かけがえのない出会い

2016年12月25日 21時10分45秒 | 社会・文化・政治・経済
★「・・・・人は、なぜ生きなければならないのでしょう。簡単です。だれかを幸せにするために、だれかの笑顔を見るために、人は生きるのです」夜回り先生で知られる水谷修さん
★「わたしはクリスマスの精神に敬意を表し、一年中その精神を忘れないようにしようと思う」英国の作家・ディケンズ
★かけがえのない出会いと、出会いによってもたらされた喜びは、大人になってもなお心を満たす。
★「思いって個人的なことを書くと、他人に深いところでつんがるんだよね」作家・保坂和志さん
★「その日々のほんのささやかな幸福感やありがたさを書かず、語らずして、政治に物申すことも、政治を変えることもできない」ジャーナリスト・近藤勝重さん
★「春が戻ってきたのに喜べない人間が、労働時間が減ったユートピアで幸せになれるだろうか」英国作家・ジョージ・オーウェル
★「キャンサーギフト」
「がんという命に関わるい重い病気になって初めて見える命の大切さ、時間の大切さ、周りの人々の温かさがあり、それらはがんがくれた贈り物、つまりキャンサーギフト」
病気が見つかるまでの私は、いろいらな分野に足を踏み入れていたこともあり、本当に忙しい毎日でした。どれも中途半端ななって、たくさんの人に迷惑をかけたかもしれません」
昨年3月に病気が見つかり、残された人生が長くないと気づいたとき、「あと何ができるか?何をしないといけないか?何をやめるか?」という取捨選択を迫られました。
毎日新聞掲載の「ドクター元ちゃんがんになる」金沢赤十字病院副院長・西村元一さん
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勝利は幸福、敗北は不幸

2016年12月25日 19時07分35秒 | 社会・文化・政治・経済
★悔いのない人生とは「挑戦」の人生。
★現状を破り、一歩でも二歩でも前進しようとする人は青年である。
青春とは、決して年齢ではない。
★傍観者にならず、常に主体者となりゆく人は青年である。
この青年の心が生き生きと脈打っている限り、無限の向上があり、発展がある。
★やらなかったら後悔する。
やるんだったら中途半端には絶対しない。
とことん手を尽くし抜くことだ。
★人間とは残念かがら油断してしまう生き物である。
★自分の足元をしっかりと見つめて生きていくのだ。
★勝利は幸福、敗北は不幸。
自分の一念の決心で決まる。
★一度決めたことは、最後までやり抜くことだ。
★ピンチをチャンスに。
★教育は押し付けではなく、1人1人が本来持つ知的関心や意欲を引き出すことが重要である。
★知の集合体である良書に触れることは、子どもたちの心の世界を広げることができる最高の刺激の一つだ。
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2人切りの口約束

2016年12月25日 14時35分49秒 | 日記・断片
「何であんな奴と親しくするんだ。歯科記者会の金を横領した奴なんだ」と歯科記者会の大先輩が言う。
「あいつが、歯科記者会の幹事になろうとしているが、2度と幹事にはしない」
畳み掛けるように、嫌悪の感情を露わにしてののしるように言う。
「そんなに、悪い人には見えませんがね」
「あいつは二重人格だから、騙されるなよ」
「そうでしょうか」
「何時か、しっぺ返しを受けるぞ、気をつけろ」
そうまで言っていいの。
だが、結果として、当方はしっぺ返しを受ける。
自業自得でもあった。
焦っていたのだ。
その年の最後の歯科記者会の会見には何としても出ようとしていた。
「娘にも引退しなさいと言われているんですよ。歯科記者会を抜ける予定です」
「もったいないですね。会社譲ってもらえませんか?」
「君が、あとを継ぎたいと思うんだね。伝統ある会社だ。是非、継いでほしいな」
「できれば、ありがたいです」
「そうか、君ならやっていけそうだ。頼む」
「社長は、そのままにして・・・」
「私は、引退だ。社長でも編集長でも君が好きなように名乗ればいい」
「そうですか。でも、お金は出します。会社を譲ってください」
「金はいいよ。どうせ、止めるのだから・・・」
これらの経緯は、あくまで病院内部でのベットサイドでの2人切りの口約束であった。
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悔いが残る

2016年12月25日 14時12分48秒 | 日記・断片
間違ったことは、その場で修正しなければならない。
悔いが残る。
日本歯科新聞社から医学情報社に移転してからの日本歯科商工会の新年会。
「会費を払わず、新年会に出たそうですね」と日本歯科新聞社の後輩に指摘された。
とんでもない言いがかりに呆れて言葉が出ない。
当方は怒りに震えて沈黙したのであるが、「沈黙」したことが、弁解しない証左と相手は勝手に解釈したようだ。
相手は、当方が会費を払わずに、新年会に出たと思い込む。
そして、その話題が独り歩きしてしまう。
その場で厳然と否定しなかったことが、裏目に出たのだ。
結果として、医学情報社の存在に傷をつけてしまった。
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会社を乗っ取りたいのね

2016年12月25日 13時57分46秒 | 日記・断片
倒産寸前の日本歯科新聞社を再生したことが、当方の誇りである。
記者として、取材活動を封印して、営業マンに専念した。
「案外、自分は営業に向いているんではないか」と再認識した。
創業者は飯田橋の神楽坂界隈では「先生」と呼ばれていことに安住しているような人物であった。
東京医科歯科大学の教授はじめ歯科医師会の指導的な立場の方々の「先生」と敬意を表していた。
当方はこの創業者に呼ばれ、頼られる立場であった。
「苦労するよ」と厚生省日比谷クラブの仲間の記者たちは、日本歯科新聞社に入ることを止めていた。
だが、その時期、前の会社の協同農業新聞社で気まずい状況になっていた。
計理の女性で社長の秘書のような人から「あんたは、会社を乗っ取りたいのね」と絡まれていた。
「そんな気持ちは全くありません」と抗議したが、「私の目は節穴ではないの。あなたの思惑は分かっているんだから、私が許さない」と相手は食い下がるのだ。
社長は大学の先輩であり、親近感を抱いていたが、この女性の言いがかりには辟易していた。
そんな折に日本歯科新聞社の創業者から「来ないか、一緒にやろう」と誘いを受けたのだ。
同じ印刷所で新聞校正の日に顔を合わせていたのだ。
神楽坂の料亭で接待も受けていた。
結局、誘いを断り切れなくなる。
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あいつを、階殺にしてやる

2016年12月25日 13時27分11秒 | 日記・断片
55歳の時に日本歯科新聞社をリストラになる。
「もう、限界だな」と社長が言う。
「あいつを、階殺にしてやる」と部下の一人に言っていたが、それを実行したのだ。
「階殺しにされるそうだよ。辞めた方だいいよ」と後輩が言う。
「そうか、俺を社長は階殺しにしたいんだ。そうはいかないがね」とその場は聞き流した。
そして、20年後、社長は「解雇」を通告したのだ。
「歯科の世界に残りたいんだろう。おとなしく辞めることだな」
恫喝である。
その前に兆候もあった。
日本歯科商工会の新年会の席上、「何でこの場にいるんだ!」とみんなの面前で社長が言うのだ。
実に心外であった。
「取材ですが」
「取材?そんな指示はしていないよ。出て行くんだ」
歯科界・歯科業界のスース記者の自負があったが、多くの歯科の人々の前で侮辱的扱いを社長から受けたのである。
唖然として新年会の会場を出て、池を巡り上野へ向かう。
それから、外レスが溜まり深酒となる。
再就職活動では100回以上は面接を受けただろうか。
そして、面接当日、足が動かない。
取手の自宅近くの内科医院へ行く。
「脳梗塞ですね。このまま医師会病院へ入院してください」と内科医が言う。
その日も面接の予定があった。
「家へ帰ってから」と言うが、医師は「このままタクシーで医師会病院へ行ってください」と。
だが、医師の勧めを無視して面接を優先した。
結局、脳梗塞ではなかった。
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医療不信、薬剤不信の立場

2016年12月25日 12時57分08秒 | 沼田利根の言いたい放題
40年間以上も健康診断をして来なかった。
このような人間はほとんど居ないであろう。
医療ジャーナリストの立場であるが、医療不信、薬剤不信の立場であった。
高校2年の時に、学校の定期検診「幽門狭窄症、放置したらとんでもないことになる」と脅かされた。
そこで、当時の我が家の下宿人の菅野さんに相談した。
「俺、実家に春休み帰るけど、温泉療法はどうかな?」
法政大学に通う菅野さんは、当方が中学生の頃からの下宿人であり、格別親しみを抱いており、信頼もしていた。
「温泉療法か、切腹はいやなので、温泉療法したいね」
そこで菅野さんの実家がある福島県の飯坂温泉で療養することになる。
その時点で、そのまま自分が日本大学の附属高校を中退するとは思っていなかった。
毎日、温泉に入り、菅野さんが言うままに温泉かけ流しの湯を飲んでいたのだ。
「温泉の湯は胃腸によいはず」と言うので忠実に従っていた。
そして、福島の菅野さんの親類に医師による検査により、幽門狭窄症は間違いであったことが明らかになったのだ。
医療とはいい加減なものだ、と高校生は思う。
そして健康診断を軽視するようになる。
最後の健康診断をしたのは、何時であっただろうか?
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医療不信、薬剤不信の立場

2016年12月25日 12時57分08秒 | 沼田利根の言いたい放題
40年間以上も健康診断をして来なかった。
このような人間はほとんど居ないであろう。
医療ジャーナリストの立場であるが、医療不信、薬剤不信の立場であった。
高校2年の時に、学校の定期検診「幽門狭窄症、放置したらとんでもないことになる」と脅かされた。
そこで、当時の我が家の下宿人の菅野さんに相談した。
「俺、実家に春休み帰るけど、温泉療法はどうかな?」
法政大学に通う菅野さんは、当方が中学生の頃からの下宿人であり、格別親しみを抱いており、信頼もしていた。
「温泉療法か、切腹はいやなので、温泉療法したいね」
そこで菅野さんの実家がある福島県の飯坂温泉で療養することになる。
その時点で、そのまま自分が日本大学の附属高校を中退するとは思っていなかった。
毎日、温泉に入り、菅野さんが言うままに温泉かけ流しの湯を飲んでいたのだ。
「温泉の湯は胃腸によいはず」と言うので忠実に従っていた。
そして、福島の菅野さんの親類に医師による検査により、幽門狭窄症は間違いであったことが明らかになったのだ。
医療とはいい加減なものだ、と高校生は思う。
そして健康診断を軽視するようになる。
最後の健康診断をしたのは、何時であっただろうか?
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2016年12月25日 12時25分29秒 | 医科・歯科・介護
JAとりで医療総合医療センターで取手地元の小学校の元先生であったと思われるご婦人と消化器内科の待合で、隣り合わせた。
何時ものとおり「どこから来たのですか」と声をかける。
「市内です」
「私はミスターマックスから徒歩1分くらいの場所に住んでいます。その前は雇用促進住宅に住んでいました」
「すると、お子さんは取手小学校ですね」
「そうです」
「お子さんは何年生まれですか」
「長男は昭和51年ころです」
「私は昭和52年に取手小学校から新設された吉田小学校へ移りました」
「そうですか」
多分、学校の元先生であろう理知的な感じのする方であった。
ご婦人は80代と思われた。
この日は、定期健診に来たのだそうだ。
「私は上行結腸がんなのです」
「それでは、治りが早いと思いますよ」
聞けば娘さんは大腸がんで柏の慈恵医科大学病院で手術の経験があると言う。
その時の雑談の過程で、自分も柏の慈恵医科大学病院で手術を受けるべきだと思うようになる。
優柔不断な性格なので、内科医師に肝心なことを言いだせなかったのだ。
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10年間に大腸癌302例

2016年12月25日 12時02分42秒 | 医科・歯科・介護
慈恵医大柏病院の消化器外科

消化器内科、腫瘍内科、放射線部、内視鏡部および病理部と連携し、総合的診療体制で臨んでいます。
下部消化管悪性疾患だけでなく良性疾患に対しても日本内視鏡外科学会技術認定医による腹腔鏡下手術を積極的に行っております。進行癌に対しては、お腹に5ヵ所のポートを挿入して手術を行っていますが、良性疾患および早期癌に対しては使用するポートの数を減らしたreduced port surgeryを行っており、手術創が“へそ”のくぼみにかくれて全く目立たなくなるcosmetic surgery(美容的な外科)です。


単孔式手術例
通常の腹腔鏡下手術例


肺・肝などに転移を有する大腸癌症例に対しては、放射線化学療法を行い呼吸器外科および肝臓外科と連携して積極的に転移巣を切除しております。また再発症例に対しては外来化学療法室を利用した外来化学療法を行っております。血管新生阻害薬、分子標的薬などを用いた最新の化学療法を受けることができます。
炎症性腸疾患に関しては内科専門医と連携して手術のタイミング、術後外来フォロー法を検討し“消化器病センター的な治療”を行っております。


下部消化管 診療実績

2001年から2010年の10年間に大腸癌302例(結腸癌199例、直腸癌103例)に腹腔鏡下手術が行われました。stage 0 orⅠが166 例(55%), stage Ⅱが84例 (28%), stage Ⅲaが33例 (11%), stage Ⅲbが8例 (2%), stage Ⅳが11例 (4%)で、その5年生存率はstage 0 orⅠが100%, stage Ⅱが93.4%, stageⅢaが91.0%, stage Ⅲbが85.7%, stage Ⅳが27.2%で開腹手術の成績と差がありません。


疾患解説


大腸癌 潰瘍性大腸炎 クローン病


下部消化管 診療実績

2001年から2010年の10年間に大腸癌302例(結腸癌199例、直腸癌103例)に腹腔鏡下手術が行われました。stage 0 orⅠが166 例(55%), stage Ⅱが84例 (28%), stage Ⅲaが33例 (11%), stage Ⅲbが8例 (2%), stage Ⅳが11例 (4%)で、その5年生存率はstage 0 orⅠが100%, stage Ⅱが93.4%, stageⅢaが91.0%, stage Ⅲbが85.7%, stage Ⅳが27.2%で開腹手術の成績と差がありません。
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ボタンの掛け違い

2016年12月25日 11時19分04秒 | 医科・歯科・介護
「入院してまで、腸の内視鏡検査をするのか?」
東取手病院の対応に疑問を感じて、JAとりで総合医療センターへ行く。
そして、東取手病院で指摘されたように、腸から下血していることが明らかとなった。
その臓器は上行結腸であり、かなり進んでいる悪性腫瘍であった。
頭の中は真っ白となる。
ここまで進行しているとは想像もしていなかった。
そして、悔いる。
初めから素直に取手東病院で内視鏡検査を受けていたら。
がん研究センター東病院 (千葉県柏市柏の葉6ー5ー1)を紹介されていただろうと・・・・
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精神(心)の軌道修正の可能性

2016年12月25日 08時56分20秒 | 沼田利根の言いたい放題
人間の偏見と差別

人権意識、生命軽視の問題に帰着する。

相模原市の知的障害施設「津久井やまゆり園」は、当方の父母の墓地に近かった。
墓参りの後に施設の前を長男の自動車が通過する際に、やまゆり園の門前に献花台が見えた。
19人を刺殺し、27人に重軽傷を負わせた元職員・植松聖(さとし)容疑者(26歳)は、かねて職場の同僚や知人に対し「障害者は不幸を作るだけだ」「安楽死させた方がよい」はどと言っていたそうだ。
聞いた人は「君のその考えは間違っている」と諭すことができなかったのだろうか?
いじめを見過ごすのと同じではないのか。
悪を止めないのは結果的に悪に加担したことになるのだ。
悪の芽を摘む。
それは予防である。
人権の啓発は幼児から。
心の教育の不備が悪を生む。
精神的異常性は生育歴にも問題もあるように思われるのだ。
つまり精神(心)の軌道修正の可能性があったはず。
そのようの思われるのだ。
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ソ連との核戦争 米8000万人犠牲

2016年12月25日 08時27分40秒 | 医科・歯科・介護
米軍幹部が当時のレーガン大統領に報告

ソ連との核戦争ともなれば、米国民の犠牲者は8000万人ものになる。
東西冷戦時代の1982年2月、米軍幹部が当時のレーガン大統領に報告した核戦争の被害想定の中身が明らかになった。
このほど機密指定が解除された。
実に恐ろしい被害想定である。
ソ連によって日本の沖縄基地なども核攻撃されたかもしれないのだ。
ソ連との核戦争は、東欧のポーランド、キューバ、大西洋など米ソが交戦状態に陥った後に起きると想定。
核攻撃に対する防御手段が未整備のために、米国民8000万人が死亡すると軍幹部がホワイトハウスで説明した。
レーガン大統領はこの説明を受けた後、核兵器への反感を強め、ソ連との戦略核兵器削減交渉に着手。
1987年には米ソがにらみあう欧州での中距離核戦力(INF)を全廃する条約に合意した。
交渉はブッシュ父次期大統領に引き継がれ、1991に第1次戦略兵器削減条約(STARTI)として結実し、米ソは保有する戦略核弾頭の上限を6000発に削減することに合意した。

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