goo blog サービス終了のお知らせ 

夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

指か痛いなぁ

2022-06-21 23:19:45 | つれづれ
彫刻刀を使い

細かな彫りをしていましたら

大量に細かいことをしてたせいで

指先にタコみたいなのできてきて

いたーい❗

JIT帰ってきて

明後日また降ろさなくてはならないから

大きなのはそのまんま下に置いておこうといろいろしまして。

最近はたくさん作品2階から降ろすことがしんどくてできなくなり

階下の色んなところに一時待機です

指先のいたみは

妥協なき作品作りのためですから

平気です。(笑)

これからは私は

心に浮かぶ映像をごまかしなしの本物にする。

というのも今までは

難しいから簡単にしなきゃできない

と、言い訳してました

でも

違う。

やっぱりそこは妥協しちゃいけない

できないことはやらなきゃならないことだとおもえるようになりました。

えー?そんなにたくさん?とか

えー?そんなに手間かけて?とか

やりたいことがそれならばもう逃げません。

なぜなら

それが本物だから。

手間がかかる

大変

そんなこともうどうでもいい。

私は私の表現したいことをするんです。

これは売れるとか

このシリーズ人気とか

そんなことはどうでもいい。

もう心に嘘はつけない。

芸術って

溢れる魂のエネルギーの発露だと想う

よく理屈なんかわかんないけど

止められない何かなのだろうなと想う。

止められないなら止まらなくていいんだ。

表現したいならしたらいいんだ。

売れるとか

そんなことは社長に任せて

私は表現するだけ。



今日

人の裏側の計算に気づいているか?と

電話でいろいろ教わった。

無防備過ぎて見てられないと言うことです。

そうかもしれない。

無意識の中の計算や様々な利得に対する執着がそこに存在するのなら

そこにはもう純粋なものはないのかもしれない。

私は

純粋に作りたいし表現したいです

損得勘定のできない熱情みたいなのありますから

うまくいえないけど

損得勘定多い人が近づいたら

私はその人を灼き尽くすかもしれない気がしました。

エネルギーあるので

同じようなエネルギーある人なら

自然だし違和感はないけど

でももしも

損得勘定の計算を秘めて近づかれたら

それがあまりない人間のエネルギーは無謀だし荒いし強いので

燃やしてしまう気がします。

だから作品として昇華しなきゃならないと信じているんです。

そのまんまだとまるで原始的なエネルギーなので

作品に変換しないといけない気がするんです。








いい意味では純粋に

別の捉え方すれば無謀なエネルギーの塊で。

新工房の

風のあとりえでやりたいことは

自分のエネルギーに忠実な世界を作ることで

別に

それを自慢したり人に披露したりすることは目的ではない。

その結果生まれた作品はどこまでも優しくあたたかく

母性のようなエネルギー帯びた世界にしたいんです。

生むときのエネルギーは

近づいてほしくない。誰にも。

工房披露したりするのはちょっと違っていて

生まれた作品から生まれる母性みたいな優しい世界に触れてもらえたらそれでいいと思うんです。

どんな機械を使おうが手作業だろうがどうだっていいんです。

それはそんなに重要なことじゃない。

それよりも

どのような深い懐の作品が生まれてくるか

そちらのほうが大切。

生む

というある種の母性みたいな何か。

そんな世界に

風のあとりえでは触れられる

そういう場としてならいいんです。

ここで作ってます

こんな環境で

こんな道具で

それはただの経過であって

それはただの

言わば子を生むための吸収すべき栄養素に過ぎなくて

本質は

例えるなら出産する岩倉のようなものだし

そこは近づいてもらわなくてもいいのだと想います。


生み出した後の優しい気に触れてもらえたら。

それだけで十分です。

母は生むときに損得など考えはしないし。

生まれた子達は母親の愛とエネルギーを一心に帯びてます。

その子達に触れてほしいです。

愛の塊。

愛は損得勘定じゃあない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろとやってみよう

2022-06-21 09:52:22 | つれづれ
人の優しさは深いもので

とあることで

傷ついたんじゃないかなと

友人と二人夕べ心配して

電話してみて

あ、良かった。って想って

またそれを朝友人に話してた。



誰しも

良かれと想うことが通じないこともあるし

そしてつまづくことで

気づいてまた勉強になったり。

私は失敗談の宝庫なので(笑)

笑って学んでもらえたら幸せだ。

反面教師って私のことだなあ。(笑)


先生にもらった本を

列車の中でざっと読んで

今度は寝る前にじっくり読み出してます。

そうかぁ。って納得しながら。



口に出して言う勇気無くて

裏でウジウジしてたのか。

(笑)



これは違和感あるなあとか

嫌だなあとか

これはしてほしくないなあって想うことは

勇気を出して

心を込めてお願いしてみたらいい。

これは今じゃないでしょ?とか

ここで?とか

なぜ?とか

疑問のハテナマークいっぱいいっぱいつくときある。

もしも自分の立場ならそうされるかな?

そう想う。

そんなとき

悶々とするくらいなら

勇気を出して言えばいいだけだな。

それで仲良くできないなら離れたらいいんだなあって。

そう気づかせてもらいました。


お互い様なんだろけど。(笑)

私も言われて気づいたり反省したり。

言葉に出して叱ってくれる人のありがたさ。

言うのは簡単じゃない。

言わないで察しろ、なんて高度なことできない人種もいますから。

私のように。(笑)

このみちゃんと

人のことを想い心配して大丈夫かなぁとか想い話してたけど

その人は

友人と私が想ってること気づいてたって。

嬉しいって言ってくれた。

不思議に想いはやはり波。

通じるんですね。

良かったです。



人のことも

それを見てたら

勉強になります。


相手の立場に立って

相手の気持ちに寄り添う事って難しい。

もちろん自分も大事にしなきゃ。

人のことばかり優先して

あれ?私はなぜか離れたところにポツンといる

みたいなことはしょっちゅうです。(笑)

サーカスのピエロさんみたいって言われたこともあったけど

すぐに主役みたいな人に譲って幕の後ろに引けてしまうって。

いくら一人スポット当ててもらっても

一瞬で

また主役に移るから

幕の後ろに下がらなきゃって想ってた。

でも

この前先生は言ってくれた。

私のおるごーるも主役になれるし

役に立つ事を。

十分主役みたいに。

自信を持って。

大丈夫って。



涙を流し毎日来てくださる方もおられる。

どれほどあなたのおるごーるに救われたか

って言ってもらったり

あたたかい優しい音色ねって言ってもらったり

本当に最近は嬉しい言葉を頂くようになりました。

この前先生から言ってもらった

空間を浄化するような音色

それはもう心が震えました。

先生は、私が昔夢で見た

教会みたいな白い壁にかかってた作品

まだ難しくて作れないけど映像は出てきてるけど

それが見えるって言ってくださった。

私が帰り道泣いたのは

見える人がここにもおられたって

そんなことを感動したのもあります。

泣けて泣けて泣けて。

わけもなく泣けて。

自分のことをみんな認めて信じてくださる人の存在は

本当に本当に嬉しいです。

必ず作れるのよ!って言ってもらった。

私は大きくうなずいた。

自分の隠れた表現やらいろんなことに

気づいてないのは私かもしれない。

もっと素直に

自分の中に眠る表現を

怖がらないで出していけばいいのかなぁ。

子供の頃のように。



励みます(笑)

笑顔で励みます(笑)


個展では

主役はあなたよ

って

改めて言ってもらいました。

何だか心がこそばゆい。

けど

自分の表現の世界

たくさんたくさん広げてみよう

そう想いました。

本当に主役になるために

人の心を引き付けるような魅力ある表現したいなあ。

ゆのんの世界をお見せしたい。

そう話すとある人が

「心配しなくても、遠慮するから出てきてないだけ。誰に遠慮することもなく、自信持ち一心に作ってたら、ゆのんちゃんの世界は広がるのだから、何にも心配しなくてもいいのよ」

そう言ってくださった。

不安とかオドオドしないで

何にも考えないで

やってみよう。

やってみよう。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨空

2022-06-21 08:14:54 | つれづれ
今週は梅雨らしい1週間となりますね


娘にもらったあじさいは花も終わり

そろそろカットしてあげましょう。

アジサイの花の枯れたまんま立っているのは

北海道みたいにドライフラワーになるのならともかく

湿度高い京都では色も悪くて(笑)

ちょっと不気味なので

早めにカットしてスッキリして

お花にご苦労さまと言いましょう。

6月はあじさいの花でおまじないもありますね。

毎年カットして半紙に、くるんで

お手洗いにかけなさいと言われてきました。

毎年守ってますね。

水分抜けたあじさいが毎年ドライフラワー状態に(笑)

終わると御札と同じく氏神様のお焚き上げのところに持っていきます。

女性の病よけと言われてますね。


実は子供の頃から

あじさいの花はそれほど好きではありませんでした。(笑)

だって昔

京都の町家はどこもお手洗いが裏庭のところや庭を越した別棟にあり

お手洗い出たところとか近いお庭に大抵あじさいの花が咲いていたのです。

何か意味があったのかなあ?

自然と私はあじさいの花をお手洗いの花と思うようになりました。

あじさいには迷惑な話ですね。

だから何となく

パッとした花ではなかったんです。



最近は

あじさいも様々な品種も出て

華やかさが増しています。

かつてのお手洗いの花のイメージはもうありませんね。

美しい色彩や華やかさを纏ったあじさいは

「私だって、裏方じゃなくて主役は張れるのよ」

と、話しているかしら?とか

時々思って笑ってます。

土の酸性度により色彩を変えるという不思議な花

暗い梅雨の日照の少ない季節に

美しい色彩を添えてくれる

貴重なお花ですね。


今日はJIT便が帰ってきます。

明後日はいよいよ金沢に向けてアロー便が出ます。

いつも梅雨明け間近の雨がちの金沢香林坊大和の画廊です。

今年も夏越の祓は

金沢で茅の輪くぐり。

唱えながら。



京都では6月の晦には

水無月を頂きます。

金沢では水無月じゃないんです。

7月1日

氷室の日。

氷室の節句と言って

無病息災を祈ってカラフルな氷室饅頭頂くようです。

金沢も京都と同じくお茶と和菓子の土地柄。

昨年も、皆さんが

「氷室饅頭たべた?」

と、言ってくださいました。

大和さんでは地下でいろんな氷室饅頭売ってありました。

一個ずつバラ売りでも買えるのあるから

無病息災に買ってみようかな?(笑)

酒蒸し饅頭みたいなのです。



子どもたちが小さな頃は

手作りで水無月をよく作りました。

割と簡単に作れましたから

和菓子屋さんの美味しいのもいいですが

手作りの素朴なのもいいです。

お菓子で季節を感じお茶を頂く

何とも心が落ち着きますね。

風のあとりえにも

お抹茶点てられるように

しておこう。

私はとてもお茶飲み(お酒のみの言い方に、ならって)でして

日本茶

紅茶

とても好きです。

珈琲も。

祖父が

いつも祖父の定位置のお茶用のテーブルと椅子に座り

煎茶なら私も頂いたのですが

玉露とかはなかなか頂けなかった。

「子供にはまだ早い」

でも

机の上に並ぶ茶器や

冷ました湯で淹れるお茶の数々はとても贅沢そうに見えました。

祖父は私がお茶会でお点前を披露するときには必ず

お正客さんとして座ってくれました。

私は慣れない着物を苦労して着て。(笑)よく祖母に直されました。

祖母は素早く和服をサッと着るので

流石に明治の人はかっこいいなと想ってました。

お茶会は晴れの日で。

建仁寺さんで立礼のお点前したときも懐かしい。

何年やっても

お免状もらえない私は居づらくなりお稽古やめてしまいましたけど

それでも関係なく

普段の中で

お茶を頂くという楽しみは

嬉しいですね。


金沢から帰るといよいよ

京都は祇園祭。

久しぶりに山鉾
やはり心が踊ります。

コンチキチン

京都人の魂に刻まれたお祭りです。

7月

雷なって

注連縄切って

神開く。

梅雨が明け

夏の訪れ。 




コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする