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巨人の高橋監督が辞任へ 成績不振で引責

2018年10月03日 22時01分05秒 | 社会・文化・政治・経済

 プロ野球・巨人の高橋由伸監督(43)が成績不振の責任を取り、今季限りで辞任することになった。
球団の山口寿一オーナーが3日、明らかにした。就任1年目から3年連続でリーグ優勝を逃した高橋監督が同オーナーに「責任を取りたい」と申し入れ、球団も受け入れた。
後任は未定。(毎日新聞)
高橋監督は同日、遠征先の広島市内で取材に応じ、「チームの勝敗は監督が背負うと思ってやってきた。けじめをつけないといけない」と語った。

 高橋監督は今季が契約最終年で、山口オーナーは9月12日に「十分にチームを整えて腕を振るってもらいたいと考えている」と来季の続投を要請する意向を示唆していた。
だが、高橋監督と先週、会談した際に、辞意を伝えられたという。

 後任について、山口オーナーは「新しい体制で(今月25日の)ドラフト(新人選手選択)会議に臨みたい」との考えを示したうえで「難しい状況で引き受けてもらうことになる。経験、実績は必要かなと思っている」と述べた。

 高橋監督は2015年のシーズン終了後に現役引退し、監督に就任。
16年は2位、17年は11年ぶりの4位で球団史上初めてクライマックスシリーズ(CS)出場を逃した。
今季はCSに出場できる3位の可能性を残すものの、3日現在、65勝71敗5引き分けで12年ぶりの負け越しが決まっている。【細谷拓海、村社拓信】

 ◇高橋由伸(たかはし・よしのぶ)

 神奈川・桐蔭学園、慶大を経て、1998年にドラフト1位で巨人入り。1年目から中心打者として活躍した。2003年に11打数連続安打、07年には初回先頭打者本塁打シーズン9本のプロ野球記録をマーク。
外野でゴールデングラブ賞を7回、ベストナインを2回獲得した。
打撃コーチを兼任した15年シーズン終了後に原辰徳前監督の辞任を受けて、監督に就任するために現役引退。
通算1819試合出場で1753安打、打率2割9分1厘、321本塁打、986打点。
千葉県出身。


茨城の米生産は2位

2018年10月03日 17時02分08秒 | 社会・文化・政治・経済
茨城の米生産は2位

平成29年12月26日に,都道府県別の平成28年農業産出額が農林水産省から公表されました。

全国では,農業産出額は前年に比べ4,046億円増加し,9兆2,025億円と,16年ぶりに9兆円を上回りました。生産農業所得は,前年に比べ4,666億円増加し,3兆7,558億円となりました。

本県では,農業産出額は前年に比べ354億円増加し4,903億円となり,9年連続全国第2位となりました。また,生産農業所得は前年に比べ418億円増加し2,022億円となり,全国第2位となりました。
農業産出額(単位:億円)

順位 道県 平成26年 平成27年 平成28年
1 北海道 11,110  11,852 12,115
2 茨城県 4,292  4,549 4,903
3 鹿児島県 4,263  4,435 4,736
4 千葉県 4,151  4,405 4,711
全国      83,639  87,979 92,025

選べなかった命

2018年10月03日 11時14分22秒 | 社会・文化・政治・経済
出生前診断の誤診で生まれた子

河合 香織 (著)
20年以上前の羊水検査とも言える裁判で敗訴。
現在は成人しているダウン症の娘を持つ著者。
その裁判に関わった、ダウン症の子の父親である弁護士。
旧優生保護法のもとで強制不妊手術の対象にされた人々の叫び。
その女性は、出生前診断をうけて、「異常なし」と
医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。
函館で医者と医院を提訴した彼女に会わなければならない。
裁判の過程で見えてきたのは、そもそも
現在の母体保護法では、障害を理由にした中絶は
認められていないことだった。
ダウン症の子と共に生きる家族、
ダウン症でありながら大学に行った女性、
家族に委ねられた選別に苦しむ助産師。
多くの当事者の声に耳を傾けながら
選ぶことの是非を考える。

プロローグ 誰を殺すべきか?
その女性は出生前診断を受けて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子は ダウン症だったという。函館で医師を提訴した彼女に私は会わなければならない。

第一章望まれた子
「胎児の首の後ろにむくみがある」。ダウン症の疑いがあるということだ。四十一歳の光は悩 んだ末に羊水検査を受ける。結果は「異常なし」。望まれたその子を「天聖」と名づける。

第二章誤診発覚
「二十一トリソミー。いわゆるダウン症です」。小児科医の発した言葉に、光は衝撃をうける。 遠藤医師は、検査結果の二枚目を見落としていた。天聖は様々な合併症に苦しんでいた。

第三章 ママ、もうぼくがんばれないや
ついに力尽きた天聖を光はわが家に連れて帰る。「ここがお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に 寝る寝室だよ」。絵本を読み聞かせ、子守唄を歌い、家族は最初で最後の一夜を過ごす。

第四章 障害者団体を敵に回す覚悟はあるのですか?
天聖が亡くなると遠藤医師はとたんに冷たくなったように夫妻は感じた。弁護士を探すが、 ことごとく断られる。医師から天聖への謝罪はなく、慰謝料の提示は二〇〇万円だった。

第五章 提訴
それは日本で初めての「ロングフルライフ訴訟」となった。両親の慰謝料だけでなく、誤診 によって望まぬ生を受け苦痛に苦しんだ天聖に対する損害賠償を求めるものだった。

第六章 母体保護法の壁
母体保護法ではそもそも障害を理由にした中絶を認めていない。したがって提訴は失当。被 告側の論理に光は、母体保護法が成立するまでの、障害者をめぐる苦闘の歴史を知る。

第七章 ずるさの意味
光の裁判を知って、「ずるい」と言った女性がいた。彼女は、羊水検査を受けられなかった のでダウン症の子を生んでしまった、と提訴したが、その子は今も生きている。

第八章 二十年後の家族
京都で二十年以上前にあったダウン症児の出産をめぐる裁判。「羊水検査でわかっていたら 中絶していた」と訴えた家族を訪ねた。その時の子どもは二十三歳になっているという。

第九章 証人尋問
裁判では、「中絶権」そのものが争われた。「中絶権」を侵害され、子どもは望まぬ生を生き たというが、そもそも「中絶する権利」などない。そう医師側は書面で主張した。

第十章 無脳症の男児を出産
苦しむだけの生であれば、生そのものが損害なのかを光の裁判は問いかけた。一方、この女 性は、子どもが無脳症であるとわかりながら、中絶をせずにあえて出産していた。

第十一章 医師と助産師の立場から
病院は赤ちゃんの生存の決定を家族に委ねるようになっている。障害をもって生まれた子は、 何もしなければ死ぬ子も多い。だが現場の助産師は、そうした中疲弊している。

第十二章 判決
判決は被告に一〇〇〇万円の支払いを命ずる原告側の勝訴。しかし、それは、「心の準備が できなかった」夫妻への慰謝料だった。光は「天聖に謝って欲しかった」と肩をふるわす。

第十三章 NIPTと強制不妊
優生保護法下で、強制的に不妊手術を受けた人たちが、国家賠償訴訟を始めて、全国的な広 がりとなった。私は最初に提訴した宮城県の原告の女性を訪ねる。

第十四章 私が殺される
「なぜダウン症がここまで標的になるのか」。NIPTによってスクリーニングされることに 「私が殺される」という思いで傷ついている人たちがいる。

第十五章 そしてダウン症の子は
ダウン症でありながらも日本で初めて大学を卒業した岩元綾は言った。「赤ちゃんがかわい そう。そして一番かわいそうなのは、赤ちゃんを亡くしたお母さんです」。

エピローグ 善悪の先にあるもの
「どうして私のことをかわいそうって言ったのでしょう……」。ダウン症当事者の岩元の言葉 を伝えると、光は涙をためながら言った。

内容(「BOOK」データベースより)
その女性は、出生前診断を受けて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。函館で医師と医院を提訴した彼女に会わなければならない。
裁判の過程で見えてきたのは、そもそも現在の母体保護法では、障害を理由にした中絶は認められていないことだった。
ダウン症の子と共に生きる家族、ダウン症でありながら大学に行った女性、家族に委ねられた選別に苦しむ助産師。
多くの当事者の声に耳を傾けながら選ぶことの是非を考える。出生前診断をめぐる様々な当事者たちの声からつむぐノンフィクション。


今日、何人の人と挨拶しましたか?

2018年10月03日 08時00分13秒 | 日記・断片
午前2時30分に目覚めた。
何時もは、その時点で起きてテレビを観るが、横になっていたら何度も夢を見た。
その夢の最後の夢。
一度だけ行ったフランスのパリの夢だった。
地下鉄に乗って、モンパルナスへ向かう。
新宿の歌舞伎町で出会ったアンドレイの名刺の住所から訪ねて、彼と3年ぶりに会つもりである。
パリの地図を車内で確認していたら、隣に座るフランスの女性が「あなたは、日本人ですか?」と日本語で聞く。
「はい、そうです。あなたは、日本語が話せるのですね」と驚いた。
「母が、日本人なの」と言うので、横顔を見ると東洋人の面影でもある。
「お母さんは、日本の何処で生まれたのですか?」
「横浜です。外人墓地知ってますか?母の生まれた家があるところ」
「ああ、何度かあの辺りは行ってます」
「港が見える丘の歌知ったますか?」
「知ってますよ」
「母が、歌っていたので、私、歌える」と微笑む。
そして、ソフトな小声で口ずさむ。
そこで、家人の目ざまし時計のオルゴールが鳴る。
家事はパートが休みなので、午前6時に目ざまし時計をセットしていた。
仕事の日は、午前4時30分にセットしている。
散歩に行く時間が、2時間以上も遅い。
何時もなら出会い、挨拶する人は、2、3人。
今日は、12人と挨拶した。
午前7時に帰宅。
平野愛子の「港が見える丘(昭和22年)」
東 辰三 ; 作詞・作曲 78rpm / Victor-V-4007(A-1013)。
1947年4月発売

10月2日(火)のつぶやき

2018年10月03日 03時20分28秒 | 医科・歯科・介護