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『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を見て悔しかったこと

2009-11-30 00:40:00 | 徒然なるままに
10月27日(金)

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を見てきた。http://www.sonypictures.jp/movies/michaeljacksonthisisit/
ちょうど息子も早く帰ってきたので、中間テストが終わった末娘と3人で行った。

見終わっての感想は、『悔しい』の一言だった。あらゆる意味で、本当に悔しい映画だった。
まず、一番悔しいのは、この類まれなるアーティスト、キング・オブ・ロック マイケル・ジャクソンと言う逸材を、私たち人類は永遠に失ってしまったのだと言うことだ。
もう、彼の新しい歌を聴き、ダンスを見ることは出来ないのだ。

次に悔しかったのは、あんなに皆が必死に真剣にすべてを懸けて取り組んできたステージが実現できなかったことだ。
マイケルだけではない。出演者、スタッフ関係者達があの夢のステージの実現が不可能になったことを知った時の絶望・喪失感はどれほどのものだったのか・・・。また、会場予定地だったロンドン市民達やチケット購入者達の落胆はどれほどのものだったろう。
何より。
全世界が彼の『最後のカーテンコール』を楽しみにしていたのだ。
きっと、今はまだ幼い、そしてこれから生まれてくる未来のマイケル・ジャクソンファン達にとっても、このステージが実現できなかったことは本当に残念でならないことだろう。

その次に悔しかったのは、もし、マイケルが生きていたら、絶対にこんな映像は公開を許さなかっただろうということだ。
1つの音に対して、一筋の照明に対しても、完璧を求めた彼が、こんな未完成の、裏側の映像を晒すなんて、絶対にありえないことだろう。
人前に発表するものは、完膚なきまでに完璧なものでしかありえなかったはずだ。
それほどまでにハイクオリティで音楽史上に燦然と輝くステージを彼は作り上げようとしていたのだ。
それなのに。
衣装だって、その歌のために一流の人たちの知恵と技術を結晶させたものを着て、バッチリ決めたものを見せたかっただろうに・・・。映画では、リハーサル風景の記録だから、踊りはすごくても、練習だからみんなバラバラなスエットやジャージ姿で、緊張感や統一感に欠ける映像なのだ。
音だって完璧ではない。
ジャクソンファミリー時代の歌は聞くに堪えない。
あんなちゃんと歌えていない練習風景を流されるなんて、彼のプライドが許さないはずだ。私が彼なら耐えられない。
でも。
エンドロールの最後に、
『この映画をマイケルの3人の子ども達に捧ぐ』
と言うメッセージを読んだ時、このドキュメンタリーの元になった映像を撮影してくれた人に、編集してくれた人たちに、全世界同時上映を企画してくれた人々に、心から感謝の気持ちが湧いてきた。
どんなステージにマイケルがしたかったのか、彼の「ヒール・ザ・ワールド」にこめたメッセージを私たちに伝えてくれたことをしっかり受け止めることが出来た。

最後にもうひとつの悔しかったこと。
今日ほど、自分の英語力の無さを情けなく思ったことは無い。
字幕もあったし、知っている曲の大体の意味は分かっていたが、やはり、それは『生のマイケルの声』では無く、誰かが訳してくれたものを読んで理解したことでしかない。
彼が伝えたかったこと、こだわるフレーズの10分の1も私は自分では聞き取ることが出来なかった。
彼のメッセージや歌っている歌詞の内容が、ダイレクトに理解できたら、もっともっと感動できたに違いない。
エンドロールのBGMに流れている曲を聴きながら、悔しくて情けなくて涙が出た。
一緒に行った息子に、
「あんたはマイケルの言っていることや、歌の意味は分かったの?」
と聞くと、
「まず、最初に字幕を読んでから聞いていると、訳が違っていたり、ニュアンスが違っていたりと言うのは分かった。
マイケルはそんなにスラスラ言っていなくて、『溜め』とか、言葉や声の強弱があったり、ジョークを言ったりしているのに、そういう細かいニュアンスが字幕を追っているだけだと伝わらないと思う」
さすが・・・TOEICを受けるだけのことはある・・・*(いっぷく)*
う~~~ん、悔しい*(汗)*悔しい*(涙)*悔しい*(びっくり1)*
この映画がDVDになったら買って、何とか字幕を見ないでも何言ってるか分かるくらい英語勉強しなおすぞ!
と心に誓った。
今、3年生の1,2年生の英語の補習授業を担当しているのだが、頑張って私もTOEICを受けられるように、勉強しなくっちゃ!
そんでもって、カラオケでマイケルの歌を原語で歌うんだ*(音符)*

どの歌も素晴しい演出で、知っている歌が流れてくると、自然に体がリズムを取っていた。
『We Are The World』や『BILLIE JEAN』が流れてきた時には、涙が流れた。

マイケルが映画の最後に言った言葉。
『今、地球を救わなくては手遅れになる。誰が?僕達一人ひとりが。今、自分に出来ることからはじめよう』
彼のこのメッセージがこめられている『Heal the World』を改めて紹介する。
作詞・作曲はマイケル・ジャクソン。『We Are The World』と同様に。
歌詞は人生や世界の問題をテーマにしている。2001年のアメリカ同時多発テロ事件直後にも流され、マイケルの訃報ニュースではマスコミは、こぞってこの曲を流した。
LOVE & PEACEを訴えるメッセージソングがジョン・レノンの『イマジン』なら、『Heal the World』は、世界の貧困層と地球の環境破壊に目を向けた癒し系のバラードだ。

【画像と音楽】http://www.youtube.com/watch?v=sZftrElZxuY

【日本語訳歌詞 大意】

Heal the World - ヒール・ザ・ワールド - 世界を癒そう

君の心の中にある 一つの場所
僕は知っているよ それが愛なんだ
そして君のその場所が  明日を待たずとも 
明日はもっと 明るく輝けるんだ
泣く必要なんてないよ
君の心の中にある その愛でね 
傷つくことも 悲しむこともない
必ず たどり着けるんだ
君が生きて行こうと願うなら 
少しだけその気持ちが あればいい
今よりもっと 世界を癒せばいい
素晴らしい世界にしよう
君のために 僕のために そして世界みんなのために
死んでいく人たちもいる
もし君が生きていこうとするのなら
もっと素晴らしい世界にしよう
君のために 僕のために

僕らは どこまでも 飛んでいける
魂は決して なくなったりしない・・
僕は感じているんだ・・
君たちは皆 兄弟だ
怖がらず この世界を 作り上げよう

武器を捨てて 僕らはたどりつけることができる
素晴らしい世界にしよう 
僕のため 君のため そして世界みんなのために
死んでゆく人もいる
もし 君が生きて行こうと 願うなら
君のために 僕のために よりよい世界にしよう
世界を癒そう もっと 幸せな世界にしよう


マイケル、生まれてきてくれてありがとう。
素敵な歌と踊りとメッセージをありがとう。
来年は私もあなたと同い年になります。
あなたのメッセージをしっかり受け止め、あなたの分まで生きて、この地球を癒し、子ども達のためにより良い場所を作り、それを未来の子ども達に残すために、私に出来ることから始めます。
そして出来ることをたくさん増やし、仲間に呼びかけていくことを誓います。
どうぞ、見守っていてくださいね。

どうぞ安らかにお眠りください・・・。
そして、いつか、新しい健康な身体を得て、この世界に再び戻ってきてくださいね。
あなたとまた同時代を生き、あなたの歌声を今度は字幕無しで楽しめる日が訪れることを夢見ています。


*(結晶)*ホワイトスクールと『さなぎ』の時代

2009-11-29 07:13:00 | 徒然なるままに
10月26日(木)

今日は、末娘のスキー合宿の保護者説明会&学級懇談会に参加してきた。

千葉市の中学校では、中学2年生の時に、グリーンスクール*(山)*(5~6月)、ブラウンスクール*(紅葉)*(10~11月)、ホワイトスクール*(雪)*(1~2月)と言う3つの季節のうちひとつが順番に回ってきて、群馬県にある『千葉村』と言う少年自然の家*(家)*で、自然体験教室を行うことになっている。
長男の時は、ブラウンスクール*(紅葉)*だった。
長女の時は、グリーンスクール*(山)*だった。
そして今回、末娘はホワイトスクール*(雪)*だ。

去年の画像などを見ながら、現地の様子や、生徒達の様子を見ながら説明を受けたのだが、その楽しそうなこと!
初めてスキー靴をはいた生徒たちが、現地の指導員の方々のご指導のおかげで、見る見る上達し、翌日には斜面にシュプールを描きながら滑り降りてくる映像には、思わずお母さん方から拍手が起こった。

その後、レンタルのスキーウェアーの見本を見せてもらったりしながら、持ち物などの質疑応答などがあった。

最後にお願いとして。
「このご時勢ですので、万が一、現地でインフルエンザが発症した場合、その生徒は保護者に迎えに来ていただくことになりますので、よろしくお願いいたします。電車でこられた場合は、駅まで職員が送っていきます」
と言うことだった。
スキーが出来る雪国に迎えに行く、と言うことは、スタットレスタイヤをつけ、雪道の運転に慣れていなくては大変なことになる。
万が一のときは電車で迎えに行かねばならない・・・。

幸い?に、我が末娘は、新型インフルエンザに罹患し、完治しているので、免疫は付いてはいるはずだが、他のインフルエンザに罹らないとは断言できない。
まして、今回のホワイトスクールでは、本人の希望と学年のほぼ全員一致で、実行委員長に選ばれているのだ。
これから冬本番に向けて、健康管理こそ、本人とその保護者の重要責務である。


説明会後、学級懇談会があった。
夏休み前と違って、各家庭での悩みは、『反抗期』と『勉強』だった。
中学2年生の時期は、初めてのお子さんの場合は特に、思春期・反抗期に入ると親はもちろん、子ども本人もいろんなことで、思い悩みぶつかり合う。

私も長男の時は、本人も、学年・学級自体も荒れていて大変だった。
長女の時は、グリーンスクール後に不登校になってしまい、親子で苦しんだ。
当時、子どもネットで知り合った先輩に、
「この時期は、子どもはみんな宇宙人。言葉なんか通じないの。どっかっちがう宇宙の彼方に飛んで行っちゃってるの。でもね、そのうち、ブーメランのように戻ってくるのよ。大きく成長して。だから、待つの。今は、母親としても自分が試されている修行の時なのよ。」
また、ある先輩には
「この時期にちゃんと親に反抗しておかないと、大人になってから大変よ~。
『私の子は反抗期なんて無くて、よく親の言うことを聞いて素直な子に育ったわ~』
なんていう人が、30歳、40歳になってから反抗期みたいになると、親は60歳前後で体力的にも立場的にも負けているから大変だよ。親の言うことなんて聞きやしない。挫折を知らないで大人になって壁にぶつかると、立ち直り方が分からないから、すぐ自殺に走ろうとしたりね。
だから、今のうち、親子でぶつかり合っておくのも大切なんだよ。」
「そうそう、学校で頑張っているから家でだらしなかったり、親に反抗的なんだよ。家で押さえつけられていたり、いい子を演じている子は、学校で自分より弱い子に当たったり、いじめてたりするよ。そうやってバランス取ってるんだよ。大人だってそういう人いるじゃない。
親が病弱だったり、ネグレクトだったりしたら、子どもは親に甘えられないし、反抗することも出来ない。親は子どもの鞘になってあげられるくらいどっしり構えて、『だめなものはだめ!』と言ってやらなくちゃ。」
と言われた。確かに。中学教師なんてやっていると、まさにどの学校の生徒にも、どの家庭にも言えることである。

長女が不登校になったときには
「今は『さなぎ』の時。今までとは違う外見や、自分の殻に閉じこもっている様子を表層だけで判断してはいけない。さなぎの中では外からは分からない劇的な変化が起こっている。
殻を自分で破って出てくる『時』は一人ひとり違う。
「さなぎ」を経て成虫する「完全変体」の蝶や蚕などは、なかなか出てこないからといって、さなぎを外から無理に割って取り出そうとすると中の幼虫は死んでしまう。
時期が来たら、自分でピッと背中を割ったり、繭を溶かして出て来る。
稀に、繭から顔までは出したけれど、全身出て来る前に力尽きて死んでしまう者もあるが・・・。
蝉だって、殻から出て来た時は真っ白で弱弱しいけれど、葉っぱにつかまってじっとして『世間の冷たい風』にさらされると、その虫自体の特有の色や模様がが出てくる。この『外の冷たい風にさらされる』の言うのが大事。
やがて、『その時』が来れば、自分から飛び立って行けるんだ。
中学時代は『さなぎ』の時代。自分で、どんな風に成長できるか分からないで『殻の中』でもがいている時。自分から殻を破って出てくるまで、親は忍耐強く見守るしかない」
とも言われた。

あれから7年経った息子は、国際法を学ぶ法学部で勉強し、「日本の経済を元気にする!」と言う志の元、就活に忙しい日々を送っている。
長女は高校卒業後、自分の夢を叶えて、日本中を飛び回り、昼夜も無い仕事をしながら、昨日も仕事先から
「今回北海道で仕事してるんだけど、ママ、お土産何がいい?」
と聞いてきた。たしか、先週は沖縄で、私のリクエストの『ミンサー織』の眼鏡ケースを買ってきてくれたばかりなのに・・・。

さあ、今バリバリの思春期・反抗期の末娘の5年後は一体どんな風になっているのだろう・・・。楽しみ・楽しみ*(音符)*
これって、子育て3人目の余裕かなあ・・・。
今や、末娘の背伸びにも、生意気な口にも
『ふ~ん、この子はこういうふうに反抗するだね』
なんて、冷静に観察しているところがある。
まあ、末娘のほうも、上2人に泣かされ悩まされて来た私を見ているだけに、そんなに外れたことをして私を苦しめるようなことはしないだろうが・・・。


明日は中間テスト。
終わったら、一緒にマイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を見に行くことになっている。
頑張れ*(びっくり1)*ピッピ*(びっくり2)*

『ミュンヘンへの道』~金メダリスト西本哲夫さんの講演・講習会に参加して~

2009-11-28 08:41:00 | 徒然なるままに
10月25日(水)

今日、我が校にトップアスリート講演会(講習会)として、ミュンヘンオリンピック金メダリスト*(日本)**(キラキラ)*の西本 哲雄さんにご来校頂き、貴重な講演とバレーボールの講習をして頂いた。

小学生6年生の時のミュンヘンオリンピックは今でも忘れられない。
特に、金メダルを取った男子バレーボールは、当時、『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』と言うTVアニメで紹介され、毎週皆で夢中になって見ていた。
『ミュンヘンへの道』とは、バレーボール日本代表が、ミュンヘンオリンピック(同1972年)へ向けて取り組む様をチーム全体、あるいは選手個々のエピソードを交えて取り上げられたもので、エピソード部分はアニメーション、また練習の模様などは実写映像を使って放送された。
毎回、猫田勝敏、南将之、森田淳悟、横田忠義、大古誠司ら、チーム全員12人を主役としてストーリーを編み、当時の日本バレーボール界をリードした選手がもちろん実名で登場している。
主題歌&画像*(音符)*http://www.youtube.com/watch?v=9tQgGwDSZlM&feature=related
1972年ミュンヘンオリンピック 全日本男子バレーボール金メダル獲得画像
http://www.youtube.com/watch?v=yl_r9tTvLmg&NR=1

講演を聴きながら、当時の金メダル獲得の興奮や、アニメを見て「こんなに大変な練習をして頑張っているんだ」と感動し、応援していたことを思い出した。

西本さんは、その全日本メンバーに最年少で参加され、活躍された方だ。(中学時代はサッカー選手だったそうだ)
準決勝のブルガリア戦での奇跡の大逆転に一役買い、金メダル獲得に繋げた件には胸が熱くなった。
「バレーボールは思いやりと勇気のスポーツだ。どんな球でも拾いに行って味方に繋げる。味方が打ちやすい位置にトスする。球を受ける時も、打つ時も声を掛け合うのも大切だ。そして何より大切なのは、最後まで諦めない。諦めたらそこで終わってしまうんだ。自分を信じて、仲間を信じて、最後まで諦めなかったから、金メダルが獲れたんだ」
生徒達はみんな真剣に聞いていた。

また、中学生向けにいろいろなアドバイスをしてくださった中に、ご自身の失敗談もお話してくださり、生徒達はより親近感を持ったことだろう。
『挨拶』の大切さ
『すばやい行動』
『人の話をよく聞くこと』
この3つは特に強調されていた。
3つ目の『人の話をよく聞くこと』では、
「『一流の人間』はよく人の話を聞いている。イチローもそうだ。
逆に、どんなに素質や技術があっても、人の話を聞けないやつは『一流の人間』にはなれない。ただ『普通の人より上手な人』で終わってしまうだろう。
私が初めて全日本のメンバーに選ばれた合宿の初日、監督が説明をしている時に、他のメンバーが注意を受けていた。
私は自分が注意を受けているわけではないので、聞き流していたら、監督に
『西本、今の言葉を復唱してみろ』
と言われた。
私は、言葉に詰まってしまい、答えられないでいると、
『お前はもういい。荷物をまとめて今すぐ帰れ』
言われてしまった。
ここですごすごと帰ってしまったら、私の全日本メンバーとしてオリンピックに出場することも、バレーボールを続けることも出来なくなると思い、土下座して謝り、
『もう一度教えてください!』
とお願いをした。

その時に、他人が注意されていることもよく見て聞いて、それを自分のこととして理解し、そこから学び、同じ失敗を繰り返すことのないように努力すること。
人の話を聞くときは、たとえ遠くからでも、その人の目を見てしっかり聞くようにすること。
それが大切なんだと肝に銘じた。」

このお話は、講習会の最後のほうで話されたことなのだが、その時のことを西本さんが
『身体に突き刺さるほど、生徒達の視線を感じた』
とおっしゃっていたそうだ。

バレーボールの講習会はとても分かりやすく、やっているうちに、「私もママさんバレーでも始めようかなぁ」と思うようにバレーボールが楽しかった。
そのうち、西本さんのスパイクを実際にレシーブするチャンスがめぐってきた。
我が校には男子バレー部が無いので、まず、女子バレー部の生徒達が挑戦した。
さすが!と言うようなレシーブを見せた後、2順目は西本さんの少し本気なスパイクが炸裂した。
それにビビッタのか、男子たちは尻込みしてしまった。
私が運動部の主将の男子生徒達に
「金メダリストのスパイクを受けられるなんて、こんなチャンスめったに無いよ!記念に挑戦しておいで!」
と言っても、
「無理!無理!だったら先生受けてきなよ」
と逃げ腰状態*(いっぷく)*
3年生たちにも
「金メダリストのスパイクを受けられたら、高校だって受かるかもしれないよ!パワーをもらいに行っておいで!」
と言っても
「け、けっこうです*(汗)*」
とサーッと引いていく始末。*(困る)*
頭にきた私は
「よし!私が行ってくる!そしたらあんた達も行くんだよ!」
「「「え゛~~~!!!」」」
と生徒達が叫ぶ中、女子教師でただ一人金メダリストのスパイクを受けに行き、見事?!レシーブをしてきたのだった*(グッド)*
「さあ、行ってきたぞ!あんた達も行っておいで!」
と戻ってきたら、みんなして逃げて行った。情けな~~~~~っ*(激怒)*

そのことを後で先生方と話した時、ある先生は
「今の子達は、人前で失敗したり、目立つことを嫌う傾向があるからねえ・・。
せっかくのチャンスだから。とか、未知のことに挑戦してみよう。とか思わないようにしているところがある。思えないのかな。
目立つことをしたり言ったりすると、『何アレ、一人で目立っちゃってさ』と思われそうとか。
周りの目を異常に気にしたり、逆に冷めているように見せることがカッコイイと思っている。
まあ、大人にも言えることではあるけれど・・・」
と言っていた。

実際、いざとなるとそんな勇気も度胸も無いものだが、私の場合、元来目立ちたがり屋なのか(自覚は無い)、怖さより好奇心のほうが勝るところがあり、更に、生徒に勧めておきながら、自分は出ないというのはおかしいと思っているので、まずは自分がやって見せようと思ってしまうのだ。(怖いもの知らずとも言う)
でも、あの場にもし自分の子どもたちがいたら、思いっきり嫌われてしまうかもしれない*(汗)*(息子はとうに母のこの性格を諦めているらしいが・・・)

講演会の最後に、西本さんが頑張った生徒に金メダルを触らせてあげたり握手をしている時、おかしなことに、2年生の男子が、私に向かって
「先生、握手してください!」
と言って来た。
「え?何で私?西本さんでしょ?」
と言ったのに
「いや、先生です!」
と言われ、なんだか分からず握手したら、皆で大ウケしていた。*(はてな)**(はてな)**(はてな)*

講演後、企画者の先生が私が『ミュンヘンへの道』のファンだと言うことでお膳立てをしてくださり、西本さんとお話が出来、一緒にツーショットの写真*(デジカメ)*も取ってもらっちゃった*(チョキ)*LUCKY~*(ドキュン)* 

かつての全日本メンバーも高齢化となり、中には亡くなった方や、お体に故障が出てきて、毎年の『納会』に出席できる方も減ってきたとお聞きした。
同じ日本人として、偉業を成し遂げた方々にはぜひ、いつまでもお元気で、後進の指導や、今回のように、次世代を担う若い少年少女たちに、夢を与え、励まし、バレーボールの楽しさを教え、広めて行っていただきたいと思った。

今回、こういうトップアスリートの方の貴重なお話を聞き、講習を受けれたことは、まさに『千載一遇』であり、私にとっても貴重な『一期一会』だった。

お兄ちゃんの家庭教師

2009-11-27 06:20:00 | 徒然なるままに
11月26日(木)

明日中間テストを控えた末娘が、珍しく早く帰ってきた兄(大学3年生)を捕まえて、
「お兄ちゃん、問題出して~」
と言ったら、
「俺、就活のレポート書きに早く帰ってきたんだけどなあ」
と言いながらも、なんだかんだで、息子は妹の試験勉強を見てくれた。

今日、私は、娘の学校の保護者会(後日記載)に出席するため、特休を頂き、早く帰宅して夕飯の用意をしていた。
カウンター式の台所で、二人のやり取りを聞いていたら、さすが現役大学生!
その時代の重要ポイントや、歴史の流れをよく把握した適切なアドバイスが出来ていた。
何より、教え方が上手い!
考えさせるところや、ちょっとしたエピソードなど、身近なたとえや、地図を使って、その国の過去と現在を行ったりきたりしたグローバルな視点、その出来事の背景やその後の影響など、聞いている私も、つい引き込まれていくような話術だった。
これは、やはり、歴史をちゃんと時系列と言う『縦糸』と、同時代の国々の情勢と言う『横糸』との関係を、ちゃんと『織物』として理解し、自分の知識として定着させているからなのだろう。
特に、第一次世界大戦~『世界連盟』のあたりについての話は、あのややこしいヨーロッパの国々の国際関係が、手に取るようにわかった。
私が横から
「『スエズ運河』や『世界恐慌』についても、よくわかっていないみたいなんだけど」
と口を挟むと。身近な例をたとえに使いながら、
「と言うわけで、この『スエズ運河』ができたことで、得した国はどこでしょう?」
とか、
「モー娘の『ラヴ・マシーン』の中に出てくる歌詞は?『インフレ』?『デフレ』?」
と言うようなヒントを出しながら、クイズ形式で世界の経済の流れや、その影響を考えさせ、答えを導いていた。

娘は、
「円高だから、海外旅行が安く行けるって、喜んでいる場合じゃないんだ。日本の輸出品が、安く買い叩かれて価値が下がっちゃうなんて、大変な状況なんだ。早くこの状況を何とかしなくちゃいけないんだね、お兄ちゃん」
と言い、ちょうどニュースステーションで、まさにその問題を報道していたのを真剣に見ていた。


以前、ピアノの発表会の練習のときに、どうしても弾けないタッチがあって苦しんでいた時にも、兄がアドバイスをして弾けるようになったことがあった。
その時にも、我が子ながら、教え方が上手いなあと思いながら、二人で並んで連弾している後姿を見て、子ども達にピアノを習わせておいてよかったなあ・・・と思った。
兄も、4歳からピアノを弾き、中学・高校時代は学校行事や合唱コンクールでは常にピアノ伴奏をしていた。

発表会のときには、心配だったのか聴き来てくれた。
娘は、緊張したのか、いつもは間違わないイントロ部分で突っかかってはしまったが、二人で練習したところはスムーズに弾けていた。


娘と同じ中学時代の息子は、本当に大変だった。
2度も家出し、私は学校に行った時や、担任からの電話には、最初に言う言葉が、
「息子がいつもご迷惑をかけてばかりで、本当に申し訳ありません!」
と、まるで、米搗きバッタのように謝っていた。
その息子がなぜか今や法学部の3年生。
なんとも穏やかな好青年に成長し、スーツ姿で就職活動をしているなんて、当時の私には想像も付かなかった。
妹に勉強を教えている様子を見ていて、彼は何故教職を取らなかったのだろうかと惜しまれたが、今の教育現場で彼の個性を伸ばすのは、ちょっと大変かもしれないと思った。
社会に出てみて、自分で必要だと思えば、卒業してからも教職の単位は取れるのだから。
私も、いろいろな社会経験をしたことで、同年齢の先生達よりもスタートは遅れても、それが今、いろいろな場面で役立ち、活かされていると思うので。


さぁ、明日の中間試験。ベストを尽くして頑張れ、ピッピ!

反省・・・

2009-11-26 06:48:00 | 徒然なるままに
11月24日(火)

今週の金曜日は末娘の中間テスト。
私が見る限りでは、2週間ぐらい前からけっこう勉強はしているようだ。

今日、帰宅するなり、娘はなんだか機嫌が悪く、落ち込んでいて、
「もうだめだ~」
オーラを発していた。
「テストって、そんなに嫌いじゃなかったけど、嫌になってきた」
夕ご飯を食べながらもため息付いて・・・。

食べ終わった後、
「ママ、問題出して」
と歴史の教科書と範囲表を渡された。
今回は、世界恐慌~第二次世界大戦までだった。
正直、私も、この時代は得意なほうじゃない。
とりあえず、教科書を開き、ラインマーカーが引かれている箇所について答えさせるように、教科書を読んでいった。
ところが。初っ端の『スエズ運河開通』のくだりで躓いてしまった。
いろいろとヒントを出し、ようやく
「スエズ運河」
と答えをひき出させたのだが
「それって、どこにあるのか知ってる?」
「知らない」
そこで、私は、インターネットで検索し、地図を見せた。
「地中海と紅海を結ぶ運河なんだよ。この運河が出来たおかげで、『列強』はアラブ諸国との交易が盛んになり、産業革命以降の工業はますます発展し、市場を開拓から植民地化を進めることになっていくわけだ。
だから、『スエズ運河』がいつどこに出来たのかというのは、すごく重要なんだよ。」
この説明の間にも、
『列強』はどの国々を指すのか、
『交易』はどういう国同士がどんなものを売り買いしたのか、
『産業革命』の具体的な内容
『市場』とは?
『植民地』とは?
と言う問答があった。

とりあえずは、見開き2ページ分が終わったところで、9時になった。
娘は
「もう良いよ。ありがとう」
と言って、おもむろにTVをつけ、ドラマを見だした。
さっきまで、「もうだめだ」「時間が無い」と言っていたのに・・・。
「あのさ、この場合、どうしても観たかったら録画して、テスト勉強したほうが良いんじゃないの。多分、今の時間て、塾通っている子は塾で勉強しているし、通っていなくても、ほとんどの子は勉強していると思うよ。明後日、予定があって前日の勉強が出来なくなるならなおのこと。優先順位間違ってない?」
TVを消されたことにむかついていた娘は、不貞寝を決め込んだ。
「眠いんだったら、今日は早めに寝て、早起きしてやりなさい」

娘はいきなり荷物をまとめ、バタン!と音を立ててドアを閉め、ドスドスと2階に上がっていった。

しばらく私も、
「何アレ!*(怒り)*」
と、娘の態度にむかついていたのだが・・・

反省した*(すっぱい)*
この期に及んで、出来ていないことを指摘するのではなく、何が分かっていて、何があやふやなのかのチェックだけでよかったのだ。
とりあえず、これとこれは分かっているようだから、本番ははずさないように。ここはあやふやなようだから、ちゃんと復習して置くように。ここは大事だからもう一度チェックして置くように。
と言うように、広い範囲の全体像から重要ポイントを絞り込み、補足説明をつけるくらいにすればよかったのだ。
なのに。
自分の知識をひけらかすように説明し、娘を聞き役にしてしまった。
もっと彼女に『作業』をさせるべきだった。
自信をなくして、分かっていることもあやふやになっている彼女にとっては、100点をとらせる知識の押し付けではなく、これだけ覚えていれば合格圏に入れるという自信を付けさせる『チェック』だったのだ。

途中でTVをつけたのは、彼女の無言の拒否だ。
私の教え方が面白くて、もっと先に進みたいと思ったら、娘は言われなくても
「ママ、ちょっと待って。見たいドラマ録画するから。続きはその後でもいい?」
と聞いてきたはずだ。
それを
「せっかく教えてやっているのに!」
と逆切れしたのは私のほうだった・・・。
娘は
「問題を出して」
と言ったのだ。
「世界恐慌について教えて」
とは言っていないのだ。
ヒントや補足説明だけでよかったのだ。

何故、私はあんなに向きになって説明をしてしまったのか・・・。
『スエズ運河』だ。
何故、彼女はその位置を知らなかったのだろう。
聞けば、
「さらっと読んで、『ここ、マーカーしておくように』と言われただけで、場所の説明なんか無かったよ」
と言われた。
そこだ。
私だったら、ただ教科書を読んでマーカーさせたところを暗記させるだけなんて、テストが終わったら記憶に残らないような教え方はしない。
当時の世界情勢をあらわした世界地図を黒板に掲示しながら、スエズ運河の位置などはもちろん、当時の国同士の力関係などを、図で示しながら説明しただろう・・・。
なんて生意気なことを思ってしまったのだ。

反省。
歴史意外にも何教科も勉強しなくてはならない娘の、今置かれている状況をもっと考えてあげるべきだった。
ごめんね。ピッピ。
テストまであと2日。頑張れピッピ!
テストが終わったら、二人でマイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を見に行こう*(音符)*



魔法の言葉*(キラキラ)*

2009-11-23 20:58:00 | 徒然なるままに
11月23日(月)*(日本)*勤労感謝の日

今日は、2ヶ月ぶりに白髪染めに行った。
昨夜、末娘から
「ママ、もう限界だよ」
と言われるぐらい、鏡を見るのも恐ろしいぐらいの生え際になっており、前髪も目が隠れ、無造作に掻き揚げると更に見たくないものを見てしまう、見せてしまうようになってしまっていた。

さて、今日こそは!と勇んで友人の経営する美容室に行ったら、可愛い七五三姿の女の子の前で、友人とその子のママが困り果てていた。
女の子はせっかくのお化粧が涙と鼻水で流れてしまうほど泣いていた。
着物を着慣れていないせいもあり、身体を締め付けられるのが嫌なのか、ぽろぽろ涙を流して脱ぎたがっていた。
ママは
[こんなことになると思っていないから、よそ行きのお洋服だって持って来てないし、写真の予約時間はもうすぐだし、どうしましょう*(汗)*」
友人は、
「そんなにきつく締めてないよ。これ以上緩めると着崩れてくるし・・・。お写真撮るまでがんばれない?」
女の子は涙を流しながら、きれいに飾りつけた頭を振るばかり。
いつからこの状態なのか分からないが、今にも諦めて全部ほどいて脱がすしかないか・・・というような状況で、大人二人はイライラの最高潮。

見かねた私は、いきなり割って入って、
「わぁ!可愛い*(ドキュン)*!!きれい*(キラキラ)*!!!おひめさまみた~~~い*(ハート6つ)*」
『ほめ殺し作戦』に出た。
「パパが見たら、あんまり可愛くて「お嫁さんになんかやらないぞ~*(汗)*」って、大泣き*(泣く)*しそう。おじいちゃんもおばあちゃんも近所中に自慢しちゃうよね~!」
だんだん涙が止まってきた。
「クラスの男の子たちが見たら、みんな胸キュン*(ハート目)*するくらいかわいいよぉ!今日七五三する日本中の7歳の女の子の中で、一番可愛いよ!きっと。」
ちょっとにっこりになってきた。
「ああ、やっぱり笑ったほうが可愛いよ!おばちゃん写真とってあげるよ。ぞうりはくの大丈夫だったら、お外で撮る?」
女の子はこっくり頷くと、ぞうりを履いてお外へ。
ママのカメラを借りたにわかカメラマンの私は、
「いいねえ!ちょっとおすまし*(デジカメ)*ピース*(チョキ)*してもいいよ*(デジカメ)*可愛い*(ドキュン)*今度はアップ目で*(デジカメ)*わぁ、パッチリお眼目もいいねえ!見てみて、こんなに可愛く撮れちゃった」
女の子は興味津々。もう、痛いのきついの脱ぎたいのなんかどっかに吹き飛んじゃったみたい。
「今日は皆でお祝いするの?」
「うん」
「お寿司*(トロ)*かな?」
「うん」
「いいなあ!今日はこんなにいっぱい頑張ったんだから、美味しいお寿司いっぱいご馳走してもらおうね~!」
「うん!」

ママも出てきて一緒に撮った時には最高の笑顔でした。
「今度はプロのカメラマンに、もっときれいに撮ってもらおうね!がんばれる?」
「うん」
「さすが!神様もこんな可愛い子頑張ってお参りしてくれたら、感激して何でもお願い聞いてくれちゃうかもよ~。お参りにも行けそうかな?」
「うん」
「そっか、さすがお姉ちゃんだね~!神社に行ったら、3歳の七五三が、大きくなったらおねえちゃんのようなお着物着たいなあって、みんな憧れちゃうね。ちょっときつくて苦しいけど、頑張ってね、お姉ちゃん!」
車の後部座席に乗った女の子は、椅子に寄りかかって帯をつぶさないように、背筋をしゃんとして、私に笑顔で手を振ってくれた。
私は走り去る車に向かって、エールを送った。

美容室に戻るなり、友人は放心状態。
「ほんとにありがとう。助かったわ。もう、どうなるかと思った・・・。アレで全部解いたら、私の今朝からの時間を返して~*(泣く)*だったわよ。あなた、さすが、先生やってるだけあるわ」
「私はちょっと魔法の言葉を使っただけだよ。女の子は「可愛い!」「きれい!」といわれると、もっと言われたくてがんばっちゃうじゃない。プラス「さすがお姉ちゃんだねェ!」といわれるとしゃんとするんだよねえ。」

友人は、私のカットと白髪染めを完了すると
「う~ん!めんこくなったよ~*(ハート6つ)*5歳以上若い、ううん、30代にしか見えないよ~*(キラキラ)*」
と褒めちぎってくれた*(チョキ)*
「年末、帰省する前にもう一回おいで。自分にご褒美をあげに。めんこくなって故郷に帰りなね。だから、『良いお年を』は言わないよ」

そうだねぇ、同級会では『思い切り変わってない人No1 』の座を死守しなくちゃいけないもんね*(チョキ)*。
老け込んでなんかいられないぞ~!
あと一ヶ月でこのポッコリお腹を引っ込ませなくっちゃ*(シャイ)*!

日本人の忘れ物 ドラマ『ハッピーバースデー』を見て

2009-11-23 08:13:00 | 徒然なるままに
11月22日(日)

昨夜、『日本人の忘れ物』と言う番組の中で、『ハッピーバースデー』を見た。
この物語は以前、近所の小学校のPTA主催の『親子で映画を見る会』と言う企画で、アニメーション版を見た。
その後、原作を借りて読んだ。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
ハッピーバースデー (単行本) 金の星社

photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
ハッピーバースデー 命かがやく瞬間(とき) (フォア文庫)

photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
アニメ版 ハッピーバースデー―命かがやく瞬間(とき)

原作者の青木 和雄 氏は小学校教師やカウンセラーの仕事をして、さまざまな親子の問題、いじめの問題に取り組まれてきたそうだ。それらの実話を基に構成した物語だと聴いている。
原作および、アニメ版は、母親からの虐待を受けて声が出なくなった11歳のあすかが、祖父母の愛情によって声を取り戻し、いじめ問題にも立ち向かい、障害児との心のふれあいなどから成長していく姿を描いている。

しかし、今回のドラマは、あすかの成長や、いじめ問題と言う面よりも、親子の絆や家族のあり方と言う面でのテーマに絞られていたように思う。
我が子を愛せない、子どもが生まれてきてくれたことすら幸せと思えない母親が、ネグレクト(育児放棄)を自覚し、自分の心の問題と向き合い、両親との確執の原因や夫婦のあり方、自分にとっての仕事についても葛藤する姿が描かれている。

娘を愛せない苦悩する母を木村佳乃が熱演、母親の虐待から声が出なくなった少女・あすか役に大橋のぞみちゃんが挑戦した。
実際に本当にビンタするシーンがあったり、母親のネグレクト発言には見ていて耳をふさぎ、目を背けたくなった。。
でも、その感情表現が冷たく激しいほど『この母親はどれだけ苦しんでいることだろう』と思い、胸が痛んだ。

誰だって、愛されたい。自分を認め、必要としてほしい。その気持ちが誰より分かっているはずなのに、我が子を愛せない、すべてを一番弱い立場の子どものせいにして当り散らし、放棄するしかない母親の心の闇と傷は深い。

一方で、分けも無く虐待を受け、自分の誕生すら忌まわしく思われて誕生日を祝ってももらえない11歳の娘は、声を失い、自分が生まれてきたことを後悔し、絶望する。
その傷ついた妹を救おうと兄は両親に働きかけるが、自分のことでいっぱいいっぱいの親達は、子ども達のSOSにも、家族の問題にも目を向けようとも耳を傾けようともしない。
それぞれが、一つ屋根の下に暮らしながら、全員が孤独なのだ。

自分の娘が我が子を愛せない原因を知った親達もまた苦悩する。
娘が一人傷つき、抱え、苦しんできた問題に思い当たった時、やはり、そこから救い出せるのは親でしかなかった。

「許す勇気も許される勇気も、怖くて・・・」
と言う台詞があったが、その言葉が胸に突き刺さった。
その冷え切った心を溶かし、開放してくれたのは、手のぬくもりと、一通の手紙だった。

長女が6年生のときに、私にこう言ったことがあった。
「ママ、心が石のようになった人の心をやわらかくするのには、お手紙を書くといいんだよ。それも、パソコンや携帯のメールじゃなく、手書きのお手紙。手書きだと書いた人の気持ちの動きが分かるの。
書き直した文字や、震えながら書いた文字、丁寧に書いた文字、涙でにじんだ文字、裏まで文字のあとが残るくらい力強い文字・・・。
でもね、お返事は期待したり、「お返事待ってます」なんて書いちゃいけないの。
返事が無くても、読んでもらえなかったとしても、心をこめて送り続けるの。
きっと石のようになった心もいつか柔らかくなることを信じて」
あの言葉に、私はどれだけ癒され、勇気付けられ、励まされたことだろう・・・。

でも、あの時の私はそれこそ自分のことでいっぱいいっぱいで、娘が何故あんなことを私に言ったのか、娘の心のSOSに気づいてあげることが出来ていなかったのだと思う・・・。

あすかちゃんがお母さんに送った手紙のシーンを見て、涙が止まらなかった。


私も、教育現場に勤めて7年が経つが、いろいろな子ども達や母子関係を見てきた。
子どもが問題行動を起こしたり、何か身体的なSOSを発信しているときは、子ども同様、親も苦しみ、傷つき、悩んでいる。
親が不安定だと子どもはどこにも身の置き場がなくなる。
甘えることも、ぶつかることも、頼ることも、寄り添うことも出来なくなる。
親のガス抜きが必要なのだ。
親が精神的に安定し、自立することで、子どもは安定し、安心できるのだ。

ドラマはハッピーエンドに終わっているが、実際はそんな短期間に解決する問題ではない。
でも、あすかの誕生日を家族で祝うことが出来たあの家族達の、再出発を感じさせる終わり方はとても爽やかだった。

劇中で登場するウインターコスモスの花言葉は「調和」「忍耐」「真心」。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド画像は夏子さんからお借りしました。

劇中歌として、特に母親が故郷を思うシーンに流れる『500マイルも離れて』はすごく心に沁みた。http://www.youtube.com/watch?v=GXOmSlcG3I0
【歌詞】http://musicfan.exblog.jp/10387093/

今回のドラマ含む番組企画のテーマは『日本人の忘れ物』。
3夜連続でいろいろな企画があったが、
日本人が、豊かさや便利さ個人の自由と引き換えに、どれほど大切な多くのものを失ってきたのかを考えさせる企画だった。

『皇室の名宝展第二期』

2009-11-22 21:06:00 | 徒然なるままに
11月21日(土)

今日は妹と上野の国立博物館に、『皇室の名宝展第二期』http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=6890
を見に行った。

まずは、その前に腹ごしらえをしてからと言うことで、息子お奨めのラーメンを食べに行った。
東十条北口にある『燦燦斗』(さんさんと)だ。
http://www.01ch.com/ramen/sansanto.html
改札口で駅員さんに場所を聞いたら、親切に地図を出して説明してくださり、
「美味しくて有名なラーメン屋さんですよ」
と教えてくださった。
チャーシューがやわらかく、味玉が絶品だった。
太目の自家製麺は、ラーメンでも付け麺でも美味しく、ボリュームがあった。

これが後々祟ることになるのだが・・・。

さて、展覧会場に着いたら長蛇の列。でも、30分待ち程度で、『阿修羅展』の時の1時間半待ちに比べれば楽勝だ。
でも会場内は混雑していて、なかなか前に進めなかった。
じっくりじっくり見ながら進んでいると、さっきのラーメンの満腹感からか、だんだん睡魔が襲ってきて、細かい書や絵巻物をじっくり見ることが出来なくなってきてしまった。
立ち止まったままいつの間にか眠っていて、気が付くと私で渋滞していたり、音声ガイドの説明が終わっていたりした。
屏風のコーナーにたどり着いたときには眠気もピークになっていて、仕方なくスツールで仮眠を取った。

やっと頭もすっきりしてじっくり見始めた頃には、そろそろ閉館時間が近づいていた。

見終わってみて、一期と二期を比べてみると、私的には一期のほうが見応えがあったかなぁ・・・。特に、伊藤若冲はいまだに感動が覚めやらない。本当は会期中にもう一度見に行きたかったのだが、インフルエンザになってしまい、治る前に会期が終わってしまって残念だった。
二期にも素晴しい名作・名品はたくさんあった。特に『書』や『刀剣』に興味のある人にはたまらないお宝がたくさんあった。

それにしても、日本人の美意識や美学って、すごいなあと思った。
『皇室の名宝』と言うのは、世が世なら現人神からの勅命を受けた当代一の名工達が、命がけで取り組んだ作品だ。
後世に伝わる名作を伝統の技と己のオリジナリティを精魂こめて作り上げた気概が、見るものの胸を打ち、感嘆の声を上げさせる。
維新や震災、戦争で数多くの名作、名品が失われてしまったが、奈良時代のものなど完全な形で今に伝わることが出来たのは、宮中の人々が細心の注意を払って保管し、後世に伝えるという大役を必死で守り、果たして来た人たちのおかげだと思う。名宝の素晴しさに見入ると同時に、影の人たちの努力に頭が下がる思いだ。

私たちはこういう類まれな展示会を、意識的に見に行って、日本の美を再認識する必要があると思う。
去年の3年生に、『ジャポニズム』の授業をしたとき、つくづく感じた。

それにしても、日本美術を見るときには日本史や、日本文学をもっと勉強する必要があると思った。
たとえば『源氏物語』を読んでいるかどうかで、その作品の素晴しさの感じ方はだいぶ違うと思う。
絵巻物にしても、屏風絵にしても、『源氏物語』をモチーフにしたものや、有名な場面を見ても、何が描かれているのか分かった上で見たほうがずっと興味深く見ることが出来るのだ。
またいつかこういう展示会を見る時には、名工たちがその作品にこめた思いをもっと感じ取れるよう、勉強しておこうと思う。
それと、展示会を見る前にはあまりお腹いっぱいになるまで食べないでおこうっと・・・*(シャイ)**(汗)*

『ラピスラズリ』の歌に癒されて・・・

2009-11-22 19:10:00 | 徒然なるままに
11月21日(金)

今日は、早めに退勤し、佐倉のSUN RISEというライブハウスに『ラピスラズリ』(私の『リンク集』から飛べます)のライブコンサートを聴きに行った。

久々に前任校先生と会い、今回はご主人やご友人の方とも同席させていただき、楽しく食事をしながらのライブだった。

前回聴きに行ったのは8月の結成3周年記念コンサートで、その時にCDを買い、今も時々通勤中の車で聞いているので、知っている歌は自然と口ずさむことも出来た。

聴きに来ている人たちの年齢は私前後ぐらいの人が多く、私たちの青春時代に流行った歌のカバー曲が流れると自然に体が動いた。

今回、印象に残ったのは、広田三枝子の『人形の家』。
小さい頃によく聞いていた歌だ。
内容は良く分からなかったけれど、とても印象に残っている。
この年齢になって改めて聴くとまさに名曲だ。
広田三枝子のように朗々とした歌声も良いが、印南さんのハスキーボイスで切なく歌われると歌の内容とあいまって、ジワ~ッと染み入る歌だ。

オリジナル曲の『忘れ雪』はやはり夏に聞くよりは今から春にかけてがぴったりだなあ。すごくしっとりと聴き入ってしまった。

オープニングの松田聖子の『瑠璃色の地球』も良かった。
数年前、この歌のCDジャケットを描いていた生徒のことを思い出しながら聴いていた。

前田さんのアコースティックなギターの音色と甘い歌声も素敵だった。

このところ、公私共に、かなり気の休まらない多忙な毎日を送っていたので、なんだかほっとして、心がホッコリする時間を過ごせたような気がする。

九星気学の視点で見る中学生の気質の違い

2009-11-22 15:10:00 | 徒然なるままに
11月20日(木)

今日はとても興味深い話を聞いた。
同じ地域の同じ学校の生徒達でも、学年によってカラーがあり、教える側と教えられる側との相性がある。
それが、干支や九星気学の視点で見ると、分かりやすいと言うのだ。
もちろん、個人的には個々の性格や生育暦、家庭環境などでまた違っては来るだろうが、大まかな見方として。

今の中学1年生は、『四緑木星』で『木』だから、ピンピンいろんなところから枝葉が伸びてくるので、時々ちゃんと剪定してあげないと、根っこが弱るのだと言う。しっかりした幹が出来て、上へ上へと伸び続ける若木達とどう向き合っていくのか。方向性を示してあげたり、間違った方向に伸びてきたらばっさりと切ったり、傷口からばい菌が入らないように、害虫や病気に負けないように、ある程度の『管理』は必要だと言うことだ。

2年生は『五黄土星』で『土』。バランスを見る学年なのだそうだ。
14歳の思春期反抗期真っ只中、いろいろ悩みも多いお年頃。
家でも母子バトルを繰り広げ、部活ではレギュラー争いに気力体力を使い果たし、受験なんて遠い先のことは意識外で、未提出や赤点があっても屁とも思わないふてぶてしさ。
教師にはたてつき、生意気な口を利くくせに、同級生達には繊細なまでに気を使い、人目を人一倍気にする。
みんなに合わすか、他を切り捨てて自分の優位を守り抜くか、常に微妙なバランス感覚を保って、疲弊している感じ。
本当は『正しいものは正しい』『おかしいものはおかしい』と言いたいのに、自分にまだ自信が無いので、言いたいことも言えず心の中に何かマグマをくすぶらせている感じを受ける。

でも、今回、CDジャケットをデザインさせて、とにかく全員完成を目指して居残りまでさせて一人ひとりと向き合ってみると、彼らはとても雄弁なのが分かってきた。
自分なりのイメージを誰のまねでもなく、表現したがっている。そこに一緒に入り込んで背中を押してあげたり、突破口を探してあげると驚くほどの感性と根性を見せてくれる。
どうしてその歌がすきなのか、どのフレーズやメロディーをどんな風に表現したいのか、一歩も譲らないこだわりまで見せてくれるし、私のだめ出しに、何度でも書き直して納得いく作品を仕上げようと努力する姿は感動ものだ。
「今まで、美術の作品なんて最後まで仕上げたことが無かった。いっつも時間切れで・・・」
と言っていた生徒が、ちゃんと仕上げて提出をして帰るときの「ありがとうございました!」はとても爽やかだった。
また、いい加減な仕上げをして、一晩で家でやり直しになった女子生徒が、朝一番でやり直してきたときには思わず抱きしめてしまった。

周りを気にしながら、いろんなことを我慢して、自分を思い切り出せない、自己肯定感を持てないでいる2年生たち。
次のアニメではじけようぜ!

3年生は『六白金星』で『金』。プライドの高い学年なのだそうだ。
個人個人が強すぎ、まとまりが無いように見えながら、泣きながらでも諦めない強さがあり、根拠の無い自信もある。
誰よりも早く、良い作品を作って認めてほしいと頑張る生徒も多いし、どうすれば成績が上がるかを常に意識している生徒もいる。
出来ないことを指摘するよりも、出来ている生徒を褒める方が効果的な気がする学年だ。
自分にもやれば出来る。努力すれば結果となって現れ、認めてもらえる。
だから、いい加減な取り組みや姿勢をバッチリ怒った後、出来たら褒めるとすごく伸びる生徒が多い。
その代わり、みんなの前で見せしめのように怒るのは逆効果。
後で個人的に、
「次回、リベンジ期待しているから」
と言ってあげたほうが素直に聞いてくれる。
生徒によっては、みんなの前で褒めるより、通りすがりに、
「この間の、良かったよ。やったじゃん!]
と言ってあげたほうがうれしい子もいるようだ。
プライドが高いだけに傷つきやすく、自信は無いけれど、誰よりも認めてもらいたい、そんな自分と向き合うのは正直苦しい。でも、努力が認められれば更に上を目指すことが出来る生徒達だ。いかにやる気を引き出し、持続させ、更なる意欲を呼び起こせられるか、教師の腕の見せ所だ。

まさに、生徒は、教師のスキルアップのために縁があって回り逢わせられた『問題集』だと思う。
それは、生徒にとってもそうなのだ。
大変な子を受け持つのも、問題のある学級を担当するのも、やる気の無い学年に美術を教えるのも、私が『一人前』の教師になるために回り逢わされた必然的な出逢いなのだろう。

『一期一会』

この学校のでの任期も後4ヶ月あまり。
今日教えてもらった九星気学の視点を参考に、後期の授業の展開を見直してみよう。
その人は
「どうしてもうまが合わない時は、自分とその学年との『相性』を見ると良いよ。同じ学年でも、去年の子達と今年の子達とでは全く気質が違うんだから。同じ課題をやられても、同じやり方は通じないときがあるから。」
と教えてくれた。

なんだか、明日、生徒たちに会うのがすごく楽しみになってきた。