もしも現代人が お金 肩書き 地位 などのまったく通用しない世界に放り込まれたとき、これまでの価値観が逆転し、どんな現象が起きるか? タイトルは忘れたが、それを題材にしたイタリア映画を思い出す。
豪華クルーザーでバカンスを楽しむ大富豪夫人が、船員にボートを漕がせて外洋で遊ぶうちに、母船を見失ってしまう。 しばらく漂流の後、小さな無人島に流れ着き、救助される可能性が無くなってくると、2人の立場に少しずつ変化が現れる。 これまで意のままに使ってきた男に、女が命令しても反応しない、お金で釣ろうとすると、「そんなもの、ここでは何の価値もありませんよ」 と一笑に付される。
船の生活では、ほとんど存在感の無かった男が、この島に来てから俄然本領を発揮する。 雨風をしのぐ小屋を作り、魚や獲物を獲ってきて料理はするし、生きていくためのさまざまな知恵がある。 女はいつしか彼の奴隷になることで、生存を許される立場に。
ところが2人は、通りかかった船に救助され、母港に帰り着く。 迎えにきた亭主のヘリコプターに乗り込む女は、男に一瞥さえもくれずに去っていく。 男は女房と子供と連れ立って我が家へ。
頂点に在った人も、いずれは普通の人に還り、忘れられていく。 そしてホスピスでパジャマに着替えると、タダの老人。 長年大勢の患者を看取ってきた医師は、人生の終末をそう語る。 上場会社の社長を長く勤めた友人が、常々 「黒塗りの車は怖いよ」 と言ってた。 運転手つきで送迎されてたサラリーマン重役の末路を、たくさん見てきたからだ。 リタイア後の彼は、一切の要職を断り、好きなように生きて逝った。
ダニエル、デフォーの 「ロビンソン漂流記」 を久しぶりに読んだ。 山中に篭って隠遁生活をしている 私の身の回りにも、無人島で生き残っていけると思われる人物が、何人か居る。畑の作業小屋を建てたり、車庫のシャッターを直したり、枯れた松の大木を倒したり、何でも頼んでいるが、自分の価値を知らないところがいい。 ところでロビンソン・クルーソーは、島に葡萄が生ってるのに、何故ワインを造らなかったのか? この謎を解いていたら、頭が痛くなってきた。
いつか終りがあるから、
終わることを知っているから尊いのですね。