児童8名を無差別に殺害した宅間守

2018年08月30日 13時01分47秒 | 社会・文化・政治・経済

児童13名・教諭2名が傷害を負った。

精神障がい者を装った言動を繰り返した宅間守
2003年8月 死刑判決を言い渡された宅間守
法廷内で暴言を吐き続けた宅間守
早期死刑執行がされた宅間守
附属池田小事件の犯人である宅間守は死刑囚として一生を終えていますが、実は宅間守は獄中結婚をしており、更に宅間守の兄は首を斬って自殺をしてしまった。

宅間守が起こした「大阪教育大学附属池田小事件」とは
児童8名を無差別に殺害した宅間守

死刑確定後1年で死刑執行された宅間守
トラブルばかりの宅間守の生い立ち
エリートに異常な嫉妬を抱いていた宅間守
宅間守が獄中結婚した相手とは?
死刑廃止運動家の女性と獄中結婚した宅間守
附属池田小事件後の現在~今も苦しむ事件関係者たち
事件は2001年6月8日10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った宅間守が侵入し、次々と同校の児童を襲撃したというものです。
結果的に児童8名が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負いました。

宅間守は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕されましたが最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたそうです。
その後、宅間守は殺人罪などで起訴されました。
逮捕当初、宅間守は精神障害者を装った言動を取っていましたが、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた精神鑑定の結果で、2度とも「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」とされ、責任能力を認める結果が出ました。
宅間守は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述して医師の診察を受けたものの、宅間守が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の三種類と判明しました。
仮にこれらを10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはないとされています。
また、宅間守の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物が押収されることとなりましたが、これは宅間守が複数の病院に通院しては、医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って薬を処方してもらい、飲まずにため込んでいたものだということがわかりました。

さらに、逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分が検出されず、捜査員がこの事実を宅間へ突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めました。
まず宅間守は法廷内に口笛を吹きながら入廷するところから始まり、「 こんな、結果のわかっとる、おもろない裁判に、ひまなヤツらがようけ来て、あほやのお~」 などと話しています。
他にも宅間守は法廷内で数々の暴言を繰り返しています。
・「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。 あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!! でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」
・「あのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かってよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。」
・「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、 ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、 後悔もない!」
・「わしが8人を死刑にすんのに10分かかっとらんのに、わし一人の死刑に2年近くかかって随分、ご丁寧な事やのー!!」
この様な暴言から、遺族の中には退場者も出ました。法廷内は「宅間死ね」などの怒号が飛び交っていました。
宅間守は1963年11月23日に生まれ、幼少時代の宅間守は度々問題行動を起こし、3歳の時点で三輪車で国道の中央を走って渋滞させたり、小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめるなどの子供でした。
更に猫等の動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害した事もあったそうです。
中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」こともあるそうです。
様々なことから宅間守は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた様に思われます。

尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、定時制高校に編入学するもすぐ退学し、数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、18歳の時航空自衛隊に入隊したが1983年1月に1年強で除隊させられています。
除隊の理由について、鑑定書は「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたと記述されています。

除隊後、宅間守は運送会社やトラック運転手、引越し業者等十数社転職を繰り返していたがいずれも数週間から半年以内で辞職しており、精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、また高速道路を逆走するなど非行を行うようになりました。
1984年にマンション管理会社に勤務していた時には家賃の集金と称して女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こし、事件後宅間守は母親を伴い精神科を受診、入院するが、入院中に5階から飛び降りて重傷を負ってしまいます。
この出来事の後、統合失調症の診断を下されています。
のちに母親に宛てた手紙によれば、入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」であったといわれています。
初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、1989年の出所後父親が宅間の私物を下取りに出しその金を本人に手渡しして父親から勘当されています。
1993年、30歳の時には非常勤の地方公務員になり市営バスの運転手やゴミ収集、小学校の用務員等を勤めていたが、この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水の匂いがきつい」ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒処分を受けています。
1999年4月には小学校教諭等が飲む茶に精神安定剤を混入させる行為をしたとして分限免職されたものの、刑事処分は「責任能力なし」として受けませんでした。
その後再度職を転々とするが、その度に暴行事件等を起こした為長続きせず、2000年末頃から最終的に池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職でした。
十数社の職歴の内ある程度長続きしたのは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されています。

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