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交流

『目力』とメイク

2004-09-21 11:07:00 | 徒然なるままに
9月20日(月)

今日、プロのスタジオカメラマンとメイクさんとお話しする機会があった。

初心者からプロのモデルまでたくさんの人を撮り続けていると、「目力」とか、「オーラ」を感じる人に出会うときがあると言う。
初心者はたいていの場合登録用だから、素顔に近いナチュラルなメイクなので、撮られ慣れてていない人が多い中でそういう人は珍しい。
でも、原石のようなその人が、何度も撮られ続けることで「人に見られている」と言う意識や、「自分はこう見られたい」気持ちが、自分をどんどん変えて、自分から光りだしていく。顔の筋肉まで変わってくるそうだ。

メイクも、自分の自信のなさやコンプレックスをカバーしているつもりのメイクでも、やりすぎると厚化粧になってしまい、「化粧やけ」という怖い症状が出てしまうそうだ。
化粧のりがいいと気分もよく、厚塗りしなくても顔がぱっと輝いて見える。
そのためには、十分な睡眠、バランスのよい食事などと言う健康管理が大事だそうだ。
『目力』のある表情や自然な笑顔は、意思の強さや自信、気持ちの切り替えが必要なのであって、化粧でカバーしたり強調しても、肝心の本人の気持ちが沈んでいれば、いい写真にはならない。
メイクはあくまで、その人らしさを引き出したり、商品や舞台、役のイメージ似合った顔を作るお手伝い。
メイクに頼らず、自分の心や体の状態を管理できるようなる事が大事ということだった。

人の顔をキャンバスにメイクでアートする。
コンプレックスをカバーして自信をもたせるメイク。
自分らしさを主張するメイク。
全く別人になれるメイク。
メイクアップアーティストってなかなか面白い分野の仕事だと思った。

ソーラン、ソーラン!

2004-09-16 23:33:00 | 徒然なるままに
きょう、息子の同級生がソーランのCDを貸してほしいと電話をくれた。
高校の体育祭でソーランを踊ると言うのだ。

息子達が小6の春の運動会のとき、初めてソーランを見た。
ちょうど春休みにやっていた『金八先生』の最終回で見たソーランのかっこよさに、先生達も子ども達ものった。
新学期が始まる頃には、先生達が春休み中にアレンジした『C’zソーラン』が出来上がった。
新学期早々から忙しい行事の中、子ども達はへとへとになりながらソーランの練習をがんばり、本番は本当に感動した。
衣装は、お父さんのYシャツをリフォームし、背中に自分達で思い思いの絵や文字を水性ペンキで描いた長半纏。
それが校庭いっぱいに翻ると、カラフルな大漁旗にも見えた。
6年生はみんな力いっぱい踊った。
開校以来初めて運動会の演目で『アンコール』の声がかかった。

それが私達のソーランの原点になった。
あの踊りを覚えたいと言う下級生たちや保護者達が夏休みに先生方にソーラン講座をお願いした。
6年生有志は、市外の団体からも声がかかって、いろいろなところでソーランを踊った。
伊藤多喜雄コンサートの会場でも踊った。
2002年の冬には、文化使節団の一員としてイギリスに招かれて、4名がホームステイをしながら1週間、朝から晩までソーランを踊ってきた。

その後、受験や部活で忙しくなり、ソーランを踊る機会も少なくなってはいったが、彼らにとって、ソーランには格別の思いがあるのだろう。

今でも、地域の祭りなどで、『元祖』として何人か踊りに来てくれるのだが、学校が違っても、練習時間がなくても、迫力ある踊りをびしっと決めてくれる。
それを見る下級生達の踊りにも気合が入る。

そんな息子達のかつての同級生達が、それぞれの高校の学校行事でまたソーランを踊ると言う。
彼らのソーランを受け継いだ者として、こんなにうれしいことはない。

いつか、成長した『元祖』達と一緒に、大勢で『南中ソーラン』を踊れたらいいなあ!

CDを渡しながら、
「体育祭がんばってね!」
と声をかけたら、
「はい!」
とに答えてくれた笑顔がとってもさわやかだった。
がんばれ、『元祖』達!


宿題

2004-09-15 15:29:00 | 徒然なるままに
9月15日(水)

また、小さな命が犠牲になった。
事件の真相はまだわからない。
でも、尊い幼い命はもう帰らない。
この命を守りきれなかったことが本当に悔やまれる。

事件には、そこに至るまでの経緯があり、原因があり、動機があり、状況がある。
そして、事件後の影響と言うのは、計り知れない後悔と悲しみと憎悪と無力感、喪失感そして絶望と言った苦しみの傷跡が残る。

亡くなった命も痛ましいが、残された子供たちの心の傷とこれからの生活を思うと胸が詰まる思いだ。

お互い、2児の父親と言う立場であり、大人として、幼い命が犠牲にならないですむ解決方法はなかったのだろうか・・・。

1日も早くまだ見つからないお兄ちゃんの発見を祈りながら、容疑者の子ども達の保護と心のケアについて慎重に、真剣に考えてほしいと願ってやまない。それはまた、周辺の子ども達についても同様だと思う。

夏のスクーリングの授業で、『歴史の中の子どもたち』と言う講義を受けた。
いつの時代も、どこの国でも、大人社会のひずみのしわ寄せの犠牲は子ども達である。
子どもの人権について見直され叫ばれるようになったのは、ごく最近になってからである。
昔は、『子宝』と言う言葉や『授かり物』と言う言葉で、子どもは家庭だけでなく、地域ぐるみで育まれ、守られていた。
それは単純に、『労働力』や『戦力』、『跡継ぎ』としてだけではなかったはずだ。

大人になりきれない『子ども大人』が起こす数々の事件。これは、学校や家庭だけでなく、地域の教育力の低下を反映していると思う。
今の子ども達も、後何十年かすれば立派な大人だ。
「高齢化社会」とは、発想を変えれば、人生の先輩たちがたくさんいる。と言うことだ。
たとえ、核家族であっても、小さい頃から地域での3世代交流を体験していれば、お互い声を掛け合い、気遣える環境ができていく。災害時などはそういう環境こそが1番の防災であり、地域の復興・再興の原動力となるはずだ。

幼い命の犠牲に歯止めをかけるために、今、自分にできることは何だろう。
これは人類全体に対して課せられた大きな宿題だと思う。


夢と現実と「創る」こと

2004-09-14 19:54:00 | 徒然なるままに
9月14日(火)

午前中は、教育センターのカウンセリング。
スクーリングでパワーをもらったおかげが、カウンセラーの先生に
「表情も明るく、声も出るようになりましたね。 なんだかすっきりした感じ」
と言われた。
夏休み前の本当に憔悴しきって声も出ない状態だった時にお会いして以来だったのだが、そんなに感じが変わったのだろうか・・・?
『かわいい子には旅をさせろ』
そのことについて、いろいろと貴重なアドバイスと資料を頂いてきた。
焦らず、ゆったりと見守っていこう。子どもはきっと自分の力で進むべき道を歩み出すはずだから。

帰宅後、長女に頂いてきた資料を見ながら話をした。
自分から未来の扉をノックした娘は、その向こうに広がる世界に続く道と階段の前で戸惑っている感じだ。
 ただ、漠然としていた目標が何となく現実味を帯びてきたからだろうか、いつになく素直に私の話を聞いていたように思う。
 後は本当に本人次第。自由には責任が伴うということを理解した彼女が、夢に向かってどう気持ちや行動を変えていくのか、長い目で見守っていこう。

午後は、市の教育研究会に参加。
1学期の授業の事例研究発表会だったが、即明日の授業に使えるようなアイディア満載の発表だった。
どこの学校だって、学校行事は忙しく、授業時数の少ない中で、その学年のうちに身につけさせてあげたい手法や技能を、いかに楽しく授業に取り入れ、子どもたちに取り組ませたらいいのか・・・。
同じような条件の中、一人で悩まず、小・中学校の造形の先生方がみんなで集まって教材研究をするのは本当に意義のあることだと思う。

最後に、「創作活動を担当する以上は、自分たちも創造者であれ!」のスローガンの下、教員美術展を開こうということで、来年年明けに向けて作品を制作することになった。
スケジュール的には忙しそうだけど、何とか参加できるようにこれから構想を練ろうと思う。

夜空ノムコウ

2004-09-13 23:46:00 | 徒然なるままに
9月13日(土)

今日、学校でコンピューター講座を受講した。
とにかくびっくり!感動!便利な世の中になったものだ。
何がどんな風に便利かというのを、今の段階では上手く説明できないが、コンピューターを駆使しての授業をいずれ自分でも展開しなくてはならないので、これは気合いを入れてマスターせねば!
きっと、先生よりも、子どもたちの方が飲み込みも早く、使いこなせるようになるのも早いだろう。
必要に迫られてではあるが、貴重な講座を受講でき、今日は大変ラッキーだった。
後は、車の運転と一緒で、何度も使って、早くなれることだね。覚えたつもりでも、使わなければすぐに忘れてしまうもんね。

それにしても、ITの世界はまさに日進月歩!
30年前の『小学○年生』に載っていた『未来』に、今自分は生きているんだな~って感じだった。
今の子どもたちの30年後の世界って、どんな風になっているのかなあ・・・。
その頃の私は何をしているんだろう???
けっこう、ハイテクばあちゃんだったりして?☆○◎◇□△▽∞♀!






竹の子族とソーランと・・・

2004-09-12 14:45:00 | 徒然なるままに
9月11日(土)

今日、所用で原宿に行った。
駅から竹下通りを歩きながら、初めて原宿を訪れたときのことを思い出していた。

『竹の子族』全盛の頃で、その名は遠く故郷・宮城県まで鳴り響いていた。
代ゼミの夏期講習の帰りに、友達とドキドキしながら見に来たのを覚えている。

私が今踊っている「ソーラン」も、ストリート・パフォーマンス的なところがある。
私にとっての「ソーラン」の潜在的な原点は、ここにあるのかも知れないと思った。

いつか、この明治通りで「ソーラン」を踊ってみたい。



なるようにしかならない。

2004-09-12 14:42:00 | 徒然なるままに
9月9日(木)

9~15歳。我が家の3人の子どもたちは、思春期・反抗期真っ只中。
この3年間、毎日が「金八先生」と「中学生日記」と「キッズ・ウォー」が同時放送しているような毎日を送っている。

自分の時はどうだっただろう・・・。
その時、両親はどう対応してくれていたんだっけ・・・。
自分が親となり、教師という立場になって、初めて見えてくるものがたくさんある。
と同時に、子どもたちから教えられることの多いこと・・・!

それにつけても、自分の未熟さに情けなくなってくる。
毎日毎日、解答のない難しい問題集を解いているような感じ。
毎日毎日「試されている」様な感じがする・・・。

逃げ出したい、投げ出したい。あきらめてしまうか・・・。
でも、出来ない。
見たくない、考えたくない、忘れてしまいたい。
でも、出来ない。

苦しいけど、向き合わなくちゃ。
子どもたちと、そして自分自身に。
これはきっと「必要」があって起きていること。
逃げてもやり過ごしても、きっとまた違う形で立ちはだかってくる「壁」なのだ。
その「壁」を乗り越え、「壁」を突破できた時、
その向こうに何があるのか・・・。
どんな未来が待っているのか・・・。

以前、妹に、
「10年後のお姉ちゃんが、今の自分の前に現れたとしたら、どんなことを言ってくれると思う?」
と言われたことがある。

今、投げ出したり、逃げ出したり、あきらめてしまったら、10年後の私はどうなっているだろう・・・。

逆に、10年前の私、20年前の私、30年前の私と話すことが出来たら、どんな会話をするのだろうか・・・。

30年前の私・・・。
あの頃の私と子どもたちが出会ったら、お互いに何を話すだろう・・・。

みんな通ってきた道。
みんな通る道。

焦っても、騒いでも、なるようにしかならない。
「今」は、いつもその「途中」のことなんだ。
「今」だけが良くてもダメ。
「過去」があって「今」がある。
「今」の積み重ねが「未来」を作る。

「なりたい」未来のために、「今」をあきらめない。
後は本人次第。

「不安」と「不満」と「夢」と「現実」の間で揺れ動いているのは、10代も40代も同じ。
年をとればとるほど、そこに「後悔」と「思い出」という「経験」が加わるけど・・・。

「かわいい子には旅をさせろ」
わかってはいるのだけれど・・・。
結局、子離れできていないのは、私のほうかも知れない・・・。


玉川学園通信教育学部ソーラン体験講座?

2004-09-12 14:02:00 | 徒然なるままに
9月10日(金)

夜、玉川大学・通信教育学部千葉支部の仲間と打ち合わせ。
11月の支部会活動で、「ソーラン講座」を取り上げたいとのことだった。
その日はちょうど練習日なので、うちのソーラン隊と一緒にやろう!ということになった。
でも、せっかくの支部会活動が2時間で終わったしまうのはもったいないので、時間を前後に取れないか検討することとなった。

ソーランのスタッフ何人かに聞いてみたところ、快諾を得たので、ぜひ、ベストな状況での実現に向けて準備を進めよう。

みんなも若い「先生の卵」たちが自分たちの踊りを見に来るだけでなく、一緒に練習に参加してくれるというだけでもいい刺激になるだろう。
今からワクワクするね!

復活!

2004-09-12 11:16:00 | 徒然なるままに
どういうわけか、この1ヶ月あまりさっぱり繋がらなかったインターネットが、本日やっと復活!
これから更新とレスをがんばちゃうぞ~!
皆さん、ご無沙汰しちゃっててごめんなさい。

この夏は、体力的にはきつかったけど、充実したスクーリングをやり遂げ、張り切って新学期を迎えました。

ソーラン隊もますますパワーアップ!
夏に引き続きイベント続きです。

プライベート面は相変わらずの波乱万丈でドラマチックな毎日ですが、「なるようになる」しかないので、慌てず騒がず心穏やかに笑顔で過ごすことを心がけようと思っています。
秋の合唱コンクールに向かって、せっかく6キロも減った(スクーリングダイエット?)プロポーションを保持しつつ、早く「米良美一」調の声を取り戻さなくては・・・!