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絆 ずっと友だち ずっと ずっと友だち

2012-01-22 22:43:00 | 担任雑記
1月22日(日)

 新学期が始まって、2週間が経った。
 明日から冬休みという日に、「あなたたちは、今日で2年生を卒業します。
 勉強も、運動も、係の仕事も、お掃除も良くがんばりました。年が明けたら、あなたたちは、『3年生の卵』さんたちです。
2年生までの勉強は2年生のうちのわかるように、できるように頑張りましょう。集会でのお話の聴き方や、黙動での移動、あいさつの仕方、お掃除の仕方、勉強以外のこともみんな上手にできるようになってきましたね。『3年生の卵』さんたちは、先生に言われなくても、自分で考えてできるようにがんばりましょうね。」と言った。
 子どもたちは、その日、朝からとても頑張って、4時間目は予定通り『お楽しみ会』をして別れた。
 果たして冬休み明け初日、ご家庭の事情で2名欠席だったが、みんな元気に登校してきてくれた。
 石巻から千葉に戻り、学校が、教室が無事で、子どもたちが元気に登校してきてくれる、そんな当たり前のことが、とても尊く、ありがたく、幸せに思えた。
 『3年生の卵』たちは、ちょっと見ないうちに、身長も伸び、少しお兄さん、お姉さんぽくなって、朝の全校朝会の時も、全員きちんと校長先生のお話を聞いていた。宿題もちゃんとやってきていたし、何より、『元気な子』の硬筆の書き初めは、全員、一生懸命書いてきた。その成果もあってか、書き初め会の作品の中からクラス代表2名の作品をコンクールに出品したところ、2名とも、準特選を受賞した!
 勉強も、掃除も良く頑張って、給食は食缶が毎日空っぽだ。みんなが今一番頑張っているのは、なわとびとマット運動だ。なわとびは、数えるほうが音を上げるほど、速く長く跳ぶ。冬休み中も頑張って練習してきたようだ。 その成果もあって、我がクラスの1分間前跳びのクラス平均値は、千葉県低学年の部のランキングで、堂々1位を獲得した!平均値150回を超えると、賞状がもらえるということで、みんなやる気満々だ。
 マット運動は、私の掛け声ひとつで、集合も活動もすごく生き生きときびきびと動けるようになって、やるたびに、どんどん上手になっていっている。

 今、子どもたちが楽しみにしているのは、国語の時間の最後に読み聞かせしている『龍の小太郎』だ。辰年にちなんで、ちょっと長い話だが、読み聞かせている。子どもたちは、毎回ほとんど呼吸も瞬きもしていないような、全身が耳になって聴いている。
 いいところで終ると、盛大な溜息とともに、「先生、肩凝った~!」「続き読んで~!!」と大騒ぎ。
 次回は、いよいよ龍の小太郎と、龍になった母との再会のシーンだ。私もワクワクしている。

 そんな子どもたちと一緒にいられるのも、あと44日となった。1年生のクラスでインフルエンザが流行ってきたことを知らせ、うがい手洗い、早寝早起きをしてインフルエンザにかからないように呼び掛けた。学級閉鎖なんかでみんなといられる日が少なくならないように。
 みんなと一緒にいられる日々…。その宝物ような日々を1日1日元気に、みんな仲良く、楽しく、大切に過ごしていこうという、子どもたち一人一人の気持ちが、授業や生活の一コマ一コマに表れているのがうれしい。

 昨日、10月末に転校した児童の家に届け物に行った。クラスのみんなからの手紙をわたすと、彼もまたクラスのみんな一人一人と、私への手紙を渡してくれた。どちらからも、どの手紙にも書いてあった言葉は、『絆』そして、『はなれていても、ずっとともだち』
 ああ、この子たちの未来を守りたい。勉強も、外で遊ぶことも、何でも食べられる、飲める、仕事も、結婚も、子育ても、安全で、安心して、思い切りできる明るい未来を!
 そして、この子たちが親になり、先生になったら、自分の小学校2年生を振り返った時、この未曽有の災害があった年に出会った2年3組で過ごした日々と仲間が、子どもたちの『原風景』となり、励みとなって、どんな困難にも最後まであきらめずに、『絆』を大切にする思いやりのある大人に成長して行ってほしいと願う。

絆 One for all,All for one

2012-01-22 19:10:00 | 担任雑記
1月18日(水)

『子どもたちの未来に何を遺しますか?』  ~福島原発事故から見えてきたこと~というテーマの、県の教職員組合の学習会に参加した。
昨年12月にお誘いを受け、ぜひ、参加してお話を伺いたかった。
講師の先生は、福島原発問題をわかりやすく解説してくださり、その原因と現状、そして、これからの課題について、会場に集まった先生方に熱く語りかけてくださっていた。
講演の最後に、講師の先生が、市の退職女性教員の方々が交代で、4月から毎週2泊3日、石巻市立湊小学校にボランティア活動に出かけていらっしゃると聞き、胸が熱くなった。
講演後、挨拶に行き、石巻出身者であることを告げ、先生方のご尽力とご厚情に御礼を申し上げた。 先生は、
「支援は短すぎてもダメ、長過ぎてもダメ、まずは1年間継続して支援をして行きましょうと、毎週欠かさず石巻に出かけています。きっと石巻は復興します。」
と、おっしゃってくださった。
 先生が震災直後から見ていらした石巻…。全焼した門脇小学校、多くの児童、職員が津波で流された大川小学校、教職経験者として、居ても立ってもいられない思いで、退職した先生方で立ち上げたのだそうだ。
 私は、正直なところ、千葉に帰るたびに、震災に対しての『温度差』を感じていた。実家や親戚でもいないと、この思いは通じないのかと思うような人たちや場面に出くわすと、悲しい気持ちになっていた。でも、今日のお話を聞いて、私は声をあげて泣いてしまった。先生は、私の肩を抱いて
「あなたの故郷が被災して心配な気持ちや、帰りたくても帰れないでいる気持ちはよくわかります。私たち退職教員は、お金はないけれど時間はあるの。被災地の先生方や子どもたちのために、継続して支援に行くから。あなたは、千葉の子どもたちを、今のあなたのクラスの子どもたちをしっかり守ってあげて。」と励まして下さった。
 私は、帰りの車でも涙が止まらず、おさまるまでしばらく喫茶店で今日の学習会のレジュメを読んでいた。 
今日の出逢いと感動を忘れることなく、このことを故郷の両親や、頑張っている友に伝えよう。そして、クラスの子どもたちにも、話して聞かせよう。
「これが『絆 One for all,All for one』だよ。」と。

石巻帰省レポート その2 石巻市立門脇小学校

2012-01-07 21:04:00 | 石巻ボランティア日記
1月3日(火)

今日は、高校時代の友人と、石巻の初売りに行った。
仙台や石巻の初売りと言えば、福袋や景品が豪華で有名なのだが、今年は、震災の影響で、石巻の中心街の商店街も開いている店が少なかった。私達は、それでも頑張って開店している店を探し歩いて、もりや食堂でカレー南蛮そばを食べ(美味しかった!!*(グッド)*)、珈琲館でマンデリンを飲み、観慶丸でおわんを買い、白松もなかでお土産を買い、白謙(しらけん)で笹かまぼこを買った。
どのお店も、夏に来た時よりはきれいに片付いていたし、通常通り営業はしていたが、夏は川開きもあってそれなりにお客さんはいたのだろうが、せっかくの初売りなのに、本当に客がいなかった。
『復興』『石巻再興』の難しさを痛感した。入ったお店の方に、震災当時のお話を伺いながら、「昨年の分以上、良いことがたくさんありますように。頑張ってください!」と声をかけると、みなさん、深々とお辞儀をしてくださっていた。
石巻を離れてしまった私が言うべきことではないが、同じ石巻市民が、ああやってかつての中心街で頑張っている老舗を、なじみの店を支えてあげてほしい。
ただでさえ、震災前からドーナツ化現象でシャッター街化していた商店街ではあったとしても。
特に、石巻出身者のみなさん!石巻でお金を使いに帰ろう!!石巻を元気にしに行こう!!!かつてエンドーチェーンがあった駐車場には、仮設店舗があった。そこから皆で立ち上がろうとしている。どうか、心折れずに、踏ん張って、再起を図ってほしいです。
おだづなよ、津波!(ふざけるなよ、津波!)負ねげねど頑張る!石巻!!(負けないで頑張る!石巻!!)友人と北上川沿いを河口に向かって走り、日和山の麓に広がる門脇地区に行った。大晦日に長淵剛さんが『ひとつ』を歌った石巻市立門脇小学校に行った。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
津波に打ちつけられた瓦礫に、船や車の油が引火し、炎上して、小学校は全焼。校庭に押し寄せた瓦礫はきれいになくなっていたが、校舎の中はあの日のまま、焼けて止まったままの時計と一緒に時が止まったままだった。 焼けただれた校舎の外壁や、ボロボロのカーテン、煤けた天井…。どれほどの猛火がこの校舎を焼き尽くしたのか…。地震と津波だけでも壊滅状態なのに…。まるで、原爆ドームのようだった。
長淵剛さんが、昨年の紅白歌合戦で、この角のわき小学校の校舎を背にして歌った時、漆黒の闇と言った場所の昼間の様子がこの写真だ。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
遠くに見える防波堤のようなものは、何台も積み重ねられた津波で流された車だ。ズームアップで撮った写真を見てほしい。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
小学校の近くに、TVに良く映る『がんばろう!石巻』の看板があった。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
この看板は、セブンイレブンがあった跡地に立てかけてあるのだそうだ。店長夫妻と18歳のアルバイトの女の子が被災し、夫妻は行方不明。女の子は、数日後、そこからほど近いガソリンスタンドの屋根の上で自衛隊によって発見されたのだそうだ。

 私はこの地区の南浜町という地域に、幼稚園に入る前まで住んでいた。
川沿いを歩いて行くと海になるのだが、こちら側の海は、当時東北パルプ、または石巻パルプ(現在は日本製紙)と言った大きな製紙工場があり、その向こうは工業港だ。小学生の時、父と弟と、工業港に停泊している大型貨物船を描きに行き、展覧会で賞を取ったことを覚えている。
 石巻は、北上川を境に、左右に大きな港があり、牡鹿半島側は東洋一の魚市場がある新漁港(かつては美しい砂浜と松林が続く海水浴場もあった。)、仙台方面側は釜工業港だ。そして、河口には造船所が建ち並ぶ、典型的な港町だ。
この門脇地区に住んでいた高校時代の友人の息子さんとお姑さんが、震災9日後、瓦礫の中から奇跡的に救助された。夏にその友人から聞いた当時の話は、本当に過酷で奇跡的で、感動した。人間、最後まで諦めてはいけないのだ。息子さんのおばあさんを助けたい一心で、凍傷の足で瓦礫の隙間から屋根に這いあがり、何時間も叫び続けて救助してもっらたという話は、今でも涙がこみ上げてくる。
この地区にはまた、母の友人が、最初の津波の時は、犬の散歩中で、ご主人と避難できていたのに、引き波の時に自宅に戻ったまま、未だに行方不明だ。
見渡す限りの荒野には、何千人もの当たり前の生活があったはずだ。友人は、
「日和山から見下ろしただけでは分からない、感じられない、この状況を見てほしかったの・・・」
と言っていた。
門脇小学校の児童は、今、日和山にある門脇中学校で一緒に勉強をしている。かつての学び舎をどんな思いで眺めて暮らしているのだろう…。
どうか、子どもたちの未来に、明るい光がたくさん差し込んできますように…。
子どもたちが安心して、安全に、健康で、楽しく、勉強できる環境を保障してあげるのは、私たち大人の責任と役割だ。
夕闇せまる門脇小学校の前で、私はこれから自分の成すべきことを考えていた。

石巻帰省レポート その1

2012-01-04 14:49:00 | 石巻ボランティア日記
1月2日(水)夜明け前、*(バス)*石巻駅到着。小・中・高校時代の友人と日和山に登り、神社に参拝した。photo by toliton717 from OCNフォトフレンド3月11日の大津波は、北上川の河口に架かる日和大橋を越え、石巻の市街地を襲った。日和大橋のてっぺんにいた車4台を残し、石巻工業港を襲い、ひばり野海岸から襲った門脇地区南浜町の住宅街の瓦礫を巻き込みながら、北上川を遡上し、何度も津波は高さを増しながら石巻を破壊して行った。この鳥居の広場で、夏に雨の中、長淵剛さんが「Try again」を歌ってくださった。鳥居向かって左には、『救援、ありがとう』の横断幕が掲げられていた。photo by toliton717 from OCNフォトフレンド日和山から望む、石巻市街地。ここは、石巻市民や石巻出身者のパワースポットだ。この、何もなくなった中瀬から、昨年8月1日川開き祭りの花火を打ち上げたそうだ。「こんな時にお祭りなんて!」「こんな時だからこそ、供養の意味でも、石巻再興の一歩として、花火を打ち上げるんだ!」という市民の賛否両論が続いたそうだ。実際、大手スポンサーが被災してしまい、花火大会の開催自体が危ぶまれていたのだが、全国の花火協会からの協力を得、2000発の花火が集まり、1日だけの花火大会が開催された。特に、新潟県長岡市から寄贈された花火は、北上川の河口サイズに合わせて、『ミニ・フェニックス』として、エンディングを盛大に飾った。この川開き開催に向けて、全国、海外からまでたくさんのボランティアが集まり、石巻の町のがれき撤去が精力的に行われたのだという。石ノ森章太郎漫画館の周りにあった瓦礫も、内海橋にひっかかかり、通行を遮断していた瓦礫も、震災・津波襲来直後を知っている人ならだれでも、『良く、ここまで片付けた』と感動するほどの当時の惨状と、撤去後の喪失感で胸がいっぱいになるのだという。私は、真夏に帰省し、ボランティア活動をした際の最終日に、神社の境内とこの場所を掃除した。全国各地から駆けつけてくださったボランティアの方に、在りし日の石巻の様子を語りながら…。この写真を撮っていた時に、ウォーキングに来ていた60代ぐらいのおじさんが話しかけてきてくださり、震災当時の様子を話してくださった。そのあまりの凄惨さに胸が詰まり、えぐられるようだった。と同時に、おじさんが教えてくれた、全国からの救援隊、自衛隊、米軍の『トモダチ作戦』などの精力的で丁寧な救援活動の様子を聞いて感動した。日和山公園と言えば、石巻随一の桜の名所だ。今年もすでに、かたい蕾を付けながら、やがて来る春に備えている桜の木々…。昨年の桜満開の時期には、誰もお花見をする人がいなかったということだ。当時、全国的にお花見自粛ムードではあったが、確かに、瓦礫を見ながら誰も花見などしたくはないだろう。ああ、いつになったら、この公園で、満開の桜を目で、幸せな気持ちで和やかなお花見ができるのだろう…。photo by toliton717 from OCNフォトフレンド夜、石巻市立蛇田中学校の同期会に出席した。参加者は、卒業生36名と恩師1名で、和やかに楽しく、お互いの無事と再開を喜び合った。幹事の話によると、連絡を取り合った中では、同期生にはこの震災で亡くなった方はいなかったらしい。実家のある地域も地震の被害は受けても、津波による被害は少なかった。ただし、家族や親戚、友人、同僚、知人を亡くした方、家や会社が半壊、全壊、津波で消失した人もたくさんいて、過酷な現実を受け入れ、向き合わざるを得ない現実を皆は必死に生きていた。特に、行政を担当している同級生は、その責任の重さと、これからの課題の多さに沈痛な面持ちだった。「300%頑張っている」と語る彼にこう言った。「石巻は頑張っている。泣きながら、泣きたいのを我慢して、頑張っている。本当に頑張らないといけないのは、石巻を出て行った人間。帰ってきてボランティアをする、石巻の物を買う。石巻にお金や物資を送る。自分のできることでいいから、立ち上がろうとしている、倒れないように踏ん張っている故郷の人たちを支えるのは、石巻出身者だ。全国から、海外から救援、応援に駆け付けてくれている。本当にありがたくて、涙が出る。夏に一緒に活動したボランティアの人たちに、どれだけエールとエネルギーをもらったことか。石巻の行政を司り、これからの復興に向けて頑張る○○君にお願いがあります。助かった人の分だけ生き残るKnow howがある。亡くなった人の数だけ解決しなければならない課題がある。地震から津波到達までの間の時間、何が生死を分けたのか…。これを分析してまとめたものをこれから必ず起こると想定されている、南海、東南海、東海地震で石巻と同じような被災地になる可能性のある市町村へ、そのレポートを送ってほしいの。失敗から学ばなければ、進歩はない。亡くなった方たちは浮かばれない。辛い作業だとは思うけれど、子ども達の未来のために、震災や津波に強い街づくりのために、この被災体験を生かしてほしいの。阪神や中越から駆け付けてくれたボランティアの人たちが、言っていたの。『自分たちが被災した時は、小学生だった。何も分からなくて、助けててもらった人たちに恩返しもできなかった。今、僕たちはあの時にもらった元気を石巻の人に分けてあげられる機会を得たんです。』そうやって、徹底的に泥出し、瓦礫撤去してくれている姿を見て、近所のおじさんは、『今は自分たちのことで精いっぱいだけど、いつか、日本のとこかで、こいな災害が起きたら、今度はおらだぢが助けにいがねくてね!(自分たちが助けに行かなくてはならない)』って言ってたよ。だから、私は、千葉に帰ったら、見できたこと、聞いてきたこと、石巻が今必要なこと、皆に知らせるから。私にできることがあったら遠慮なく連絡頂戴ね!」その後、みんなからのリクエストに応えて『海のトリトン』を熱唱して、みんなを笑顔にし、夏の再会を約束して、降るような星空の下を歩きながら実家に帰った。

笑福万来*(びっくり2)*

2012-01-01 16:32:00 | 徒然なるままに
1月1日


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

2012年が明けた。

今年の年賀状のデザインは、本当にぎりぎりまで決まらなかった。
喪中葉書の多さと、被災地の友人の住所が不明だったり、命は助かっても、正月どころではないかもしれないと思うと、「あけましておめでとでうございます。」とは書けなかった…。

そんな時、以前、校門用掲示板の『龍船に乗った七福神』を思い出した。
命や生活や故郷や思い出などかけがえのない宝物を奪った海が、また宝を与えてくれる…。
きっとそうなる。
そうなってほしい!
そんな願いを込めて、この絵に、新年のあいさつ代わりに『笑福万来』と書いて、年賀状を作った。
被災地には、震災見舞いとして普通葉書で出した。

笑顔が、どれだけ人を勇気づけ、癒やすことができるか。
TVに映る被災地の子どもたち、特に、震災時に生まれた赤ちゃんの笑顔は、本当の宝物だ。
この子たちが安心して暮らせる日本にしなくてはならない。
それは、被災地の人が頑張るのではない。あの地震で無事だった人たちが頑張るのだ。
東北は、頑張っている。これ以上ないくらい、泣きながら、泣きたいのを我慢して、頑張っている。寒さと闘いながら、今年もやがて3月11日をまた迎えようとしている。

クリスマスや、お正月なんて、家族のイベントを、どんな思いで迎えたことだろう。
去年までは、当たり前にあった家族や自分の家での普通の生活・・・。
昨日の紅白歌合戦は、どの出場者も、渾身の力を込め、魂を込め、歌の力で思いを届けていた。
被災地の人々も、見ていた全世界の人々も、その歌の力に感動したに違いない。

被災地の姿は、無事だった地域の未来の姿だ。
私たちは、しっかり学ばなくてはならない。いつか直面する未曽有の災害に備えて。
私たちは、しっかり支えなくてはならない。立ち上がろうとする人々の心が折れないように。
明日は我が身なのだという自覚を持って。


私は、今日の夜行バス*(バス)*で石巻に発つ。
2日にある中学校の同級会に出席するために。
みんなに会うのは4年ぶりぐらいか。楽しみな半面、辛い現実を受け止めなくてはならない場面もあるだろう。
でも、被災して自身も大変な中、同級会を立ち上げ、呼びかけてくれた仲間の心意気に応じたい。まずは、万難を排して参加すること。そして、私の元気を分けてあげて、皆を笑顔にしてくるんだ。

私の今年の目標は、一つ。
来年の大晦日に、「今年はいっぱい笑ったなあ…」と思えるようにすること。
笑顔は、誰かを笑顔にすることで、自分も心から笑顔になれると思う。
まずは、私の描いた年賀状を見た人が、にっこり笑ってくれたらうれしいな!*(笑顔)**(チョキ)*