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恒例?まとめ日記

2010-09-25 23:43:00 | 徒然なるままに
なんだか今週はテンションが上がらず…それでも1週間を振り返ってみよう。
例によって、スクロールして気になるところだけ読んでくださって構いませんので…。

*(いっぷく)*超親バカっぷリ!

9月19日(日)

昨日の鎌倉からの帰り、津田沼で一人暮らしをしている息子のところに寄ったら、おでこに冷えピタをして玄関に出てきた。
「体調悪くてバイトを休んでいる」
というのだ。
熱があるわけでもなく、どうしたのかと聞いたら
「栄養失調」
というのだ。
「毎日何食べてるの?」
「パスタにラー油かけて食ってる」
「この前はごはんにラー油だったよね」
「米ない」
「奨学金やこの前あげたお金は?」
「合宿代に消えた」

冷蔵庫には野菜も卵もなかった。
見かねた私はこのまま置いていくのも忍びなく、家へ強制連行。
今から帰っても料理する時間がないから、途中で何か食べて行こうということになり、息子の
「寿司食いてえ」
のリクエストに応え、回転寿司*(ウニ)**(トロ)*へ。
そこで息子が食べた皿が30枚*(びっくり2)*
どんだけ欠食児童だったのよ!*(ジロ)*

次の日は、私も津田沼に用事があったので、米やら常備薬やら持たせて車で送って行った。
津田沼での用事を済ませた後、息子に電話をしたら、携帯まで切れていた。
IONEでしこたま食料を買い込み、アパートに届け、バイト先や彼女と連絡が取れなければ支障があるだろうと、携帯代の立て替え金を渡した。

顔色も昨日よりはだいぶ良くなっており、声にも力が入っていた。

自分でもつくづく親バカだとは思いながら、過保護かもしれないけれど、内定決まったのに、病気で入院でもして単位を落としては元も子もない。

それにしても、今回はよほどこたえたのか、私のウザい小言も注意事項も黙ってよく聞いていた。
まあ、若いころにこのくらいの苦労をして、親のありがたみを感じることぐらいは必要なことだろう。

残り少ない大学生活を健康で元気にがんばって、楽しんでほしい。
そして無事に卒業してほしい。


*(グッド)*JOB!

9月20日(月)*(日本)*敬老の日

今日は、友達の美容院へ白髪染めに行った。
髪が根元まで黒くなると、気分も見た目も5歳は若返るから不思議だ。
昨日、皮膚科で
「肌年齢が若いですね。」(しみ・そばかすはあるけれど、私には皺というものがない)
と言われたのもうれしい*(酔払い)*

でも、見ための体形のほうは立派なメタボで、いわゆるポッコリお腹だ。
その上、かすみ目の乱視と来ている。
歯だって結構ガタが来ているかもしれない。
太ってきたのと貧血がたたって、動悸・息切れも時々あるし…。

最近、ちょっとさぼりがちなウォーキングをしっかりやって、頭も体も、心も実年齢より若くありたいと思う!
そのためには努力あるのみ!!


*(キラキラ)*学校環境見直し

9月22日(火)

今日は24日の管理課訪問のために、学校環境のチェック、掲示物の貼り替えや植物の配置換えなど、職員総出でがんばった。

いつかやろうと思っていて、忙しくて後回しにしていたところや、気になっていたところなど、この機会に見直し、直せるところは直せたのは良かったかもしれない。

環境だけでなく、諸帳簿の点検もあるので、それをきちんと整理し、提出できるように、ずいぶん前から何度も提出しては直され、再提出をして準備を進めてきた。

後は、当日の授業参観だ。
板書の仕方や、生徒の活動の様子、たった5分間の参観が勝負になる。
私の授業は1年生の美術で、モダンアートテクニックだ。「スクラッチ」をやることになっているのだが、誰か一人でもクレヨンを忘れたらやらないことになっている。
忘れてきた場合は別の手法をやることになっているのだが・・・・。

美術室の廊下に、夏休みの宿題に出した「美術館・博物館に行ってみよう!」のレポートを貼りだした。8人ぐらいを選抜して貼りだしたのだが、
「せっかくだから1クラス8人ぐらいにして、もっと貼ってあげましょう」
とアドバイスを受け、休み中に追加の掲示物を作成してくることになった。

      *(バス)*     *(バス)*     *(バス)*     *(バス)*     *(バス)*     *(バス)*

今日から妹は母の実家に稲刈りの手伝いに行った。
台風が近づいてきているので、ちょっと心配…。


*(バラ)*『僕は全部記憶している』~ドガ展より~

今日は、同僚の栄養士さんと一緒に、横浜美術館で開催されている『ドガ展』を観に行った。あいにくの土砂降りだったがおかげで会場は空いていてスムースに見ることができた。

ルーブル美術館で熱心に巨匠たちの絵を模写して絵を学んだというドガ。
かつてアングルがドガに向けて
「若者よ、記憶から、あるいは自然に基づいて線を引きなさい。 たくさんの線を。 そうすることによって、すぐれた画家になれるのだ」
彼のたくさんのデッサンは、後年、視力が落ちて、油絵からパステル画に画材を変えなくてはならなくなり、やがて、光を失った眼の代わりに、触覚と記憶だけを頼りに塑像を作る時、どれほど役に立ったことだろう。

印象派の画家として知られるドガだが、他の印象派の画家たちのように、戸外で光や空気感を感じるような絵を制作することはできなかった。これには彼が俗に『まぶしがり症』といわれる網膜の病気を患っており、外に出ることがままならなかったことも関係しているとされる。
でも、競馬には興味があったらしく、たくさんの馬や騎手の絵を描いている。

ドガといえばバレリーナの絵が有名だ。今回の展覧会にも代表作エトワールが展示されている。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

初来日というこの名画は、本当に生き生きとしていて、今にもこのバレリーナが飛び出して踊りだしそうだった。パステルも、今塗ったばかりのように鮮明で、スピード感のあるタッチといい、しばらく見とれてしまった。

それにしても驚いたことが2つ。
1つ目。ヨーロッパの美術館は、画学生たちに美術館内で本物の絵を見ながら模写をするという行為を許可しているということは、本当にうらやましいことだと思った。(日本の美術館ではないことだ)
その美術館には、大先輩たちも見に来ることだろう。そこでの出会いが、若き画家の卵たちにとってはどんな運命の出会いになるのか。それは、美術史上、人類にとっての宝物を生み出すような歴史を変える出会いになるのかもしれないのだ。
ドガにとって、アングルやマネとの出会いはその後の彼の画家としての貴重な礎になっていった。
また、北斎からの影響も多大にあったことや、当時のジャポニズムがどれほどの人気だったのかもよくわかった。

2つ目。彼のパステル画は、弱っていく視力に負けずに絵を描き続けるために考案された画風だったということ。
そして視力を失ってから、絵が描けなくなっても、彫塑という形で、かつての記憶をかき集めながら、大好きなバレリーナや馬の塑像を作り続けていたことを知った。(これらの作品は彼の死後、アトリエから発見された)

『僕は全部記憶している』といった彼の描く線や作り出す形は、衰えていく視力への恐怖と葛藤の日々を訴えてきて、見ていて涙が出てきた。
完全に視力を失ってもしっかり覚えていようという、画家の執念を見た。


*(チョキ)*失敗は成功のもと

9月24日(金)

今日は、管理課訪問。
早朝出勤し、最後のチェック。1年生の教室やフロアーの点検をしていると、早々登校してきた生徒が興味を持って寄ってきた。
「黒板消しをきれいにしてくれる?」
「黒板の溝、拭き取ってくれないかな」
「ロッカーの中の本、整理してくれる?」
と頼むと、けっこうおもしろがって手伝ってくれて、とても助かった。
私が珍しくお化粧をして、普段とは違う服装をしていたせいかな?

さて、1年生の美術は、朝のうちに忘れもの調べをさせたところ、案の定、4人もクレヨンを忘れてきていたので、急遽課題変更をせざるを得なくなった。
授業の初めに、忘れ物をした生徒に、皆の前で指導し、次回は持ってくることと、今日忘れて予定の授業ができなくなって皆に迷惑をかけてしまったことを詫びさせた。

で、課題を「にじみとドリッピング」に変更したのだが、まあ、それなりにみな楽しく制作はできたようだ。

今やっているモダンアートテクニックは、『自分のお誕生月のカレンダー』を制作するためのレッスンといったところ。
練習のうちに、いっぱい失敗しておくことも勉強のうち。絵の具の濃さや水加減、色の取り合わせ方や、紙質との関係など、いい作品を作るためには練習のうちに失敗しておくことは大切。
その失敗を繰り返さないためにはどうしなくてはならなかったのか。
その失敗を「成功のもと」にする工夫はないか。
そこは教師の言葉かけ一つにかかっている。
失敗を恐れずにいろいろ試してみたくなるように、いろんな角度から「その気にさせる言葉かけ」をして行くのだ。
そういう時の自分は自分で言うのも変だが、何かが降りてきているような気がする。
それはまた、わたしが背景マンとしてたくさん失敗をして、そこからたくさんのことを学ぶことができたからなのかもしれない。

どんな技法よりも、それが私の財産にもなっているかな…。


*(波)*ちびっこロックソーランに胸キュン*(ドキュン)*と千葉国体開催

9月25日(土)

今日は、休みの日なのだが、台風近付く中早朝から、演劇部の生徒たちを引き連れて、勤務校の隣の保育園の運動会のボランティアに行った。
朝から暴風雨の中、中学校の体育館での運動会だった。(体育館部活は大会や練習試合に行って事前に空けてもらっていた)
働く両親にとっては、我が子の運動会のためにお休みを取るのは至難の技なのだろう。
たとえ、明日が台風一過の晴天になるとはわかっていても、順延はせず、その日に運動会を強行しなくてはならないのだろう。

幼稚園児ではなく、保育園児なので、年少さんよりまだ小さい子どもたちがいて、保育士さんは両腕に2人の泣き叫ぶ子どもを抱え、お母さんから離れない子どもをあの手この手で誘い出し、見ているだけで疲れが倍増する様な仕事を笑顔を絶やさずがんばる保育士さんには頭が下がった。

演劇部の生徒たちも皆よく働いていた。

年長さんがロックソーランを踊ってくれたのだが、そのあまりの可愛さ、けなげさに涙が出た。

中学生だってなかなか覚えられない、疲れてフニャフニャ踊る生徒もいる踊りを、その気になって一生懸命踊る姿に感動した。

かつて、2歳児から70代のおばあちゃんまで3世代のソーラン隊を引き連れていろいろなイベントで踊っていた時、小さい子が前列になるので、いつも私が手本を兼ねて一番前で踊っていた。
でも、老人ホームや敬老会で踊る時などは特に、私ではなく眼はちびっこたちを追っていた。
その後ろで小学生たちががんばって踊っていても、主役は常にちびっこたちだった。
その、目を細めてちびっこたちを応援し喜ぶおじいさん、おばあさんたちの気持ちが今日改めでよくわかった。

小さいながらもいろいろ見せ場を作り、笑わせてくれ、ドラマを見せてくれた保育園の運動会は午前中には無事終わり、帰る頃には台風はどこかに行ってしまい、晴れ間も見えていた。
あの子たちは今からお昼ごはんを食べたらみんなバタンキューでお昼寝タイムに突入しちゃうんだろうなあ…。

保育園からお礼に頂いたサンドウィッチとジュースを、部員と一緒に食べて解散した。

午後から職員室でTVを見ていたら、台風一過の秋空の下、千葉国体の開会式の様子を放送していた。
今日から10日間、千葉県のあちこちの会場で、全国から集まったアスリートたちの熱い戦いが始まる。

ぜひ、37年ぶりに千葉県が会場になったことだし、千葉県勢の活躍を期待したい。

おなじみ?まとめ日記 9月12日~18日

2010-09-21 06:34:00 | 徒然なるままに
体育祭ボケでのんびりしていたら、もう暑さ寒さも彼岸までになってしまった*(青ざめ)*
今回はコンパクトに行ってみよう*(ダッシュ)*


*(いっぷく)*声変わりと*(映画)*『君と踊る、夏』*(酔払い)*

9月12日(日)

体育祭の翌日。朝から声変りの男の子みたいな声になってしまい、電話に出ると誰も私だと思わないらしく、敬語を使われたり、黙ってしまったり!一生懸命説明するほど、変なふうに声がひっくり返ったり…。
明日から合唱コンクールの練習が始まる。うがいとドロップというよりは、しばらくはのどを休めないと。

今日は、昨日のソーランを踊れなかった欲求不満もあり、今上映中の高知のよさこい祭りを舞台にした*(映画)*『君と踊る、夏』を見た。
夢、友情、恋、家族愛、郷土愛・・・爽やかな映画で、元気をいっぱいもらった。
でも、余計に、踊りたくて踊りたくて・・・*(涙)*



2度目の*(映画)*『借りぐらしのアリエッティー』と『シャガール勉強会』


9月13日(月)

今日は、体育祭の振り替え休日。
レディースデイということで、昨日も*(映画)*を見たにもかかわらず、妹と出かけて行ったら、お目当ての*(映画)*『悪人』は、前の方の席しか空いてなく、今回は断念し、妹は『BECK』、私は2回目の『借りぐらしアリエッティ』を見た。
2回目ともなると、いろいろ細かいところもチェックできて、改めて背景美術のの素晴らしさに感動した。
『種田陽平×借りぐらしのアリエッティ展』を見てきたことや、原作の『床下の小人たち』を読んだこともあり、、新しい発見がたくさんあって面白かった。

夕方から、四谷のアートアカデミーに、『シャガール』の勉強会に行った。
97歳まで生きたシャガールの足跡を追うだけでも、1時間はかかり、彼の作品や時代背景の解説で終わってしまったのがちょっと物足りなかった。
もっと、エピソード的な話が聞けるともっと面白かったなあ…。
まあ、そこのところは、今上野で開催されている『シャガール展』に期待することにしよう。



*(いっぷく)*夏休みボケと*(笑顔)*あいさつ

9月14日(火)

40日間の夏休みの後は体育祭練習のため、授業がなかった生徒たち。
今日から普段通りの学校生活が始まったのだが…。
1年生の数学の方は、1学期に習ったことは半分以上の生徒たちが忘却の彼方…。
生活習慣や掃除もなんだかリズムがばらばらで、夏休みボケ状態だった。
少しずつ軌道修正をかけながら、リズムをつくっていかなくては。

一方で、1学期は、私に対して1学年の先生として会釈してくれるぐらいだった2,3年生たちが、名前を呼んで挨拶してくれたり、目が合うと、向こうから挨拶をしてくれるようになった。
これは、直接の授業を持たない講師の私にとってはとてもうれしいことだ。
来週2年生たちの前で、『朗読劇・この子たちの夏』を演るのが楽しみだ。


*(驚き)*マーブリングとガンダムの星飛ばし

9月15日(水)

1年生の美術は2学期の課題『お誕生月のカレンダー作り』のためのデザイン手法に入った。
第1回は『マーブリング』。絵具流し・墨流しともいう。
この不思議な模様を一瞬にして作ってしまうという魔法のようなテクニックは、幼稚園児から大人まで、一様に同じようなリアクションをするのが面白い。
とにかく、インクを一滴落とすごとに大騒ぎ、転写した紙を水面から引き抜いたのを見ては大騒ぎ。
美術ファイルの感想も、読んでいて楽しいものばかりだった。
第2回目は『ぼかしと星飛ばし』。これは、教科書にも載っていないし、おそらく、県内では私ぐらいしか教えていない技法だと思う。
みんなが1学期にあれほど苦労して色作りをして作ったグラデーションを30秒で作ってしまうのだ。
夜空の『ぼかし』には『ガンダムの星飛ばし』という、私がアニメの背景マン時代に学んだ星の飛ばし方、銀河の描き方を伝授した。この手法は特に男子生徒が喜んで、すごく一生懸命取り組むのだ。

次回は『スクラッチ』or『スパっタリング』。さあ、みんな忘れものをしないで、ちゃんと一発で授業が受けられるかな?(1人でも忘れたらその日は教えないことにしている)


*(鉛筆)*ヤル気と*(音符)*『Let's search for Tomorrow 』


9月16日(木)

今日、とっても嬉しかったのは、いつも数学の時間に、おしゃべりばかりしていたり、ノートもろくに取らないような生徒が、
「先生、定期テストの勉強教えてね。」
と自分から言ってきたのだ。
さっそく、担当の先生にお話ししたところ、先生もとても喜んでくださり、
「そういう気持ちが芽生えてきて、自分から言ってくるようになるとは、成長がみられるね」
おっしゃっていた。
クラスの生徒たちも、彼が問題を解けたと聞いて、自分も負けてはいられないと思ったのか、積極的に手を挙げて発言・発表をしていた。
この調子で、来月は『方程式』に突入するぞ!

今日の総合の時間は、学年合唱の練習をした。
学年合唱は『Let's search for Tomorrow 』。http://www.youtube.com/watch?v=E-5yN4BYcIk&feature=related
私はアルト担当。
今日みんなの歌を聞いた限りでは、これから本番までの3週間しっかり練習しないと!という感じだ。
まずは、歌詞の内容。メッセージが聞いている人の耳に、胸にしっかり届くよう、練習頑張ろう!


*(本)*朗読劇『この子たちの夏』の上演に向けて

9月17日(金)

今日、国語科の先生方と司書の先生、わたし、演劇部の部長で、来週行われる朗読劇『この子たちの夏』の読み合わせをした。

夏休みに一人で練習していた時は泣けて泣けてしょうがなかったのだが、今日はちゃんと泣かずに冷静に読めた。

というか、文字で読めばわかるのだが、音声で聞いても意味がわからない所などの語彙変換チェックなどをやりながらの練習だったので、感情移入する暇がなかっただけなのだが…。

原爆投下その前後にどんなことがあり、キノコ雲の下ではどんな地獄絵図が降って湧いたのか…。
アメリカと日本が戦争をしたことすら知らない世代の子どもたちに、これは、65年も前の昔の話ではなく、このままでは、みんなの未来の話になるかもしれないということを、それも、65年前よりももっともっと強力な爆弾を地球のどこかで今も作り続けられていることをちゃんと伝えなくては。
『歴史を学ばない者、失敗から何も学習しない者は、同じ過ち・失敗を繰り返す』
のだから。


*(波)*鎌倉への旅

9月18日(土)

今日は、妹と末娘と3人で鎌倉の親戚の家に行った。
来年米寿を迎える叔父は、去年、夏から暮れにかけての半年で4回も入退院を繰り返したとは思えないほどお元気だった。
ただ、伯母は、2時間前のことはすっかり忘れていたり、さっき話したことを全く覚えていないような感じで、同じことを何度も聞いてくる。でも、それを伯父さんが上手くフォローしてくれる気遣いがほほえましかった。

午後からは3人で鎌倉駅前の小町通りを歩いた。
それぞれお目当てのお店で食べたり買ったりした後、鶴岡八幡宮に行った。

鶴岡八幡宮といえば、平成22年3月10日ご神木とされる大イチョウ(樹齢推定800年)が、根元から倒壊してしまった。その後、の大銀杏はどうなったのか、気になっていた。
鎌倉3代将軍源実朝を暗殺した公暁が身を隠していたと伝えられ八幡宮の顔と親しまれていた大銀杏。歴史が変わるその瞬間を見守っていたのだ。
樹齢1,000年余、30メートルを超す巨木は、鎌倉のシンボルツリーだった。

現地に行ってみると、残された3,4メートルの切り株からも、移植された場所からも元気な若い芽がたくさん芽吹いていた。
でも、階段から見下ろす境内の舞殿や鎌倉の町は、あっけらかーんと見晴らしが良過ぎてなんだか寂しい感じがした。
これから、紅葉の季節になって、改めてあのまっ黄色の葉っぱをたくさんつける大銀杏が倒れてしまった寂しさが募ることだろう。

がんばれ!若芽たち!!

燃え尽きた体育祭*(チョキ)*

2010-09-11 23:50:00 | 徒然なるままに
9月11日(土)

体育祭が終わった。
何より、無事に終わったことに感謝し、ほっとしているというのが素直な感想だ。

今年の残暑は、酷暑、炎暑で、体育館の中も、教室の中も、まして炎天下の校庭でも、まず心配だったのは熱中症だ。
近隣の中学校では夏休み明け早々の体育祭練習中に熱中症で救急に運ばれた生徒が続出し、体育祭自体が中止になった学校もあると聞いた。
水分補給、帽子着用、日陰での休憩を生徒たちに呼び掛け、1日3回健康観察をした。
教員も自分自身の健康管理、体調管理を心がけ、少ない人数のスタッフに欠員が出て、ほかの先生方に迷惑がかからないように気をつけなければならなかった。

その成果もあり、競技中のねんざや擦り傷程度で済むような生徒はいたが、熱中症で倒れるような生徒ははいなくて本当にほっとした。

2日から正味1週間の練習中期間中、台風があったりしたけれど、この期間で生徒たちは飛躍的に成長したと思う。

たとえばソーラン節。
最初はどうなる事かと思ったが、講習を重ねるにつれ、顔つきや気合いが変わってきた。
本番では、最初の頃とは比べ物にならないほど気合の入った素晴らしいソーランを踊ってくれた。
私は1年生の副担任で、1年生の美術と数学を担当し、2,3年生は選択美術を受けている何十人かと演劇部員しか知らない。
でも、今回、全校生徒にソーランを教えることで、全校生徒が私のことを覚えてくれた。
今まで廊下ですれ違っても会釈ぐらいだった2,3年生たちが、私の名前を呼んで、挨拶してくれたり、話しかけてくれるようになった。

以前、授業参観に行った時、『何者だ?こいつ』みたいにガンを飛ばしてきた生徒(応援団長の一人)が、今日、わざわざ私のところに来て
「先生、僕たちを育ててくれて、ありがとうございました!」
と挨拶をしてくれた。
ほかの応援団長たちも、
「僕たちにソーランを教えてくださり、ありがとうございました。」
と言ってくれて、すごくうれしかった。
それにしても、我が子たちにも言われたことのない、
「育ててくれてありがとう」
という言葉にはグッと来てしまった。
それも、いつもガン飛ばしていた生徒にだ。
「ありがとう。あなたがたの団長としての活躍も、ソーランの踊りも気合が入っていてカッコ良かったよ。感動した!『アンコール』の掛け声を誰よりも一番早く大きな声でかけてあげたかったけど、午後からのあなたたちの本領発揮の競技に余力を残してあげたくて、『アンコール』と叫ぶのを我慢しました。それは会場の保護者や来賓の方たちも一緒だったと思うよ。ホントはアンコールの時に私もあなたたちと一緒に踊りたかった。それができないから、思いっきり掛け声をかけて我慢したの。
あなたたちは、どこに行っても立派にいろんな人にソーランを教えられるぐらい上手になったよ。
いつか、どこかのソーラン祭りで、一緒に踊れるといいな!」
と声をかけた。
『育ててくれてありがとう』と言ってくれた彼は、来月行われる合唱コンクールの実行委員長でもある。彼に
「今度の合唱コンクール、楽しみにしているよ。私を泣かせるぐらい感動的な合唱コンクールにしてね。応援しているよ」
と言ったら
「はい!ありがとうございます。がんばります!」
と答えてくれた。

そのことを打ち上げの席で、先生方に報告したところ、とくに彼の担任の先生が、最後のあいさつのときに、感極まって泣いていたのが印象的だった。

優勝チームの3年生の担任の先生に、
「うちの子たちが、『○○先生(私のこと)のソーランの教え方、分かりやすくて良かった』って言っていました。ご指導どうもありがとうございました」
と言われたのも、とてもうれしかった。

それともう一人。
はじめて校庭での全校ソーランの練習中、どうしてもやる気なさそうに棒立ち状態だった男子生徒に、私は演台から降りて行って、
「あなた、どこか具合でも悪いの?」
と声をかけたら、
「うるせー、うるせー」
と睨んできた。
「やる気がなくても、みんなと同じ動きをしてくれないと、あなた自身怪我するし、お友達にもけがさせてしまうから、移動や振りはみんなに合わせてやってね」
そう言っても、全然伝わっていないようだった。でも、本番はそれなりには踊っていたが…。

その彼が、騎馬戦の時に、二組の敵に囲まれながらも最後まであきらめずに見せた闘志に感動した。
騎馬戦の後に、3年生のその組の後ろを通って、彼と目があった時、
「さっきの騎馬戦、かっこよかったよ。ねばったねー!感動したよ!」
と言ったら、ものすごくうれしそうな顔で、にっこり笑ってくれたのだ。
その笑顔の可愛いこと!
普段の目つきの悪さ、態度の悪さなどみじんも感じさせない笑顔だった。

さまざまなドラマを繰り広げながら、今年の体育祭は幕を閉じた。
来週から、またいつもの学校生活が始まる。
来月は合唱コンクールだ。
今回残念ながら優勝を逃したクラスは、次こそリベンジをかけてくるだろうし、団結力が強くなって優勝したクラスは2連覇を狙ってくるだろう。
また、熱いドラマが繰り広げられそうで、今からワクワクしている。*(音符)*

陣中見舞い

2010-09-08 00:59:00 | 徒然なるままに
9月5日(日)

今日は、前任校に体育祭の練習の陣中見舞いに行った。

校庭では野球部が練習をしていたが、みんな、私を見つけるなり、大きな声であいさつをしてくれた。
午前中の練習試合で大敗してしまい、気合いの入れ直しの特訓をしているところなのだそうだ。
顧問の先生に、11日の体育祭は、現勤務校も同じ日に体育祭があるので見に来られない旨を話し、陣中見舞いに健康ドリンクの差し入れを渡した。

帰り際、野球部のメンバーたちに、
「新人戦も、もちろん県大会に行くよね~?!」
と言ったら、
「はい!!!!!」
と元気に返事をしてくれた。

学校を後にして、去年の教え子の家の農園に梨を買いに行った。
ちょうど、友達も来ていて、久しぶりに並んだかつての教え子たちの成長ぶりにびっくり。去年の今頃はまだ小学生でも通りそうなぐらい、私より背が低かったのに、グンと背は伸び、表情や受け答えも、中学生らしくなっていた。
体育祭は残念ながら行けないけれど、バスケの新人戦の応援には行くことを約束した。

今、梨園で販売されている品種は豊水。その前の幸水の時もそうだったが、花の時期に雪が降り、めしべが大きくなりかけの時に、雹や霙に降られて生育が1週間遅れ、ここにきてまた、この夏の深刻な水不足に見舞われ、大変なことになっている。

前前任校と現勤務校の体育祭の陣中見舞いに、梨を買って送った。
2週間後には新高や香りなどの品種に交代する。
大きい梨だけに、この水不足が続くのも心配だ。
早く恵みの雨に恵まれて、美味しい梨がたくさんできますように。

2軒回った内の1軒には、今年の卒業生がいて、彼の実家でのバイトの様子や、高校生活なども聞くことができて楽しかった。

私がこの炎暑に夏バテもせず、元気にソーランを踊れるのも、梨と陶板浴のおかげかな。

まとめ日記  8/30~9/4

2010-09-04 20:59:00 | 徒然なるままに
う~ん、またまた日記が1週間もたまってしまったので、一気にまとめ日記を書くことにした。いつもながら長文になるかもしれないので、例によって、スクロールして、気になるところだけ読んでくださいね。


*(笑顔)*1年生土器作り、焼成へ

8月30日(月)

今日は、1年生の土器を業者さんに焼成してもらうために、梱包したものの運び出しの作業をした。
去年の学校は同じ4階に美術室があったが、エレベーターが付いていたので、さほど苦労はなかった。
が、今年は第2校舎の4階の思いっきり端っこに美術室があり、もちろんエレベーターなんかない。
業者さんに
「運動部の生徒さんは手伝ってくれませんかね?」
と聞かれたが、
「粘土を運ぶなら手伝ってもらいますが、作品を運ぶときに、何か事故があったら、生徒の責任にはさせられませんので、私が運び出しのお手伝いをします」
とは言ったものの…。
重くならないように一つの箱に5~10個ぐらいづつつめたので、105人の生徒分(一人1作品とは限らない)と私の作品『ネコバス』を合わせて15箱を4階から1階の職員玄関まで運んだ。
これも、マチュピチュへの筋トレだと思って、汗だくになりながら頑張った!

出来上がりは9月20日ごろになるそうだ。出来上がりが楽しみだ*(酔払い)*。

今日はレディースデイということで、仕事帰りに映画を観た。
本当は『アリエッティ』をもう一度見るつもりで行ったのだが、まだしばらくやっているらしいのと、まだ原作本を読破していないので、今日はやめにした。
その代わり、予定外だったが『ハナミズキ』を観た。
映画館で見るほどでもないかなあ…と思いながら見ていたのだが、観た後はとてもさわやかで、こういう映画もたまにはいいなと思った。
ちょうど、北海道の漁師の人たちの働く姿を観ることができ、今度体育祭で踊るソーラン節のイメージにぴったりだった。


*(キラキラ)*ルネサンス(再生)

8月31日(火)

末娘は今日から新学期が始まった。
私の勤務校は明日から。今日は、明日配布する学年だよりを仕上げた。
この学校の合言葉は『ルネサンス』。(仏: Renaissance 直訳すると「再生」)
創立当時、勉強も部活動も生徒会活動もとても活気があり、優秀な成績を残した栄光の時代があるこの学校は、生徒数が一番多い時は1500人もいたのだそうだ。
その後、いろいろな経緯を辿りながら、生徒数は現在280人と激減しながらも、がんばっている学校だ。
かつての活気を取り戻そうという思いを込めて命名されたということだ。

確かに、赴任してきて思うのは、地域は高齢化しつつも元気があるのだが、次代を担う中学生たちに『覇気』があまり感じられない。
やる気がないのでも、元気がないのでもなく、単純に『面倒くさい』という理由で、何事にもフットワークが重い。声が小さい。
これは、この学校に限らず、今の中学生に共通して言えることなのだと思う。

でも、それはけして子どもたちのせいだけではないと我が身を振り返りながら反省することしきりだ。
母親としての私はどうだろう?
家事でもなんでも、面倒くさがってはいないか?
子どもたちやご近所とのコミュニケーションは?
『忙しい』を理由にして、手をかけ、手間をかけ、声をかけることを面倒くさがってはいないだろうか?
教師としてはどうか?
自分なりにがんばってはいるつもりでも、がんばりどころを間違えてはいないか?
興味のあることを優先して、やるべきことを後回しにしたりはしていないか?

『学年だより』に『ルネサンス』のことを書きながら、私自身も、『ルネサンス』しなければと思った。
初心*(初心者)*に戻ること。
自分自身の『文芸復古』を頑張ること。面倒くさがらず、意欲的に、バランス良く取り組むこと。
気力、体力ともに Renaissance「再生」を目指そう!



*(グー)*2学期スタート!*(ダッシュ)*

9月1日(水)

いよいよ2学期が始まった。みんないい色に日焼けしている。
1時間目は避難訓練だったが、私は夏休み中に足を骨折してしまった生徒について、教室で待機していた。
3階の教室までようやく上がってきた生徒を避難させるのは、本人も周りの大変だということで、教室待機になったのだ。でも、さすがに、避難訓練で教室に一人残されるというのはさびしいし、不安だろうということで、私が付き添うことになったのだ。

私も骨折した時の話など二人で雑談をしていると、教室に生徒たちが戻ってきた。
しばらく様子を見ていたら、みんないつもと変わらないようにしながらも、さりげなく気遣っている様子を見てほっとした。これも彼の日ごろの人徳から来ているところもあるのだろう。
1日も早く怪我が治って、彼の元気に白球を追う姿を見たいと祈った。

5時間目は体育祭の結団式があった。赤・青・白の3色に別れて戦うというこの学校の体育祭は11日にある。
せっかくの決断式なのに、各組の鉢巻きも団旗もないのが残念だった。

放課後に、応援団のミーティングとソーランの講習会があった。
明日からのソーランの練習に、私のアシスタントとして見本の踊りを見せてくれるよう、講習会を開いたのだ。
去年の運動会で踊って以来という2,3年生は、最初の方こそ先が思いやられるような感じだったが、口で言うより踊って見せたほうが早いと、踊って見せたところ、目つきが変わってきた。
一つ一つの振り付けや動作に意味があることを丁寧に教え、踊って見せながら、みんなの前で踊るうち、さすがに応援団に立候補しただけある気合いの入った踊りになっていった。
それを見ていた1年生たちも、小3の時に踊って以来だという生徒や、初めて踊るという生徒も、みんな見よう見まねで、でも声だけは先輩に負けないぐらい張り上げて踊っていた。

さあ、今年は今までで最高のソーランを全校生徒一丸となって踊るぞ~!!



*(波)*ロックソーランと飛ぶ男

9月2日(木)

いよいよ今日から全校生徒を対象にしたソーランの練習が始まった。
今日は、3年生が実力テストなので、1,2年生が2時間ずつ練習した。
1年生は初めての生徒もいるので、1から一つ一つ丁寧に教えた。全曲フルで踊っても見せた。
2年生は、去年踊っているので、最初に踊ってもらったのだが、だいぶ忘れているというか、踊りになっていない生徒が大多数だった。
でも、一つ一つの振り付けや動作の意味と型を解説しながら、かっこよく踊るポイントを教えてあげたら、みるみる上手に踊れるようになっていった。
とにかく、3年生の踊りを引き立てるのも、1年生の手本になるのも、2年生の踊りにかかっているという責任の重大さを伝えた。
声が小さいのが気になったが、きっと1年生の元気な声に励まされてがんばってくれることと思う。

とにかく2学年教え終わった後の汗の量が半端ではない。2枚のTシャツは絞るとボタボタ汗が落ちてきた。
ほとんど生歌で歌いながらの指導だったので、のどはカラカラ。麦茶を飲んでも飲んでも渇きが癒えなかった。
でも、怖いのはこれから出てくる筋肉痛。ストレッチは十分したつもりだが、現役を引退してから5年間もまともに踊っていないのだ。
ウォーキングの成果があってか、動悸・息切れのほうは大丈夫だったが、2日間もあんなに思いっきり踊って、明日の3年生の指導の時に、ちゃんと踊れるのだろうか・・・・*(青ざめ)*

今日は、最終下校時に退勤させてもらい、末娘と*(映画)*『BECK』の試写会に行った。
原作の漫画の方は読んでいないが、なかなか見ごたえのある映画だった。まだ公開前なので、ネタばれになるようなことは言わないが、ロック好きでなくても元気と勇気がもらえる青春ドラマとしてお勧めだ。去年の誕生日にギターっを買ってもらって以来、うっちゃっておいた娘のハートの火がついたらしい。(←古臭い言い方?*(汗)*)

観終わった後、娘とジョナサンで食事をしながら、いろいろ熱く語り合った。
結論。ロックも、ソーランも、飛び上がる男はカッコイイ!



*(波)*ソーラン講習3日目 校庭で全校生徒で踊る 

9月3日(金)

今日は1,2時間目は1年生の数学のテスト。3時間目は3年生のソーラン講習。4時間目はゴッホの鑑賞のテスト。5,6時間目は炎天下の校庭でソーランの全体練習という、超ハードな1日だった。

3年生も昨日の2年生同様、最初のほうはなんだかエンジンがまだかかっていない生徒が多かったが、最後の体育祭、最上級生という自覚を持たせ、『プライド』をくすぐるようなハッパかけをしたところ、みるみる踊りが良くなっていった。特に本番は最前列で、来賓の前で長半纏を着ることになるであろう応援団のメンバーの気合いの入り方はさすがだった。全校生徒を引っ張って、最高のソーランを踊るという気持ちが伝わってくる踊りだった。
この子たちが当日、最後のポーズを決めた時に、一体感と達成感でいい笑顔になれる様な踊りを踊らせてやりたいと心から思った。

5,6時間目は見事な秋晴れの炎天下の中で全校生徒によるソーランの隊形移動を入れた練習をした。
カラカラに乾いた校庭の土埃の中、昨日今日の練習の成果もあって、踊りこむほど気合の入った踊りができるようになっていった。
と同時に、みんなが頑張れば頑張るほど、やる気のない生徒が異様に眼立つようになってきた。
群舞とは不思議なもので、上手な生徒より、やる気のない、だるそうな、いい加減な踊りを踊る生徒の方が目立つのだ。
本人はみんなががんばっているなら自分ひとりぐらい踊らなくてもべつにいいんじゃね?なんて思っているのだろうが、
観客席から見ていると、そういう生徒ほど「具合が悪いのかしら?」と心配で気になったり、「あいつやる気あんのか!ひっこめ!!」とイライラのもとになってしまうのだ。
ビデオで撮ってもそこだけが踊りの輪が崩れて目立ってしまうのだ。
これは、いやいや踊っているほうも、それを見せられる方も、苦痛で残念なことだ。

学校の体育祭で踊るソーランは、ソーラン好きなメンバーが年間を通して一生懸命練習した踊りとは違い、好きじゃないのに、得意じゃないのに、やりたくないのに踊らされているというモチベーションの低い生徒もいて当然なのだ。
でも、やる以上はけが防止の意味も含めて、みんなと同じ動きをしてくれないと困るのだ。
そこで、全校生徒にメッセージを送った。これは、前前任校の校長が体育祭の予行の時に全校生徒に送った言葉で、以来、私の座右の銘でもある。

 どうせやるなら、精いっぱい
 どうせやるなら、心を込めて
 得意、不得意は関係ない
 どうせやるなら 勝ちに行け!

この言葉には、去年の3年生からも、
「いい言葉を教えていただいて、ありがとうございます。これからすべての学校行事に『最後の』という言葉がつきますが、先生の言葉を胸に、残りの中学校生活を充実させていきたいです。そして、必ず志望校に合格し、最高の卒業式を迎えたいです」
というメッセージをもらった。

ルネッサンス。再生。
昭和60年代、日本一荒れていたという北海道の稚内南中学校が、この『南中ソーラン』を作り、取り組むことで、南中だけでなく、当時200海里問題で活気を失くしていた稚内の町まで活気を取り戻した、まさに『再生』の踊りだ。その取り組みは、TVのドキュメンタリーで紹介され、『学び座』という映画にもなり、TVドラマ『3年B組金八先生』でも取り上げられ、札幌よさこいソーラン祭りのルーツにもなり、その踊りの輪は国内だけでなく、海外にまで広がっているのだ。

ソーラン隊長を引退して4年になるが、今まで置き火状態だった私のソーラン魂も、この体育祭をきっかけに『再燃』した。
日ごろの運動不足の解消も兼ねて、来週1週間、気合いを入れてがんばるぞ!!



*(本)*恩師の言葉

9月4日(土)

今日は、劇団養成所時代の恩師の公演を観に行った。
先月、
「稽古中に倒れ、現在入院中。退院の翌日から立ち稽古に入ります。」
というお手紙と一緒に公演の案内をいただき、心配していた。
ロビーで、お元気な姿を目にして、ひとまず安心して芝居を見た。

休憩中と公演後にお話しする機会があり、今年度は演劇部の顧問になったことや、今度、学校で生徒たちの前で朗読劇をすることを報告した。
「先日、台本を読みながら、被爆者の母の手記を読む時に泣けて泣けてしょうがないのですが、泣かずに読む方法はないでしょうか」
と相談したら、
「泣きながらでもいいから、何を言っているのかは聞き手にはっきり伝わるように読めばいいのですよ」
とアドバイスしてくださった。
私は、泣きながら読んだら見ている方は引くかなあとか、流ちょうに音声としてはっきり読んでも、内容は伝わらないんじゃないかとか、余計なことで悩んでいたのがいっぺんでふっ切れた思いだった。

何度読んでも涙なしでは読めない文章を、泣かないようしながら読めないのは私が未熟だからと決めつけていた。
書いた人の気持ちになって素直に読めば、自然と涙は出てくるし、泣き声になってしまうのは当たり前のことなのだ。
演技でもない。自分に酔っているのでもない。それだけの力がある、気持ちが込められている文章なのだ。
小手先のテクニックではなく、こういうことが昔実際にあり、あのきのこ雲の下ではこんな気持ちで亡くなったり、家族を失った人たちがたくさんいたんだということを子どもたちに伝えたい。
その一心で読めばいいのだ。

先生、ありがとうございます。
もう一度、役者の原点に立ち返り、子どもたちの心に残る朗読劇を成功させられるよう、がんばります。

『イノセンス』~シーザーを理解するためにシーザーである必要はない~

2010-09-04 10:50:42 | アニメ


種田陽平氏がかかわった作品の中に、押井守監督の『イノセンス』がある。
TVシリーズにもなった、士郎正宗による漫画作品の『攻殻機動隊』の劇場版で、1995年公開のアニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の続編にあたる。

劇場公開時に見に行ったが、私は、原作も前作の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』も知らないで、いきなり劇場版を観たので、ストーリーや、その設定について行けず、アニメーションの質としては素晴らしテクニックや背景美術ではあるのは分ったが、内容はさっぱり分からなかった。

今回、種田陽平氏がプロダクションデザイナー(美術監督)としてかかわっていたと知り、その視点からもう一度見て見ようと思ってDVDを借りてきた。

冒頭に、『この作品の世界に入る前に』ということで、『攻殻機動隊』の世界の2039年という時代の設定の説明や、『攻殻機動隊』とはどういう組織か、また、それぞれの登場人物についてなど、分かりやすい解説が付いていた。

そのお陰で、かなり世界に入りやすく、また、以前見て疑問だった点も答えがわかって、興味深く観ることができた。
http://www.production-ig.co.jp/contents/works_sp/1160_/
http://www.bandaivisual.co.jp/oshiimamoru/

時代は21世紀、第三次核大戦と第四次非核大戦を経て、世界秩序は大きく変化し、科学技術は飛躍的に高度化した。その中でマイクロマシン技術(作中ではマイクロマシニングと表記されている)を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。その結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、テロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の攻性の公安警察組織「公安9課」通称「攻殻機動隊」の活躍を描いた物語。(Wikipediaより)

かつて、『銀河鉄道999』で、機械の体を求めて旅する少年鉄郎と亡くなった母によく似た姿の美少女メーテルが、いろいろな惑星に立ち寄りいろいろな人たちとの出会いから、『機械の体』と『生身の体』について葛藤しながら旅するシーンがあった。

『電脳化』によって、瞬時にして他人と情報を共有することができるということは、同時に、自分の脳の中に他人の意識が入り込んできたり、覗かれたり、コントロールされたり、全く別の情報を埋め込まれたり、乗っ取られたりするということにもなりかねないのだ。

そんなことが、あと20年も経ったら当たり前のように行われていると思うとぞっとする。
と言いながら、今だってサイバー犯罪ほどんどん広がっている。若者の携帯電話依存症、子どもたちのゲーム脳などは、近未来の電脳化の前哨戦なのかもしれない…。
大人だって、必要な栄養はサプリメントで摂取し、どこに行くにも車を使っている。生身の体でありながら、自然治癒力も免疫力も落ちて『薬漬け』になっているのは、はたして健康な体といえるのだろうか…。

『イノセンス』の美術は、改めて見ると、近未来のアジアのものすごいエネルギーを感じた。近代化される都市の裏側で、たくましく、したたかに生き延びているドヤ街のエネルギーと胡散臭さがうまく出ていたと思う。

音楽も「傀儡謡」のコーラスは75人の民謡歌手を集め、更にクライマックスに使用された傀儡謡ではコーラスを4回収録し、それを同時に流す事によって音に厚みを増しているというこだわりよう。あのこぶしの聞いたコーラスとキーの高さはアジアンテイストをうまく表現していると思う。

押井守監督が『うる星やつら』の劇場版『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』でも使っていた、同じ時間を何度も繰り返す不思議な現象も、作品の中で用いられている。

『公安九課』のリーダー荒巻氏が引用した「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」(マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』)の言葉はすごく心に残った。
また、『鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず、声有る者は幸福也』(斎藤緑雨)も、
『ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない』(西洋の諺)も興味深かった。

改めて、『攻殻機動隊』の原作漫画を読み、TVアニメシリーズを最初からてみようと思った。

*(映画)*『イノセンス』~シーザーを理解するためにシーザーである必要はない~

2010-09-04 09:19:00 | 徒然なるままに
8月29日(日)
種田陽平氏がかかわった作品の中に、押井守監督の『イノセンス』がある。
TVシリーズにもなった、士郎正宗による漫画作品の『攻殻機動隊』の劇場版で、1995年公開のアニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の続編にあたる。

劇場公開時に見に行ったが、私は、原作も前作の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』も知らないで、いきなり劇場版を観たので、ストーリーや、その設定について行けず、アニメーションの質としては素晴らしテクニックや背景美術ではあるのは分ったが、内容はさっぱり分からなかった。

今回、種田陽平氏がプロダクションデザイナー(美術監督)としてかかわっていたと知り、その視点からもう一度見て見ようと思ってDVDを借りてきた。

冒頭に、『この作品の世界に入る前に』ということで、『攻殻機動隊』の世界の2039年という時代の設定の説明や、『攻殻機動隊』とはどういう組織か、また、それぞれの登場人物についてなど、分かりやすい解説が付いていた。

そのお陰で、かなり世界に入りやすく、また、以前見て疑問だった点も答えがわかって、興味深く観ることができた。
http://www.production-ig.co.jp/contents/works_sp/1160_/
http://www.bandaivisual.co.jp/oshiimamoru/

時代は21世紀、第三次核大戦と第四次非核大戦を経て、世界秩序は大きく変化し、科学技術は飛躍的に高度化した。その中でマイクロマシン技術(作中ではマイクロマシニングと表記されている)を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。その結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、テロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の攻性の公安警察組織「公安9課」通称「攻殻機動隊」の活躍を描いた物語。(Wikipediaより)

かつて、『銀河鉄道999』で、機械の体を求めて旅する少年鉄郎と亡くなった母によく似た姿の美少女メーテルが、いろいろな惑星に立ち寄りいろいろな人たちとの出会いから、『機械の体』と『生身の体』について葛藤しながら旅するシーンがあった。

『電脳化』によって、瞬時にして他人と情報を共有することができるということは、同時に、自分の脳の中に他人の意識が入り込んできたり、覗かれたり、コントロールされたり、全く別の情報を埋め込まれたり、乗っ取られたりするということにもなりかねないのだ。

そんなことが、あと20年も経ったら当たり前のように行われていると思うとぞっとする。
と言いながら、今だってサイバー犯罪ほどんどん広がっている。若者の携帯電話依存症、子どもたちのゲーム脳などは、近未来の電脳化の前哨戦なのかもしれない…。
大人だって、必要な栄養はサプリメントで摂取し、どこに行くにも車を使っている。生身の体でありながら、自然治癒力も免疫力も落ちて『薬漬け』になっているのは、はたして健康な体といえるのだろうか…。

『イノセンス』の美術は、改めて見ると、近未来のアジアのものすごいエネルギーを感じた。近代化される都市の裏側で、たくましく、したたかに生き延びているドヤ街のエネルギーと胡散臭さがうまく出ていたと思う。

音楽も「傀儡謡」のコーラスは75人の民謡歌手を集め、更にクライマックスに使用された傀儡謡ではコーラスを4回収録し、それを同時に流す事によって音に厚みを増しているというこだわりよう。あのこぶしの聞いたコーラスとキーの高さはアジアンテイストをうまく表現していると思う。

押井守監督が『うる星やつら』の劇場版『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』でも使っていた、同じ時間を何度も繰り返す不思議な現象も、作品の中で用いられている。

『公安九課』のリーダー荒巻氏が引用した「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」(マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』)の言葉はすごく心に残った。
また、『鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず、声有る者は幸福也』(斎藤緑雨)も、
『ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない』(西洋の諺)も興味深かった。

改めて、『攻殻機動隊』の原作漫画を読み、TVアニメシリーズを最初からてみようと思った。