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宮城県沖地震体験者

2009-08-10 23:53:00 | 徒然なるままに
8月9日(日)

今日、近年にない大き目の地震があった。
私の住む千葉北西部は震度4だった。
最初は微弱な振動がだんだん強い横揺れになっていった。
二階の娘たちに、
「窓とドアを開けて!」
と声をかけ、倒れたり、落ちてきそうなものをカバーしたりしているうちに、だんだん揺れも収まってきて・・・。
それにしても長い地震だった。

揺れが収まるのを待っている間、いろんなことを考えた。
電気が消えたら、懐中電灯は?ろうそくは?
お風呂に水張ってある?
飲み水の確保は?
非常袋に食料入ってたっけ?
ここら辺はどこが広域避難場所だっけ?

幸い揺れは収まり、倒れるものも、壊れたものもなかったけれど、私の脳裏には31年前の宮城県沖地震の恐怖が蘇っていた。

あの時、私は高校の放送室で、一人原稿を書いていた。
そこに最初は微震、だんだん横揺れ、最後は下から突き上げられるような直下型地震が襲ってきた。
すぐに窓を開け、机の下にもぐりこんだが、マイクは倒れ、レコードやカセットは棚から手裏剣のように飛び出してきて、放送室は足の踏み場もない状態に。
窓の外を見れば、ナイター用の電球のたくさんついた電信柱は千切れた電線を振り回しながらメトロノームのように揺れていた。
池の鯉は投げ出されたように、池の周りで飛び跳ねている。
校内のあちらこちらから悲鳴と物の壊れる音が響き渡っていた。
本当に生きた心地がしなかった。

生物室の棚にあったホルマリン漬けの生物の死骸はすべて棚から飛び出し、床に散乱していた。
美術室にあった23体の石膏像は全部首がもげた。
図書室を再び利用できるようになるには40日間もかかった。

家に帰れば、床も壁も盛り上がって、庭と物置の床は液状化状態だった。
活断層のように道路や庭に亀裂が入り、それに沿ってブロック塀が倒れたり、崩れていた。

その夜の心細さと断続的な余震の恐怖は30年以上経った今でも覚えている。

あんな思いをしたにも関わらず、喉もと過ぎれば暑さを忘れるように、危機感のない毎日を送っているなあと、今回の地震を通して反省した。

天災は、忘れた頃にやってくる。
備えあれば憂い無し。
地震対策を見直さなければと、大いに反省した。

『シャングリ・ラ』と言うアニメを見ているのだが、設定は、第二次関東大震災後の未来。http://anime.biglobe.ne.jp/title/index?id=1507
お馴染みの地名の街の震災後の様子が、結構リアルに描かれている。
それほど遠くない未来に、あの状況が現実のものになるかもしれない。

とにかく、どんなことが起きてもどんな状況にあっても、生き延びなければ!
そして、子どもたちを守らなければ!
地震は揺れが収まってから先も大変。
ライフラインが復旧するまでの避難所生活や、怪我をしたり、壊れた家やなど、元の生活に戻るまで、気力と体力とお金が必要。

先ずは、大地震未経験者の子どもたちと、いざと言う時の避難場所や連絡のとり方を打ち合わせしておかないと。
私は、仕事柄、仕事中に地震が起きたら、全員の無事を確認し、保護者に引き渡すまでは現場を離れるわけには行かない。
長男、長女は都内にいることが多いから、日中に大地震に見舞われたら、家族全員の無事を確認することは難しいだろう。
皆が全員家いるときに地震が来るとは限らないのだから。

インカ帝国のルーツ 黄金の都*(キラキラ)* シカン展

2009-08-10 18:18:00 | 徒然なるままに
8月8日(土)
上野の国立科学博物館で『シカン展』を見てきた。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2009/sican/index.html
http://www.tbs.co.jp/sicanten/

篠田 謙一先生(国立科学博物館 人類研究部 人類史研究グループ長)と、工藤 尚美さん(TBSテレビ局文化事業部 部次長 プロデューサー)の講演会ではいろんな話が聞けて、展示をが更に興味深く見ることができた。

それにしても、30年間もかけて、盗掘者たちも諦めた墳墓の発掘をやり遂げて、世界史上最大級の発見を成し遂げた島田泉先生は本当に偉大だと思う。現地でも、インカ以前の文明の発掘を成し遂げた島田先生を尊敬し、学校でも子どもたちが自分の生まれ育った町に誇りと興味を持って歴史を学んでいる姿に感動した。

今回、ペルーの国宝ともいうべき素晴らしい発掘品の数々を真近に見ることができただけでなく、発掘時はどんな状態で発見されたのかなどを3Dシアターで臨場感あふれる解説も見れてとても興奮した。
また、土砂で陥没した頭蓋骨を修復し、最新技術で蘇らせた墓の主の頭部の復元など興味深い展示がたくさんあった。
「シカン」は、「金属加工に取りつかれた国」とも言われているように、その技術は大変優れており、それによる広範囲な地域と交易から、その勢力の大きさがうかがえた。特にポスターにもなっている黄金の仮面は見応えがあった。

金属加工などの宝飾品*(キラキラ)*も素晴らしかったが、シカン焼きといわれる黒光りする土器も面白かった。
映像でその製造方法を紹介していたが、最後に土器と一緒に燃やす大量の家畜の糞のせいなのだろうか?日本の陶器は釉薬をかけて光沢を出すが、黒光りしたその土器は磨くほどに光沢を増す。
糞も「釉薬」になり得るんだ。と思った。

9月には展覧会場で流れているサンポーニャ奏者の瀬木 貴将さんのコンサート*(音符)*があるらしいが、体育祭の前日なので聴きに行くことができないのが残念だ*(ショック)*。

今回の図録は3,000円もしたが、内容はそれ以上のものだった。
島田先生の30年の発掘と研究の集大成ともいうべき内容だった。
じっくり読んで、会期中にもう一度見に行ってみよう!