I君のニオイ

2015年07月09日 | ショートショート



生まれつきニオイに敏感なせいで損ばかりしている。
嗅ぎ分けることさえできれば、ニオイの判定士になったり香水の調香師になったり、使いみちもあるのだが。
残念、ボクの場合、ただニオイに過敏なだけなのだ。
人ごと、場所ごとに特有のニオイが人一倍鼻を刺激し、耐えがたいほどにクサイと感じてしまう、ただそれだけ。
他の感覚と比べて嗅覚の救いは、ずっと同じニオイにさらされていると鈍感になっていく点だ。
クサイ相手と同席し避けられない場合、ボクはひたすら鼻が麻痺するのを待ち続けることになる。

ただI君は違った。彼のニオイが和らぐことはなかった。
中学2年生の夏休み明けに転校してきたI君は社交的で、すぐにクラスの皆に打ち解けたが、ボクだけは無理だった。
I君が近くに来ただけで、鼻は曲がり、目に沁みた。
一体全体、この刺激臭は何なんだ?
ニキビの脂のようで・・・軟膏や湿布のようで・・・アジアのどこかの香辛料か、漢方薬みたいでもあり。
とにかく酷いニオイなのだ。
ニオイのせいで人を遠ざけがちなボクにも、I君は愛想よく近づいてきた。
彼が遠ざかるまで、ボクは顔では笑いつつ、鼻腔に力を入れて空気を吸わないようにしてひたすら耐えた。
ある日、I君から彼の家に遊びに行く仲間にボクも誘われた。
好奇心に負けてボクはI君宅に入った。玄関に足を入れた瞬間、例の強烈なニオイが襲いかかった。
数倍、いや数十倍の濃厚さだった。コレってI君の体臭じゃなく彼の家特有のニオイだったのか?
小一時間の滞在だったがボクは耐えに耐えたことを、十五年経った今でも思い出す。

「久しぶりだなあ。エ?駅に行く途中?送ってやるよ、さ、乗れって」
十五年ぶりに再会したI君は相変わらず愛想よかった。
会社帰りに駅に向かって歩いていたら、ピカピカの外車が勢いよく歩道に寄って、運転席からI君が覗いた。
強引に誘われて断るのも変なので、助手席に腰を沈めた途端、十五年の時を隔てて、あの悪臭に襲われた。
まったく変わりないI君のニオイに目眩がした。
「ヘエ、お互い地元で就職してたんだな。知らなかったなあ、Y君、同窓会とか来ないんだもん」
I君が車の窓を閉め、ロックをかけた。車内の空気が澱み始める。ああ、乗るんじゃなかった・・・
運転しながらI君は話し続け、ボクは耐え続けた。
ふと気がつくと、交差点で車は駅とは反対方向に方向指示器を出している。ボクが指摘しようとすると、I君が言った。
「知ってたよ。中学ん時っから。キミが人一倍、鼻がきくってネ」
心臓が飛び出しそうになった。
「Y君、気づいてたんだろ?ボクが人間じゃないって」
ニオイが限界に達し、意識が朦朧としてくる。
ああ・・・ニオイに敏感なせいで損ばかり・・・嗅ぎ分けることができさえすれば・・・
    


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