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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

御社のISOマネジメントシステムは有効に機能していますか?(2007.8.1)

2007-08-01 | 社長のサプリ
 おなじみの品質マネジメントシステム(ISO9001)の認証は取得したが、一向に不良は減らない。売上げも伸びない。利益も上がらない。一体、認証取得の何処にメリットがあるのか、さっぱり分からないとお嘆きの経営者が多い。
 このような経営者からお話をお伺いすると、どの経営者にも共通して大きな誤解をしておられることに気付く。誤解は、①品質マネジメントシステムには成熟度の概念がないこと、②継続的改善の根本的な考え方の理解が浅いこと、の2点に代表される。
 ①の成熟度の概念については、品質マネジメントシステムの認証登録を何か資格試験のように考えておられることだ。認証さえ取得すれば、審査機関から品質経営の優秀さが認められたというような誤解をしておられる。認証取得とは、規格で決められた最小限の要求事項が手順として実施されていることを審査機関が確認したというだけで、その組織の経営が優秀であることを認めたものでも何でもない。規格の要求事項には、組織のコアコンピタンスやパフォーマンスについて何も触れていない。従って、単に手順の適合性だけの世界で満足している組織には進歩がなくても認証の継続は可能となる。成熟度とは、他社との差別化の因となるものであり、その会社の戦略や文化や技術やノウハウの中に凝縮しており、審査では一切評価の対象とはなっていない。繰り返しになるが、最小限の規格の要求事項さえ満たしておれば、認証取得後、進歩が全くなくても、時には退行・劣化していても認証登録が継続される仕組みとなっているのである。
 ②の継続的改善についても、ISOの本質的なレベルで継続的改善を理解されている経営者は少ない。ミスや失敗の本質的な原因を究明して、根本原因を除去することが再発防止策であり、是正処置であることが理解されていない。口では、是正処置とか再発防止とか言っておられても、その内容は単に表面を糊塗するだけの修正処置であることが多い。原因の除去を通じて行った合理化や効率化の結果を、組織のノウハウやコアコンピタンスに凝縮させ、定着させることが行われていない。スピードや効率の美名の下に何ら根本的な処置を行おうとせず、同じミスを頻発させている。組織の全体で改善を継続的に蓄積していこうとする意思も意欲も低い。経営者は部下に丸投げして、部下の報告を鵜呑みにしている事例も多い。
 ①、②の理解が浅い状態で、ただ認証を継続しているだけの組織は認証を返上した方が、より仕事が円滑にできるような気がすることもある。中途半端で消化不良のマネジメントシステムが継続されることで、自己満足に陥り、本来行われるべき継続的な改善活動を阻害するような逆効果が発生する可能性がある。経営者は、今一度、自社のISO品質マネジメントシステムの機能と効果についてじっくりと考えて欲しい。


トップの皆さん、仮説力を高めてください!(2007.7.1)

2007-07-01 | 社長のサプリ
 この世の中は原因と結果の関係なくして成り立たない。特に重要なのは、現在生起しつつある小さな原因と、それに起因して起きる将来の結果との関係である。勿論、将来の問題は、その本質的な関係から、とりあえずの仮説ということで検討を開始せざるを得ない。
 ところで、牛肉に豚や鶏肉を混ぜて表示内容を偽って出荷し続けると、その結果はどうなるか。一度や二度のことなら分からずに済むかもしれないが、それが常態となっていたら、その会社にはどのような結果が待っているであろうか。この経営者は過去の時点で、このことを仮説として考えたことがあったのであろうか?
 賞味期限や消費期限を偽って、基本の衛生管理を何年にもわたって無視し、ずさんな操業を続けていると、その菓子メーカーは結果的にどうなるであろうか?
 安全第一を念仏のように唱えながら、過密ダイヤを組み、安全のための投資を怠って、一向に官僚的な組織や文化から抜け出そうとせず、顧客満足を考えることもなく、表面を取り繕って何年も経てば、その鉄道会社に何が起きるだろうか?
 年金問題にしても、過去のある時点で、社保庁の各現場で起きつつあったそのときの原因を、なぜそのまま、現在まで放置して来たのか? 
 世の中には分からないことが多い。逃げ遂せるとでも思うのだろうか?経営者が臭いものにフタをすることを習慣化させて来た報いではないのか?結果が出てからしか対応しないのは、仕事をする気がない者の悪癖である。これは役所だけでなく、日本全体に根付いた普遍的な伝統文化であるらしい。
 最近、不愉快に感ずることの一つに、歴代の厚生大臣や長官が被害者であるというような態度が見えることがある。彼らが労働組合や部下のサボタージュの犠牲者であるというような発言を聞いていると、涙が出るほど悔しい。それなら、なぜ平時にあれだけの報酬と待遇と権限が与えられているのか。
 民間においても役所においても、経営者たる者、仮説力にもっと敏感になって欲しい。現在起きつつあることは、将来、どのような結果になるのか? 勿論、現在の小さな問題が小さい間は、将来の大きな問題になるかならぬか分からぬことが多い。しかし、分からないからという理由で放置してはならないのだ。大きな問題になり取り返しの付かなくなるものがある。その頻度も結構高い。これを未然に摘み取るのが経営者やトップの責任である。
 リスクマネジメントといえば、余計な無駄なコストを投資するように考えるムキも多い。しかし、しなければならぬことは仮説を立てて、将来の結果を検証することだ。大抵の場合、ほとんどコストがかからない。場合によっては、脳内シミュレーションで済む。それを怠っているから、大きな問題に発展して、事後に慌てふためくことになるのである。
 仮説は仮説として、もっと気安く取り組めば良い。結果は先の話だから時間もある。一番具合が悪いのは、深刻に考え過ぎて手が出せず、結果が出るときには自分は退職しているであろうから、後はどうなっても良いなどという無責任なトップだ。
 まあ、色々あるが、最も深刻な問題は、地球の温暖化とその結果として生ずる地球の破滅である。この問題は仮説の検証が容易でない。このような場合、実証結果を待つわけには行かない。結果の重大性とその生起確率との掛け算で対処せざるを得ないが、重大性があまりにも大きくて、確率などを考えている余裕は皆無かもしれない。

  

ISOの本質をしっかり理解して運用していますか?(2007.6.1)

2007-06-01 | 社長のサプリ
 「バカとハサミは使いよう」と言うコトワザがあります。バカも使いようによっては使い道があると言うような意味でしょうか? 最近、このコトワザのポイントはバカよりもむしろハサミにあるのではないかと考えています。如何に切れるハサミでも使いようが下手では、全然切れ味が出ないものです。特に、ISOと言うマネジメントシステムについて、各社の現場に入ってじっくり観察させていただくと、そのように感ずることがよくあります。
 先ず、経営者を初め幹部の方が、その本質を全く理解されていない場合です。ルールを作り、手順を標準化して、後は、それを強制的に従業員に押し付ければそれでOKと言う姿勢です。特に社長様が、その本質をお分かりになっていないときに一番困ります。現場は形式主義や不必要な仕事に溢れかえり、そのくせ一番肝心の情報は社長には上がらない状態になり勝ちです。システムがあるので情報が上がるはずだと考えていることで、逆にISOなどない方が上手く行くように思われることがあります。ISOとは単なるマネジメントシステムの標準であり、前へ進ませる人の意思がなくては何も動きません。ISOの枠組みには、人間の目的意識の存在が前提になっていることを忘れてはなりません。「仏を作っても魂が入っていない」状態のISO認証取得会社がこの世には沢山あるように思われます。
 また、ISOマネジメントシステムには成熟度という概念がありません。認証取得して数年で長足の進歩を遂げる会社があれば、10年経っても何ら進歩しない会社もあります。認証は経過年数に関係なく、最小限の要求事項を形式的に満たしておれば継続されます。また、会社と言うものの置かれた環境は千差万別です。しかも極めて流動的な世の中です。如何に独自の特徴を創出するかに腐心することで、初めて個別・固有の競争力が生まれてくるのです。その点をはき違えて、画一的にISOの要求事項の最小部分だけを充足させ、あるいはそれすらも値切って、ISOの認証を継続しようとしている会社が多くあります。本来、会社は周囲の環境変化に合わせて継続的な血の滲むような努力をしていかなければなりません。しかし、ISOがあるために内容よりも外形に捉われて見せ掛けの安心感を抱いてしまいます。このような会社においても、実はISOは継続するよりも返上した方がよいのかも知れません。
 「バカの一つ覚え」のISOの運用では「百害あって一利なし」です。ISOの本質をしっかりと理解して、それにより継続的改善を進め、実質的な固有技術の蓄積が図れるような運用をしない限り、ISOの意味がありません。それ自体では何も生産することのない管理技術を形式的に運用して満足しているようでは、その会社の成熟度が向上しません。そのような会社が増えてくると、ISOがあるがために逆にマイナスとなり、国としての全体の生産性が下がっていくような気がしてなりません。また、ISOの認証と言う行為も、組織が一流であることを証明すると言う行為に変わっていかないと、ISOに対する社会的な信頼が維持できないのではないかと思います。


理念とビジョンのない会社

2007-05-11 | 社長のサプリ
社長が言いました
おい!コストが大事だ!
コストを下げろ!
社員は懸命に頑張りました
社員は寝ても覚めてもコストのことで頭が一杯
新規事業のことはすっかり忘れていました
社長は慌てました
おい!新規事業を開発しろ!
社員は懸命に頑張りました
社員は寝ても覚めても新規事業のことで頭が一杯
今度は人間関係がずたずたになりました
社長は慌てました
おい!人間関係が大切だぞ!
社員は懸命に頑張りました
社員は寝ても覚めても人間関係の維持に努力しました
あまり頻繁に社長方針が変わるので
社内に不信感が広がりました
社員は社長方針を真面目に受け取らなくなりました
今や社員は駆け引き縄張り争いに明け暮れています
その方が社員個人の成績が上がるからです
社員共通の価値観や目標もありません
社長がどんなに怒鳴ったり叫んだりしてもダメでした
社長は言いました
何故だ?
(その答えは表題にあります)


従業員を軽く考えてはいけません!(2007.5.1)

2007-05-01 | 社長のサプリ
 経営者の皆さん。会社は人間の集まりです。今更、当然のことを言って申し訳ありませんが、このことが案外無視されています。
 まず旧聞に属することですが、一例を上げます。1980年代、あるソフトウエア会社が創業以来年率10%の勢いで売り上げを伸ばしていました。大幅な人員増を図り、上場の目前まで漕ぎ付けました。しかし、この会社には確固とした教育プログラムがなく、個人の自主性に任せるという教育方針でした。自主性という言葉は、実は教育プログラムが存在しないということでした。80年代後半から始ったクライアントサーバー方式によるシステム開発が主流となるや、とたんに受注が激減し売り上げは前年比マイナス60%となったとのことです。理由は人材の能力不足です。ほとんどの社員が十分なトレーニングを受ける時間もなく従来どおりのシステム開発を行っていたため、多くの受注を失ったとのことです。明らかに業績と人材開発の関係を理解していなかった経営者の責任と言えます。
 言うまでもなく、顧客への価値やサービスの提供者は最終的には従業員一人ひとりになります。従業員の意欲とスキル、これが組織の基本になります。これなくして、どのようにして現場力を発揮しろと言うのでしょうか? どのようにして顧客満足が実現できるのでしょうか?
 一方、昔の(今も?)JR西日本では、何かミスすると日勤教育と称して懲罰的な教育研修を課していたそうです。この考え方には大きな誤りがあります。一見、大切な第一線従業員のトレーニングを行っているように見えますが、そうではありません。組織の官僚的な風土や手順・プロセスをそのままにして、従業員に恐怖心や経営への不信感だけを与えていたのです。
 今や従業員をただの労働力と見ている時代ではありません。組織の総力を結集して、ことに当たらなければ敗退する時代になりました。口では「人材は人財だ」などと言い替えつつ、経営陣は現実にそれを実行していますか? 特に中小の会社では、まだまだ、人材開発を投資と捉えずにコストとのみ捉えて、経費節減の名の下に経営者満足のみを実行しているように見えてなりません。


学問に王道なし

2007-04-06 | 社長のサプリ
豊作を望むなら
春に土を耕し
種蒔いて
夏に雑草抜いて
水やって
秋が来るまで
辛抱強く待ちなさい
いきなり利益出せなんて
王様だって出来ぬこと
社長だからって
出来っこない


楽チン社長

2007-04-05 | 社長のサプリ
打順が来ました
監督が言いました
ヒット打って来い
できたらホームランやで
これで監督勤まるなら
楽チンです
うちの社長も同じです
毎日言うてます
納期守れ
品質上げろ
コストダウンしろ
売り上げ増やせ
利益出せ
これで会社回るなら
社長って
楽チンです


会社なら倒産

2007-04-04 | 社長のサプリ
長期的展望なく
ただただ一生懸命に働いた
その時の仕事にベストを尽くす
ただそれだけが生きがいであった
この期に及んで
成果は何かと問われれば
何もない
個人の生きがいに
プロセスが大事だったと
しらばくれる
言い訳に過ぎないが
会社なら倒産している


社長のボヤキ

2007-04-03 | 社長のサプリ
社員にいつも言うてるけど
何時まで経っても埒(らち)がアカン!
イヤになってくるやないか!
自分ひとりで勝手な判断しよるし
大局的な見方出けんヤツばかりや!
大まかでドンブリやし
成り行き任せで
最後の結果でしか分からんことが多いわい!
みんな自部門のことしか考えよらんし
自分で問題発見しようとせん!
みんな与えられたことだけやってたらエエと思うてんのか!
対策言うたら応急処置ばかしやし
現状に甘んじて脱皮する気もない
もたれあいで責任も明らかになっとらん!
みんな走り回ってる振りはしてくれるが
結果が何も付いて来んやないか!
えーいもうエエ加減にしてくれ!
ワシも社長やめとうなってきた!
とおっしゃるボヤキの社長さん
その責任はやっぱりアンタにあるんです
言うてるだけではダメなんです
社長がせなアカンことちゃんとして来んかった
そのツケ溜まってきているだけのことなんです


ウダツの上がらない会社を基本から立て直すには!(2007.4.1)

2007-04-01 | 社長のサプリ
 成功企業のトップは自分が先頭に立って、社員の尻を叩きまわって、叱咤激励ばかりしているのではない。そこでは、社員は他の企業の人たちよりはずっと健康的で生き生きとしている。社員は会社にとって、最も価値の高い財産として扱われており、常にその能力が最大限発揮できるような状態に置かれている。
 他方、うだつの上がらない会社では、社員は資源や資産とはみなされず、負債かお荷物あるいは不良在庫のような扱いだ。うちは、中小企業だから教育なんぞしている暇はないとばかり、やみくもにただ働かせるだけ。社員は社長をうらみつつ、心の中では少しでも手を抜いてその仕返しをしようと思っている。そのような会社が果たして、顧客満足やサービス第一の仕事なんぞ出来るものか。
 調子の良くない会社の社長さん。少し時間をとってよく考えて欲しい。第一線で顧客に接して仕事をしている者は誰か。いちいち上司にお伺いを立てる暇なく、困ったお客のクレームや現場のトラブルに対応して、その場で、自分の判断で、解決している者は誰か?ほとんどのトラブルや問題は何事もなかったように、その場で解決されて、社長までは報告されていないのだ。
 一部の幹部や取り巻けだけに仕事を任せて、指揮を取っている気になっている中小企業の社長さん。一度自分の目で現場の実態をしっかりと眺めて欲しい。業績不振の真の原因を極めて欲しい。本当にしなければならないことをしっかりと確認して欲しい。組織構造、業務手順など基本的なことの取り決めがおろそかになっていないか? そんなことよりも、もっと根底の第一線社員の業務能力や問題解決能力向上のための教育訓練が、実は、一番大切ではなかろうか?などと。社長さん。うちにはロクな人間が居らんと、社員を馬鹿にして、ただそれだけで終わっていませんか。


自社のリスクと組織体制を今一度見直そう(2007.3.1)

2007-03-01 | 社長のサプリ
 また起きた。JRの醜態。昨日(07/2/28)起きた大阪駅の停電のことである。停電の長さは何と5時間に及んだと言う話だ。戦争かテロか地震のような不慮、不可避の事故ではない。穏やかな春の陽射しの平和な昼間の時間帯に起きたのだ。停電は起きても数十秒かせいぜい数分が普通だ。おおもとの電力会社の電源と送電が確保されている限り、停電時間はせいぜいバックアップや非常用電源への切り替え時間の範囲内で済むのが常識だ。瞬間的な停電が起きることはやむをえない。技術的に不可避な面もある。そのことだけなら不問に付しても良い。しかし、この停電が5時間に及んだことは絶対に許せない。そこにはJRの経営システムの基本的な欠陥が見える。前回の福知山線の脱線事故の原因と同根の根本原因が潜んでいる。
 トップが君臨して、管理職の階層を積み重ね、現場は上司の指示に従って仕事する。これは官僚の組織構造である。この構成が効果的な組織は、軍隊や消防のような組織か、あるいは決まりきった製品を大量生産する一時代昔の工場くらいのものである。JRには、まだ化石のように、この基本構造が残っている。一握りのトップの指示で何でも対応できるような時代ではない。今回の停電事故について、速報的な停電の原因や対応策、今後の処置についてのJRのコメントが、翌日の朝になっても一切聞こえてこない。たった一人のトップに報告が上がり、トップが熟慮した末、その決裁がもらえない限り、外には何も発表できないからであろうか。
 JRのリスクマネジメントの考え方についても極めて怪しい。停電などは、数あるトラブルの中でも最も基本的で初歩的なものだ。事前に、停電に関するあらゆる事態を想定し、繰り返しその対応手順について見直し、見直しては訓練しておくべきものだ。新聞報道によれば、JRの見解として「今回の停電は想定外のところで起きた」とのことであるが、現実に起きた停電が想定外とされていたこと自体が許せない。
 なぜJRには事故が続くのか。福知山線の事故の根本原因が、システム全体、組織構造、文化風土、経営者の責任などから外されたところに帰着され、それを社会が是としている限り、経営者が交代したところで何度でも同様の事態が起きる。
 このような典型的な反面教師が居り、時々事故を起こしてくれるJRは、世の経営者の皆さんに絶好の勉強の機会を提供してくれる。また、忘れた頃に警鐘を鳴らしてもくれる。JRは失敗した時の貴重な教訓を与えてくれる教科書であり、社会の役に立つ良い会社なのだ。普通の会社なら一回の事故で倒産となる事態なのに。皆さんの会社は如何でしょうか?この機会に、再度自社のリスクを点検し、現在の組織体制や対応手順に問題ないか再確認しておこうではありませんか。


不二家問題とISO(問題はガバナンスの弛緩ではないか?)(2007.2.1)

2007-02-01 | 社長のサプリ
  不二家製品の品質管理がずさんであったことが暴露され、連日、テレビや新聞のニュースのネタを賑わせている。また、不二家は、組織全体をカバーしていないが、品質や環境ISOの認証を取得していたことから、ISOの存在意義までが議論され始めている。しかし、現在解明されつつある不二家の問題に対して、ISOが機能していなかったというような議論のすり替えを行ってはならない。ISOに不備があるならば、それはISOの不備として別の場所で論ずべき問題である。
  不二家の問題の一つの例として消費期限の過ぎた原材料が使用されていたことが上げられている。消費期限を過ぎた原材料を使用してはならないと言う社内ルールがあるに関わらず、それを遵守していなかったとか、また、ルールはあったが、内容が甘かったということであれば、これらはすべて管理・監督者の責任であり、当然、社長にまでその責任は及ぶ。その他、製品に蛾の幼虫が混入していたとか、工場ではネズミが大量に発生していたとか、大腸菌数が基準オーバーの製品を出荷していたとか、顧客クレームに対していい加減な対応をしていたとかの報道は、いずれも顧客満足を第一に営業すべき組織の最低限のルールすら守れていなかったことを明確に示している。今後の展開次第では、同社は外部の力による大改革、解体、身売り、或いは倒産にまで進むことは免れまい。
  ISOは万一不備が発生すれば、直ちに経営上層部や専門部署にそれが報告され、再発防止の処置を取ることができるようにするシステムである。そのシステムを形式的にのみ運用するとか、管理・監督者の恣意的な判断で曲げた運用をするとか、悪意を持って隠蔽するとかということがあれば、ISOなど関係のない話である。また審査機関には、元々、これらのすべてを発見する権限も責任も能力も時間も何も与えられていない。
  品質管理上の問題を根絶する基本は経営者並びに組織の構成員の姿勢やモラルだ。刑法があっても窃盗や殺人がなくならないのと同様に、ISOの認証があるから品質管理の問題が発生しないというものではない。特に、組織のトップに位置する経営者や幹部が経営責任を万全の意志で全うしようとしない限り、品質管理の問題は絶対になくならない。
  経営責任とは不祥事の責任をとって辞任することではない。不祥事が起きないようにすることが経営責任なのだ。企業の経営者並びにそれを補佐する幹部諸氏は不二家の問題を他山の石として経営責任を全うしなければならない。不勉強な社長は社長の責任を放棄しているのと同じだ。せめてISOの要求事項が理解できる程度に勉強すること。幹部諸氏も同じだ。不二家の問題はISO以前の問題だ。


謹賀新年 年頭に贈る「五つの言葉」(2007.1.1)

2007-01-01 | 社長のサプリ
 今年も元気よく行きましょう。年頭に当たり、先人の言葉を噛みしめて味わってみましょう。下記はすべて、「五つの決定的瞬間」D.H.グロバーグ著(キングベア出版)から抜粋しました。

1.「小さな計画は立てるな。そんなことをしても人の血はたぎらない。計画は実現しないだろう。大きな計画を立てろ。目標を高く持ち、希望を抱き、働くのだ」(ダニエル・バーナム)
2.「強さは肉体的能力から生まれるものではない。力は不屈の意思から生まれるものだ」(マハトマ・ガンディー)
3.「私たちが進むにつれてすべてのものは変化する」(空海)
4.「人が犯す唯一の誤りは、自分の間違いを正さないことである」(孔子)
5.「どのような業績を残そうとも、そこには必ず誰かの助けがある」(オルテア・ギブソン)

 最後に「自信を持って自分の夢の方向に向かって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、とんでもない時、思いがけず成功するだろう。空中に城を建てたとしても、その努力は必ずしも消え失せるわけではない。空中の城の下に基礎を作ればいいのだ」(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)を追加します。

 皆さん、今年も額に汗して、精一杯頑張りましょう。


無形資産の充実や革新を経営戦略に組み込んでいますか?(2006.12.1)

2006-12-01 | 社長のサプリ
 財務諸表のうち貸借対照表には、組織の全資産が表示されていると考えている人が多いが、これは大間違いである。貸借対照表には金額で計上できるものだけしか表示できない大きな制約がある。従って、これには実際に企業の活動の根本になっている重要な資産が計上されていないのだ。
 それは無形の資産といわれるものだ。現代では、このような無形資産の企業価値に占めるウエイトが極めて大きいものとなってきており、この傾向は増大することこそあれ、減退することはない。経営者は、金額で計上される有形の資産の推移だけを見ていては、大きな経営上の間違いを犯すことになる。
 無形の資産には人的資本、情報資本、組織資本が含まれる。
 人的資本は言うまでもなく、従業員のスキル、才能、知識である。会計上、このようなものへの投資は、すべて短期の費用として処理されてしまい、その蓄積についての配慮はない。
 情報資本には、データーベース、情報システム、ネットワーク、ITインフラ等がある。これらのうち、ハードやソフトの一部は固定資産化されて数値として一部表面に出てくるものもあるが、重要なものは、その活用の程度や機能と言うソフトそのものであり、その実体が数値として容易に表されるものではないのだ。
 組織資本も会計の上では、完全な伏魔殿であり、資産として認識されるものはない。組織資本には組織文化、リーダーシップ、チームワーク、従業員のモラル、ナレッジの集積などが含まれる。
 組織の経営は何によって行われているか? 顧客満足が重要といくら叫んでも、実際は人的資本、情報資本、組織資本が活動して初めて行いえるものである。また、組織の収益性や生産性が如何に重要と叫んでも、同様に、その基本は人的資本、情報資本、組織資本の活動に拠らざるを得ない。
 しかるに、このような無形資産の充実を、どの程度経営戦略にリンクして検討しているか、本当に心もとない企業が多いのではないか? 華々しく収益性の改善や顧客満足の向上を唱えても、表面上の叱咤激励だけに終始して、実質の無形資産の充実に一向に目を向けないようでは、その叱咤激励の意味は何もない。ただの念仏に過ぎない。
 企業は経営戦略を持たねばならない。経営者は経営戦略によって全社を一つの目的に方向付けなければならない。そのときに、組織の活動を牽引しているドライビングフォース(推進力)をしっかりと念頭におき、それを経営戦略と関係付けなければならない。
 顧客満足は顧客満足として独立して存在する活動ではない。会社の利益は、利益だけが独立して存在するものではない。人間個人を考えても、活動や成果のベースには個人の知能や身体能力がある。同様に、組織が成果を上げていくためには、個人の知能や身体能力に相当する組織の無形資産の充実がある。組織の繁栄を維持するためには、これら無形資産を如何に充実させるかを経営戦略にリンクさせて検討していくことが絶対条件である。


トップの責任を再確認してください(2006.11.1)

2006-11-01 | 社長のサプリ
 学校で「いじめ」が原因で自殺する子供が後を立たない。現場の先生や子供間のトラブルが表面化されず、放置され、隠蔽されている。文部省が把握している「いじめ」が原因の子供の自殺者数は、何年にもわたって、毎年ゼロであったとのことである。新聞などでは、数年来、いじめが原因と疑わせる子供の自殺が次から次へと報じられているのに、文部省に上がってくる報告で、その件数がゼロということ自体、まことに不可思議千万である。このような数字も一応はデータであるから、責任者として客観的なデーターに基づいて判断していると言えばそれで済む問題であろうか? 役所ならそれで済む? 役所に関しては一般庶民はすでに完全に諦めの境地であるが、企業では、それは許されない。
 考えるに、トップに上がる情報は、言語による定性的な情報であれ、データーが付加された客観的情報であれ、真実を伝えていないことが極めて多い。トップはこのことを肝に銘ずるべきである。
 失敗や悪い情報は重大になるほどトップに伝わりにくいという性質がある。なぜなら必ず人に責任が問われるからである。その原因が何であれ、それはどこかの部署の責任であり、部署の責任はその上司の責任となり、その責任はさらに上の上司の責任となる。いったん責任を問われれば、減給となり、降格となり、一生の不利が降りかかる。逆に、失敗して褒められることなんてことは絶対にない。誰が好き好んで、このような情報を自分の上司に報告する気になろうというものか?
 できれば、発覚する前に何とか自力で解決しようとするのが人間の本性である。しかし、失敗や悪い情報は必ずしも一人で解決できるものではない。また、その原因が個人や一部署の責に帰することができるものばかりでもない。何とかしようと頑張っているうちに、ますますことは重大になり、取り返しが付かなくなってしまうものである。
 しかしながら、組織と言うものは、そのような情報を個人や一部署に抱え込ませてしまうという本質的な性質を持っているのである。組織というものが人間から構成されている限り仕方がない問題であるとも言える。
 だからこそ、これを個人や部署の責任にして放置してはいけないのである。その対策としては、放置することができない仕組みを作ること。極力失敗や悪い情報を未然に明るみに出すような仕組みを作ること。いつでも何でも何処でも真実が見える仕組みを構築することである。そして、そのような仕組みが健全に機能しているかどうか、常に目を光らせる必要がある。
 その役割・権限・責任はトップにしかない。なぜならトップ以外は、すべて何らかの形で部下であり、その上司から責任を問われる立場にある。トップ以外全員が失敗や悪い情報を明るみに出したくない本質的な誘因と傾向を持っている。
 事件が報道されて初めて事実を知った社長が、記者会見で「報告を受けていなかった」などと弁解しつつ、部下に責任転嫁しようとすることがある。それは本質的にトップがトップの責任を果たしてこなかったことを自白しているようなものである。