TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

老婆心ながら、一言申す・・・

2009-09-28 05:13:00 | 徒然なるままに
9月27日(日)

今日は、末娘の*(テニス)*の新人戦の個人戦の応援に行ってきた。
青葉の森公園は、金木犀が満開で、園内には至る所に秋の香りが立ち込めていた。

2回戦までは順調に勝ち進んだのだが、娘たちのペアも、他2組のペアも、3回戦で敗退してしまった。
後は、10月の団体戦の県大会でリベンジだ!!

それにしても。
負け惜しみみたいに聞こえるかもしれないけれど、3回戦の相手はどんなものかと思った。
試合中、ずっと叫びっぱなしなのだ。
気合を入れているのか、相手を威嚇しているのか・・・。
見ているほかの人たちも、
「ちょっとうるさくね?」
「喉ガラガラで、痛そう」
「がんばってるのは分かるんだけど・・・」
と、あまりの煩さに耳をふさぎたくなるのを我慢しながら観戦していた。

私は、作戦とはいえ、あの年齢の女子にあんなに喉に負担をかけるような声を出させる指導に対して疑問を持った。
私は、以前、喉を酷使する仕事をしていて、『声帯結節』http://homepage1.nifty.com/jibiaka50/seitaikessetu.htmと言うポリープが喉にできてしまったことある。
声がかすれて出ないのだ。
おまけに、何かを飲み込むときに、痛みも伴う。
1ヶ月以上通院し、その間、声を出さず、筆談とジェスチャー過ごさなくてはならなかった。

高校・大学・劇団研究生として、芝居で大きな声を出すことは当たり前で、そのための腹式呼吸による発声法は身につけているつもりだった。
それとは違う、叫ぶような、声帯に負担をかけるような声の出し方は、本当に良くない。
以来、疲れが出ると、自分の弱いところ=喉に出るようになってしまった。
逆に、絶好調のときは、よく通る声が出る。

よく、体育祭の応援団が、ガナり立てるような発声の仕方で叫んでいる。
傍目にも、本人も、その声のかすれ具合ががんばっているように聞こえるらしい。
でも、本番、声が出なかったら、応援合戦のリーダーーシップが上手く取れない。声が届かないから、指示が通らないのだ。
腹から声を出す腹式呼吸を指導するべきだと思う。
男子だけでなく、女子にだって変声期がある。
間違った発声の仕方は、体にも良くないと思う。

話は戻るが、今、どこの中学校でも、合唱コンクールの練習が始まっている。
合唱の発声法はまた違うので、話し声がハスキーでも、歌声は朗々と出る人もいる。
でも、腹式呼吸ができていない中学生は、大きな声を出そうとするほど、力んで胸式呼吸で喉から声を出そうとする。
その結果、ハーモニーとは程遠いような声になってしまう。

娘たちに勝ったすぐ後の試合でも、相変わらず叫びっぱなしのその生徒たちをしばらく見ていたのでが、痛々しくて見ていられなくなり、会場を後にした。
私の子どもや生徒なら、たとえ、勝つための作戦だとしても、絶対にああいう無理はさせない。
あの子の保護者は、どんな気持ちで我が子の試合振りを見ているのだろうか・・・。

確かに、今の子は、どんなスポーツでも、声を出せない。士気も気合も感じられないようなおとなしい試合振りに、歯がゆさを感じるときもある。
バレーボールなどは、掛け声がないと、味方同士ぶつかって危険な場合もある。
声を出すこと、声を掛け合うことは大切なことだと思う。
思わず叫びたくなるような大声を出す時もあっていい。
でも、成長期の大切な時期に、あの叫びっぱなしの試合は、どうしても納得がいかなかった。

家に帰ってから娘にその話をしたら、
「試合中に周りが叫んで煩いのはだめだけど、選手が煩く声を出すのは作戦なんだからOKなんだよ。相手の威嚇にビビラないで試合できなきゃいけないんだから。」
と、いたって冷静だった。

まあ、老婆心と言うか、ただのおせっかいおばさんなのだが・・・。


県大会で、またあの学校と戦うことがあったら、今度はあんな作戦にひるまずに、自分たちのプレーを思う存分やってほしいと、心から願う。

がんばれ、ぴっぴ!
負けるな、ぴっぴ!
お疲れ様・・・。

トリノ・エジプト展

2009-09-27 07:48:00 | 徒然なるままに
9月26日(土)

ようやくトリノ・エジプト展を見てきた。http://www.torino-egypt.com/
思えば長い道のりだった*(いっぷく)*。

開催間もない6月に行った時は、その日は『朝日新聞のツアー客専用の日』で入場叶わず*(ショック)*、同じ上野の国立科学博物館で開催中の『シカン展』とハシゴしてみようと思っていたら、時間が足りなくなって、その日は見ずに帰った*(泣く)*。
それから、『海のエジプト展』のほうを先に見て、今日に至った。

今日は、午前練習の末娘や、久々にお休みで家にいる長男・長女にお昼ご飯を食べさせてからの出発だったので、上野に着いたのは3時近くだった。
ところが、京成上野駅の構内で、ペルーの民族衣装を売っているお店に引っかかり(購入しなかったが、かなり後ろ髪を引かれた)、上野公園で、フォルクローレを演奏していたので、しばし聴き入り*(酔払い)*、『コンドルは飛んで行く』の演奏がなかなか素敵だったので、CDを買ってしまった。都美術館の前まで来ると、今度は、自転車で世界中を旅しながら、手作りの木琴を演奏して回っている大道芸・ミュージシャンが演奏していた。面白いトークと見事な演奏にまたまた聴き入ってしまった*(酔払い)*。
そうこうしている内に、会場についた頃には4時を回っていた*(ショック)*。
入り口で、「5時までですので、お急ぎください」と言われて入場した。
3ヶ月も待ってやっと来たのに、何寄り道してんだか・・・*(退屈)*

展示内容は、どれも素晴らしいもので、その展示の仕方や演出も、現地トリノ美術館の展示方法を取り入れ、ドラマチックだった*(ハート目)*。
トリノ・エジプト博物館は19世紀、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、フランスのエジプト総領事となった外交官でエジプト学者のベルナルディーノ・ドロヴェッティの収集品を中心に創設された。
と言うことは、ナポレオンがエジプトから持ち帰らせたコレクションということか・・・・。
では、本来は、エジプトに返さなくてはならないのではないか・・・。*(ジロ)*
と思いながら、数々の展示を見ていった。
前回見た『海のエジプト展』の展示品は、地震や津波で水没した都の遺跡を海底から引き上げたものだった。
それらに比べれば、保存状態が良すぎる今回の展示品は、まさに戦争による『戦利品』なのだ。*(ジロ)*

音声ガイドは、ヒエログリフの解読に成功したシャンポリオン(声/沢村一樹)の解説で、なかなか興味深かった。
『海のエジプト展』に行ったときに購入した『エジプト学』を読んでいたおかげで、展示品や解説の内容がより分かった、とても興味深く展示を見ることができた。

一番印象に残ったのは、ツタンカーメン王がアメン神の肩に手を置いて微笑んでいる石像だ。
ツタンカーメンは、小学生の時に読んだハワード カーター 著『ツタンカーメン王の秘密』 (講談社青い鳥文庫) と読んで以来、ずっと興味があった。
今回は『黄金のマスク』の展示はなかったが、とても面白かった。

もうひとつ。ちいさな置物ではあったが、青銅製の猫のシルエットがすごくきれいだった。思わず見とれてしまい、その細工の精巧さに感心した*(ハート目)*。
また、猫のミイラとその棺を見て、古代の人も、ペットを大切にしていたんだなあ・・・と思った。

閉館時間が迫る中でのミュージーアムショップでの買い物はなかなかゆっくり見られず残念だった。
その中で、山岸涼子 著『ツタンカーメン』http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4267016445/sr=1-1/qid=1254004358/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books&qid=1254004358&sr=1-1と言う全4巻の漫画を見つけ、迷わず購入。これはラッキーな買い物だった*(チョキ)*。

山岸涼子は、私の好きな漫画家の一人であり、彼女の聖徳太子をモデルに描いた『日出処の天子』http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/459288051X/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
は、私の仏教・仏像への興味の原点となった作品だ。

帰りの電車の中で『ツタンカーメン』を一気に読破し、すっかりはまってしまった*(ハート目)*。
なぜなら、前述のツタンカーメンの墓を発掘したイギリスの考古学者カーターが主人公だからだ。
まだ1巻しか読んでいないが、すごくワクワクする内容で、山岸涼子氏の造詣の深さと発想力、表現力のすごさに改めて感心させられた。

全巻読み終えたら、また改めて『トリノ・エジプト展』を見に行きたくなるかもしれない?*(酔払い)*

*(音符)*『涙を越えて』

2009-09-26 07:17:00 | 徒然なるままに
9月25日(金)

連休明けから合唱コンクールの練習が本格的に始まった。
各学年2クラスずつしかないのに、コンクールというのもかなり厳しい。
昨今では、コンクール形式をやめ、『合唱祭』として、発表会形式の学校も多い。
私は、どちらにもメリット・デメリットがあると思っている。
コンクール形式だからこそ、競い合って互いに高め合うメリットと、負けたときの落ち込みから浮上するまでのフォローは結構大変だというデメリット。
発表会形式だと、勝ち負けを気にせず合唱だけを楽しめるメリットと、勝敗がかかっていないという緊張感のない取り組みは
「このくらいでいいかぁ」
と最後の詰めが甘いというデメリット。

どちらの良さも生かしながら、コーラス自体を楽しんで、精一杯がんばった結果に、気持ちよく泣ける合唱コンクールになれば良いと思っている。


2年前、療養休暇をとられた先生のピンチヒッターとして、7月から1年生の担任をしたことがある。
担任が療養休暇に入るくらい、いろいろな問題を抱えたクラスで、あの頃の私の帰宅時間は、夜中の2時を回るのことも珍しくなかった。
あのクラスが、ひとつにまとまり、みんなに私が担任だと認められるきっかけとなったのが、合唱コンクールだった。
当日を迎えるまでが本当に大変だった。
優勝どころか、全員が舞台にきちんと並ぶことさえできるかどうかあやしい練習振りだった。
歌う曲は、学年課題曲は『フェニックス』、自由曲は『涙を越えて』
私も、全パートを歌えるように、通勤の車の中で練習した。

何度も、壁にぶつかり、泣いたり怒ったり、それでも歌が仕上がってくると、きれいなハーモニーが聞かれるようになった。
その輪の中にどうしても入っていけずに、かき混ぜてしまう生徒がいた。
カウンセラーの先生に相談したところ、
「その子は、耳が良すぎて、イライラしているんじゃない?」
と言われた。
思い当たる節があったので、私はそれを逆手に取った。
その生徒をそばに呼び、
「あなたの耳の良さを見込んで、お願いがあるの。引き受けてくれる?みんなの歌を聞いてみて、誰の音が外れているのか、わかったらおしえてくれる?」

そうしたら、あれだけ騒いで暴れては締め出されるようなことばかりしていた生徒が、じっとみんなの歌に耳を傾けるようになったのだ。
そして、私に、的確に感想を言ってくれるのには本当に驚いた。
彼に役割を与える。自分にしかできない、自分だからこそできる、自分を信じて任せてもらえる仕事。
普段の生活の中ではやんちゃぶりは相変わらずだったが、ラスト3日目ぐらいからは合唱にもちゃんと参加するようになった。

そうして向かえた当日。
私は、とにかく、全員が舞台に立ってくれるだけでOK*(びっくり2)*だと思っていた。
クラス名を呼ばれて、元気よく返事をして、あの彼までがきちんと詰襟のフォックを止めて、整然と並び終えた瞬間から、もう涙*(涙)*が止まらなかった。
みんなの歌声を聞きながら、いろんなことを思い出しては涙*(涙)**(涙)*。
一人ひとりの大きな口を開けて歌っている、まじめな顔を見ては*(涙)**(涙)**(涙)*。
それだけで十分だったのに、優勝が決まった瞬間、*(涙)**(涙)**(涙)**(涙)**(涙)*

教室に戻ったら、扉の前で例の彼が待ち構えていて、
「呼ぶまで廊下で待ってて」
と私を締め出した。
呼ばれてから戸を開けたとたん
「せーの!『私たち、優勝しました~*(びっくり2)*』」
とみんなが叫んで迎え入れてくれた。
びっくりしながらも
「優勝おめでとう*(びっくり2)*」
とニッコリ笑顔で拍手を送ると、また例の彼が
「ここは泣くところだろう?何笑ってんの」
と言うので、
「みんなが舞台に立ったところから泣きっ放しだったよ。でも、今は本当にうれしいんだもん。
今日は一人もお休みもなく、全員参加してくれただけでもうれしいのに、優勝までしちゃって・・・。
あんたたちは偉い*(びっくり2)*」

そして、「みんなで『涙を越えて』を歌おう!」ということになったのだが、指揮者の生徒が、
「今日は、みんなと一緒の側で歌いたいから、先生が指揮して。先生の指揮で歌いたい。」
と言ってくれた。
あの時、みんなで歌った『涙を越えて』は、一生忘れられない。体育館で聞いたの以上にすばらしい歌だった。
なんと言っても、みんなが笑顔だった。
いろんなことがあったクラスだからこそ、その涙を越えて勝ち取った『優勝』だった。
『どんなことがあっても、全員で歌う。誰もハブかない。27人で歌う最初で最後の合唱コンクールを最高ものにする!』
優勝はそのご褒美だったと思う。


当時1年生だった彼らも、今は3年生。
クラスは別々になっても、それぞれのクラスでがんばっていることだと思う。
『フェニックス』や『涙を越えて』の歌を聴くたび、あの頃のことを思い出してくれているだろうか・・・。
今度は、現勤務校の合唱コンクールとはぶつからない土曜日にあると言うことなので、みんなの最後の晴れ姿を見に、歌を聴きに行って来ようと思う。*(音符)*

*(音符)*『涙を越えて』こちらで視聴できます
http://www.youtube.com/watch?v=Gcszzopka_k

特別支援  生徒の困り感を疑似体験してみて・・・

2009-09-25 06:55:00 | 徒然なるままに
9月24日(木)

今日は、学校研修会で、『特別支援教育の推進』について学んだ。

今も、昔も、普通学級の中には、特別な支援を要する子どもたちが1クラスに必ず何人かは在籍する。

学校によっては、情緒と知力に分かれて、手厚く支援する担当の教諭が配置され、専用の教室を持つ学校もあるのだが、ない学校もたくさんある。

はっきりと『診断名』のある生徒については、それに対応した認識に基づいた支援ができるのだが、『そういう傾向がある』という程度の生徒に関しては、一斉授業の中で指導するのは、教師も、生徒自身もかなりきついものがある。

今回の研修では、どういう生徒に、どういう支援が必要なのかの理解を深めるために、生徒の立場に立った『疑似体験』をした。
生徒がどんなときに、どんなことで困っているのか、
そういうときには、どんな気持ちでいるのか、
どういう支援があったら、その状況から意欲を引き出せたり、集中できるようになるのか・・・
など、生徒の立場に立ってその設定のシチュエーションを体験すると、今まで見えなかった、頭でしか理解できていなかったことを、感情を伴って理解することができた。

その体験を通して、私は大いに反省させられた。
私の授業や生徒との関における問題点や、改善点。
でも、それを理解しようという気持ちがあるかどうかで、むやみに悩んだり、問題点を避けて通ったり、面倒くさがって、相手生徒に責任転嫁することは大間違いだということが良く理解できた。

大切なのは、『伝え方』なのだ。
誰にでも分かりやすい『伝え方』はできているだろうか?
視力の弱い子、
弱視の子、
疲れている子、
寝不足の子、
動くものやちょっとした刺激があるとすぐそちらに気が散ってしまう注意散漫な子
心になにか引っかかるものがあって、授業など上の空の子
などなど、
特別な支援とまでは行かなくても、そういう生徒たちがたくさんいる一斉授業は、ざわついていて、授業が成り立たない。
『支援が必要な生徒』は、そういうざわついた状況の中では、不安でますます気持ちが集中できなくなる。

その子たちが、聞く耳を持って、授業に集中できるようになるためには、どんな工夫と、教える側の心構えが必要か。
板書の仕方(字の大きさ、文字)、図や画像の見せ方、座席の位置、部屋の明るさ、分かりやすい言葉遣い、声の大きさ、早さ、強調、繰り返し、確認など・・・。
もっとも大切なのは、意欲をほめること。
がんばって調べてきたり、発表したり、その子の努力を認めてあげることで、他の子の興味や意欲を呼び起こし、みんなの気持ちが学習に向いてきて、ノってきたらこっちのもの。最後は教える側も、教わる側も、『達成感』を味わうことができたら、ラッキーだ。

私は美術なので、まずは『百聞は一見にしかず』。どんな解説よりも、これからやろうとする課題の『参考作品』などの提示はとても有効であり、大切な『導入』だ。
『どうやったらこんなものができる、描ける様になるのだろう』
『やり方はわからないけれど、自分もこういうものを作りたい、描けるようになりたい』
と思わせられたら、OK!
今、2年生の『CDジャケット』では、昨年の生徒作品の実物を借りてきて展示してある。
生徒たちの反応は上々。教えていない手法を知りたがり、下書きを何回も書き直してはもっと自分のイメージを表現するにはどうすればいいかアドバイスを求めに来る。
去年の生徒たちも今頃はそうだったなあ・・と懐かしく思いながら、作品を見ては彼らの頑張りが、こうして後輩たちの興味や意欲を掻き立ててくれていることに、心から感謝している。


有名な画家の中には、『特別な支援』を必要とするような人たちはたくさんいたはずだし、今もいるはずだ。
ムンクも、ゴッホも、山下清も・・・。
口だけで絵を描く一足で描く人、目が見えない人、耳が見えない人・・
みんな、そのハンデを乗り越え、他の器官を研ぎ澄ませて、健常児をはるかにしのぐ力作、名作を制作している。

支援する側が支援している以上に、支援されているようなこともあるだろう。
まずは、どんな『支援』が必要か、本当の『支援』とはどういうことなのか、まだまだ勉強不足の私。
こういう研修を通して、日々の実践を通して自分自身のスキルアップを図りたいと思う。

憧れはイモトの振り分けお下げ髪

2009-09-24 06:34:00 | 徒然なるままに
9月23日(水)

連休最終日。
夕べの計画通りには行かなかったが、祖父母の写真の前には、おはぎと庭に咲いている花々をアレンジしてお供えはした。

合宿から寝不足状態で帰ってきた息子が、午後からデートだというので、ゴーヤチャンプルーととろろご飯を作って食べさせた*(ジロ)*。
おかげで、末娘の練習試合を応援しに行く時間がなくなってしまった*(涙)*。

午後から、久々に白髪染めに行った。
長さ的にはまだ大丈夫だったのだが、前髪を書き上げたときに見え隠れする白髪がもう限界だったので・・・。
それと、きっかけは『20世紀少年3』。主人公ケンジの姉で、ヒロイン・カンナの母親でもある黒木瞳演じるキリコが、ひっつめた髪の毛の生え際が白髪だったから。
あのいつも若々しくて美しい黒き瞳は、私と同い年。でも、役の上で、自然に老けて見せるために、2ヶ月ぐらい白髪染めをしていない様な自然な地毛の白髪を見せていた。
「嗚呼、あんなに普段きれいにしている人でも、何もしていないと、ああいう風に老け込んで見えるんだ」
と思った。
鏡の前の私は、どんなに気持ちは若いつもりでも、
「これでいいのか?わたし!」
体力も落ちてきて視力も聴力も(?)老化現象が現れてきている?!
せめて気力を失わないためにも、見た目だけでも若さを維持しなくては!(悪あがき?)

「先生は何歳なの?」
「ん?息子が20歳だから、『ママになってから20歳』かな?」
「え~、じゃあ、42歳ぐらい?」
「ひ・み・つ*(ウインク)*」

生徒たちの夢(*(!?)**(はてな)**(はてな)**(ジロ)*)を裏切らないためにも、せめて見た目だけでも『42歳』でいなければ*(びっくり2)*
(自分では何も言わなければまだ30代で通ると思っている*(青ざめ)*)

というわけで、いつもの友達が営んでいる美容室に行き、ばっちり7歳以上(*(!?)*)若返ってきました~*(びっくり2)**(ハート6つ)*
ああ、イモトのあの髪型に憧れるわ~!
あの生え際や分け目の真っ黒な髪!!
かつての私も振り分けお下げ髪がよく似合う、カラスの濡れ羽色のようなつややかな黒髪だったのに~!!!

さあ、明日からまた学校が始まるぞ!!
4階の美術室まで、息切れしないで軽やかに行こう!!

ホームシックならぬ、スクールシック*(涙)*

2009-09-22 23:06:00 | 徒然なるままに
9月22日(火)

今日は、久々に前任校を訪れた。
今、1~3年生に教えている『モダンアートテクニック』の参考作品を借りに。

懐かしい校舎に入り、無意識に以前自分が使っていた下駄箱に上履きを探してしまった。
嗚呼、もう私はこの学校の職員ではないのだと言う当たり前の現実に胸がちくりと痛んだ。

職員室で、元同僚の先生と雑談、近況報告をする。
たった半年前のことなのに、あの頃が無性に懐かしい。
そう思えるほど、思い出も思い入れもたくさんある学校、学年だった。
預かった生徒たちの作品を改めて眺めながら、みんなの顔や、作品を制作した時のことを懐かしく、でも鮮明に思い出した。みんな、よくがんばってくれたなぁ・・・。

現勤務校も、1年後、こんな思いで振り返ることができるように、後半年、精一杯がんばろうと思う。

午後、津田沼に住む妹が、近くの町に用事があると言うので、用件が済んだ後、久しぶりに会ってお茶をした。
話に夢中になっているうちに遅くなったので、子どもたちも一緒に夕飯を食べようと言うことになり、みんなで回転寿司で食べた。

さて、明日はお彼岸の中日であり、連休最終日。
トリノ・エジプト展に行こうと思っていたが、衣替えも、庭の草取りや剪定もやりかけのまま連休が終わってはすっきりしないので、明日は気合を入れて家事をやろうと思う。
遠くてお墓参りにはいけない分、おじいちゃんとおばあちゃんの写真立てをきれいにして、お花を飾り、おはぎを作ろう。


*(映画)*『サマーウォーズ』再び

2009-09-22 06:01:00 | 徒然なるままに
9月21日(月)

*(映画)*のはしご2本目は『サマーウォーズ』http://s-wars.jp/index.html
公開間もない頃、一人で見に行き、これは帰省したら、親・弟妹・子どもたちを引き連れてみんなで見に行こうと思っていたら、故郷の石巻では上映していなかった。残念。
その上映期間も間もなく終わると言うので、どうしても中2の末娘には見せておきたかったので、試合も終わって1日お休みと言う末娘と一緒に見た。

見終えてから思ったのだが、敬老の日にこの作品を見るのはすごくタイムリーだったと思う。
90歳のおばあちゃんのお誕生日を祝いに集まってきた『ご親せきの皆様』と、彼氏のフリをするバイトで来た都会のヘタレ少年が、おばあちゃんに励まされ、地球の危機を救う話だ。

たとえ、負け戦と分かっていても、最後の最後まで諦めないこと。
人様の役に立つ人間になること。
人との出会いや絆を大切にすること。
家族はみんな手を取り合って協力すること。
一番いけないことは、お腹を空かせて一人ぼっちでいること・・・。


帰りの車で、娘といろんな話をしながら帰って来た。(とはいえ、ほとんどわたしがしゃべっていたのだが・・・)
「あんなに口うるさく親に言われてきたことが、いざと言うとき、『嗚呼、こういうときのことを言ってたんだ』とすごく納得いくことがある。それが、すごい勇気を与えてくれるときもあれば、後悔と反省の理由になるときもある。
『大人』は体が大きくなって、年取るだけでは『大人』とはいえない。
成功も失敗も挫折もいっぱい経験して、乗り越えて、反省して、そこから何かを学んで成長し続ける人を『大人』と言うんだ。」

「『何で自分がこんな目にあったり、こんな思いをしなくちゃいけないんだろう』っていうことにぶち当たったら、命にかかわることではない限り、その問題から逃げるな。言い訳したり、人のせいにしたり、被害妄想になるな。
私がもし、『ぴっぴの人生』の物語を描くなら、ぴっぴを甘やかしたり、よいしょしたり、なんでもいうことを聞いてくれるぴっぴに都合のいい人ばかりを登場させないよ。
ライバルや、ありえないような敵や困難な状況や苦労を与えると思うな。
だって、順風満帆な物語なんてつまらないし、ハラハラドキドキするような展開や山あり谷ありのストーリー展開のほうが、ドラマチックじゃない?
主人公が困難を乗り越えて、敵をも味方につけて成長していくから面白いんじゃない。『ドラゴンボール』や『ワン・ピース』なんてその王道を行っているから人気があるんだと思うよ。

ゲームだってそうでしょ?簡単にクリアーできるようなゲームはやりがいがない。
難しいのを何回も挑戦して、攻略法を考えて、勝つまで諦めないで、難しいステージをクリアーできたときの達成感を味わって、更に次の難しいステージに挑戦できるんだから。
途中で、諦めて放り出したら、そこでゲームオーバー。永遠にゴールにはたどり着けない。
勝ち進むために必要な『アイテム』も得られず、『仲間』に出逢うこともなく、リタイアしてしまうのか・・・。

今、現実にぶつかっている壁は、『すでに用意されていたLesson』なのかも知れないよ。
乗り越え方は、何通りもあると思う。
失敗ししてもいいから、いろいろ試して見て、自分で納得の行く乗り越え方を見つけなね。
でも、たまに、『取り返しのつかない失敗』が見えないところで口をあけて待っているから、気をつけて。タイミングも大事だよ。
そのためにも、『大人』の経験談や忠告はうざくても、耳に入れておいたほうがいいよ。それが後で必ず役に立つ時があるんだから。」


後部座席に座っていた末娘は、ため息つくでもなく、寝ている様子もなかったようなので、終始黙ってはいても話は聞いていたように思う。

『20世紀少年』にも『サマーウォーズ』にも、私の話をより説得力のある話として裏付けてくれるようなシーンや台詞がたくさんちりばめられていて、すごく助かった。

『自分の人生の中では自分が主人公』
ゲームのように、死んでもまたリセットすれば蘇って、再び最初からゲームをやり直せるわけには行かない。
でも、生きてさえいれば、途中からでも諦めずに立ち直ることや、違う道を選択することはできる。
『いつでも、ここから』なのだと思う。
そして、自分の人生を精一杯生きて、最期は『きれいな死に顔』と言われて、人生を全うしたいと思う。

末娘は、これから先の人生の中で、どんな時に今日の私の話を思い出すのだろうか・・・。
娘の人生が、幸多き、実り多きものでありますように・・・。

映画*(映画)*「20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗」

2009-09-22 00:42:00 | 徒然なるままに
9月21日(月)

梨園を後にして、今日は末娘と2本の映画のはしごをした。

1本目は『20世紀少年3』http://www.20thboys.com/index.html
ネタバレになるので、詳しく書くのは控えるが、ケンヂたちが私より2歳年上だと知って、より親近感を覚えた。
音楽といい、出てくる当時流行っていた物の固有名詞など、ストーリーの面白さとは別に自分もあの時代に帰って、自分の幼少時代とリンクさせて楽しめる面白さがあるのは、同年代という設定の特典かな。

一応、3部まで観たので、いよいよ『原作』を読破しようと思う。
パンフレットにも載っているが、俳優たちは、原作の登場人物そっくりの扮装だったが、キャラクターも同じように役作りしたのだろう。その辺を読むのも楽しみだ。

3部まで見て、もう一度最初から見直したら、いろいろな伏線がパズルを解くように分かってきて、『1粒で2度美味しい』見方ができるかもしれない。
いや、『原作と異なるもう一つの結末、もう一人のともだち』との映画と原作の違いもまた興味深い。


私にも『決着をつけなければならない過去』が山ほどある。
でも、現実には過去に遡る事はできない。
何故ならば、『現在』は『過去』の延長線上にあるから。
でもまた、『未来』は『現在』の延長線上にある。
変えられるのは、今の自分と未来だけ。
来年『半世紀少女』になってしまう私。
40年前の自分は、いったいどんなことを考えていたんだろう。

♪あの頃の未来に 僕らは立っているのかな・・・

20世紀の少年たちは、今を生きる21世紀の少年たちにどんなことを伝え、残していけるのだろう?

ロックを歌うケンヂを見ながら、今年亡くなった忌野清志郎とダブってしまい、涙が出た。

敬老のお祝いに、幻の梨「かおり」を贈る

2009-09-22 00:22:00 | 徒然なるままに
9月21日(月)

今日は敬老の日。
末娘とお祝いに梨を送りに梨園に行った。
先日梨の選果場に行ったとき、大活躍だった梨園の生徒の家に、はるばる買いに行った。
今の品種は新高が主流になってきているのだが、『かおり』という品種もあるとのことで、新高とかおりの詰め合わせを送ってもらった。http://kakaku.com/food_drink/ss_0016_0028/0003/0009/ma_0/S0000043736/

新高も大玉の梨だが、かおりも負けないくらい大玉で、色は青りんごのような緑色をしている。
味見用にお土産にいただいたかおりを冷やして食したところ、今まで食べたことのない味で、みずみずしく、とってもおいしかった。
梨園の生徒が「うちの梨はおいしい」と自慢するだけあった。ご馳走様でした~!!
梨園の方に梨作りの苦労話を聞いて興味を持った末娘は、
「来年はバイトに来ないか」
と誘われて大いにノリ気になっていたが、来年は受験生。大学生になったら、1ヶ月ぐらい住み込みで頑張ってみるか?私のように。(ちなみに私は大学時代の夏休み、山梨の桃と葡萄の農家で1か月住み込みで働いたことがある。)

梨園を後にして車を走らせていると、農作業が大好きな末娘は、
「いいなあ~この風景!梨畑に葡萄畑、田んぼや野菜畑、小川があるなんて、憧れるな~!!それに近くに温泉もあるなんて!」
と、窓の外に広がる風景をうっとりと眺めていた。
釣りも大好きな末娘に、
「嫁に行くなら、漁師の家と農家とどっちがいい?」
と聞いたら、
「悩むな~・・・。でもどちらか選べと言われたら、農家かな。船は台風が来たら怖いもん」
と言うので、
「農家もお天気には左右される大変な仕事だよ」
と言ったら、
「う~ん・・・。でも、自分で育てたものを収穫したいから、やっぱり農家かな」

彼女の夢は『パテシエ』。将来、自分で育てた美味しい果物を素材にしたお菓子作りをしている姿が、目に浮かぶようだ。(嗚呼、超親馬鹿!)

*(テニス)*新人戦 観戦

2009-09-20 22:13:00 | 徒然なるままに
9月20日(日)

今日から長男は山中湖で合宿。長女は仙台で仕事。末娘は*(テニス)*の新人戦。

末娘の公式戦の観戦は今回が初めてだ。
夏の総体が終わり、3年生は引退。末娘たち中2に代替わりをしてから、初めての公式戦だ。

一回戦は余裕で勝ち、2回戦は接戦で勝ち進み、3回戦は惜敗だった。
末娘のペアは、2回戦までは動きも表情も良く、伸び伸びとプレーをしていたのだが、午後からは疲れが出たのか、相手が優勝候補を打ち負かして勝ち上がって来たチームだからか、余裕のない表情で、ミスを連発、惨敗だった。

夏休みの終わりごろ、突然、部活動*(テニス)*をやめたいと言い出し、その後は家でも暗い表情、低く、つぶやくようなしゃべり方、投げやりな態度や、イラついている様子が心配だった。

今日の試合を見る限り、選手としてコートを駆け回り、ペアの子とハイタッチを決める末娘の表情は、とても明るく、やめたいと悩んで、毎日ため息をついているようには見えなかった。
一緒に観戦していた保護者の方々も心配してくださっていた。ありがたいことだと思う。

アドバイスできることは言い尽くしたと思っている。
今日の試合を通して、彼女が何を感じ、何を選択するか・・・。
親としては、彼女がBESTの選択をすることを信じ、見守り、支えるしかないと思う。


今日は秋晴れの、初秋の風がさわやかに吹き渡る最高のスポーツ日和だった。
千葉市の青葉の森公園には、千葉市内各地から様々な運動部が集まって競い合っていた。
中学2年生のこの時期、娘と同じような悩みを持ちながらも、頑張っている生徒たちがたくさんいることだろう。

たった一度の中学校生活。引退までのあと10ヶ月をどんな風にすごしたいか。
今までも、どの先輩たちも、みんな悩んで大きくなっていったのだ。
部活動内で顧問やメンバーとぶつかることも、時には必要なこと。
自分の思い通りに行かないことや、スランプに陥ることも、挫折を味わうことも、より自分が強くなるためには必要なLessonなのだ。
誰にだって、逃げたくなることも離れたくなることもある。
勝っても、負けても、すぐに来年の総体はやって来る。
失敗から学び、更に成長できるかどうか・・・。
いっぱい悩んで、苦しんで、でも、最後は自分の意思でDo your best*(びっくり1)*

とにかく、今日はお疲れ様。
テニスの試合、とっても面白かった。
娘の様子も知れて、一石二鳥だったと思う。

頑張れ、ぴっぴ!
自分に負けるな、ぴっぴ!