彫刻刀を使い

細かな彫りをしていましたら
大量に細かいことをしてたせいで
指先にタコみたいなのできてきて
いたーい❗
JIT帰ってきて
明後日また降ろさなくてはならないから
大きなのはそのまんま下に置いておこうといろいろしまして。
最近はたくさん作品2階から降ろすことがしんどくてできなくなり
階下の色んなところに一時待機です
指先のいたみは
妥協なき作品作りのためですから
平気です。(笑)
これからは私は
心に浮かぶ映像をごまかしなしの本物にする。
というのも今までは
難しいから簡単にしなきゃできない
と、言い訳してました
でも
違う。
やっぱりそこは妥協しちゃいけない
できないことはやらなきゃならないことだとおもえるようになりました。
えー?そんなにたくさん?とか
えー?そんなに手間かけて?とか
やりたいことがそれならばもう逃げません。
なぜなら
それが本物だから。
手間がかかる
大変
そんなこともうどうでもいい。
私は私の表現したいことをするんです。
これは売れるとか
このシリーズ人気とか
そんなことはどうでもいい。
もう心に嘘はつけない。
芸術って
溢れる魂のエネルギーの発露だと想う
よく理屈なんかわかんないけど
止められない何かなのだろうなと想う。
止められないなら止まらなくていいんだ。
表現したいならしたらいいんだ。
売れるとか
そんなことは社長に任せて
私は表現するだけ。
今日
人の裏側の計算に気づいているか?と
電話でいろいろ教わった。
無防備過ぎて見てられないと言うことです。
そうかもしれない。
無意識の中の計算や様々な利得に対する執着がそこに存在するのなら
そこにはもう純粋なものはないのかもしれない。
私は
純粋に作りたいし表現したいです
損得勘定のできない熱情みたいなのありますから
うまくいえないけど
損得勘定多い人が近づいたら
私はその人を灼き尽くすかもしれない気がしました。
エネルギーあるので
同じようなエネルギーある人なら
自然だし違和感はないけど
でももしも
損得勘定の計算を秘めて近づかれたら
それがあまりない人間のエネルギーは無謀だし荒いし強いので
燃やしてしまう気がします。
だから作品として昇華しなきゃならないと信じているんです。
そのまんまだとまるで原始的なエネルギーなので
作品に変換しないといけない気がするんです。

いい意味では純粋に
別の捉え方すれば無謀なエネルギーの塊で。
新工房の
風のあとりえでやりたいことは
自分のエネルギーに忠実な世界を作ることで
別に
それを自慢したり人に披露したりすることは目的ではない。
その結果生まれた作品はどこまでも優しくあたたかく
母性のようなエネルギー帯びた世界にしたいんです。
生むときのエネルギーは
近づいてほしくない。誰にも。
工房披露したりするのはちょっと違っていて
生まれた作品から生まれる母性みたいな優しい世界に触れてもらえたらそれでいいと思うんです。
どんな機械を使おうが手作業だろうがどうだっていいんです。
それはそんなに重要なことじゃない。
それよりも
どのような深い懐の作品が生まれてくるか
そちらのほうが大切。
生む
というある種の母性みたいな何か。
そんな世界に
風のあとりえでは触れられる
そういう場としてならいいんです。
ここで作ってます
こんな環境で
こんな道具で
それはただの経過であって
それはただの
言わば子を生むための吸収すべき栄養素に過ぎなくて
本質は
例えるなら出産する岩倉のようなものだし
そこは近づいてもらわなくてもいいのだと想います。
生み出した後の優しい気に触れてもらえたら。
それだけで十分です。
母は生むときに損得など考えはしないし。
生まれた子達は母親の愛とエネルギーを一心に帯びてます。
その子達に触れてほしいです。
愛の塊。
愛は損得勘定じゃあない。