中国との戦争中に、燃料がなくなるのは日本にとって痛すぎます。「石油の一滴は、血の一滴」という言葉があるくらい戦争では燃料が勝敗に大きく左右したのです。
なんとか、アメリカの怒りを静めようと日本も努力します。
1941年4月に日本はアメリカとワシントンで交渉を開始。
しかし、その一方で日本の陸軍は石油やゴムなどの資源を求め、ベトナムへ軍を進めサイゴンへ入城します。
日本とアメリカの経済力の比較
人口 原油産出量 石炭産出量 鉄鉱石産出量
日本 7193万人 28万トン 5647万トン 76万トン
アメリカ 1億3167万人 1億8950万トン 4億6391万トン 9389万トン
サイゴンとはアメリカ領のフィリピン、イギリス領のシンガポール、オランダ領のインドネシアなどすべてを攻撃できてしまう場所。これに危機感を募らせたアメリカは日本に対して石油の輸出を全面禁止。
アメリカにいる日本人の資産を凍結させるなどの処置にでます。
そして、同年11月。
アメリカ国務長官ハルは最後の提案として日本に中国からの日本軍の撤兵、日独伊の同盟廃棄、中国の満州を満州事変以前の状態に戻すことなどの条件を日本に突きつけました。
しかし、日本としては到底飲める内容ではなく、1941年10月、首相に就任した東条英機(とうじょう ひでき)は遂に真珠湾にてアメリカ海軍を攻撃。
太平洋戦争が始まるのです。
しかし、そもそも、なぜアメリカは日本に経済制裁を加えたのでしょう。
ドイツと同盟を結んだくらいで、そんなに怒ることない。
アメリカあまり関係ないし・・・。
開戦後、まもなくは日本海軍は怒涛の勢いで太平洋上の島々を占拠します。
1942年1月、マニラ占領。1942年2月、シンガポール占領。1942年3月、ジャワ島占領。しかし、その勢いもそこまで・・・。
1942年6月のミッドウェー海戦では空母4隻、航空機300機を失い、また多数の熟練兵も失い惨敗します。
このミッドフェー海戦を機に戦局は一変。
アメリカの猛反撃にあいます。
もともと、日本は物資に乏しく、短期決戦でしか勝てる見込みはなかったのです。
その後は、守りに回った日本ですが米軍の猛攻になす術もなく、硫黄島敗北、沖縄戦敗戦・・・。
そして、広島、長崎に原爆を投下され投下され1945年8月15日。
ついに昭和天皇はラジオにて全国民に向け敗戦を伝えるのでした。
日本がアメリカ海軍が多数駐留するハワイの真珠湾を攻撃し始まった戦争です。では、この太平洋戦争について少し詳しく見てみましょう。
話はヨーロッパに飛んで、ドイツのお話から・・・。ドイツは第一次世界大戦に敗北し、その後の世界恐慌のあおりを受けてファシズム(独裁政治によって軍事力を強化し、海外進出を狙う)に走っていました。
ドイツのナチス党のヒトラーは1939年にポーランドに侵攻。当時、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがそれに対抗しドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が始まります。
1940年にはドイツはイギリスを除く、ほぼヨーロッパ全土を支配下に治めるといった怒涛の勢いを見せるのですが・・・。
その頃、日本は日中戦争の最中。
当時、満州国建国などで国際的に孤立してしてしまっていた日本は、このドイツの勢いに乗ることにします。
1940年、ドイツと同じくファシズムに走っていたイタリアとも手を組み、日独伊三国軍事同盟を結びました。
しかし、遠いヨーロッパの国の2国と軍事同盟を結んだところで実質的な効果はなく、逆にイギリスを支援するアメリカとの対立を深める原因になってしまいます。
そして、アメリカからの経済制裁を日本は受けることになります。
「石油などの燃料や鉄を日本に輸出しないよ」といいだすのです。中国との戦争中に、燃料がなくなるのは日本にとって痛すぎます。「石油の一滴は、血の一滴」という言葉があるくらい戦争では燃料が勝敗に大きく左右したのです。
なんとか、アメリカの怒りを静めようと日本も努力します。
1941年4月に日本はアメリカとワシントンで交渉を開始。
しかし、その一方で日本の陸軍は石油やゴムなどの資源を求め、ベトナムへ軍を進めサイゴンへ入城します。
日本とアメリカの経済力の比較
人口 原油産出量 石炭産出量 鉄鉱石産出量
日本 7193万人 28万トン 5647万トン 76万トン
アメリカ 1億3167万人 1億8950万トン 4億6391万トン 9389万トン
サイゴンとはアメリカ領のフィリピン、イギリス領のシンガポール、オランダ領のインドネシアなどすべてを攻撃できてしまう場所。これに危機感を募らせたアメリカは日本に対して石油の輸出を全面禁止。
アメリカにいる日本人の資産を凍結させるなどの処置にでます。
そして、同年11月。
アメリカ国務長官ハルは最後の提案として日本に中国からの日本軍の撤兵、日独伊の同盟廃棄、中国の満州を満州事変以前の状態に戻すことなどの条件を日本に突きつけました。
しかし、日本としては到底飲める内容ではなく、1941年10月、首相に就任した東条英機(とうじょう ひでき)は遂に真珠湾にてアメリカ海軍を攻撃。
太平洋戦争が始まるのです。
しかし、そもそも、なぜアメリカは日本に経済制裁を加えたのでしょう。
ドイツと同盟を結んだくらいで、そんなに怒ることない。
アメリカあまり関係ないし・・・。
開戦後、まもなくは日本海軍は怒涛の勢いで太平洋上の島々を占拠します。
1942年1月、マニラ占領。1942年2月、シンガポール占領。1942年3月、ジャワ島占領。しかし、その勢いもそこまで・・・。
1942年6月のミッドウェー海戦では空母4隻、航空機300機を失い、また多数の熟練兵も失い惨敗します。
このミッドフェー海戦を機に戦局は一変。
アメリカの猛反撃にあいます。
もともと、日本は物資に乏しく、短期決戦でしか勝てる見込みはなかったのです。
その後は、守りに回った日本ですが米軍の猛攻になす術もなく、硫黄島敗北、沖縄戦敗戦・・・。
そして、広島、長崎に原爆を投下され投下され1945年8月15日。
ついに昭和天皇はラジオにて全国民に向け敗戦を伝えるのでした。
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