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中2からだった自殺願望、アイドル・岡田有希子が逃れられなかった生きづらさ

2020年10月02日 06時52分14秒 | 事件・事故

4/13(月) 20:00配信

BEST TIMES

■生きづらさから逃れるために


 春は自殺の季節だ。特に日本では、3月から5月にかけて、子供や若者を中心に自ら命を絶つ人が増える傾向にある。

学校の児童や生徒の自殺については、夏休み明けの9月1日に多発することが知られているが、自殺対策白書(14年)の「18歳以下の日別自殺者数」によれば、それに次ぐのが4月の8日と11日。そして、86年の4月8日に、18歳で自殺したのがアイドルの岡田有希子である。

 デビュー3年目の彼女は前月、高校を卒業しており、社会人として本格的なスタートを切った矢先の死だった。所属事務所のサンミュージックが入っているビルの屋上から飛び降り、即死。ただ、遺書はなく、理由は謎につつまれた。

 もっとも、自殺の理由が単純であることはまずない。彼女の場合もおそらく、プライベートな問題も含め、複合的なものが考えられる。ままならない恋愛だったり、両親の不和だったり、 母の病気だったり。また、彼女は中学2年のときにも実家でガス自殺まがいの行動をしていた。母が帰宅すると、ガスの元栓がゆるんでいて、彼女がこう説明したというのだ。

「途中でニオイに気づいて消した。だけどあのままでいたら自殺じゃなく、自然に死ねたのにね。だけどやっぱり死ねなかった」(「愛をください」岡田有希子)

 当時、彼女は教師からのひいきを級友に嫉妬されたり、コンテストへの応募を周囲に反対されたりして、不安定な精神状態だった。また「人間が怖い」とも口にしていたため、母は「自殺しようとしたんじゃないだろうか」と「直感」したらしい。

 そして、じつは自殺の数時間前にも自宅でガス自殺未遂をしていた。

 それゆえ、専務だった福田時雄は、自殺未遂で迷惑をかけた自責の念から、パニックに陥り、飛び降りてしまったという見方をしている。ただ 、彼女がひどく疲れていて、死への衝動に身を委ねたい状態だったのも事実だろう。そこには、仕事における重圧もやはり作用していたのではないか。

 この重圧については、5日にアエラドットから配信された記事「岡田有希子さん没後34年。“アイドルは生身の人間”だと示した特別な存在」に書いた。事務所の先輩である松田聖子が85年に結婚したため「ポスト聖子」の期待をかけられ、人一倍マジメな性格だった彼女にはそれも負担だったと思われるのだ。

 ちなみに、仕事に疲れたり、飽きたりすると、女性の芸能人は恋に逃げがちだ。聖子もそうだし、安室奈美恵などもそうだった。これは長い目で見ればステップアップにもつながり、悪いことではない。彼女の場合も、報じられた年上俳優との関係が事実なら、そういう方向で何かを打開しようとしていたのだろう。

 しかし、彼女の試みは成功しなかったようで、結果、死に逃げるかたちとなった。それは運や巡り合わせより、その性格によるところが大だったかもしれない。中学時代にも自殺未遂まがいの行動をしたように、生きづらさから逃れるために死を考えるような性格だったのだ。

 また、芸能人は大なり小なり、生まれ育った環境からの脱却を願ってデビューする。彼女の場合は、父方が教育者の多い家系で、本人も優等生だった。その環境や立場の息苦しさが芸能や芸術への憧れを強め、猛反対を押し切っての芸能界入りにつながっていく。

 ただ、芸能人になったところで生きづらさが完全に消滅するわけではない。結局、彼女はまた死にたくなってしまったということだろう。偏差値世代の挫折などともいわれたそんな彼女のありように、子供や若者たちが共鳴したのが「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた現象だ。この年の初めから目立ち始めていた若年層の自殺は、彼女の死によってさらに激増する。

■いきなり生々しい人間じみた姿を


メディアや世間はその現象に畏れおののき、彼女の死は「怪談」となる。まずは、死んだはずなのに歌番組に映っていたという噂が広まった。古くは菅原道真や平将門の怨霊伝説が示すように、こういうことは珍しくない。ただ、彼女は祀られるかわりに、禁忌となり、生前の姿や業績は十数年にわたって芸能界的に封印された。

 また、死の14年後にはチーフマネージャーをしていた男性が同じビル内のトイレで自殺。メディアは「呼び寄せたのか」と報じた。さらに 、彼女が卒業した堀越高校芸能コースの同期には、若死にが相次いでいる。20人足らずのなかで、本田美奈子と菊地陽子(ともに白血病 )、松本友里(自殺)が40代前半までに旅立った。

 とはいえ「怪談」だったのは彼女の死そのものかもしれない。いつも可愛い服を着て笑顔で歌っていた少女が突然、ビルから飛び降りて地上にたたきつけられ、血液や脳みそまで飛び散った遺体写真がメディアを通して紹介された。お人形のような偶像だったはずのアイドルが、いきなり生々しい人間じみた姿をさらけだしたのである。

 ただ、生身の彼女を知る人にとって、その死は怪談ではない。それぞれが懐かしい思い出を抱えながら生きている。たとえば、ある業界人は彼女とたわむれに結婚の約束をした話を語った。「私って結婚できない気がするなぁ」「じゃあ、僕と結婚しようか」といった流れで指切りをしたのだという。

 このエピソードを聞いたとき、渡辺淳一の自伝的小説「阿寒に果つ」を思い出した。天才少女画家と謳われながら、18歳で自殺した加清純子をモデルに書かれたものだ。渡辺にとって初恋の人だったというが、他にも多くの男性と交友していた。小説は渡辺自身を含め、彼女と関わった人々がそれぞれの思い出を語る構成になっていて、若くして自殺するような女性ならではの不安定で儚い魅力が浮き彫りにされている。

 渡辺といえば「失楽園」をはじめ、自殺の話を好む作家だが、そこにはこうした原体験も影響しているのだろう。かく言う筆者(宝泉)もまたしかり。デビュー前に偶然街で出会ったり、インタビューをしたり、追悼本を作ったりという程度の関わりだったが、21歳で遭遇した岡田有希子の死が、その後の人生にもたらした影響は小さくない。

 たとえば、拙著『痩せ姫 生きづらさの果てに』に登場する22歳の拒食志向のある女性は、名前の読みが彼女の本名(佐藤佳代)と同じだった。それゆえ、親近感を覚えたようで、こんなことを口にした。

「18歳で人生のときを止めることができたことをうらやましく思います。ものすごく不謹慎ですけど」

 じつは生きづらさと死をめぐる構図において、自殺願望と拒食志向は通じるところがある。このふたつは筆者にとって重要なテーマで、前者については34年前に目にした彼女の悲劇と無縁ではない。その最期にどこか導かれるようにして、執筆活動を続けてきたという意味で、彼女は人生の恩人でもある。

 とまあ、最後に自分語りをしてしまったが、なんにせよ、彼女はアイドルとしても生身の人間としても素敵な存在だった。だからこそ、彼女を覚えている人たちのなかで今も生き続けているのだ。

文/宝泉 薫


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