TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

銀河鉄道の夜~本当の幸いを求めて~

2006-05-28 22:22:00 | 徒然なるままに
わらび座のミュージカル『銀河鉄道の夜』を観た。

市川森一・脚本、朝倉摂・美術というのも楽しみの一つだった。

宮澤賢治研究家の三上満氏の講演会を聞き、わらび座の演出とテーマに強く興味を持っていたので、原作を何度も読んだ。

わらび座の舞台はその期待を裏切らないものだった。

主人公ジョバンニと親友カンパネルラの友情と、二人が母を思う気持ち、『本当の幸い』を探しに行こうと言う純粋な思いに胸を打たれた。

中でもタイタニック号の乗客が列車に乗ってくるシーンでの家庭教師の苦悩の歌に感動した。
最後の救命ボートに教え子を乗せたいのだが、人を押しのけ、わが子と泣きながら別れを惜しんでいる母親を押しのけ、教え子だけをボートに乗せるべきか、ともに船と一緒に沈み、教え子の母の元に旅立つべきか、若い家庭教師は苦悩の末、後者を選び、この列車に姿を現すのだ。

これから天上に行くと言う彼に、ジョバンニが『天上に行かなくたっていいじゃないか、僕たちココで天上よりももっといいところをこさえなきゃぁいけないって、僕の先生が行ったよ!』
と食って掛かるシーンがある。
その天上と神様についてジョバンニと家庭教師が議論しているところに、燈台守が(原作では博士)
「めいめいが自分の神様を本当の神様だと言うだろう。けれども、お互いほかの神様を信ずる人のしたことでも本当にいいことなら、涙がこぼれるだろう。」と言うシーンが印象的だった。

また、家庭教師と一緒に乗ってきた少女かおる子が、さそり座はなぜ赤いかと言う神話を切々と話すシーンも美しかった。

ジョバンニは夢から覚め、カンパネルラの死を知り愕然とするが、夢の中で二人で旅し、二人で語り合い、誓ったことを胸に、カンパネルラの分も生きることを誓って、母の元に走り出す。ポケットに銀河鉄道の切符をしまって・・・。

今回の演出でちょっと残念だったのが、サザンクロスの手前で臨時停車をするシーン。原作にはないこのシーンをあえて入れた意図は、キリスト教信者ではないひとをその人の信ずる神の元へ行く場所で下車させるためと聞いていた。去っていく乗客を丁寧に見送る車掌は印象的だったが、黒っぽい服装で、台詞もなく、最初から目立たないシルエットののような存在だった。せっかくのシーンなのだから、台詞はなくとも、明らかにそれと分かる民族衣装を着て立ち去ってもよかったのではないだろうか。

『雨ニモ負ケズ』をはじめ、賢治の作品には『自己犠牲』的な思いがベースにあるように思う。
自分だけが幸せになるのではなく、皆が幸せにならないうちは本当の幸いとは言わない。
カンパネルラは、いつもジョバンニをいじめていたザネリを助けて自らの命を落とした。
ジョバンニはなぜザネリではなくて、カンパネルラが死ぬと言う不条理に疑問を持たなかったのか?
カンパネルラは、『おっかさんは僕を許してくださるだろうか』『誰だって、本当にいいことをしたら一番幸せなんだ!だから、おっかさんは僕を許してくださると思う!』と言っていた。

ジョバンニも、『僕はもう、あのさそりのように、本当にみんなの幸いのためならば、僕の体なんか百ぺん灼いてもかまわない!』と叫ぶ。石炭袋(ブラックホール)を見ても『僕、もう、あんな大きな闇の中だって怖くない。きっとみんなの本当の幸いを探しに行く』と決意する。


『銀河鉄道の夜』は賢治が亡くなるまで何度も手を入れ、書き直し、原稿も一部紛失し、完成はしていないらしいが、わらび座の舞台は賢治の世界を見事に再現し、まとめてあると思う。

150年前に、今の私たちに欠けているもの、渇望していること、解決しなければならない問題を煌く水晶のような言葉で投げかけている。
『本当の幸い』『めいめいの神様』『天上よりもいいところ』
キーワードはそのままこの物語のテーマであり、賢治自身の生き様だ。

ジョバンニも最初っからこんな気持ちになったのではない。旅の中では、鳥捕りをうざったがり、かおる子に嫉妬したり、結構小心者でやきもち焼きで、意気地がない。旅に出る前は学校ではいじめられっこで、みんなの前からは消えてしまいたいほど自己嫌悪に落ち言ってしまう。

賢治の生涯もそうだったのだろう。
親友との決別や妹との死別を通して、『本当の幸い』『神』を模索していたのだろう。


『銀河鉄道の夜』は子どもには難解なところがあるとは思うが、わらび座は子どもにも分かりやすいように作ってあると思った。

会場いっぱいに広がる星星や、ケンタウルス祭りのカラフルさなど、眼にも美しい舞台と、バラエティーにとんだジャンルの歌がまたよかった。

演技者たちの一生懸命な演技と芸達者ぶりにも関心した。
ラスト近くはもう涙涙で・・・・。

7月2日、子どもたちともう一度観る。

『今のカラダは未来のカラダ』

2006-05-10 00:31:00 | 徒然なるままに
4日前、突然襲った背中の痛みは、レントゲン撮影の結果、骨には異常なかったものの、全治10日間、毎日痛み止めとマイクロ派投射のため、通院することとなった。
連休後半を寝たきりで過ごし、安静にしていたのに、今朝、出勤するとき、パソコンバックを持ち上げただけで、再び激痛に襲われた。
息も止まるほどの痛みを抑えながらの運転は緊張した。特に、バックで車庫入れするときは怖くて振り向けない。
ようやくの思いで職場にたどり着いたものの、午前中はほとんど身体が思うように動かず、お辞儀も満足にできないほどだった。

夕方、早めに退勤させてもらい、病院で痛み止めを打ってもらってからはだいぶ楽になった。
『筋を痛めた』と言う診断だったが、原因は運動不足と同じ姿勢のとりすぎ、そして『年齢』から来るものだそうで、本当にがっくりきた。
でも、この場合、『年だから』と悲観するのは早急で、今までの無理が積もり積もって症状に出たのだと思う。
疲労回復もペースダウンしつつあるこのごろ、体がさび付かないように、適度な運動とビタミン摂取が必要だ。

最近のCMに『今のカラダは未来のカラダ』と言うのがあった。
あと10年後、20年後、30年後も元気でいるためには、今の健康管理がものをいうのだ。
自分の健康を過信せず、身体をいたわりながら健康管理に心がけなければ。

3人の子の親であり、責任ある仕事を持つ社会人としても、自分ひとりの身体ではない。
まして、今までの努力も、これからの未来も健康であればこそなのだから。






『酸素のような女性』イ・ヨンエssi

2006-05-09 23:31:00 | 徒然なるままに
昨日、TVで、『チャングムの誓い』の主役、チャングム役のイ・ヨンエssiのトークショーを見た。
本当に美しく、聡明で、茶目っ気もユーモアもたっぷりのとても魅力的な女性だった。
いろいろな質問にも、的確に応対し、時にはやんわり交わしたり、逆に切り替えしたりと見ごたえのあるトークショーだった。
俳優としてのプロ意識も感心するほどで、長編ドラマの主役と言う大役を果たすための健康管理や、監督からの要求をこなすための役作りについての苦労話は大変興味深かった。
視野も広く、志も高く、生き方が前向きで意欲的だ。
今後の、俳優イ・ヨンエとしての『挑戦』も楽しみだ。
『酸素のような女性』と言うキャッチフレーズがぴったりの、清清しく、『なくてはならない』存在感のある俳優さんだった。

『チャングムの誓い』

2006-05-09 23:06:00 | 徒然なるままに
毎週、『チャングムの誓い』を楽しみに見ている。
今のは再放送で、前回の放映でストーリーも結末も分かっていながらも、毎回感動し、また、新しい発見もある。
主人公チャングムには次から次へと試練が待ち受けている。
でも、どんなピンチになっても乗り越え、そこから生きる活路を見出し、たくましく生き抜いていく。
師・ハンサングンはその死の間際に、
「あなたには、他人にはない優れたものを持っている。それはどんなことにもくじけず、前向きに生きる力よ。だから、あなたには他人より大変なことが起きるのね。」
と言うシーンがある。
まさにその連続のような波乱万丈の人生なのだが、第一話の中で、まだ生まれぬチャングムの人生を言い当てる老子が登場する。
チャングムによって、父は死ぬことになるが、大勢の人の命を救う運命の女性だと言うのだ。
物語の中で前半は亡き母の遺言どおり宮中に上がり、女官として宮廷料理を極めていくが、後半、ライバルの罠にかかり、宮中を追われるが、流された先で医療を学び、医女として再び宮中に返り咲き、王様の主治医にまで上り詰め、女官の頂点・チェゴサングンも務め、生涯の伴侶も得ると言うサクセス・ストーリーだ。
そう思って見ていると、どんな試練も、罠も、遠回りに思えることも、すべては必要があって、またはそうなるよう用意されていたことなのだ。
それを『運命』と言うのだろうが、チャングムはどんな運命にも負けない、くじけない、自分の力で切り開き、乗り越えていく。
でも、よく見ると、たとえ敵であれ、味方であれ、チャングムの成長に必要なとき、必要な人物との出会いがある。
彼女が己を信じ、正しいと思うことを実行するとき、道は必ず開かれるのだ。
物語のテーマは『復讐』なのだが、それは彼女の生きる支えにもなり、目標でもある。
でも、それは彼女の最終目標ではない。
その復讐心・怨念・悲しみを乗り越えた時こそ、彼女の本当の安らぎが得られるのだ。

結末を知っていても楽しめるのは、今のこの逆境があってこそ後にそのときの経験が役に立つときが来るとわかっているからだろうか。。
それは、『豊臣秀吉』のサクセス・ストーリーにも通じるものがあると思う。

自分自身を振り返ってみても、今こうしていられるのは『あの時』があったからだなと思うことがある。
当時は先のことも周りのことも見えないくらい辛く、苦しいことばかりだったとしても・・・。

『チャングムの誓い』は見る人に、勇気とやる気を与えてくれる。
これから先のことを考えるとき、過去を振り返るとき、前向きな考え方ができる。
今の時代に、自分自身もこの現状の中、このような作品に出会えた幸運に心から感謝する。

『壁は乗り越えられる人の前に現れる。必ず乗り越えられる』(軌保博光)

怪我の巧妙?

2006-05-07 19:00:00 | 徒然なるままに
5月7日(日)
GWはゆっくりしすぎたせいか、年末からたまりにたまった疲れが出たのか後半ちょっと体調を崩してしまった。
そこに追い討ちをかけるように、夕べ、ソファーに座って、テーブルの上のものを取ろうとした瞬間、息も止まるほどの激痛に襲われた。
左肩甲骨からわき腹にかけて、刺し貫かれるような激痛。
心臓まで痛くなったような感覚。
動くたび激痛が走り、起き上がることもできない。
娘たちはおろおろ、背中をもんだりさすったりしてはくれるがどうにもならない。
微熱もあって、とりあえず、じっとして寝ているしかない。

翌朝、息子が以前腰痛でお世話になった治療院に電話したところ、『ぎっくり腰』のようなものと言われ、湿布をして安静にしているようにと言われた。

今日は珍しく、部活もバイトも仕事もなく、全員一緒にいられる日だったので、GW最後の日ぐらい皆で出かけようかと思っていたのだったが・・・。

でも、どこにも出かけられなかった分、子どもたちとそれぞれじっくり話をする時間が持てたようなきがする。
怪我の功名というやつかな?

つくづく、規則正しい生活と、十分な睡眠、バランスの取れた食事、適度な運動(ソーランもこのところ忙しくてお休みしていたし)がどれだけ大切かと言うことを痛切に感た。
時間は、自分で作るもの。
いろんなことを言い訳にして、後回しにしたりサボったり、手を抜いてきたツケが出たのだと思う。
一家の主婦が寝込むと家の中は灯が消えたようになるばかりか、家事がどんどんたまって、おちおち寝てもいられないような状態になってしまう。
明日は代休。しっかり体調を整えて、仕事に家事に復帰できるようにならなければ!

縄文土器に魅せられて

2006-05-07 00:32:00 | 徒然なるままに
今度赴任した中学校は、縄文遺跡の上に建っており、敷地内に古墳も残っているという学校だ。
校章にも、竪穴式住居跡がデザイン化されている。

というわけで、2年生の1学期の課題は土器作りにした。
といっても、少ない時数と野焼きする場所と手間の問題で、乾燥させるだけでテラコッタ風になる粘土を使用する。

縄文土器や弥生土器については、社会科で名前ぐらいは学習してはいるが、土器の作り方や、どのように使われたのかまでは学習していないようだ。

前任校で土器作りをしたとき、生徒たちの創作意欲や発想の豊かさにも驚いたが、土器作りを通してほかの生徒の作品だけでなく、縄文人の創造力に対しての賛美の言葉に感動した。
自分も実際に作ってみて分かり合える苦労や発想の面白さに対して、本当に温かい言葉がたくさん生徒たちから寄せられた。

今度は自分たちの学校区が、まさに縄文時代の遺跡が発掘された場所なのである。

弥生土器の『弥生』とは、1884(明治17)年、東京市本郷向ヶ岡弥生町(現東京都文京区)の貝塚で発掘されたことから、その地名にちなんで名づけられたことを告げ、もしもこの地から新しい土器が発掘されたら、この土地の地名の土器や時代名が生まれるかも?と言ったら皆目がキラキラしていた。

もしかしたら、彼方此方で穴掘りし出したりして???

そんなこんなで、土器についていろいろ調べたり、自分でも作ったり、博物館に本物やレプリカを見に行ったりしているうちに、すっかり縄文土器のとりこになってしまった。

来週は、なんと!市内の縄文土器友の会の方たちが作る縄文スープをご馳走になりに行くことになっている。

京都に行ってきました~!

2006-05-05 17:47:00 | 徒然なるままに
GW。なんだか久しぶりに家でゆっくり過ごしている。
5月の風と青空は、たまった洗濯物を見事に乾かしてくれ、遅まきながらの衣替えも順調にいっている。

4月30日~5月2日、修学旅行に行ってきた。
新緑の京都もなかなかよかった。
生徒の取材がてら、自分が高校の修学旅行で訪れた場所やお店にも立ち寄ってみた。
あれから20年以上もたっているが、そのままの町並みや店構えに感動した。
あの頃、古文の先生に薦められるまま食べ歩いたっけ・・・。
せっかく京都に行ったのに、歴史のことも、文学のこともよく分からず、ただただ、友達と一緒に歩いた思い出だけが印象に残っている。
そうそう、奈良に行ったとき、薬師寺のお坊さんのお話が面白かったことや、阿修羅像が美しくて見とれてしまったことも鮮やかに覚えている。

大学のとき、夏休みにバイトしたお金で九州まで一人旅したときにも京都に行っている。
あの時は、大原を訪れ、本物の大原女とお話をしたくて、バス停をひとつ手前で降りて歩いて三千院に行き、時間がなくなって、寂光院には寄れなかったっけ・・・。
いつか行こうと思っているうちに寂光院は燃えてしまい、残念でならない。
太秦に行って、映画村で『若衆侍』に変身!しっかり記念写真を取ってもらった。
広隆寺の弥勒菩薩の前では30分ぐらい金縛り状態だった。夕方の日差しの中で、本当に神秘的で美しかったのを覚えている。

結婚してから、幕末をテーマに京都を散策した。
坂本竜馬の墓前で、『辰年の男の子をお授けください』と祈願し、めでたく辰年の10月、長男出産。

京都は、季節ごとにそれぞれの美しさがあり、訪れる世代ごと、テーマごとに奥が深く、また新鮮な驚きや発見がある。

今回は、生徒たちの調べ学習の撮影係として、いろいろな体験コースの取材に同行した。
舞妓体験・香木体験・西陣織体験・町屋の暮らし体験・日本髪資料館etc.

めったにできない体験を取材できて、私自身も勉強になった。
舞妓体験では、若い男性もきれいに舞妓さんに変身していておどろいた!!
と言うことは、『おばさん』も変身できるんだろうか???(舞妓さんは15歳~20歳未満で、20歳以上は芸妓さんと言う)

30度を越す夏日の翌日は12度の肌寒さだったり、メーデーで渋滞の中を取材に駆けずり回ったりで、帰る前夜は荷造り用の段ボール箱につっぷしてしまうぐらい疲れたが、まあ、全員無事に元気に帰ってこられて、めでたしめでたしだった。