TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

ピア・サポート

2009-05-31 18:50:00 | 徒然なるままに
『ピア』とは、『仲間』『友達』の意。
『サポート』とは、『支えあう』『助け合う』の意。
『ピア・サポート』とは、『仲間や友だち同士がお互いに支え合い、助け合うこと』という意味になる。

『ピア・サポート・プログラム』とは、豊かな人間関係づくり実践プログラムである。
各学年ごとにテーマが分かれている。

1年ピア・サポートでは、『クリティカル・シンキング』(物事をていねいに考え、判断すること)ができるようになりましょう!

2年ピア・サポートでは、『セルフ・コントロール』(自分と向き合い自分を管理できるようになろう!)

3年ピア・サポートでは、『decision making 意志決定』(大事なことはじっくり決めよう!)

というわけで、私は1学年担当なので、『クリティカルシンキング』ができるようになろう!の授業に挑戦した。

一応、指導案があり、『台本』も、黒板に貼る『フラッシュカード』や生徒が記入する『ワークシート』も完備されているので、マニュアル通りにやればいいのだが、70人もの生徒を前に、45分間で内容をこなすのは至難の業だった。

最初はノリの悪い生徒もいたが、自分の行動パターンを選ぶ段階で、スキットを寸劇仕立てで読んだところ、進んで自己分析を始めるようになっていった。
中学生ぐらいの年頃は、心理テストや星座・血液型占いには結構興味があるので、自分を知りたい欲求は強いのだろう。
行動パターンには次の4つに大別される。
1.攻撃型(ライオン)
2.遠まわしな攻撃型(キツネ)
3.自虐型(ヤギ)
4.分析型(フクロウ)
日常的なシーンが設定されてあり、自分が主人公だったら、どんな行動をとるのかを4つのパターンから選び、1番多い行動パターンが自分のパターンになる。

人間だもの、ついカッとなる時や、疑い深くなるとき、被害妄想になったり、いじける時だってある。
でも、そうなったら、その後はどうなる?ということを予想させる。
最終的には4の分析型(フクロウ)を目指させるのだが、いつもいつも、フクロウ的な考え方ができるわけではない。
だけど、何かに行き詰まり、誤解が生じたりしてコミュニケーションが上手く取れなくなったとき、『何が事実で、何が憶測なのか、丁寧に考えてみよう』というのが、『クリティカル・シンキング』なのだ。

私も思い込みの激しいところや、自分を守るために、遠まわしな言い方をしたり、自分さえ我慢すれば・・・というところがあるので、授業をやりながら、自分自身がすごく勉強になっている。

この『ピア・サポート』の授業は今までの赴任校でも実践して来た。
学校では『ライオン』の生徒が、家では『ヤギ』だったり、その逆だったり・・・。
生徒自身も気がついていないことを授業の中で見つけ、『仲間を大切にする』と同時に『自分自身を大切にする』ことの重要性を感じ取ってほしい。その一心でクラス作りを生徒たちと共に取り組んだ。

助け合う、支え合うためには、相手のことばかりでなく、自分のことも大切にできないと。自分のことを好きになる。友達のために頑張る自分、仲間を大切にできる自分を。
「あなたがいて、自分がいる。自分がいて、あなたがいる。あなたに逢えて本当に良かった。生まれてきてくれてありがとう!」とお互いに言い合えるようなパートナー、仲間が居れば、どんなに人生が豊かで心強いことだろう!


7月は第2セッション『ストップ・シンキング』(立ち止まって考えてみよう)
私自身も、今、自分が置かれている立場や、過去をふりかえり、これから先どうすれば豊かでスムーズな人間関係が築けいてけるか、生徒と共に勉強して行こうと思う。

『手塚治虫展』

2009-05-24 21:10:00 | 徒然なるままに
5月24日(日)

『手塚治虫展』(~6月21日・江戸東京博物館)を見てきた。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2009/0418/200904.html

私にとって、手塚治虫の漫画やアニメは、物心ついたときには当たり前のように、身近なものだった。
それは、漫画より、アニメのほうがより強かったかもしれない。

小1のときに始まった『鉄腕アトム』は、毎週一家で楽しみに見ていたし、小学校の鼓笛隊が演奏していたのを憧れの眼差しで見ていたものだ。明治製菓のマーブルチョコレートのおまけのアトムシールは宝物で、遠足の時はいつもマーブルチョコを買っていた。
お風呂でシャンプーをするときは髪の毛をアトムやウランちゃんの髪型にしてみたり。
アトムの最終回のラストシーン、アトムがロケットに抱きついて太陽に向かっていったときには、弟と一緒に声をあげて泣いたのを覚えている。

『ジャングル大帝』は、オープニングからインパクトがあった。なんてったって、オールカラー!富田勲の雄大な曲に負けないぐらいおおらかな歌声、フラミンゴの大群が大空でいっせいに翻るシーンは圧巻だった。

『バンパイヤ』はアニメと実写の合成だったが、今見てもそのアイディアも技術も完成度が高い作品だと思う。主人公の少年を演じていたのは、水谷豊氏だった。

『マグマ大使』は大好きな実写ドラマだった。地球をアースというのだということを知った。フォーリーブスの江木俊夫氏が主人公役を好演。

『どろろ』は、第1話から最終回まで本当に毎回ショッキングな話だった。特に最終回で、最後の倒すべき妖怪が実の父親だというシーンはすごく切なかった。
この作品が再放送されない理由が『放送禁止用語』が頻繁に使われているからと知り、残念に思う。

『リボンの騎士』は毎週胸ときめかせて見ていた。
 サファイヤが亜麻色の髪の乙女に変身してフランツ王子と会うシーンは切なくて、心からサファイヤの幸せを願ったものだった。

『ワンダー3』は、私がSFに目覚めていくきっかけだったかもしれない。
あの歌がよかったな~♪
♪とってーも好き ポッコ、ブッコ、ノッコ 星から来た仲間ーよ!

『悟空の大冒険』は私のお気に入りのベスト3に入る名作!あのテンポとキャラクターが大好きだった。
頼りない三蔵法師の声をアラン・ドロンの声を演じている野沢那智氏が演じていると知って、そのあまりのギャップにビックリしたものだった。

『アンデルセン物語』は夢中になって見ていた。とくに、『プシケ』の話は、私がギリシャ神話にはまるきっかけとなった。

『不思議なメルモ』は、思春期前期の私には、かなり刺激的で、でも、とても考えさせられるアニメだった。メルモが亡くなったお母さんに会いたくなって、キャンディーを食べるシーンは切なくなった。

『海のトリトン』は、原作は手塚治虫氏ではあるが、富野 由悠季氏の演出・脚色が色濃い。私は原作も、アニメ版も大好きだ。

『三つ目が通る』『ブラックジャック』『火の鳥』と大作が続くが、大人になってから(自分もアニメの世界の人間になってから)見るとどうしても純粋に物語の中に入っていけない。いつか原作もじっくり読みたいと思っているが・・・。

アニメ版ばかり書いてきたが、漫画版についてはまた次回書こうと思う。

展覧会に戻るが、生涯700作にわたる傑作を生み出した巨匠の、生涯とその時代背景、仲間の交流、家族などプライベートなども触れてあり、『人間・手塚治虫』を身近に感じることができる展示となっていたように思う。音声ガイドのナレーションを息子の手塚真氏、アシスタントをアトムとブラックジャックがつとめるという趣向も面白かった。これから展覧会を見に行く人がいたら、この音声ガイドはぜひ、オススメだ。

本物の展示を見て私が一番感動したのは、中学生時代に描いた昆虫の図鑑だ。本物そっくりの緻密な描写力にはただただ感心した。もう、感動!!
自分の名前に『虫』という文字をつけるくらい、本当に虫が好きだったんだなぁ・・・。


最期に、手塚治虫氏は、奥様に
『頼むから仕事をさせてくれ』
と言って亡くなったそうだ。
死の間際まで描いていた絶筆の遺稿を見て、本当に涙が流れた。
60歳、あまりにも早すぎる死ではあるが、その生涯はなんと濃密で、後世に多大な影響力を持つ偉大な生き様だったことだろう。
彼の求めてやまなかった永遠のテーマ『命の尊さ』は、どの作品にもちりばめられてあり、一貫している。

医学を志し、無類の虫好きで、過去・現在・未来を見通し、ミクロの世界から宇宙にまでイメージを広げられる手塚治虫氏はやはり『漫画の神様』だった。

未来の天国にいる私から届いたメッセージ。*(レター)*

2009-05-11 00:00:00 | 徒然なるままに
ネットサーフィンをしていたら、面白い占いを見つけた。
「未来の天国にいるあなた自身から、今のあなたにメッセージが届く」と言うのだ。

早速やってみたので紹介しよう

『2009年のわたしへ        

元気ですか?      
2009年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
わたしは72歳で、つまり西暦2032年に寿命を全うして生涯を終えます。
良い事ばかりでは無かったけれど、充実した人生だったと思います。
だたひとつだけ、過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。
それは2011年のある日のことです。
わたしはほとんど運命的に、イタリアのミラノへ出かけることになります。
そこで人生のクライマックスといえる出来事が起こるのです。
時がくればわかると思います。

最後にひと言。
72年間生きてみて思ったのは、
「危ぶむ無かれ、踏み出せば、その一歩が道となる」ってこと。

では、またいつか会いましょう。
がんばって!
  
○○○○○(本名)より 2032年の天国にて』

ゲームとはいえ、自分の寿命を知らされるのはちょっとショックだったけれど、自分が実際に72歳になったとき、2009年の今のわたしを振り返って、どんなことを思うだろうか?と思った。

逆に、今の私は、過去の私に、どんな言葉をかけてあげられるだろう?

初めての恋に一喜一憂していた頃の私。

自分の進路に悩んでいた頃の私。

親友の自殺と言う事実を受け止められず悩んでいた頃の私。

夢を追いかけ、挫折し、自分を見失い、立ち止まっていた頃の私。

結婚、出産、妻として、嫁として、母としていろいろ葛藤があった日々の私。

自立し、今の仕事に使命感を持ちながら、理想と現実に思い悩んでいた(今も)私。


「危ぶむ無かれ、踏み出せば、その一歩が道となる」

2年後の2011年に、ミラノで何が待っているのか?
運命と言うのが本当にあるのなら、きっとそこに行って、出逢うことになるのだろう。
『時がくれば分かると思います』

手塚治虫の『ブッダ』を読んだとき、自分の寿命を自分で予言した弟子がいて、仏陀は彼の生き方死に様にすごく感動した話があった。

私は、2年前、間違いなく即死していたかもしれない事故から奇跡的に生還した過去を持つ。
自分が無傷で生きていたことを知ったとき、私は悟った。
私は、まだ死ねないのだ。
私は、まだ生きてやり遂げなければならないことがあるのだろう。そのために生かされているのだと実感した。
まだ、それが何なのか分からないけれど、それ以降、困難なことに出逢うたび、これを乗り越えることが私に課せられた課題なのかと思うようになり、どんなにそれがつらいことでも、逃げなくなった。

何歳であれ、死の間際に『充実した人生だった』と思いながら、寿命を全うできるなんて、幸せなことではないだろうか。

奇しくも今から23年前の私は、結婚して姓が変わった年でもある。

あと23年の寿命と言うのなら、1日1日を大切に、出会う人出会う人一人ひとりとの縁を大切にしながら、その最後の1日まで、精一杯生ききろう。

【天国からのメッセージ サイト】
http://uremon.com/heaven/


目に青葉~恐怖の新緑の季節到来!

2009-05-10 22:38:00 | 徒然なるままに
連休明けの台風到来で、千葉県地方は土砂降りの平日だったけれど、この土日は初夏のような五月晴れだった。

布団を干しながら庭を見下ろすと、この雨と気温の上昇で一気に庭の草木が成長し、鬱蒼とした感じになっていた。
花壇はいまやハルジオンやらヒメジオンで覆われ、色的にはきれいなのだが、別名『貧乏花』と言われていることを思えば、荒れ放題の花壇というのは否めない。午前中、炎天下にもめげず、草取りに精を出したが、一生懸命咲いている『貧乏花』たちに自分を重ねてしまい、ついに抜くことができなかった。
去年、2年生の『CDジャケットデザイン』で、『ハルジオン』と言う曲のデザインをきれいに描いていた生徒とその作品を思い出したこともあるかな・・・。

午後からは、柿の木とグミの木の剪定をした。まだ青い小さな実をつけた枝を払うのはなんだかかわいそうだったが、電線にまで触れそうなほど伸びた枝は、事故の元でもあるし、以前、生い茂った枝葉の間にスズメバチが巣を作って、大変なことになったりもしたので、心の中で、『ごめんね、ごめんね』と言いながら生木を切った。

やりきれなかった裏の草取りは来週やることにしたのだが、裏も来週にはジャングル状態になっているかもしれない。
これからの季節は雨が降るたび、夏日が増えるたび、緑が鬱蒼と生い茂ってくる。どんなに草取りをしても、一週間も経てば元の木阿弥状態になるのだ。
除草剤を撒けばよいのだろうが、私はあえてそれはやらない。
雑草たちとの根競べ、負けないぞ!

でも、ちょっと心配なのは、踏み台のてっぺんで無理な姿勢で選定をやったり、根の深い雑草抜きをやったのが、明日明後日あたりにぎっくり背中になったらいやだな~。といったら、末娘が風呂掃除をしてくれ、風呂を用意してくれた。

今日は、末娘が中学校の竹林で掘ってきてくれた筍で筍ご飯を作り、豚の角煮を作った。
末娘は私のためにデザートにシフォン・ケーキを作ってくれた。
ふわふわで、ほど良い甘さのカスタードクリームを添えて
「どうぞ召し上がれ」
とご馳走してくれた。
素敵な美味しい母の日のプレゼントだった。 

*(カーネーション)*母になって20年*(カーネーション)*

2009-05-10 07:00:00 | 徒然なるままに
5月10日(日)

今日は母の日。*(カーネーション)*
「母の日」というのは、私にとって、2つの意味のある日だ。
1つは、子どもとして、母に感謝する日。
もう1つは、母として、子どもたちから感謝される日。

前者の場合、まさに自分をこの世に送り出し、育み、育ててくれたこと、大人になってからも、日頃、心配ばかりかけたり、何かと気にかけてあれやこれやしてくれることへの感謝の気持ちを表すことは、大事なセレモニーだと思う。

一方で、後者の場合、子どもたちが小さいときには、幼稚園や小学校からの働きかけもあり、可愛らしいプレゼントや、純粋で素直なメッセージに、ウルウルきたものだ。
が、それぞれ、思春期、反抗期を迎え、憎まれ口をたたかれ、煙たがられるようになると、お互い意地になって、素直にこの『感謝の日』を穏やかに過ごすことができない年が続いてきた。

それが、ここ2,3年ちょっと変わってきた。
まず、息子が大学に入った年には、大きなカーネーションの花を2輪手渡された。
息子は中学時代2度も家出をし、親として学校には米搗きバッタのように『いつもご迷惑ばかりおかけして・・』とペコペコし、いつ、また何をやらかすか、ハラハラさせられ、口を開けば「うるせー」「いいじゃん、べつに」「ふざけんな」しか言えないのかボキャブラリーの無さを嘆いたものだった。
高校時代は、私も働きだし、彼にかまわなくなったせいか、直接対決バトルは少なくなったが、心配事は行動範囲の広さに比例して増える一方。ずいぶん迷惑をかけられた。
そんな彼が進路を決める際は、相談にはのってあげられても、金銭面での応援には限りがあった。
最終的には一番行きたい大学ではないところに決まったが、彼の志す学部には、現役で合格できた。
予備校に通わすお金もないので、、ほとんど独学で、半年間、身体を壊すのでは?と思うほどの猛勉強だった。
その彼からもらったカーネーションは、何よりものプレゼントだった。

今年高校を卒業した長女は、兄にも増して大変な中学・高校時代を過ごした。
と同時に、私の母親としての一番辛い修行の日々だったと思う。
『逃げない』『ブレない』『諦めない』という、母として、また、教育に携わる者として、大切なことを毎日のように試されているような日々だった。
事実、あの頃の経験が、その後すごく役に立つ場面や、自分にとっても土台となっていることを感じるときがある。
今、彼女が追いかけている夢を素直な気持ちで応援できるようになってからは、大分穏やかな母子関係になってはきたと思う。が、いわゆる『外良い子』を頑張っている娘の家の中でのわがままぶりに、何も言わないではいられない未熟な母は、あいも変わらずバトルを繰り広げることもある。

3番目の中2の末娘は、ただいま思春期反抗期真っ只中。
でも、この子が一番私を見ていて、理解し、支えてくれている。
反面、甘えたいのを我慢し、寂しい思いもしているはず。
先日、私がボロボロになって弱音やら愚痴やら挙句の果てに人の悪口まで吐いていたとき、息子も長女もそれなりに相談に乗ってくれ、アドバイスしてくれたり、励ましてくれた。
しかし、末娘は黙って聞いていただけだったが、後で
「今のママは嫌い。私はもっとママと話がしたいのに、聞いてほしいことや相談したいことがあるのに、今のママは余裕が無さ過ぎて話しかけられない。今までも忙しそうだったけれど、仕事が終ればママに戻ってくれていた。だから寂しくてもそれまで待てた。でも今は早く帰ってきても泣いていたりして話しかけられない。ママ、もっと自分を大切にして。ちゃんと寝て。食べて。自分のことをする余裕を持って。うちに帰ってきたら、私の『お母さん』に戻って!私にはまだ『お母さん』が必要なんだよ。」
といわれた。

すごくショックだった。反抗されるより、煙たがられるよりストレートに反省させられた。
あの日、娘とじっくり話し合った。いっぱい溜まっていたのだろう、吐き出すようにポンポンきついことを言われた。
娘は私の話もよく聴いてくれた。
お互いに気持ちを吐き出せた翌日からは、娘の態度はずいぶん柔らかくなったと思う。
G.Wはなるべく家にいて、一緒にいっぱい話しをしたり、ご飯を作ったり、友達を呼んでお楽しみ会をやる手伝いをしたり・・・。
彼女が覚えている私がまだ『お母さん』だけだった頃に普通にしていたことをやった。

大きな身体をして甘えてくる末娘の背中をなでながら、スキンシップが足りなかったなあ・・と大いに反省した。

3人とも、身体は大きくなっても、まだまだ子どもで不安定だ。
時には親も人間だと弱みを見せることがあっても、寄りかかれないほどボロボロに弱っていたり、話しかけられないほどいっぱいっぱいになって余裕がないようではダメだ。
私が子どもの立場でも同じことを思うだろう。
親が心身ともに健康で安定していてくれてこそ、子どもはやりたいことをやり、外で思いっきり動けるのだ。
親が弱って不安定だったら、心配で自分の心配事でもっと弱らせてはいけないといらぬ気を使ってしまうかもしれない。

『母の日』
故郷の母が元気でいてくれることに感謝。
私も『母になって20年』。
今日は、私が母として、主婦として頑張る日。
それが遠く離れた母にとっても、まだまだ『お母さん』が必要な子どもたちにとっても大切なこと。
さぁ、きょう1日忙しくなるぞ!

もしも、ある日目覚めたら体が10代に戻っていたら?!

2009-05-09 20:08:00 | 徒然なるままに
ある日突然17歳に戻って、第2の高校生活を送る、と言う映画『17again』と言う映画の広告を見た。

【ストーリー】
1989年、ハイスクールに通うマイク(ザック・エフロン)はバスケ部のヒーロー
そんな彼が彼女の妊娠を知り、進学やバスケをあきらめて彼女と一緒になる人生を選ぶ

そして20年後
結婚生活はがけっぷち、会社で昇進もできず、子供たちとのコミュニケーションもとれないマイク(37歳のマイク役はマシュー・ペリー)は、進学やバスケをあきらめたあの時が人生の選択の間違いだったと後悔ばかり...
そんなマイクがある日本当に17歳に戻ってしまう
17歳からやり直し、もう一度人生の選択をするチャンスをあたえられたマイクが選んだ新たな人生とは...

【17again 公式HP】
http://wwws.warnerbros.co.jp/17again/

過去に戻ってやり直すのではなく、現代の時代で、身体だけが17歳になり、心は実年齢のままで第2の高校生活って・・・。なかなか面白そうな映画だ。

私も、もし、私がある日突然、身体だけ中学生になって息子や娘と同級生になったら・・・って、思うことがあった。
もしくは、中学生の自分がタイムスリップして現代にやってきたら・・・とか、その逆に、自分の娘や息子が、中学時代の自分に会ったらとか・・・。
『ドラえもん』みたいに過去と未来を行き来できたらの話だけど。

最初の、今、身体だけ中学生になれたら・・・と言うパターンは、結構いけるかもしれない。
というか、今、中学生を教えながら、何故か私は中学生よりもずっと子どもかもしれないとか、純粋かもしれないと思うことがある。
そのせいか、生徒たちのほうが、私の熱血ぶりや夢見る乙女的なところに、半ば呆れたり、応援してくれたり、『俺たちより若いんじゃない?』とか、『私たちよりウブい』なんて言ってきたりするときがある。

特に、『CDジャケットデザイン』のときや、昼の放送の選曲のときは「先生、若いね~」とよく言われた。今流行の歌を知っていたり、TV番組や漫画に詳しいのは、うちにも中学生、高校生、大学生と言うティーンズがいるからでもあるんだけど・・・。もちろん、自分が青春時代によく聴いた曲も流し、生徒たちからは「古~い!いつの曲?」といわれながらも、同世代の先生方からは「聞いてるうちに若い頃思い出して若返った」といわれたりした。


そんな私が、もし、身体だけ中高校生になったら・・・。
まず、もっと積極的になんにでも取り組むかな?
中・高校時代もそれなりに行動的なほうではあったが、いろんな下らないプライドや見得や自信の無さから、肝心なところでしり込みしたり、チャンスを生かせないできたところがある。

もしやり直せることなら、もっと1日1日を大切にして、充実感を持って過ごしたい。・・・て考えるところが『おばさんくさい』って、煙たがられるかもしれないけれど。

それから、もう一度中学の美術をしっかり学びなおしたい。
中学時代、私は美術の授業が大嫌いだった。絵を描くのは好きだったけれど、授業が嫌いで、高校時代は美術を選択しないで大いに後悔した。

あの時に、ちゃんと美術を学んでいたら、違った人生を送っていたかもしれない。いや・・・・結果的には同じで、ただ遠回りしてきただけなのかも・・・。むしろ、そんな中学時代を送ったからこそ、今、中学校であの時こんな授業を受けたかったというような授業をやっているのかもしれない・・・。

それから、勉強をしっかりやり直したい。テストの点数は悪くなかったし成績もいいほうだったはずなのに、忘れてるんだよね~。こういうのは学習して身についたって言うのではなく、その場限りのやっつけ仕事で覚えたつもりで身についてないということなんだろうなぁ・・・。
英語でも、数学でも、社会も、理科も。とくに英語!英語は大人になってから結構使うよ。知らないと恥かくこともいっぱい。
でも、必要に迫られてから学び直すと、一通りのことは一応頭に入っているから、ああ、そうだったのか、なるほどと、今頃になって理解したりすることはある。
それをやってみたい。生活のために働かなくてもいい、学生という身分に戻って、みっちりと。詰め込みやその場しのぎな勉強ではなくね。

それから・・そうねぇ・・・。もう1度胸キュンな恋ができたらいいかなあ・・・。
教え子たちの中にも、素敵な男の子たちがたくさんいる。
もしも、中学生になった私がクラスメイトになれたとして、恋が芽生えるかどうかはわからないけれど。
でも、変な見栄やプライドは捨てて、駆け引きなんかもせずに、ホントに純で素直な気持ちで恋しちゃうかも。
そして、万が一私に恋してくれる男の子がいても、けして邪険にしたり、からかったりしない。もし、断るにしても、しっかり受け止めて、ちゃんと向き合って、一緒に考える。

そういう一生懸命の恋がしたい。
実際の私の中・高校生の頃の恋は、いわゆる『恋に恋するお年頃』と言うやつで、結局恋する自分がかわいかっただけなのかもしれない。
自分が傷つくのが怖くて、結局相手を傷つけていたことに気が付かなかったり・・・。
せっかく、精神年齢は今のまま若返られるんだったら、上手ではなくても、不器用でも、一生懸命な恋がしたい。
相手は、同級生でも、先輩でも後輩でも、先生でも、大人でも、外国人でも、同性でも、いい。
『この人だ!』という人と真剣な恋をしてみたい。

恋に関しては、今だってこれからだって可能性がないわけではないだろうけど、年齢が限られて来るし、立場とかいろんな柵がくっついてきて、純粋な恋には発展しなさそうだしね・・・。

映画のほうはどんな展開になって、どんな結末なのかは知らないが、ぜひ見てみたいと思う。


スラムダンク『あれから10日後』完全版

2009-05-09 17:08:07 | アニメ


2004年8月10日、新聞6紙に一斉に掲載された全面広告。高校バスケを描いて一世を風靡した漫画『スラムダンク』が1億冊を突破したことを記念して、作者の井上雄彦が自ら広告主となり、多くの人々を驚かせた。
そこで立ち上げられた“『スラムダンク』1億冊感謝記念サイト”には、ファンからの感謝のメッセージが多数寄せられた。サイトのクローズにあたり、井上雄彦はファンのために一つのイベントを企画した。
2004年3月をもって廃校となった旧神奈川県立三崎高校を借り、'04/12/03~05、最終話から10日後の「彼ら」を、教室の黒板に描いた。

スラムダンクの『あれから10日後』とは-----
『スラムダンク』最終話を飾った「湘北対山王工業」戦。何ページにもわたってセリフはなく、すべて動きと人物の表情だけで表現された山王戦。鳥肌が立つのを抑えられなかった、あの衝撃的なラストシーンから10日後の「彼ら」。赤木晴子、三井寿、宮城リョータ、赤木剛憲、木暮公延、流川楓。そして、桜木花道――。
湘北高校のキャラクター達だけではない。数々の名勝負を演じてきたライバル達の「その後の日常」も描いた作品だ。

その作品が、写真集となって蘇った。新聞6誌に掲載された湘北高校メンバーの絵とともに。

巻末には英語訳が掲載され、『スラムダンク』の海外のファンたちも大喜びだろう。

表紙の海岸の写真は、桜木花道がリハビリを続けながら毎日見続けた海なのだろうか。
裏表紙の使い込まれた体育館のバスケットコートの床の写真がまたいい!!
キュッキュッというバッシュの靴底のすれる音や、ダムダムというドリブルの音が聞こえてきそうだ。

去年は上野の森の『井上雄彦・最後のマンガ展』ですごいエネルギーと感動をもらった。
今年は『あらから10日後・完全版』で泥沼の底から一気に浮上するくらいのパワーをもらった。
もう1度読み返して、さらにエネルギーを補給させてもらおう!

井上雄彦サイト
http://www.itplanning.co.jp/

SLAM DUNK -10 DAYS AFTER
http://www.itplanning.co.jp/slamdunk/


『崖の上のポニョ』と宮崎監督の言葉に励まされて

2009-05-09 16:33:26 | アニメ


本館のHPを更新中、こちらのサイトをしばらく更新していないのに気が付いて記事的には古いのだけれど、『崖の上のポニョ』について載せることにした。

2008年8月8日

『崖の上のポニョ』は、大学2年の息子曰く『久しぶりに楽しめたジブリアニメ』だそうだ。もう一回見たいとも言っていた。先日、NHKの宮崎駿監督の特集を見た。今の時代、あえてアナログの手描きにこだわったアニメ作りと、一つ一つのエピソードや、色使い、キャラクターの性格や表情、動きなど、一コマ一コマ妥協を許さず、大切に作り上げている姿勢に心打たれた。

私もかつて、アニメの仕事に携わったことがあるが、自分としては、いつも不完全燃焼で、矛盾を抱えながら仕事をしていたように思う。そう、『作品』ではなく、『商品』を描いていたのだ。描けば描くほど上手にはなるが、アニメ作りへの理想・夢、情熱のようなものが磨り減っていくような気持ちだった。
時間と予算に縛られて、それに見合った仕事をする。
3万円なら3万円の仕事。5万円なら5万円に見合うだけの仕事。
まだ駆け出しの背景マンには、作品ごとに絵柄を書き分けるのが精一杯で、描く力や品質を調整するなんてことはできなかった。
『腕に貯金する』つもりで、描き上げた『商品』には愛着を持たないようにし、(撮影後は焼却処分され、手元には戻ってこないのだから)とにかく背景を描くマシンになってがんばっていた。
テクニックは付いたが、絵を描くことが楽しくなかった。

そんな私が、結婚してアニメをやめ、子どもが生まれていっしょにお絵かきをするようになり、長男の入園と同時にはじめた人形劇に出会って、本当に絵を描く喜びと楽しさ、面白さを知った。自分が描いた絵や作った人形、脚本、演技で、こんなに喜んでくれる子ども達。いい物を作るために、みんなに喜んでもらえる舞台を作るために、誠心誠意、本気で取り組む仲間に出会って、本当に充実していた。このときに、『昔取った杵柄』や『腕に貯金』していたことが本当に役に立ったと思った。

そして今、中学校で美術を教えながら、その『昔取った杵柄』や『腕に貯金』していたことが授業に生きている。

宮崎駿監督は、「自分の作品が人を楽しませることにこそ自分の存在意義がある。」とおっしゃっていた。
『評価』や『講師の給料に見合うだけの仕事』という言葉にがんじがらめになっていた私を解放してくれる言葉だった。
私が教師という職業を選び、続けている理由。その原点に立ち返らせてくれる言葉だった。

お盆に帰省するが、ぜひ、故郷の両親といっしょに、もう一度『崖の上のポニョ』を見ようと思う。

*****************************************

そして、帰省したとき両親も一緒に見たのだが、二人とも想像以上にハマッて見ていた。
映画館の入っているショッピングモールの書店で、画集を買ったところ、父は隅から隅まで眺めていた。

授業でもNHKで見たこの作品に書ける宮崎駿氏の命がけの取り組み方や、宮崎氏がコンポストーリーのラスト近く、車椅子に座っていたトキさんが、ソウスケを助けるために立ち上がり、夢中で駆け寄って抱きとめるシーンを泣きながら描いていたときの話をすると、生徒たちも真剣に聞いていた。

『崖の上のポニョ』の主題歌は、宮崎駿氏が『映画館から皆が、口ずさみながら出てくるような主題歌と言うことで作られたと言うことだが、紅白歌合戦にも出場したほどの大ヒット!

前任校の感謝祭(予餞会)では、3年生職員の出し物として『崖の上のポニョ』を踊った。そのとき、白いトレーナーに赤いカーディガンを着て踊ったところ、次の日から私のあだ名は『ポニョ』になってしまった。にくったらしい1年生には、『ポニョ』じゃなくて、『ボニョ』だ~」とからかわれたり・・・。(なつかしい)

ジブリの次回作は何だろう。命を削りながらの制作になるのだろうが、宮崎氏にはまだまだ現役で頑張ってほしいと思う。

ラピスラズリのライブコンサートに行ってきたよ!*(音符)*

2009-05-09 08:46:00 | 徒然なるままに
佐倉市立美術館の近くにあるライブハウス・SUN RISEで『ラピスラズリ』のコンサートを聴いてきた。

アコースティックなギター1本の伴奏と男女のデュオなのだが、オリジナル曲もカバー曲も、心に染み入るような、また、よし頑張ろう!と励まされるような、素敵な曲ばかりだった。

特に、私を誘ってくれた前任校の先生が、私のためにリクエストしてくださった歌が良かった。その歌は、ボーカルの方は現役の中学校の国語の先生で、生徒の作文から言葉を選んで作詞した歌で、ご自分の学校では3部合唱にして生徒たちが歌ったり、道徳の時間に教材として使っている曲だと言うことだ。
聴いているうちに、本当に、言葉には『言霊』と言うように、『魂』が宿り、『力』を持つのだと言うことを実感した。それにメロディーが付くと、すんなり耳から体の中に入ってきて、心が満たされてくると言うか、涙が流れてきた。

私も、美術の授業で『自分を励まし、見る人を励ます言葉』と言う水墨画を生徒に描かせるが、本当にグッと来る作品に出逢うことがある。上手い下手ではない。生徒の感想にも、「自分の部屋に貼って挫けそうな時や、凹んだ時に見ていたい」と言う感想が寄せられる作品は引き寄せられるような引力を持つ。
言葉って本当に不思議だ。

仕事で遅れて行ったにもかかわらず、2ヶ月も早く(笑)私のためのバースデイ・ソングを歌ってもらい、美味しい料理を食べ(車で行ったので、残念ながらお酒はなし)、前任校の先生方と語り合い、笑いあい、すごく満ち足りた気持ちで帰路に着いた。

次回のライブコンサートは6月22日ポートタワーだとか。ぜひまた聴きに行こうと思う。

ライブハウス・SUN RISEは2回目だが、なかなか落ち着くお店で、お料理も美味しい。なんといっても、目の前でライブが聴けるというのは素敵だ!
車で行くとお酒は飲めないが、昨日飲んだブルーベリーティー*(紅茶)*はとても美味しかった。
昼もやっていると言うので、佐倉市立美術館や国立歴史博物館に行ったときはぜひお昼を食べに行こう!

ラピスラズリ
http://www5.plala.or.jp/lapislazuli-g-v/

ライブハウス・SUN RISE
http://mhsunrise.com/


連休明け初日の反省

2009-05-07 23:51:00 | 徒然なるままに
5月7日(木)

久々の出勤。なんだかいつものペースがつかめないまま、1日が終った。

5月の掲示板はおかげさまで大好評。校長先生にもほめられた。
さて、6月はどうしようかなぁ・・・。

連休中に仏像のプリントを作り、意気込んで授業をしたものの、連休明けだからか、3年生の反応はいまひとつだった・・・。

考えてみれば、行ったことも見たこともない、京都や奈良のお寺の話や仏像の話だ。
何度か見たり行ったことのあるリピーターに話すような調子では、生徒もついていけないのだろう。
果たして私は、初めて関西に行く生徒たちの気持ちになって授業をやっていただろうか・・・。
歴史に興味のある生徒などは、手応えのある反応や感想を返してくれたが、中には飽きて消しゴムを刻んで飛ばす生徒もいた。集中して聞いてはいたが、難しかったと感想を書いていた生徒もいた。

職員室で授業の様子を隣席のカウンセラーの先生に話したところ、指されて答えるとき、「もし間違えたら・・」とか、「失敗したら・・」と言う思いが先に立ち、思ったことを言えない年頃でもあり、クラスの雰囲気にも左右されているのでは?と言われた。

授業が終った後は、いろいろな生徒が移動ぎりぎりの時間までいろんなことを話しかけていくのに、授業中はいまいちノリが悪いのだ。
制作作業はまださせたことはないが・・・。

さて、この反省を次にどう生かすか―。
やはり、授業は生徒が生き生きと活動してこそ成り立つものだ。
私の一方的な講義だけでは15歳の集中力はそう長くは続かない。
飽きさせず、さらに興味を持って積極的に課題に取り組めるような、授業の進め方や取り組ませ方を見直さなくちゃ。

せっかく、京都、奈良に行くのだ。
修学旅行が200倍楽しくなるような授業を再検討!