中東のサッカーは手ごわい。独特の力強さとリズム感があって、攻撃の組み立ての感覚が東アジアとも、ヨーロッパとも南米と
違う。うまく言えないが日本人にとっては異質で得たいの知れないようなサッカーの感性だと思う。
ロンドン五輪予選のシリア戦では、ピッチコンディションの悪さもあったろうが、日本チーム全体がどう対処していいのか、戸
惑って、自分たちのサッカーを見失っていた。今のシリア情勢のあまりのひどさを思うと、シリアチームが勝って良かったと思
う。ダマスクスでやっていたら見に来たシリア国民は熱狂して、強い希望と誇りを感じたに違いない。そんな人々さえ、平気で殺
しかねないようなアサド政権には本当に慄然とするし、国同士のバランスから傍観している国際社会の無責任さは何と言ったらい
いのか?
サッカーの公式試合とは言え、ゲームが終われば同じ時代に生きる人間同士だ。U-23の若い選手達が、シリア選手に直接
シリアの現状について話を聞き、議論できたらどれほど世界に対する眼が開かれたことだろう。シリアの若い選手だって日本の
サッカー選手に訴えたいこと、聞いてもらいたいことは山ほどあるはずだ。国連があんなザマなのだから、スポーツの選手が交流
して、シリアの現状を聞くことは意義のあることだったはずだ。今すぐ何かが変わることはないかもしれない。しかし、シリア選
手の切実な声を聞いたら、日本の若い選手の中には何かが残ったはずだ。そういうものはしこりになって時とともに成長してい
く。そんな地道な積み重ねが、弾圧されている国民を平気で無視するような、それこそレッドカードにふさわしい国家間のパワー
ゲームのくだらなさをいつか変えてくれることを期待したい。
個人的にはシリアチームは是非、ロンドンオリンピックに出て、シリア国民に希望と勇気を与えてもらいたいと思う。
トルコ出身の作曲家カルロ・ドメニコーニは、トルコの民族音楽を素材にしているものの、斬新な音楽的な発想を持ち込み、現代
的な美しさにあふれた作品を作って、高い支持を得ている。
1985年に発表された「コユンババ」は、中でも群を抜いた傑作として知られ、変則的に調弦されたギターで、即興的に処理し
なければいけない部分も多い、演奏者のセンスがものをいうようなタイプの魅力的な作品だ。
この二つの演奏も非常に違っている。ジョン・ウィリアムズは高度なテクニックでインターナショナルな解釈で勝負している。
昨日紹介した福田進一は、ウィリアムズのさらに上を行く、東洋人としてのインターナショナル性を示していて、驚きの他はな
い。トルコはヨーロッパ世界とアジアの接点に位置する国だが、そこの雑種性の中に才能あるイギリス人と日本人が、どのような
普遍性を嗅ぎ分けるかという作業は非常に興味深いものがある。
山村 「先輩、シリア戦ってどう思いました」
大迫 「なんつーかな・・・・国歌斉唱で何かを感じた」
山村 「どういうことっすか?」
大迫 「シリアでこの国歌を聞いたら、俺が感動しそうに思った」
山村 「え!なんかそれってすごくないですか?」
大迫 「たまには俺もいいこというだろ」
山村 「そうっすね!正直言って先輩がそこまで深い人だとは思っていなかったです」
大迫 「俺が童貞のわけないだろ。童貞にはこんなこと理解できねぇーーよ」
山村 「いやぁ・・・・そこにもっていくんですか。童貞の方が深いでしょ」
大迫 「まさか洞庭湖とか言うんじゃないだろうな」
山村 「先輩、今日はジョーク冴えてますね!でも洞庭湖は深くないんじゃ・・・・」
大迫 「洞庭湖でも、洞庭川でもいいだけど、もう一度シリアとやってみたいね」
山村 「そうっすね!絶対オリンピックでもう一回やりたいです」
違う。うまく言えないが日本人にとっては異質で得たいの知れないようなサッカーの感性だと思う。
ロンドン五輪予選のシリア戦では、ピッチコンディションの悪さもあったろうが、日本チーム全体がどう対処していいのか、戸
惑って、自分たちのサッカーを見失っていた。今のシリア情勢のあまりのひどさを思うと、シリアチームが勝って良かったと思
う。ダマスクスでやっていたら見に来たシリア国民は熱狂して、強い希望と誇りを感じたに違いない。そんな人々さえ、平気で殺
しかねないようなアサド政権には本当に慄然とするし、国同士のバランスから傍観している国際社会の無責任さは何と言ったらい
いのか?
サッカーの公式試合とは言え、ゲームが終われば同じ時代に生きる人間同士だ。U-23の若い選手達が、シリア選手に直接
シリアの現状について話を聞き、議論できたらどれほど世界に対する眼が開かれたことだろう。シリアの若い選手だって日本の
サッカー選手に訴えたいこと、聞いてもらいたいことは山ほどあるはずだ。国連があんなザマなのだから、スポーツの選手が交流
して、シリアの現状を聞くことは意義のあることだったはずだ。今すぐ何かが変わることはないかもしれない。しかし、シリア選
手の切実な声を聞いたら、日本の若い選手の中には何かが残ったはずだ。そういうものはしこりになって時とともに成長してい
く。そんな地道な積み重ねが、弾圧されている国民を平気で無視するような、それこそレッドカードにふさわしい国家間のパワー
ゲームのくだらなさをいつか変えてくれることを期待したい。
個人的にはシリアチームは是非、ロンドンオリンピックに出て、シリア国民に希望と勇気を与えてもらいたいと思う。
トルコ出身の作曲家カルロ・ドメニコーニは、トルコの民族音楽を素材にしているものの、斬新な音楽的な発想を持ち込み、現代
的な美しさにあふれた作品を作って、高い支持を得ている。
1985年に発表された「コユンババ」は、中でも群を抜いた傑作として知られ、変則的に調弦されたギターで、即興的に処理し
なければいけない部分も多い、演奏者のセンスがものをいうようなタイプの魅力的な作品だ。
この二つの演奏も非常に違っている。ジョン・ウィリアムズは高度なテクニックでインターナショナルな解釈で勝負している。
昨日紹介した福田進一は、ウィリアムズのさらに上を行く、東洋人としてのインターナショナル性を示していて、驚きの他はな
い。トルコはヨーロッパ世界とアジアの接点に位置する国だが、そこの雑種性の中に才能あるイギリス人と日本人が、どのような
普遍性を嗅ぎ分けるかという作業は非常に興味深いものがある。
山村 「先輩、シリア戦ってどう思いました」
大迫 「なんつーかな・・・・国歌斉唱で何かを感じた」
山村 「どういうことっすか?」
大迫 「シリアでこの国歌を聞いたら、俺が感動しそうに思った」
山村 「え!なんかそれってすごくないですか?」
大迫 「たまには俺もいいこというだろ」
山村 「そうっすね!正直言って先輩がそこまで深い人だとは思っていなかったです」
大迫 「俺が童貞のわけないだろ。童貞にはこんなこと理解できねぇーーよ」
山村 「いやぁ・・・・そこにもっていくんですか。童貞の方が深いでしょ」
大迫 「まさか洞庭湖とか言うんじゃないだろうな」
山村 「先輩、今日はジョーク冴えてますね!でも洞庭湖は深くないんじゃ・・・・」
大迫 「洞庭湖でも、洞庭川でもいいだけど、もう一度シリアとやってみたいね」
山村 「そうっすね!絶対オリンピックでもう一回やりたいです」