仏語。善も悪も別のものではなく、仏法では無差別の一理に帰着するということ。
善悪、正邪とかに共通するのは2元論であるところですシーソーのように片方があがればもう片方が下がる対極の存在があるから自身があるという立場です悪があるから善があるのです。
もちろんその逆もまた真ですが 夜と昼のように。
善も悪も別々のものではなく、仏法の平等無差別の絶対真理に帰着するということ。
【悪もまた善を顕す働きをするのであれば、悪の全体がそのまま善になります。まさに善悪不二です。しかし、自然に放置していて、悪が善になるのではない。
悪と戦い、完膚( かんぷ)なきまでに打ち勝って、はじめて善悪不ニになるのです】
善悪、正邪とかに共通するのは2元論であるところですシーソーのように片方があがればもう片方が下がる対極の存在があるから自身があるという立場です悪があるから善があるのです。
もちろんその逆もまた真ですが 夜と昼のように。
善も悪も別々のものではなく、仏法の平等無差別の絶対真理に帰着するということ。
【悪もまた善を顕す働きをするのであれば、悪の全体がそのまま善になります。まさに善悪不二です。しかし、自然に放置していて、悪が善になるのではない。
悪と戦い、完膚( かんぷ)なきまでに打ち勝って、はじめて善悪不ニになるのです】
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