サーカスの夜

2012年10月16日 | ショートショート



灰色の老熊が玉乗りをする。火のついたリングを虎がのそりとまたぐ。
動物たちの荒い鼻息がここまで届く。
これがサーカスなんだ。
こんな田舎町にサーカスなんて滅多に来なかったから、職場で手に入れたチケットを父が意気揚々と見せた時は大喜びしたっけ。
でもワクワクしてたのは、サーカスの大テントを見上げてショーを心待ちにしている時までだった。
動物たちは毛並みが悪く動きも鈍かったし、象なんてシミだらけでヨボヨボだった。
カーニバルみたいなキラキラ衣装の女たちも、疲れを隠した白粉の仮面を着けていた。
小柄のピエロたちが面白がって尻を蹴りあってたけど、しつこくって退屈なだけだった。
ショーは中盤、バイクの曲乗り芸になった。バイク数台が金網の球体の中を縦横無尽に走り回る。
轟音、そして油と排気ガスの臭い。これのどこがどんなふうにすごいんだろう?
今、この時間にやっている大好きなテレビ番組を思った。いつになったらショーは終わって家に帰れるんだろう。
クライマックスは空中ブランコだった。ピチピチの衣装をつけた男女が台座から台座へとブランコで移動する。
幼さの残る華奢な娘が混じっている。膨らみきらない胸元の陰翳が眩しい。
そのうち、ブランコからブランコへと飛び移る芸になった。それからコンビの手から別の手に飛び移る芸へと。
ドラムロールが煽るので見せ場なんだとわかるけれど、テレビでもっと難しい回転技だって見たことがある。
いっそ。
いっそ、テントの下に張りめぐらした事故防止のネットがなければスリリングなのに。そんなことを思ってしまった、そのとき。
大観衆の尋常ならないどよめき。え?何?
空中ブランコ乗りの男のたくましい腕から、女の手が滑ってしまったのだ。あの娘だ。目を見張る男と女の形相で、ただならぬ事態だとわかった。女がスローモーションで落下していく。ネットが裂けて地面に叩きつけられる。骨の砕ける鈍い音がはっきりと耳に届く。
華奢な腕も足も曲がるはずのない方向に曲がって、糸の切れたマリオネットみたいじゃないか。
ああ、ひどい。
サーカス一座が女の周りに勢ぞろいする。大団円を彩る音楽が最高に盛り上がる。やんや、やんやの拍手喝采。
グチャグチャの娘が顔をあげてボクにウインクする。
ボクはもうテレビ番組のことなんかどうでもよくなっていた。



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