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交流

水先案内人

2006-06-25 08:48:00 | 徒然なるままに
2年生の土器作りが終わった。

テラコッタ風粘土という、乾くと素焼き風の色と硬さで仕上がる粘土を使っての土器作り。
土器(入れ物)またはランプシェードを作ったのだが、同じ850gの粘土から、個性溢れる作品が次々と生まれた。

先週は鑑賞会をやった。
鑑賞カードに?自分の作品の自己PR 
       ?自分の作品の客観的な感想
       ?お友達の作品のいいところを見つけよう
を書かせたが、コメントのほうもなかなか面白かった。

この課題のポイントは、
 ・土器作りの基本(板作り・ひも作り・どべのつかい方)を生かした制作ができる
 ・縄文土器や弥生土器の美しさや工夫を参考に創意工夫を凝らした土器を作ることができる
 ・光の演出を考えたランプシェードを作る。

と言うことだったが、一番大切なのは、同じ『生みの苦しみ』を味わったもの同士だからこそ分かる苦労や工夫を、お互いに認め合うことにある。
初めての制作だからこそ、分からないところがあったり、できないことがあったり、まして、下書きどおりなんてできっこない。
鑑賞カードにほぼ全員が書いていたのは、
「他人の作品のいいところを見つけることができた。」
「自分が気づかなかった工夫があり、とても参考になった」
「今度は、失敗したところに気をつけて、本格的な土器を作ってみたい」
などなど・・・。

『縄文土器・弥生土器』は、歴史の教科書に見開きで出てくるが、さらっと説明して終わりで、記憶の片隅に残るかどうか・・・。
ところが、自分で作ってみて初めて、『縄文』の意味を知る。
去年の1年生は、ちょうど1学期のテスト前に取り組み、縄文・弥生土器のところは、漢字も全員書けて、全員正解だったそうだ。

去年の生徒が、年度の最後に書いてくれた感想には、
「自分でも制作してみてから、ほかの人の作品(生徒の作品も、有名な人の作品も)を見るときの視点が変わってきた。どんな作り方をしているのか興味がわき、自分もやってみたいと思うようになった。」
そして、アンケートの「もう一度やってみたい課題」の上位に必ず『土器作り』が入ってくる。

講師の私が教えられる期間は1年間。
そして、私が教えられるのは、『美術の面白さ』。
私は『美術の水先案内人』。
興味や意欲がわいてきたら、後は自分から『門』をたたく。
そこから先は、自分の足で前進していく。
『土器』の門から、陶芸の世界へ・・・。
『デザインの技法』の門から、デザインの世界へ・・・。
『頭部塑像』の門から、彫刻・塑像の世界へ・・・。
『ドライポイント』の門から、版画の世界へ・・・。
『ポップアートカード』の門から、ペーパークラフト・絵本の世界へ・・・。
『ゾートロープ』の門から、アニメーションの世界へ・・・。
『篆刻・水墨画』の門から、印章・彫刻、水墨画、日本画の世界へ・・・。
『BOX ART』から、立体デザイン、舞台デザインの世界へ・・・。
『CDジャケットデザイン』からビジュアルデザインの世界へ・・・。
『マーブリング・板締め』から、染色の世界へ・・・。
『ユニバーサルデザイン』から、人に優しい、地球に優しいものづくりの世界へ・・・。

やはり、年度最後のアンケートから
「美術は、絵の具と筆で絵を描く授業というイメージが強かったが、いろんなやり方で自分を表現することができることがわかった」
「上手に描けなくても、上手く作れなくても、いろんな作品のよさを見つけたり、生活に取り入れていくセンスを磨くことも美術なんだと知った」

2ヵ月半、皆は着実に力を付けている。
夏休み以降、1学期にまいた種がすくすくと伸びて、秋にはいい作品が生まれて、冬には記念に残る作品が作れ、来年に繋がる制作ができるように頑張ろう。


小学校の図工専科の講師を引き受けるにあたって心がけたことは、『図工嫌いを作らない』。
中学生になり、『図工』から『美術』になって、苦手意識や受験に関係ないからと技能教科軽視の傾向にある生徒たちに、どう向き合っていくか・・・。

そんな時、生徒たちの土器作りのときの顔を思い出すようにしている。
皆とてもいい顔で制作している。
出来上がったときの満足感、達成感のコメントや、お友達の作品に向けられる暖かいメッセージには読んでいて本当に癒される。

お手本通りではない1人1人違う作品を評価するのは、難しいし時間がかかる。
でも、わたしの元気の素であり、指導意欲を高め、創作意欲を刺激する『カンフル剤』でもある。

1年生は2学期に土器作りに取り組む。
2年生の作品を参考に、それを上回る作品が生まれることをひそかに期待している。

息子の高校の文化祭と女子大生(もちろん私のこと)!

2006-06-17 20:22:00 | 徒然なるままに
今日は、息子の高校の文化祭。
クラスで劇をやると言うので、末娘を連れて見に行った。
主役ではないが、なかなかおいしい役を演じていて、ビデオを撮りながら、おかしさをこらえるのがやっと。画面はブレまくり、笑いをこらえて腹筋が痛かった。
息子は普段は役者をやるようなキャラではないのだが、小学校のときも自作自演の寸劇をやって結構会場を沸かせたことがある。

最近、ワールドカップで頭がいっぱいなのかと思っていたら、結構、長台詞もタイミングよくスラスラしゃべっていたのには驚いた。

突然頭を丸刈りにしたのも役作りのためということが、劇を見て今日初めて分かった。
結構、役者魂もあるみたい。
高校最後の文化祭。クラスみんなのチームワークと意欲が感じられた劇だった。
明日の打ち上げの軍資金は快く出してあげよう。

昼からは、久々、女子大生に戻って、県立美術館のワークショップサポーターをやってきた。
今日は恒例になった県民の日の関連行事のワークショップ。
今年は3つのブースで、マーブリングでコースター作りとローラースタンプでオリジナルはがき作りと缶バッチ作りをやった。
私はマーブリング担当。学校で教えているマーブリングではなく、ハニーマーブリングと言うもので、ドロっとした溶液を使い、目の粗い櫛で表面に浮いた彩液をなでると不思議な模様ができる。それを白地のコースターに写し取るのだ。

子どもたちはもちろん、付き添いのお父さんお母さんも夢中になっていた。
このマーブリングは、布にも木にも石にも転写でき、乾けば耐水性なので、黄ばんだハンカチやぼろぼろになった団扇の再利用などにも使えることを教えると、皆さん、
「家でもやってみたい。夏休みの自由研究にもってこいだ」
と喜んでいらっしゃった。

子どもたちも、不思議な模様のコースターができて大喜び。
明日の父の日は、これを使って、お父さんと乾杯だ!

それにしても、去年のワークショックのときは『お姉さん』と呼んでもらえたのに、今年は『先生』と呼ばれていた。
ワークショップ・サポーターは大学生しかなれないので、自分では『女子大生』のつもりだったのに(?)・・・!!
普段の『先生』っぽさがにじみ出てしまったのか???
ま、『おばさん』と呼ばれるよりはいいっか。(われながら何つーずうずうしさ!これぞ『オバタリアン』!エ?これって死語?



My Favorite Things

2006-06-15 10:46:00 | 徒然なるままに
笛の音がすき
特に、ケーナ、パンパイプ、オカリナ
素朴な音色とメロディがすき

弦楽器がすき
胡弓、三味線、琵琶、琴、チャランゴ、マンドリン
馬頭琴は『スーホの白い馬』を読んでからすごく好きになった

エメラルド・グリーンがすき
透明感のある南の海の色が好き

朝焼けより夕焼けがすき
夕焼けのほうが表情があって、明日は晴れると言う楽しみがあるから

ミレーの『羊飼いの少女』が好き
シスレーの描く雲が好き
モジリアニの描く少女の目の色が好き
ユトリロの描く町並みのちょっと汚れた白が好き
モネの睡蓮の色が好き
ミュシャの花と金のあしらい方が好き
クリムトの『接吻』が好き

興福寺の阿修羅像がすき
京都広隆寺の弥勒菩薩がすき

海が好き
星が好き
田植えの後の水田が好き
どこまでも続く松林と引き潮の砂浜が好き
波の音が好き

南部風鈴の音色が好き
干した布団の太陽のにおいが好き
岩の割れ目みたいなところに咲く日本タンポポが好き

一期一会と言う言葉が好き


なんだか好きなものを思い浮かべて並べていくと元気になる。
優しい気持ちになる。
世界が広がっていく感覚・・・。

懐かしい気持ちや、切なくなる気持ちは、デジャブーもあるのかな。

わたしのお気に入りたちは、わたしの元気の素。

袖振り合うも多生の縁

2006-06-13 22:45:00 | 徒然なるままに
先日『過去世』について書き込んでから、読み返して、気がついた。
『袖振り合うも多生の縁』の『たしょう』は、恥ずかしながらずっと『多少』だと思っていた。
「こんなにたくさんの人々の中で、袖が振り合うだけでも奇跡的な出会いであり、多少なりとも縁があるのではないか」
という意味だと思っていた。

ところが、「たしょう」には『他生』と『多生』という書き方があることを知った。
『他生』とは、前世と来世と言う意味。
『多生』とは何度も生まれ変わると言う意味。
ことわざで使われる『たしょう』は正式には『多生』のほうだと言うが、変換すると『他生』が出てくるのは、(俗)に使われる頻度が高いからか。

私は、どちらもなるほど当てはまるなと思う。
前世からの縁、何度も生まれ変わっての縁・・・・。


私の小さい頃は、『縁』という言葉はすごく当たり前に身近なものだった。

今はあまり聞かれなくなった
『困ったときはお互い様』
『おかげさまで・・・』
『これも何かのご縁ですから・・・』
というやり取りは、子ども心に心が温かくなるやり取りだった。

『一期一会』という言葉に出会ったのは高校時代だった。
きっかけは,山口百恵の歌『一恵』の歌詞に
『一期一会… いくつかの出逢いの中で
それぞれに心を知りました』
というのがあった。

一期一会・・・千利休の弟子で山上宗二という茶人の著に、『山上宗二記』というのがあり、利休の精神を伝えています。
その中の「一期に一度の茶会」という言葉が由来と言われています。
その心は、生涯に一度しか会うことがないと思えば、その一度にすべてを賭ける。
短い出会いほど、その一瞬に、心の絆を結びたい。
日々、多くの人と出会っていますが、いいかげんな心で会っているとその人から何も、学ぶことは出来ない。
一期一会の覚悟で、十分な気配りを もって、一瞬一瞬を大切にしていきたい。
この人には、また会いたいと思ったり、もうあの人とは、会いたくないと 思ったリする。
そんな事を言っている内は、相手の素晴らしさを理解する 力が自分にないということだ...。


『縁』を大切にする。なんだか『原点』に立ち返ったような気持ちがする。

過去世(前世)と一期一会

2006-06-12 06:31:00 | 徒然なるままに
小さい頃から繰り返し見る夢、はじめて来たのになんだか懐かしい場所、前にもこんな感じがあったなあと思う瞬間、初めて聴いたメロディーなのに、胸が締め付けられるくらい切なくなるなんてことがよくある。

同じことを繰り返し、失敗したり、苦い経験をしても、相変わらずなのは、性格なのか学習していないのかと自分を責めることがあったり、どんなに注意されても、指摘されても、こだわってしまうことがある。
どうしても、あきらめきれない夢がある。

同じ親から生まれながら、血液型は同じでも性格も好みも違う兄弟。
同じ生年月日なのに全く違う状況・性格の人が居る。
血液型占いや星座占いはかなりアバウトで統計的だと思う。

自分自身の中に、いろいろな自分が居る。どれが本当の自分なのか。
自分は何のために生まれ、何のために生きているのか、哲学的な気持ちになることがある。



そんな時、『過去世セラピー』と言う言葉に出会った。

『あなたは、何歳まで覚えていますか?
私たちの記憶は決して消えることはありません。今世生まれてからの記憶だけじゃなく、胎内にいた時のことや、今世生まれる前の体験、過去世(前世)の記憶も私たちにはちゃんとあります。ただ、忘れただけ・・・。
今の悩みが一体いつから始まり、その時何が起きて今の自分がこうなのか、など・・・。それを知っているのは、それを体験してきたあなただけなのです。体験してきたのもあなたですから、もちろんその解決法を知っているのもあなたなのです。

過去世回帰セラピーは、悩みの根源を心の深くに眠る記憶の中から掘り出し、解放していく大変素晴らしいセラピーです。どうぞ答えを外に求めずに、自分の内に求めてください。答えは、あなたの心の中に必ずあります。』

この言葉に出会って、私は自分の過去世(前世)を知りたいと思うようになった。

今回、その機会を得、リーディングをしてもらい、その結果に、眼からうろこが落ちたような気持ちだ。

私自身、小さい頃から好きだったこと、興味を持っていたこと、こだわってきたこと、繰り返し起きる問題、避けようがなかった問題、自分の性格の長所、短所それらが、神経衰弱ゲームのカードがどんどん開いていくような感覚で分かってきた。

『命のバトン』と言う言葉があるが、私は、両親から渡されたバトンを子どもたちにしっかり渡す、それを見守るのが、母親の役目であると思っている。
今回はさらに、『魂』のバトンを「来世の私自身」にしっかり渡さなくてはと思うようになった。
私を選んで生まれてきてくれた子どもたち。
生き直そう、やり直そうと、もう一度家族としてこの世に転生し、出会った私たちだ。
同じことを繰り返し、同じ苦しみをまた次の世に持ち越さないためにも、現世で解決しなくてはならない問題、断ち切るべき因縁は私が解決し、決着を着けようと思う。
せっかく過去世の私が、辛い思いを繰り返しながら、強め、高めてくれた「魂」だ。少々のことではくじけない、立ち直りの早いプラス思考は、前世に私だった人たちが過去から送ってくれるメッセージであり、エールだと思った。けして私は一人ではない。みんなの「思い」と「パワー」を感じる。
これを、次の世の私自身にしっかりバトンタッチするためにも、この世に生きていることのありがたさを感じながら、今の自分と今の時間と今私と関わりのある人々や物事を大切にして生きて行こうと思う。

65億人の中から出会った人たちは、きっと偶然なんかじゃない。
『袖振り合うも多生の縁』
一期一会の気持ちを忘れずに・・・。

いつか、過去世の私に会いに・・・

2006-06-11 20:06:00 | 徒然なるままに
私の「過去世」は、ストーリーとしても面白く、感動してしまった。

けしてサクセスストーリーではなかったけれど、どの私も一生懸命生きていた。

前世の私の強い思いが、私の中に受け継いでいるのをすごく感じる。

昨日の夜、『チャングムの誓』を見ていたら、易経を学ぶと良いとチャングムが神童に言われているシーンを見て、とても興味を持った。

易経とは、占いではなく、『春の次には夏が来て、秋の次には冬がきて、やがてふただび春がめぐり来ると言うような自然の摂理』なのだそうだ。

医食同源がテーマの物語でもあり、病の因果関係を知る上でも自然の摂理を学ぶべきと言うことなのだろうか。

『過去世』を知って、私の中にも自然の摂理と宇宙のリズムがあることを知った。
私は私になるために大きな魂のつながりの中の今の私を生きている。
奇跡のような確率でこの世に生を受け、「命のバトン」を託されている。
私のこの世でなすべきことが分かると、今までのことも、今置かれている現状も、これから向かうべきところも自ずと繋がり、一連の輪になっていくことが分かってきた。

昔、向田邦子のエッセイを呼んだときの感覚に似てる。
バラバラに断片的にちりばめられた複線が、最後に一繋がりの首飾りになるような作風に。

そう思うと、一度しかない人生を精一杯充実させて、楽しまなくっちゃ!どんな出来事も、どんな人も自分を成長させるために出会うことになっていると思うと、今までの出会いも、今の関わりも、これからの出会いも、どれも愛おしく、大切で、楽しみに思えてくるから不思議だ。

そして、自分は守られている、愛されている、一人ではないという実感が、漠然とではあるけれど心の中に確信が持てると、気持ちに余裕ができて、人に優しい気持ちになれる。

いつか、時間を作って、かつて私だった人たちが生きていたであろう国や町を訪れてみようと思っている。
『私は元気です!私にバトンを渡してくれてありがとう。来世の私に素敵な魂のバトンタッチができるよう、今世をしっかり生きて行きます!』
と挨拶に行きたい。