競輪という世界

2023年07月13日 14時54分44秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 轡田 隆史 (著), 堤 哲 (著), 藤原 勇彦 (著), 小堀 隆司 (著)
 
坂上忍氏推薦!

「極限まで鍛え上げられた肉体をエンジンと化してしのぎを削る姿は、私たちの感情を沸点まで押し上げる。マジで感動しますよ!」

五輪でもメダルが有力視されるスポーツにして、最も知的なギャンブル「競輪」。
 
その知られざる魅力とは?

・1レースで賞金1億円! グランプリを目指す熱い闘い
・ブノワ改革でメダル有力候補に。競輪選手が五輪で輝く日
・レース中は外出も携帯電話も禁止。ストイックな競技生活の内側
・中野浩一だけじゃない! 歴史を築いたレジェンドたち
・戦後の焼け跡で復興を支えた「競輪ことはじめ」
・地方の競輪場を巡る。お城が競輪場に? 海抜0メートルでレース?
・女性会長の挑戦。ガールズケイリン誕生秘話 ほか
 

内容(「BOOK」データベースより)

肉体と肉体がぶつかり合う人類最速のレース、競輪。「KEIRIN」の名で五輪競技ともなった日本発の世界的スポーツでもある。東京五輪では競輪のトップ選手が自転車トラック競技の代表に名を連ね、メダルの有力候補に挙げられている。その醍醐味を縦横に語る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

轡田/隆史
ジャーナリスト。1936年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞社で、社会部デスク、編集委員、論説委員などを歴任、夕刊コラム「素粒子」を担当した。著書多数

堤/哲
ジャーナリスト。1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。元毎日新聞編集委員。JKA広報誌『ぺだる』に「競輪事始」を連載

藤原/勇彦
ジャーナリスト。元朝日新聞記者。朝日マリオン21取締役編集長、森林文化協会常務理事などを歴任。JKA広報誌『ぺだる』で補助事業の現場レポートを執筆

小堀/隆司
ノンフィクション・ライター。1971年生まれ。平成15年度Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。陸上や体操などを中心に取材・執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
戦後の地方復興に大いに貢献したとは知らなかったです。

女性会長がおられ、ガールズ競輪の復活劇や、短期間で消えていった競輪場の話なども盛り込んであり、レース展開とはまた違った日本競輪のなりたちを学ぶ面白さがあります。
 
 
競輪、歴史あるんですね。ネット投票も便利だし、競輪場で迫力感じてもよし、もっと普及してもいいのにな、と思いました。
 
 
 
歴史的な記述もさることながら、よりスリルと興奮を味わえるルールの改定提言や、今後、若い人たちのファンを拡大させていくためのアイディア等があればよりよかったと思いました。
 
 
 
「若者やあるいは家族連れが気軽に競輪場に遊びにくるようになるのではないか。」が目的なのだろうか?
それにしては、執筆陣があまりにもオールドであり、かつて競輪記事でみかけた「○○には××という目標がある。」「歓喜のお出迎え。」
「即刻作戦会議。」風のおよそ時代遅れのフレーズが網羅されている。「彼女から、目が離せない。」
「(ペンネームは)酔眼耄碌亭」「引っ張りだこになっている。」「新風を吹き込んだ。」などなど昭和の弁士か?というぐらいの残念感。なぜかイラストは「下町酎ハイ居酒屋紀行」みたいだし。

真の国際化を議論するのであれば中央競馬のような短期免許、試験合格後の永住を目指した外国人登録システムを導入すればいいだけの話だし、歴史だレジェンドだ、ならばネットで無料で調べられる。結局、JKAの買い上げ前提で視聴者プレゼント用なのかも知れない。

この本を購入するのなら、その分車券を買ったほうが主催者、選手、ファンのとってよほどいい関係が築ける気がしてならない。
 
競輪の事が良くわかる。面白い
 
 
今まで、競輪の本と謂うとギャンブルの事しか描いてない。はっきりいってつまらない。何とか読めたのは、中野浩一さんが書いたのくらいでした。初めてまともな競輪の本と出会いました。ありがとう。
 
 

私が競輪選手とは親交がありながら、親交のある選手の引退レースなどと運よく巡り合わねば、車券をほぼ買うことないような浅い知識(『ギャンブルレーサー』の関優勝が、実在の選手と思って、一定期間読んでいた)しか持ち合わせていないからだろうが、「きょうりん」と呼ばれた競輪の歴史、それを刻んだ著名な選手について、名前を知った程度の表面的に学べた。

競輪場に行っても、競馬のように若いファンは少なく、オッサンしか見ないように思う。
それでも1991年度には約1兆9550億円、近年も6千億円強を売り上げている。
ちなみに他の公営博打の売り上げは、中央競馬2兆千億円、競艇1兆円強、地方競馬5千億円弱、オートレース700億円弱となっている。

43競輪場から生まれるこの収益は、53施行者(自治体)へ配分される(他、機械・公益振興補助事業として、50億円程度社会貢献支援されている。
がんなどの病気の早期発見を目的とした、各種検診車(X線検診など)の配備、補助犬(盲導犬・聴導犬・介助犬)の育成、パラスポーツ(障がい者スポーツ)の競技力強化や普及活動を支援など。

売り上げの75%は配当金として、支払われ、残りのテラ銭25%は以下の要に分配される。
市に対して売り上げの約2.3%
運営受託事業者に1.5%
場外やネットでの販売事業者に、7.5%
選手に3.7%
JKAに3.3%(審判や車検などの協議実施法人に1.4%、選手出場斡旋、育成などに交付金1.9%)

売り上げが良いのは、G1レースが多い関東ばかりかと思っていたら、最初の競輪場であった小倉であるようだ。
10億円クラスで稼いでいるのは、立川市、静岡市、北九州市。
岸和田では、関東圏より門外不出のKEIRINグランプリを、2014年に開催している。
これは、太田房江元大阪府知事、自民参議院議員の出身母体である通産省ラインからの引きで、競輪場工事も談合チックな話を聞く。
そんな無理をしても、岸和田競輪場の売り上げは4億円に届かない。

2015年年度途中に提出された90億円ほどの工事費予算は議会に否決されたが、現在、2019年7月~2021年3月の期間で、36億円の工事が「1期」として工事されている。

総事業費3,660,680千円(税込)【内訳】(1)施設整備に係る設計委託料159,380千円(2)サイドスタンド耐震補強工事(延床面積3,500㎡)110,000千円(3)バンク大規模改修工事(走路部分約4,400㎡)579,700千円(4)解体撤去費(旧選手管理棟、サイドスタンド等建築物約13,200㎡及び外構約8,200㎡)836,000千円
6(5)選手管理棟等新築等工事(選手管理棟延床面積約3,000㎡)1,729,200千円(6)公園外構工事(外構約6,800㎡、公園約4,800㎡)246,400千円

このような無茶苦茶を行うような施行者に対しては、東京都十一市競輪事業組合や16市からなる大阪都市競艇組合のように多くの議会も含めて監視する必要性があるのではないか?

また競艇と同様に、売り上げの稼ぎ頭は女性選手である。
だが、競輪では女性選手の賞金が男に比べて安過ぎるのも、正当な評価と言えず、いかがなものだろうか。

日本でも自転車はブームとなっている。
250mバンクでKEIRNを盛んにすることと相まって、女性をデートで誘える、健全なレース場があっても良いのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 


創作 嫁姑問題 4 )

2023年07月13日 13時52分45秒 | 創作欄

フィリピンパブのアグネスが帰国することになり、日曜日にエミリーとテスを連れて4人で京王プラザホテルの45階のスカイラウンジへ行った。
快晴で富士山がくっきり見え、皆が歓声を上げた。
テスはタガログ語を喋るが、エミリーは英語でもしゃべる。
アグネスはローマ字で時男宛のラブレターをナフキンに記する。
TOKIO HA WATASINO KABIT WASURENAIDENE  
タガログ語で愛人は、KABIT(カビット)と言う。
そして、キスマークを留めた。
エミリーは好き嫌いがあり、料理の匂いを嗅いで肩をすぼめる仕草をする。
アグネスとテスは何でも食べた。
時男は日本酒を飲み、アグネスとテスはワイン、アルコールがダメなエミリーはコーヒーであった。
別れ際には、餞別として、10万円入りの封筒をアグネスに渡す。

封筒の中を確認したアグネスは「金ね。ありがとう」と満面の笑顔となり、時男は彼女から濃厚なキスを受ける。
「わたしのこと、わすれないで」と時男の両手を握り絞めて涙ぐむ。
テスとエミリーには、タクシー代として1万円をはずむ。

「これは、何なよ!」迂闊にもアグネスのラブレターを処分しなかった。
ナフキンに留めたられたキスマークは、如何に怪しい痕跡であった。
怒った妻の由紀は、実家へ戻り帰宅しない。
アグネスが帰国したことで、時男は韓国パブ専門となる。


「なぜ」という共通の原点に立ち返ることが重要

2023年07月13日 12時17分57秒 | その気になる言葉

▼一日一日の積み重ねが自然のうちに、人生を一番いい方向へ開いていくものだ。

▼いかなる道も、歩み抜いた人は勝つ。

「持続の人」を目指すことだ。

▼自身の可能性を確信できるかどうか、人生は行き詰まりとの闘争にほかならない。

▼多様な背景を持つ人々が、市民社会で草の根のパートナシップを築き、地球環境を守る。

「なぜ私たちは、この問題を大切に思うのか」という点を常に問続けることだ。

「なぜ」という共通の原点に立ち返ることが重要だ。

▼宗教はこれまでの長い歴史で、それぞれの長い歴史で、それぞれの国や地域の文化を形成する重要な役割を果たしてきた。

世界には現在、平和への脅威、環境への脅威、人々の安全と健康への脅威、そして女性に対する脅威など、解決しなければならない問題が山積している。

だからこそ、こうした脅威を克服するために、正しい道を示し、精神的な励ましを送り続ける必要性がある。

▼重要な問題である以上、避けて通るわけにはいかない。

「個人の心の平穏」と「社会の安穏」はつながっている。

▼他者への慈愛、周囲や環境への思慮がなくては、人生はわびしいものになってしまう。

▼地球環境を守るには、私たち自身の心を変え、生活様式を変えていかなければならない。

 


刑法犯20年ぶり増加、60万件…67%が「治安悪くなった」

2023年07月13日 11時39分51秒 | 事件・事故

犯罪類型ごとの分析 警 察 庁
ア 刑法犯
刑法犯認知件数の総数については、平成 15 年以降一貫して減少してきたところ、令和4年は 60 万 1,389 件3と、戦後最少となった令和3年を上回っており(前年比5.9%増加)、今後の動向について注視すべき状況にある。
認知件数の内訳を見ると、総数に占める割合が大きい街頭犯罪が 20 万 1,619 件と、前年比で 14.4%増加しており、その中でも、罪種別で増加件数が多い自転車盗、傷害及び暴行については、新型コロナウイルス感染症の感染状況の変化等による人流の増加が一定程度影響したとみられる。
また、国民の体感治安に影響するとみられる重要犯罪の認知件数について

1 ストーカー事案・配偶者からの暴力事案等の恋愛感情等のもつれに起因する暴力的事案や児童虐待事
案等の人身の安全を早急に確保する必要の認められる事案。
2 全国の 15 歳以上の男女 5,000 人を対象に、年代別・性別・都道府県別の回答者数の割合が令和2年
国勢調査の結果に準じたものとなるようインターネットを通じて実施したもの。
 令和4年の数値は暫定値。以下同じ。
4年は 9,536 件と、前年比で 8.1%増加した。その内訳を見ると、殺人及び強盗は前年からほぼ横ばいである一方、強制性交等及び強制わいせつがいずれも2年連続の増加となった。
なお、強制性交等は、平成 29 年の刑法の一部改正以降で最多となった。

イ 特殊詐欺
特殊詐欺については、事件の背後にいる暴力団、準暴力団等の犯罪者グループ等が、その組織力を背景に、資金の供給、実行犯の周旋、犯行ツールの提供等を行い、犯行の分業化と匿名化を図った上で、組織的に敢行している実態にあり、令和4年の認知件数は1万 7,520 件と2年連続で増加し、被害総額は約 361 億円と8年ぶりに前年比増加となり、深刻な情勢が続いている(それぞれ前年比で 20.8%、28.2%増加)。

認知件数を犯行手口別に見ると、令和3年に急増した還付金詐欺が全体の26.7%を占める一方で、オレオレ詐欺や架空料金請求詐欺の占める割合に増加がみられる。

被害者は高齢女性が多くを占め、被害の大半は犯人からの電話を受けることに端を発している。
また、特殊詐欺事件の背後においては、犯罪者グループ等や特殊詐欺の実行犯に対して、預貯金口座、携帯電話、電話転送サービス等の提供を行ったり、電子マネー利用番号等の転売、買取等を行ったりしている悪質な事業者の存在が依然として認められる。

ウ サイバー事案
近年、サイバー空間が社会経済活動を営む重要かつ公共性の高い場へと変貌を遂げつつある中、国内外で様々なサイバー事案が発生していることなどを踏まえると、サイバー空間における脅威は極めて深刻な情勢が続いている

特にランサムウェアと呼ばれる不正プログラムによる被害の深刻化や手口の悪質化が世界的に問題とな
っている。

令和4年中に警察庁に報告されたランサムウェアによる被害件数は 230件と、前年比で 57.5%増加し、VPN機器やリモートデスクトップ等のテレワークにも利用される機器等のぜい弱性を狙われたケースが大半を占めている。

その被害は企業・団体等の規模やその業種を問わず広範に及んでおり、一時的に業務停止に陥る事態も発生している。
また、インターネットバンキングに係る不正送金事犯について、令和4年は発生件数が 1,131 件、被害総額は約 15 億円と、いずれも3年ぶりに前年比増加となった(それぞれ前年比で 93.7%、86.0%増加)。

その被害の多くがフィッシングによるものとみられており、金融機関を装ったフィッシングサイト(偽のログインサイト)へ誘導する電子メールが多数確認されている。


さらに、サイバー攻撃については、北朝鮮当局の下部組織とされるサイバー攻撃グループによる暗号資産関連事業者等を標的としたものや、学術関係者、シンクタンク研究員等を標的としたものが確認された。

令和4年中に警察庁が検知したサイバー空間における探索行為等とみられるアクセスの件数は、1日・1IPアドレス当たり 7707.9 件と過去最多に上っており、その多くがIoT機器に対するサイバー攻撃やぜい弱性を有するIoT機器の探索行為であるとみられる。

エ 人身安全関連事案
人身安全関連事案のうち、ストーカー事案の相談等件数は平成 30 年以降減少傾向にあるものの、依然として高い水準で推移している一方で、配偶者からの暴力事案等の相談等件数は増加傾向にあり、令和4年は8万 4,493 件と、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(平成 13 年法律第 31 号)の施行以降で最多となった。


また、児童虐待については、児童虐待又はその疑いがあるとして警察から児童相談所に通告した児童数は年々増加しており、令和4年は 11 万 5,730 人と、過去最多となった。

その態様別では、心理的虐待が8万 4,951 人と全体の 73.4%を占めている。
これらを踏まえると、人身安全関連事案については、引き続き注視すべき情勢にある。

オ 体感治安
前項までに述べたような指標からは捉えられない国民の治安に関する認識を把握するため、令和4年 10 月、警察庁において「治安に関するアンケート調査」を実施したところ、日本の治安について「よいと思う」旨回答した方は、全体の 68.6%を占めた。


その一方で、ここ 10 年間での日本の治安に関し、「悪くなったと思う」旨回答した方は全体の 67.1%を占め、その要因として想起する犯罪については、「無差別殺傷事件」、「オレオレ詐欺等の詐欺」、「児童虐待」及び「サイバー犯罪」が多く挙げられており、先に述べたような犯罪の情勢が、国民の体感治安に相当程度の影響を及ぼしているものとみられる。


(3) 犯罪情勢の総括
平成 14 年をピークに減少を続けてきた刑法犯認知件数が 20 年ぶりに前年比増加となり、その内訳を見ると、街頭犯罪及び重要犯罪が共に増加しており、今後の動向について注視すべき状況にある。
特殊詐欺については、認知件数、被害額が共に前年より増加するなど、深刻な情勢が続いており、サイバー事案については、ランサムウェアによる被害が広範に及んでいるほか、国家を背景に持つ集団によるサイバー攻撃も確認されているなど、極めて深刻な情勢が続いている。
人身安全関連事案については、児童虐待又はその疑いがあるとして警察から児童相談所に通告した児童数が過去最多に上るなど、注視すべき状況にある。
加えて、令和4年7月には、街頭演説中の安倍晋三元内閣総理大臣が銃撃を受け殺害されるという、国民に不安を与えるような重大事件が発生した。

また、一般住宅等において多額の現金や貴金属等が強取される強盗等事件が連続して発生し、現在捜査中のところ、検挙された実行犯はSNS上の「闇バイト」に応募して犯行に加担したものとみられる。
このような情勢の中、前記アンケート調査から、「日本の治安が近年悪化した」旨の声が国民の間に相当数存在していることが分かった。
以上を踏まえれば、我が国の犯罪情勢は厳しい状況にあると認められる。


【阪神】サヨナラ劇呼び込んだ!救援4人が無安打リレー

2023年07月13日 11時18分36秒 | 野球

「今日はみんな」浜地→島本→馬場→岩崎

配信 日刊スポーツ

<阪神5-4DeNA>◇12日◇甲子園  阪神が救援陣の無安打無失点リレーでサヨナラ劇を呼び込んだ。
先発大竹が5回4失点で降板すると、継投に入った。浜地、島本、馬場とつなぎ、9回は岩崎が2死二塁のピンチをしのいで劇的な展開を演出した。
「今日はみんなです。私じゃありません。以上」。
今季3勝目が転がり込んできた左腕が、冷静に仲間をたたえた。
岩崎の言葉通り、ブルペン「みんな」の力で後半4イニングを無失点。
カギとなったのは3番手島本→4番手馬場のリレーだ。
2点ビハインドの7回に登板した島本は楠本、関根の左打者を仕留め2アウト。3番宮崎、4番牧とリーグ屈指の右打者が並ぶところで馬場が登場し、宮崎を空振り三振に仕留めた。
「あのあと0点に抑えてくれたんで、すごく大きかったですね」。
岡田監督は、先発が崩れても試合を壊さなかった中継ぎ陣をたたえた。  
馬場はイニングまたぎで1回1/3を無失点。
「焦らずに自分のピッチングをすれば抑えることができると思っていた。しっかりゾーンに投げ込めている」と胸を張った。  
この日本塁打を放っている8回先頭の牧は、130キロのカーブで空振り三振に仕留めてみせた。
「今年からあのカーブをうまく使うことができている。相手の目線を変えるというところで、カーブがあるおかげで他も生きる」。
140キロ台のスプリットカットボールもちりばめ、DeNA打線に的を絞らせなかった。これで今季は全5試合で無失点。好調な右腕も劇勝には欠かせなかった。【中野椋】

政権の幅

2023年07月13日 10時26分03秒 | 沼田利根の言いたい放題

アメリカにおいて第三党が台頭しない理由は、二大政党がそれぞれ緩やかなまとまりしか持たないことだ。

つまり多様なグループが併存しながら、個別利害を追求することを許容する存在であった。

そのような二大政党のあり方や政党間競争を促す制度的要因が存在したことに求められる。

二大政党のそれぞれには主流といえる理念や政策が存在するが、それとは異なる立場をとるグループであっても、二大政党の内部で支持を広げて存在感を高める方が、第三党を作るよりはるかに効果的なのである。

したがって、アメリカ政治が多党制に移行する、あるいは二大政党の一方が別の政党に取って代わられるといった事態は、近い将来にはほとんど想定できない。

 アメリカの政党政治は現在、巨大化した二大政党―民主党と共和党―によって担われているが、その特色はどのようなことであろうか。アメリカの政党の特色については次のようなまとめがある。

  1. 民主党も共和党も、それぞれが州を始めとする地域単位の政党組織の連合体であり、単一の組織とは言いがたい。
  2. 各地の政党組織も、連邦議会レベルの政党組織にしても、その指導部(執行部)が強制力を伴う指示を出せないことの方が多い。議員には党議に拘束される原則はない。
  3. 党員と非党員の境目ははっきりしない。党員であるための明確なルールは存在しない。

 アメリカの二大政党はこのような特色を持ち、他国の政党に比べて、きわめてまとまりの弱い、柔構造をもっている組織である。

組織としての一体性を欠いている反面、二大政党は連邦議会だけでなく、地方議会、さらに行政機関や司法機関に深く根を下ろしている。<岡山裕『アメリカの政党政治』2020 中公新書 はしがき>


映画 エル・スール

2023年07月13日 09時24分16秒 | 社会・文化・政治・経済
7月13日午前6時からCSテレビのザ・シネで観た。

あらすじ

1957年、秋。ある朝、少女エストレリャは目覚めると、枕の下に父アグスティンの振り子を見つける。

エストレリャは父が死んだことを悟る。彼女は回想する。

内戦の記憶に囚われたスペイン、<南>の町から<北>の地へと引っ越す家族。8歳のエストレリャが過ごした“かもめの家”での暮らしが語られる…。

幼いエストレリャが映画館で受付のおばあさんにチラシ貰ってこの女優ってどの人?って会話するシーン良い。 成長した彼女がホテルのレストランで葡萄色のシャツを着てばらを弄ぶ姿も美しかった。 

 

父の昔の恋への慕情を娘の視点から描いたという単純な芸術的純愛映画ではない。
 それはその恋の破綻がスペイン戦争であることが発端としてあり、想像しうる実情が父アグスティンの所作やその昔の恋人からの1通の手紙、8年前に別れたということはつまり、今の妻とどのような展開があって今の生活になっているのかということを視聴者に考えさせる描写。

ただそれだけのことで表現され、その熱量は例えば「ひまわり」と同じ高度なのだが、劇的な音楽も直接的な表現もない中で描き出しているということにまず感嘆する。

 この映像化されない部分の想像を増幅するのがイタリア人俳優アントヌッティの名演。
 この頃、芸術的イタリア映画と言えばほぼ間違いなく出演していた名優で、本作ではかつてはかなり男性的魅力を湛えていたであろう父親から、慕情は想い出でしかなくなったことを嚙みしめる晩年を、佇まいや表情だけで表現しきっている。その演出もさることながら素晴らしい名演だと思う。

 ストーリーとは別のところでも、夜明けの描写はフェルメールの絵画のように美しく、「ミツバチ~」からつながる映像としての構図的な緻密さという芸術性もこれまた素晴らしく、さらには子供視点での謎を持つ両親や祖母(と父の乳母)への心情描写も、ゆったりとした進行の中でももう一つの視点として完璧に表現されていて、全く欠点を見いだせない傑作中の傑作。

 本作は、大人になったエストレリャの回想という形式をとって、彼女が病気療養で“南”の地に旅立つところで終わるのだが、実は本作の105分バージョンではなく、彼女が“南”に住む父の恋人だった女優を訪ねたあとのエピソードを加えた4,50分長い版として製作されていたという。
 結局は製作者の尺が長すぎるという反対により、その「事後談」はオミットされたのだが、結果的には、より父の人生が謎として残り、観る者への自由な思考を与えていて、それはそれで結果的に良かったのではないかと思う。

 エストレリャの8歳の頃を演じたソンソレス・アラングーレンと15歳を演じたイシアル・ボリャン(ともに映画初出演)が非常によく似ていて、この点も若干かもしれないが映画の完成度を高めている。

エル・スール : 作品情報 - 映画.com
映画「エル・スール」 | eigaブログ
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エル・スール : 作品情報 - 映画.com
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映画レビュー:No.34 エル・スール(原題「El Sur ...
人生論的映画評論・続: エル・スール('82) ビクトル・エリセ
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人生論的映画評論・続: エル・スール('82) ビクトル・エリセ
人生論的映画評論・続: エル・スール('82) ビクトル・エリセ
 
エル・スール
El sur
監督 ビクトル・エリセ
脚本 ビクトル・エリセ
原作:
アデライダ・ガルシア・モラレス
製作 エリアス・ケレヘタ
出演者 オメロ・アントヌッティ
ソンソレス・アラングーレン
イシアル・ボリャン
音楽 エンリケ・グラナドス
撮影 ホセ・ルイス・アルカイネ
編集 パブロ・ゴンザレス・デル・アモ
配給 日本の旗 フランス映画社
公開 スペインの旗 1983年5月19日
日本の旗 1985年10月12日
上映時間 95分
製作国 スペインの旗 スペイン
フランスの旗 フランス
言語 スペイン語
テンプレートを表

エル・スール』(西El surThe South) は、1983年のスペイン映画(ドラマ)。

監督はビクトル・エリセ

エリセ監督にとって2作目の長編であり、アデライダ・ガルシア・モラレスによる同名の短編小説を原作としている。

当初、この映画の上映時間は3時間の予定だったが、プロデューサーのエリアス・ケレヘタが後半部90分の上映を許さず、上映時間95分の映画となった。

1983年のカンヌ国際映画祭に正式出品された

1996年、スペイン映画生誕100周年を記念して映画製作者と映画評論家によって行われた、歴代最高のスペイン映画を決める投票では、この作品が第6位にランクインした。

キャスト

  • オメロ・アントヌッティ(アグスティン・アレーナス) - エストレーリャの父親
  • ソンソーレス・アラングレン(8歳のエストレーリャ)
  • イシアル・ボリャイン(15歳のエストレーリャ)
  • ローラ・カルドナ(フリア) - アグスティンの妻
  • ラファエラ・アパリシオ(ミラグロス)- アウグスティンの乳母
  • オーロール・クレマン(イレーネ・リオス/ラウラ)- 女優
  • フランシスコ・メリーノ(イレーネ・リオスの共演者)
  • マリア・カーロ(カシルダ)- アレーナス家の家政婦
  • ホセ・ビボ(グランドホテルのバーテンダー)
  • ヘルマイネ・モンテーロ(ロサリオ夫人)-アウグスティンの母

受賞

映画祭 部門 結果
サンパウロ国際映画祭 最優秀作品賞 受賞
シカゴ国際映画祭 最優秀作品賞 受賞
イベリコ・ブルデオス映画祭 最優秀作品賞 受賞

プロット

この映画は、スペイン北部のどこかで暮らす少女エストレーリャ(ソンソーレス・アラングレン)の物語である。

エストレーリャは、父親アグスティン(オメロ・アントヌッティ)が文章に隠したらしき、「南部」の秘密に興味をそそられる。

彼女が幼い頃、父親は謎めいた人物だった。

やがて成長すると、かつて父親に恋人イレーネ(オーロール・クレマン)がおり、父親はまだイレーネを愛していることに気が付く。

映画の思考徘徊  終わらざる『エル・スール』──撮られなかった“南”

上のスペイン語の一文は、寝室に徐々に光がさす有名な冒頭場面に先立って暗転画面に現れるクレジットのひとつだ。「アデライダ・ガルシア=モラレスの物語に基づく」──ヴィクトル・エリセの長編第2作『エル・スール』(1983)に“原作”が存在するという事実は、わりあい知られているが、実のところ、その原作小説であるガルシア=モラレスの『エル・スール』(野谷文昭、熊倉靖子訳、株式会社インスクリプト、2009年)に邦訳があることはあまり認知されていないように思われる。
また、読んだことがある者はさらに少ないことだろう。
予めエリセの映画を見たことがあり、並々ならぬ思い入れがあればあるほど、この原作小説を手にした印象は奇妙なものになる──その印象から小説をそっと棚に戻してしまい読まずにいる人も少なくないかもしれない。
その薄さ(訳者解説を除くと、わずか107頁)、そして開くと目に飛び込んでくる行間の広さ。
果たしてこれが、本当にあの素晴らしい映画の“原作”なのだろうか……手元の軽さはどこか頼りなさげで、映画への思い入れと食い違う。
しかし本書を読むことで、“映画版”すなわちエリセの『エル・スール』の特徴はいっそう際立って浮かび上がる。
映画に感銘を受けた人にこそ、一読を勧めたい。
 映画(および原作)の題名である『エル・スール』=“El Sur”とは“南”の意であり、主人公エストレーリャの父の故郷を指していることは、既に作品を見たことがあれば自明であろう。
しかし、映画に“南”は存在しない。
エストレーリャは見たことのない父の故郷に思いを馳せるが、画面に南は映らない。
父親は「故郷を捨てた」のであり、帰ることはないからだ。
父の死後、エストレーリャは父親の人生を遡ろうと南に旅立つ。
けれど、映画はそこで終わってしまう。
 初めて映画を見たとき、少なくとも私の目には、このラストは意外なものには映らなかった。
むしろ、端正なものにさえ思えたことを覚えている。
「この映画は、エル・スール(南)へ向かうまでの物語だったのだ」と。
しかし、作り手への興味から雑誌や書物に目を通してみると、エリセがたびたび主張し続けている言葉が目につく。
「シナリオでは二時間半を予定していました。全篇は二部に分かれ、第一部が北部を、第二部が南部を舞台とするはずでした。南部に物語が移ってからを一時間と考えていたのです。しかし、途中で後半部分が財政的に無理だとわかったので、第二部のために撮ったいくつかのシーンは編集で切らなければならなくなってしまった。大変残念なことです。そこでは、私の母親も、父親役のオメロ・アントヌッティも素晴らしい演技を行っているのです。こうした役者のためにも残念でなりません。いまの上映時間は、撮影中に起こったこうした不可抗力によって決定されたのです。それが結果として一時間半となってしまった」
「この映画のもともとの企画では、ふたつのイメージ群を観客に提供することになっていたのです。つまり、北部と南部、そのまったく異なったふたつの風景、そして大きな違いのあるふたつの生き方も含めたイメージ群です。企画の中のこの側面に私は強く惹かれていたのですが、残念ながら実現できなかった」
「私にとっての『エル・スール』は未完の作品です。アンダルシアを背景としている物語の部分、まさにタイトルから想像される南部(エル・スール)が欠けています」
「あるとき撮影が中断したのですが、経済的理由から、そして映画が長いということで、撮影は再開されませんでした。理由のいくつかはもっともなものですが、そこから生まれた結果全部に私が責任を持つことはほとんど不可能です。撮った素材を編集し始めたとき、撮り終えたフィルムを見て、私は撮影を再開できるのではないかとまだ希望を捨てずにいました。語りの面から見ると『エル・スール』はまるで完成した作品にはなっていないのに、完成作として公開されてしまったという事実、私の心に葛藤を生むようなこの事実を受け入れざるをえなかったのです」
「製作の面から『エル・スール』が完成作として公開されるのは理解できます。しかし脚本家であり監督である私の立場からすると、実体としては映画的に未完の物語なのです」。長くなったが、この度重なる訴えからも、エリセの忸怩たる思いがわかるだろう。しかしそのいっぽうで、当初の作り手のビジョンを共有していない、いち観客=私にとっては「語りの面から見ると『エル・スール』はまるで完成した作品にはなっていない」
ようにはとても見えず、何度見返しても“完成”されたもののように見える。
「まだ可能性の余地があること。実現していないことの方がいつだってより良く見えるのだ」──映画化をめぐる経緯を知ったあとに読むと、この原作小説の一文はどこか意味ありげに響く。
 

いまいちど映画に立ち返って

 原作小説を読み終えた私は、すぐに映画版を見返してみた。
そして、この映画は当初の作り手の理想とは異なるかたちで、“未完”であるがゆえに、はからずも映画独自の偶発的完成をみたのではないかと考えた。
 映画における父親の存在は“謎”である。
理由があって故郷=南部を捨てて北部に住んでいるが、南部の光景は一度たりとも映らないし、 過去もあまり語られない。
だからこそ、主人公は父の書斎に忍び入って過去の痕跡を探し求めたり、映画館にいる父を待ち伏せ、追いかけてみたりする。
謎多き父親に接近しようという試みが、『エル・スール』の前半部を構成する主な要素であり、だからこそ主人公が成長し次第に父への憧れ/関心を失い、どこか哀れみの対象となる後半部が痛切に感じられる。
しかし原作においては少々印象が異なる。
父親は必ずしも“謎”ではない。
開幕が父の自死をめぐる場面という点は映画と同じだが、原作においてはその死からすでにある程度の時間が経過した地点の独白で物語が始まるのだ──
「明日夜が明けたら、お父さん、すぐにお墓参りに行きます。人の話だと、墓石は割れ目から雑草が伸び放題で、花が供えられることもないようです。あなたのお墓を訪ねる人などひとりもいません」。
“死”はすでに実感をもって受け入れられている。
その後、幼少期の回想が語られていく構成も映画と同様であるが、“死”が咀嚼された時点で語られるという事実は、過去の挿話への印象を大きく異なるものにする。
もちろん、それだけでなく人物造形の違いやディテールの差異も印象の違いを際立たせているだろう。
たとえば、原作において母親や叔母、お手伝い、主人公の友人などが映画以上に丁寧に描かれており、必ずしも父娘関係ばかりに焦点が当たるわけではない。
夫婦不和は強調され、母は娘に攻撃的で…家庭内での確執が“未来”の視点で言語化される。
語り手にとっては“過去”にすぎず、すべてが明快で、当時はわからなかったことも推察され「腑に落」とされている。
父は“沈黙”という言葉で形容されるが、饒舌な“語り”で構成されているがゆえ作品自体に言葉少なな印象はない。
そして、すでに書いた通り、原作には“南”がある。
父の死後、主人公は南部へ赴き、父の謎を解明する。
想像していた父の過去に、答えが与えられる。
父をめぐる旅は通過儀礼であり、主人公は“成長”することになる。
 映画において、物語の円環構造は父の死のすぐあとに設定されている。
“回想”の主体はその地点にあり、死はまだ咀嚼されていない。
過去の場面において、母親の存在は希薄で、お手伝いの人物像はほとんど描かれないし、(幼少期の)友人も出てこない。
なにより、印象的な場面の多くが、映画版独自のものであることに改めて驚かされる。
基本的に、原作の大部分は家で展開する──映画版における父親の記憶と紐づいた“場所”の数々、すなわち映画館もバルもホテルも出てこないのだ。
また、観客にのみ提示される“主人公不在の場面/情報”も少なくない。
父親が綴るかつての恋人への手紙やその返信はその最たるものだろう。
ゆえに、主人公にとって父親は一貫して理解しきれていない。

 映画のラスト、主人公は“南”へと旅立つ。
 
 
 
 

 


長禅寺境内の蓮をに見る

2023年07月13日 04時24分54秒 | 日記・断片

不忍池に何度も行ったことがあるが、何時も午後のことで、蓮が咲いているのを見たことがない。

蓮は、朝に咲き、午後は花を閉ざすのだ。

午前7時に、取手駅に近い長禅寺境内の蓮をに見るため、利根川堤防から向かう。

天空は雲一つない晴天なのに、富士山は見えなかった。

霞がかかっているのだ。

長禅寺の門は重い鉄製の扉で閉められていた。

仕方なく、門がない裏の坂道から長禅寺境内へ向かう。

本願寺の蓮は、まだ咲いているが、長禅寺の蓮は散ってわずか二輪のみであった。

勤務で駅へ向かう人、高校生、中学生、小学生の通学の時間帯で道は人並みが連なっていた。

取手・長禅寺の光景
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取手・本願寺の蓮
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取手・本願寺の蓮