利根輪太郎は、希望の星を目指した時期がある。
過去を語るのは、実は後ろめたいのだが・・・
当時、同棲していた19歳の典子は歌手を目指していた。
音大生といえども、みんながプロの歌手になるわけではない。
それは、文学部の学生がみんな作家になれるわけがないのと同じこと。
輪太郎は、典子のために、日々作詞をしていた。
居酒屋でたまたま出会った人が作曲であったのだ。
「君に良い作詞ができたら、曲を付けれやろう」思いもかけないことであり、輪太郎は小躍りした気持ちとなる。
相手は競輪好きでもあり、酒を飲み交わす度に競輪談義ともなる。
そして、意気投合する男同志の邂逅に酒の酔いが心地よくなる。
「非凡に発想し実践へ」輪太郎はアパートに帰り、典子のデビュー曲のための作詞に取り掛かるのだ。
だが、思わぬ些細なことで、その作曲とは喧嘩別れとなる。
「話にならん!君とな2度と会わない、絶交だ!」相手の怒りが爆発し、輪太郎は「取り返しがつかない」事態に自分を失う。
そして、作詞からも離れて、競輪一筋となる。
典子は新たな恋愛で、アパートから姿を消した。
典子が好きな緑の服が部屋に残されていた。
利根輪太郎は6番選手に拘り、車券を買い続けた。
去った19歳の典子、特に1-6-9のボックス車券を買い続けたのだ。
筆者は『はずれ者が進化をつくる』では、生物学の知見を引用しながら悩んでいる若者に向けて、「あなたたちは、一人残らず、かけがえのない存在なのです」
筆者はまず第一章で、イネの老いのステージが米という実りをもたらす最も重要なステージであり、イネはその命が尽きる最後の瞬間まで米を実らせ続けることを示したうえで、人間にとって老いのステージでもたらされる「実り」とは何なのだろうかと問いかけている。
『はじめに』で筆者も言っているように、誰もが老いることをおそれ、少しでも若くいたいと思うものだ。
筆者は、第七章では寿命があるのは仕方がないとしても、どうして私たちはセミのように若々しい姿のままで死ぬのではなく、老いて死ななければならないのかその理由は明らかではないことを。
シンクレア教授の「LIFESPAN」を読むと老化というのは体細胞の増殖時にエラーであり病気と等しいと言っておられますが、稲垣さんは老化とは人類を始め多くの生物が進化の過程で選択した結果であると言われています。
生物が老化することを選択した理由ですが、老化することで生殖活動を若い個体に任せ、若い個体が遺伝子交換で多くの子供を残すことで変化する環境により適応できる個体を残す可能性が高まるからという説明ですが、大変納得できます。
本書はまた老人を励ますような文調が多くてあたかも老人を読者層にしているかのようですが、「おばあちゃん仮説」と言われる、おばあちゃんの存在意義は大変面白かったです。
今後、人類の暴走のせいで地球環境がどう変わっていくのか想像するのが恐ろしいですが、進化の大先輩である昆虫やクモなどは氷河期や隕石衝突なども生き抜いてきたのでなんとかやっていくのでしょう。
まあ、あまり恐ろしいことは考えずに老後を楽しむようにしていきたいものです。
「私たちは『老いて死ぬ』ことは当たり前だと思っているが、じつは、老いることのできる生物は少ない。・・・私たち人間は老いる。老いて死ぬことは、特別なことなのだ。・・・火を手に入れ、道具を扱うように、人間は『老いる』ことを獲得したのだ。・・・じつは、『老いる』ということには、生物の進化が関係している」。
「知能を正しく使うには、知識と経験が必要である。そして、その知識と経験を誰よりも持っているのが、私たち哺乳類の年長者なのである。・・・経験とは『成功』と『失敗』を繰り返すことである。・・・子どもを保護しながら、子どもにたくさんの経験と知識を与えなければならないのだ。それが『知能』を選択した哺乳類の戦略である。こうして、哺乳類は、『子育て』という、少しだけ長い寿命を手に入れたのである。・・・人類は群れを作り、厳しい自然の中で生き残ってきた。
「そして人類の集団にとって、年を取っておじいちゃんやおばあちゃんになるということは、とても価値のあることとなった。その結果、人類は他の生物と比較して、とても長生きになったのだ。
「人間は、長生きに進化した生き物なのだ」という著者の主張に励まされ、105歳目指して、前向きに生きていこうと思いました(笑)。