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交流

ごほうび

2006-08-22 23:33:00 | 徒然なるままに
8月22日(火)

夏休みもあと残すところ10日をきった。
今日は最後の特別休暇。
午前中、デイキャンプ場に子どもたちを送りに行き、午後から白髪染めに行った。

忙しさにかまけて私の髪は伸びて重たく、ウザッたい上、根元の白髪が目立ち始めてきた。

すっきり短めにカットし、黒々とよみがえった髪。
今日は顔のエステをして、老廃物を出し、一通り終わった後はすっきりさっぱり、スベスベの小顔になった感じ。
見た目にも5歳は若返ったかな?????

友達の経営する美容院。
ここに来ると、いつも元気とエールをもらって、おまけに5歳は若返って「可愛くなったよ!若い若い!!」と言われてその気になって帰る。
美容師って大変だけど、素敵な職業だと思う。

今まで頑張ってきた私にごほうび、明日からもっと頑張れるように5歳若返った私に万歳!


『ゲド戦記』を見て

2006-08-15 06:10:00 | 徒然なるままに
8月12日(土)

先日、ゲド戦記を見てきた。

原作は読んでいないので、原作との違いはおろか、ストーリーについてもあまり良くわからないのでちょっとずれた感想になるかも。

新聞をはじめ、各方面、ジブリの公式サイトでも賛否両論があるが、監督第一回作品としては大健闘だったと思う。
ただ、ジブリと言う国内外から注目度の高いスタジオの作品と言うことで、最初からかなりの『期待度』というハードルが高すぎたかもしれない。

私は、宮崎駿監督が東映動画時代から手がけた作品をほとんど見ているが、彼は最初から監督をしていたわけではない。
東映動画、日本アニメに始まり、いろいろなスタジオで緒先輩方といろいろな作品に、作画監督や画面構成などというスタッフとして関わり、修行を重ねてきたのである。高畑勲監督という相方を得、ジブリを立ち上げ、作品を日本を代表するアニメ制作会社として成長させてきた。
その最高のスタッフと恵まれた環境をバックに、今、新たなホープ宮崎吾朗監督が誕生した。
『ゲド戦記』は荒削りだが、ハートのある作品だ。
賛否両論、どんな意見も真摯に受け止め、次回作は更なる飛躍を期待したい。

今日、TVでゲド戦記を見た小学生の兄弟2組が、映画の中で感動した夕焼け、朝焼けと同じ風景を見に旅をするという番組を見た。
『初めてのおつかい』という番組があるが、子どもたちが互いに助け合いながら、目的地にたどり着くというドキュメンタリー。
『分からない時は他人に聞く』ことで、ピンチを切り抜けながらいくのだが、実際は放送局が段取りはつけてあるのだろう。
そうとは知らない子どもたちは、親切にしてくださった土地の方々に感謝しながら目的地を目指す。
果たしてたどり着いて目にした光景に、素直に感動している子どもたちの目が美しい。
『ゲド戦記』と同じ風景を見たい。その一心ではるばる旅をして、主人公たちと同じように畑仕事をしたり、険しい道を手をつないで一緒に歩き、朝日を見るために早起きしたり。
一生忘れられない、いい経験ができたことだろう。
日本にも、こんなに美しい風景があり、人は自然とともにあるということを幼い心にしっかりと刻み込めたことだろう。

『ゲド戦記』のコピーは『見えぬものこそ』
映像の半分近く『空』の表情が印象的だ。
少女テルーが夕焼けの草原で独唱するシーンは、透明感があり、アレンとともに涙ぐんでしまうくらい心に染み入るシーンだ。

最後に、この映画を見て、原作に大変興味を持った。
あらすじしか読んでいないが、タイトルにもなった、ゲド自身(ハイタカ)の少年時代の話をぜひアニメ化してほしい。
『スター・ウォーズ』みたいにエピソード?が後から制作されたように。
あのハイタカがどんな生い立ちで、どんないきさつで魔法使いになり、第賢人になって、テナーとはどんな風に出会ったのか。

まずは原作を読んでみよう。

子どもを読書好きにする方法

2006-08-14 07:46:00 | 徒然なるままに
8月8日(火)

実践授業報告会に参加。
全日かけて、市内の小中学校の先生方の実践授業の報告を聞いた。
読書を全校挙げて教育の柱としてとき組んでいる学校、
地域社会との連携を図り、「ふれあいボランティア」として、授業に積極的に関わってもらっている学校、
体力向上を目指し、体育の苦手な子にどう言葉かけをし、できないことをできるように励ましていくかを実践している先生、
職業体験を生かし、進路選択にどう反映させているかと提案

それぞれの発表は大変参考になり、勉強にもなった。
と同時に、その実践に対して、実際はたくさんの課題があることも分かった。

その中で、気になったのは読書の取り組みについて。
子どもたちの読書離れは深刻だ。でも、それを国語力(読解力)という側面だけで対応するのでは不十分だと思う。
もっと五感を使った想像力をくすぐる本との出会い作りが大切なのでは?
要は読みたいと思うきっかけ作りだ。
たとえば視覚から入る、聴覚から入ると言うことで、最初はアニメや、素話、人形劇で見せて、原作を読ませると言うのではどうか。

『ハリーポッター』や『指輪物語』、『ナルニア国物語』、今年は『ゲド戦記』など、長編のシリーズものでも、子どもたちは続きを知りたくて、原作を読みたくて、分厚い本を果敢に読んでいる。

私は幼稚園で人形劇を長年やってきたが、原作があるものは極力原作どおりに脚本を書いた。
『三匹のこぶた』『ヘンゼルとグレーテル』などは、子供向けミュージカルなどでは『毒消し』をされて、原作者の意図がまったく反映されていない。
上演後、ディズニーアニメと違う結末の『三匹のこぶた』に興味を持ち、原作を読んだ親子もいた。
「お兄さんたちは死んじゃって、狼は3男に食べられちゃうんだ~」とショックな子もいたし、その結末を知らない親もたくさんいた。
『三匹のこぶた』の一番面白いところは、3男と狼の知恵比べのくだりなのだが、そこをはしょって、レンガの家の頑丈さばかりを強調し、兄たちは殺されず、3匹仲良く狼を追い払うと言う面白くもなんともない脚色が横行しているのが現実だ。

当時の私を支えたのは、美智子皇后のスピーチ『子供の本を通しての平和 --子供時代の読書の思い出-- 』http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/26ibby.htmlだった。
小さい頃から毒を抜いたものばかり見せるのではなく、読書の世界の中で、過酷な状況で悩み苦しんだ主人公たちが成長する姿や、古今東西こういうあんなことがあり、こんな暮らしがあるということを、読書すると言うことで疑似体験ができる。
こういう読書体験を積むことで、人とのコミュニケーションや、困難に立ち向かう勇気と知恵、挫折からの立ち直り方を学んでいくのだと思う。


小学校の図工で、『花咲き山』『八郎』『半日山』『かみなり娘』『猫山』、中学校美術の授業では『はっぱのフレディ』や『あらしの夜に』を読み聞かせ、感想画を描く授業をしたところ、子どもたちは図書室に自分で本を借りに行き、『あらしの夜に』のシリーズは全巻貸し出し中になった。読書感想画もなかなかのものが描けた。
『あらしの夜に』はちょうど直後にアニメが上映される頃だったので、アニメを見た生徒が、原作との違いや、アニメならではの表現の面白さなどを熱く語りに来た。

我が家で言えば、読書好きの息子が最初に自分から図書館で借りてきた本が『王様シリーズ』(寺村輝夫・作)だった。
きっかけは人形劇団プークの人形劇。
当時まだ4歳だったが、小学校入学までに寺村作品はほぼ読破していた。
本をシリーズで読む楽しさ、同じ作者のほかの本を読む楽しさをを覚えた彼は、その後、国内外の名作、名著、話題作に至るまで、かなりの読書量を更新していく。

我が家の末娘は、どういうわけか去年までは読書嫌いで、図書館から借りてくる本は、飼育や栽培の本、レシピ本ばかり。
物語は嫌いではないが、自分で読むのは面倒と言うタイプだった。
ところが、去年公開された『ハリーポッター・炎のゴブレット』を見に行く前に、「原作を読み終わったら映画に連れて行く」と言う条件を出したところ、最初はあの本の厚さに閉口していた娘が、物語の面白さにはまり、今では全巻読破の3回目に入り、すっかり「カルト」級になってしまった。

兄に比べればまだまだだが、本を読むスピードと集中力、理解力、語威力はこの1年間で相当ついたのではないだろうか。

長くなってしまったが、「活字離れ」を嘆いてばかりいるのではなく、まず、五感を刺激するところから「読書の世界」へ水先案内をする手立てを考えてみてはどうだろうか。

可愛いカード作りや、自分専用の図書カードと言うのはその後に効力を発揮してくると思う。

ここまで書いて、さて、自分はどうだろうと振り返ると、最近あまり本を読んでいない。下手をすると新聞を読まない日もある。
夏休み、私も心がけて本を読むことにしよう

意気に感ず~美術の補講~

2006-08-14 00:21:00 | 徒然なるままに
8月9日(木)

夏休み美術の補講最終日。
台風接近中ということで、今日は誰も来ないかなぁと思いきや、雨の中登校してきた3年生4人。

「今日一日で仕上げるぞ」と熱心に作品に取り組んだ。
CDジャケット・デザインと言う課題を、どう捕らえ、取り組むか。
まずは曲を選び、その曲のイメージを考え、習った手法を取り入れながら画面構成をする。
何度も下書きをし、レタリングをし、手法の練習をして、出来上がった作品は・・・。
「3年間の美術の作品で、一番良くできた作品だ」
と言ってくれた子、
「想定以上の出来だ」
と大満足の子、
初日に出来上がったのに、毎日友達を連れてきては
「俺の作品すげーだろう」
と自慢する子、
「来て良かった~!家じゃこんなに上手くできなかったかも!」
とにこやかに帰っていく子

毎日蒸し暑い美術室で、ましてや今日は台風接近の中、弁当を持ってこない子は飲まず食わずで3時近くまで、よく頑張った。

上手くなりたい、いい作品を描きたい、いろんな手法を学びたい、美術が好きだという生徒が、受験生としての中3の夏休みに、美術の課題をやりに登校してくる。
高3の息子は、
「普通、受験生が夏休みに、呼ばれもしないのにわざわざ美術の課題やりになんて登校しないよ。上手い下手関係なく、やる気だけでも評価アップしてあげなよ。」
と言った。
『意気に感ず』と言う言葉があるが、まさにそれだ。
一生懸命取り組み、できるまで、満足いくまで何度もやり直す。
アドバイスを素直に受け止め、まずやってみる。
彼らのやる気に私自身が触発されている。

普段の授業でもこのくらいの密度でやりたいのだが、少ない時数、短い授業時間、1クラス40人と言う条件下では不完全燃焼状態だ。
夏休みのゆったりした時間、やる気のある子ととことん作品作りに打ち込める、本当に充実した至福の時間だ。

本人たちも、課題は完成できたし、できばえはいいし、大満足で帰っていく。
その作品を見て、他の生徒がやる気になって登校してくる。

なんだか、仕事したな~!ッて感じだ。

来週は県大会や全国大会に出場することになって、補講に参加できなかった部活の生徒のために、3日間の補講を追加した。
『意気に感ず』る生徒が何人来るか、楽しみだ。

夏休み

2006-08-13 23:41:00 | 徒然なるままに
8月10日(金)

今日から長男(高3)と末娘(小5)は、石巻の祖父母の下に泊まりに行った。

私は長女(高1)のバイトと、お盆中に日直のため出勤せねばならず、今回の帰省は見送らざるを得ない。

というより、今日から私も夏休み。
たまった家事とレポートを片付けねば。

スラムダンク

2006-08-13 23:33:00 | 徒然なるままに
8月11日(土)

いまさらながら、スラムダンクにはまっている。
この夏休み、DVDを全巻借りて見ている。
コミックのほうはなかなか全部は読めない(31巻が揃わない)ので、最初にアニメから入った。

ストーリーとしてはとても面白いと思う。
花道の成長ぶりが、毎回楽しみだ。
20000本シュート練習のとき、安西先生が「『道楽』かもしれませんね。」という台詞があるが、どんどん吸収し、成長著しい、無限の可能性を秘めた未知数の花道を観ているのは、本当に楽しみだ。
主役としてはばっちりな設定だ。
『マイ・フェア・レディ』を彷彿とさせる。

他のキャラクターもそれぞれとても魅力的。(声も良かった)
でも、他の誰が主役でもこれほど面白くはならない。
やはり、花道が主役だから面白い。
花道軍団が最高!花道のいい時も調子の悪いときも、晴子への恋心も全部ひっくるめて見守り、応援し(時に冷やかし)てくれる。本当に生涯の友達だと思う。
花道にはまた、湘北バスケット部のチームメイトというかけがえのない友がいる。憧れであり、同志であり、目標であり、好敵手としての彼らの存在が、花道を更に成長させる。
そして晴子の存在。彼女は女神であり、活性剤だ。(花道の気持ちに鈍感と言う設定が効いている)
彼女の一言が花道のターニングポイントとなり、復活源となる。貴重な存在。
まだストーリーの途中だが、流川の存在はとても重要。彼への闘志が花道の未知数の部分を引き出す。こういう好敵手に出会えた幸いを彼はいつか必ず感謝するときが来るだろう。

これだけしっかりした人物像の個性的な登場人物は、ともすると、作者の意図に反して、勝手に一人歩きしてしまいそうだ。
ストーリーや試合運びを考えるとき、それぞれのキャラクターと作戦会議しながら、それぞれの見せ場や山場を考えるのは大変そうだけど、楽しそうだ。

回想シーンが長すぎるのがちょっと気になるが、それぞれのキャラクターを理解し、愛着を持つには有効だ。
特に副キャプテン小暮の執念や、魚住や福田の3年間などはぐっと来た。

アニメではこれからDVD17巻目を観るところだが、全国大会編は制作されていないとか。なぜ?残念だ。
コミックの完全版が出ていると言うことなので、ぜひ、読破しようと思う。

著作権の問題があるのでアップはできないが、登場人物を描いてみて、いまさらながら井上雄彦氏の画力には脱帽。

流川、三井、宮城は描いてみて惚れ惚れするほどいいキャラだ。目の表情がいい。
次は花道を極める!


吹奏楽コンクール

2006-08-13 20:47:00 | 徒然なるままに
8月13日(日)

吹奏楽コンクールに行ってきた。
残念ながら我が校は、東関東大会出場校には残れなかった。
3年生はそれぞれ、全力を出し切って悔いはないという人もあれば、予選と同じところを間違えたと悔いが残った人、様々だったが、最後の記念撮影の時は皆いい笑顔だった。
19日のサマーコンサートでは思い切り楽しんで演奏してほしい。
コンクールはやはり、緊張して硬くなってしまう。
聴いてるほうも行き詰る感じで音楽を楽しむと言う雰囲気はあまりない。
男子生徒が言っていたけれど、本選と予選とでは客の質が全く違うらしい。
予選の時はただ聞きに来たと言う人が多くて、平日で会場もパラッとしていたけれど、本選は休日でほぼ満員。
聞いている人は『この学校はどんな演奏をするのだろう』という感じで、そういう目に見つめられる中での演奏はきつかったのだとか。

でも、それはどこの学校も同じ。みんな13~18歳のまだ学生。緊張して当たり前。
ただ、違いは、練習量と場数。
練習量では我が校はどこにも引けを取らないと思うけれど、初めての本選出場と、満員の大ホールや強豪校との競い合いは初めて。緊張感が違ったかな。
でも、今回はここまで来られただけでも花丸!
2年生たちには
「来年もここで演奏して、先輩たちの意思を受け継いで上を目指すんだよ!」
と言ってきた。

午後から高校部門を聴いたが、さすがは高校レベルはすごかった!

どの学校のどの曲も、皆真剣に一生懸命演奏していて、甲乙付けがたかった。
演奏している時の生徒の表情も、会場で聴いているみんなの表情もすごく良くて、何にでも真剣に取り組んでいる人の顔は美しいなあと思った。

つくづく音楽っていいね~。
私はコーラスはやっていたけれど、音符が読めなくて、耳コピー専門の人なので、楽器を演奏したり、作曲、編曲できる人がうらやましい。
ケーナとオカリナは好きで吹くが、まだ人様の前で聞かせられるほどではない。
5年後にはマチュピチュでインディオの人たちとセッションすると言う夢の実現のためにも、私も練習頑張ろう!と思う。



HAPPY BIRTHDAY!ピッピ

2006-08-07 23:31:00 | 徒然なるままに
8月7日

今日は末娘ピッピの誕生日。
午後から年休を取って、プレゼントを買いに一緒にショッピング。夜は皆でレストランでお食事。

ピッピも11歳。服のサイズは150cm。婦人服のSサイズでもOK。

ついこの前生まれたような感じなのに、まだまだ小ちゃいピッピだとばかり思っていたら、もうすぐ私の背を追い越しそうな勢いで成長している。
成長しているのは背ばかりではない。
精神的にも普通の5年生の何倍も苦労しているだけあって、11歳とは思えないほどいろんなことを考えている。
『ブレーブ・ストーリー』を観ていて、ワタルとピッピがダブって見えて、涙が止まらなかった。

でも、まだまだ11歳。夕べは和室で一緒に布団を並べて寝た。

ピッピの夢はパテシエ。
高校は、家政科のある学校で家庭科を専門的に勉強したいと言う。
アジのたたきを造り、自分で釣ってきたイカをさばいて刺身にし、パンもケーキもクッキーもレシピ無で上手に作り、お小遣いは家庭菜園に使い、野菜作りが大好き。

勉強嫌いが玉に瑕だけれど、楽しみな愛娘だ。

『光ある道を歩きなさい』

今のままの、心優しい、素直な、明るくてたくましいピッピらしさを忘れずにすくすく育ってほしい。

11歳おめでとう。
私のところに生まれてきてくれてありがとう。

夢を夢で終わらせない!

2006-08-06 23:33:00 | 徒然なるままに
8月6日

劇団養成所時代の恩師、川和孝先生演出の芝居を観てきた。

久しぶりの生の舞台だった。
いつも、子どもたちと見ている大ホールでの劇とは違う、小劇場での『現代劇』。
役者魂というか、役作りの息遣いを感じる『距離』での観劇には大いに触発された。

ロビーで先生著の朗読のレッスン本を購入。サインももらった。

懐かしい『外郎売』がレッスンのページに載っていた。
かつて役者を目指していたときに、必死に覚えたものだった。
声に出して読んでみたら、ところどころ怪しい箇所もあるが、結構覚えているものだ。

この夏は、この『昔取った杵柄』をよみがえらせ、素話の練習をして、2学期は読書感想画に私の『素話』を課題図書に加えてみよう。

まずは滑舌の練習。『外郎売』の復習からはじめるぞ!

夕食を食べながら、子どもたちの前で
「私は55歳になったら女優に復帰するぞ!」
と誓った。
皆、本気にしていなかったようだが、
『夢を夢で終わらせない』
末娘が20歳なり、私が55歳になったとき、若さや美しさでは若い役者に負けても、遅咲きながら年齢や経験を経た味のある役者として、舞台に立ちたいと思う。
あと9年。長年サボらせて、さび付きダブついてきた体を鍛え、気力体力を維持して、演技に磨きをかけていく。
夢をもう一度。