時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

月に哭く 4

2011-09-05 15:43:29 | 酔夢遊歴
その頃、李白は、讒言により、役人を追われ、宮廷には復帰できず、失意の日々を送っていた。当然のことながら、彼を訪ねる者は少なくなっていた。
晁衡(ちょうこう)は、そんな数少ないうちの、一人であった。
ちょうど、今の漂泊の旅に出ることに決めた頃だ。
連絡をしたわけでもないのに、何と言うこともなく、ふらりと晁衡(ちょうこう)はやって来た。
 その日は、美味い酒を手に入れたから・・といって、酒を手土産にやって来た彼と、また、月を肴に飲んだのだ。李白が、旅に出ると告げると、分かっていたかのように、晁衡(ちょうこう)は頷き、「風は、一つ所に留まれるものではないから・・。」と、傷心を慰めるように、李白の杯に酒を注ぐ。そんなふうに言われて、李白も、自分自身、腑に落ちたといおうか、納得しきれていない部分があることにも気づいた。
 風か・・なかなか良い言葉をかけてくれたな。それこそ、目指していた人生じゃないか・・。李白は、若い頃、遊侠を気取って、放浪したことがある。親友の隠者の、仙人のような生活にあこがれもした。心に湧いた志を切り捨てられず、朝廷に仕えることになったものの、もともと、自由気ままがあっているので、窮屈な生活に辟易もしていた。彼なりに、我慢はしてきたけれど・・そう、きっぱりと捨て去ればいいじゃないか。そう思うと、最早、失意はどこかへ消えてしまった。
風が生じる・・・。李白は、体の中を一塵の風が、吹き抜けるのを感じた。
 笑みが生まれ、機嫌良く、返杯した李白。
晁衡(ちょうこう)の目から見た彼は、いつもの、飄飄とした雰囲気を保ったままだった。それを裏付けるように、いつもの如く、酒を飲むと、しぜんと詩を詠んだ李白。確かに、落ち込んでいるように見えたのだが、気のせいだったのか・・。失意の日々を送ってるかと思いきや、まるで、気にもしない快活さを失わないようすに、安心したように、晁衡(ちょうこう)も静かに飲み始めた。
しばらく、李白の詩に、耳を傾けていたが、ふと。
「言霊が宿る・・・。」
と、李白にはわからない言葉を呟く。李白の、訝しげな目を見ると。
「ああ、すみません。今のは、国の言葉です。人が発した言葉は、必ず現実に影響する・・というか、そんなふうに考えるので、大和の国には、軽々に、言葉を使うことは忌むべきことだという考えがあります。それと同じ発想から、わが国も独自の、詩があるのですが、優れた歌には、言霊が宿る、と言われています。優れた歌人が詠んだ詩が、山に掛った雲をはらったという話もあるくらいです。・・この国には、それを言い表す言葉はないですよね。」
 李白は、ちょっと考え。
「音や言葉には、場を清め、邪を祓う力があるというやつか?」
 と、推量してみる。李白は、若い頃、仙人修行をしたことがあり、この手の、知識も持っていた。それに対し、晁衡(ちょうこう)は、もどかしい顔つきをしている。
「・・そうですね。源流は、同じところからかもしれませんが・・悪しき言葉を使っても現実になると思われているので、少し、違ってはいますが・・。」
「うん、なるほど・・何となく、想像がつくな。」
「場を清めるためだけでも、音や言葉が、力を持つなら、この国の言葉にも、やはり、言霊・・は、宿る、のでしょうね。」
 晁衡(ちょうこう)が、李白の詩を聞いていて、言霊が宿っている、と、思ったのだと、言った。
「・・そりゃ、最大の賛辞だな。空の月の機嫌を損ねたら、一つ、酒の肴が欠けてしまうからな。結構結構。」
「おべっか使うつもりは、ないのですよ。ただ、何となく、言葉が浮かんだのです。今日の月は、故郷の空を思い出させてくれたので。」
 気恥かしそうに笑うと、酒をあおる晁衡(ちょうこう)。
「月など、どこで見ても同じだろう?貴殿のは、郷愁が、そうさせてるのではないか?」
 見せてくれる表情は違うが、満ち欠けする月は月だ。いきなり、四角く、突拍子もない形に見えたりはしない。
 晁衡(ちょうこう)が首を横に、振る。
「郷愁かもしれませんがね。夜の闇で、はっきりと色彩が、区別しづらいせいか、月は時々、故郷の、それを思い出させてくれるのです。反対に、昼の景色は・・駄目ですね。大陸は、どこも、砂の気配がして・・・。あ、駄目だと言ってるわけではないんです。ただ、遠い故郷を偲べるものがなくて・・。」
「乾いてる・・というなら、長安は西域の入り口だから、そうだな。だが、江南の方はどうだ?水郷が多いから、瑞々しい景色ばかりだぞ。」
「行ってみたことはありますが、やはり、色彩が違う。もっとこう透明で、緑の色が青みがかってて・・いや、帰りたいだけかもしれませんがね。」
「帰りたいか・・。」
 李白は、頷くと、晁衡(ちょうこう)の杯に酒を注ぐ。
「国の威信を高めるために・・と思って、この国で役人になり、しゃかりきになってやってきましたけれど、幾歳重ねても、いえ、重ねるごとに、気持ちは高まっていくものですね。」
 帰りたい、といって、簡単に帰れるものでは、なかった。国に帰るには、ひとたび海が荒れれば難破する危険の多い海を越えてゆくしかない。比較的安全に渡れる朝鮮半島からの、海は、他国をまたいで行くことになり、政治的情勢もあり、そこまでの陸路も安全ではない。そんなこともあって、この国に留まり、かれこれ何年になろうか・・。
「郷愁か・・・。故郷の家を出てすぐは、心細かったが、年と共に思い出さなくなったなあ・・いや、家族には会ってるからかもしれんが。」
 離れていても、親兄弟家族と、連絡はとれる。李白は、そう思う。もっとも、彼は、天地があれば、どこへでも・・・といった気質なので、気にならないのかもしれないが。
「それじゃ、その故郷の景色とやらを詳しく聞かせてくれ。貴殿が一番みたいものは?どこかへ出かけた折に、わしも、似た景色を探しといてやろう。」
「・・・ありがとう。」
 晁衡(ちょうこう)は、くしゃっと、顔を歪めて、情けないような顔になった。
「?」
 首を横に振り、慌てて笑顔をつくり、泣き笑いのような顔になる晁衡(ちょうこう)。
彼も、李白と年は変わらず、不惑という年齢を、とっくに、いくつか過ぎているのに。
友を慰めに来た立場でありながら、こんな幼い子のように心もとない顔を友の前に晒すなんて・・晁衡(ちょうこう)は、自分でも情けなく思っていた。
同時に、身の内にじんわりと、温かみが、沁みていくのを、感じていた。
 失意の中であっても、友の飄飄とした雰囲気は、変わらず、逆に自分の方が励まされている。彼のこの人となりは、この大陸を吹く強い風が、造り上げたに違いない・・と。
遥か西域から、大量の砂を空へ上げ、この、大きな国の果てまで運んでくる、強い風。
そんな強い風にさらされても、李白は、悠然と笑っていそうだ。
「貴殿のような人に出会えるなら、乾いた景色も悪くはないかもしれません・・・。貴殿に倣って、天と地の間、どこでも故郷・・と、もう少しがんばってみるとします。」
 清々しい顔で、告げる。
 李白は、ぽかんと、口を開けていたが。
「わしは、そんなふうに見えるのか。・・天と地とは・・これは、大きくて、おもしろそうな人生じゃないか。うん。ありがとう。ありがとう。」
 若い頃から、あちこち放浪したことのある李白は、機嫌良く、自身が見て来たあちこちの景色のことを語って聞かせてくれた。
「・・・それじゃ、私からもひとつ。」
 湿っぽい気持ちは、忘れて、晁衡(ちょうこう)も、詩人である友の、興味をそそる、故郷の美しい景色を口にした。
 ひとつ、李白の杯に酒を注ぐ。
「唐の国の、長安のような富める都には、敵わないですが、その代わり、秋の実りの季節のあと、錦秋に染まる姿は、そりゃあ、すばらしい景色なんです。秋は、先に、山々に囲まれた田に、波打つ金色の穂。風に揺れて、辺り一面、金色のさざ波が立つ景色は、想像しただけでも、知らず笑顔になりませんか?その次に来るのが、山々や、野にあふれる紅葉。こっちじゃ、紅葉は黄色が多いですけれど、故国では、赤い。金色のあとにくる、赤。冬のくるほんの少しの間の華やかな彩、自然の織りなす錦と言って、いいものでした。」
 唐の国の、紅葉は、銀杏の黄色などが目立つ。赤の好きな、この国の人間らしく、李白は、想像して、顔を綻ばせた。
「そりゃ、錦のようで、華やかでいいなあ。」
 にっこり、頷いて、晁衡(ちょうこう)は続ける。
「稲刈りの頃には、都に住む役人も、ほとんどが、休みを取ってね。自分の田へ収穫に行くのですよ。」
「ほおう、役人も、自ら稲刈りをするのか?貴殿も、田へ入ったことが?」
「ええ、もちろん、ありますよ。大事なことですからね。人は使いますが、貴族と言われる人々でも、ほとんどが里と都を往復して、自分の治める土地を、ちゃんと自ら、管理してます。」
「ふむ。文化は、唐には及ばんが、そりゃあ、見習うべきことだなあ。民たちの声を、肌に感じているのとそうでないのとは、違うものだ。唐では、若い頃、志のあった者でも、大官になってしまうと、変わってしまう者は、多い。指図一つで事足りてしまうから、狭い宮中の派閥ばかり気にして、浮きあがった存在になってしまうのかもしれん。」
 正義感もあり、物事に頓着しない剛毅な彼を、今後、権力掌握の邪魔になる芽だと警戒したのは誰だったか・・・。
讒言ひとつで、宮廷を追われた、李白が言うと、実感がこもっている。
「・・・・・・・。」
「なかなか良さそうな国じゃないか、晁衡(ちょうこう)。もっと、話してくれ。あ、そうだ。貴殿の見たいと言っていたのは、その、実りの季節か?」
「ああ、いいえ。一番は、他にあります。月の出ている景色だから、きっと、見たら、貴殿も気に入りますよ。」
 晁衡(ちょうこう)は、ちょっと杯に口をつけ、酒を一口飲む。
窓から、見えている月を見上げて、目を細める。

 あまのはら ふりさけみれば 春日なる
    三笠の山に 出でし 月かも

 国の言葉で、朗詠する、晁衡(ちょうこう)。先ほど、彼の言っていた自国の詩だと、李白にも分かった。水が澱みなく流れていくような調子で、詩というよりも歌だ。
「あまのはら・・・」
 晁衡(ちょうこう)が二度目に歌った時だ。
 月だ。・・・・・。
 李白は、思わず目を擦りたくなった。
 空の、月が、大きく見えた。黄色い色が大きく膨張して・・・。美しい。美しけれど、あり得ない。そんな、はずはない。
 晁衡(ちょうこう)の様子を伺うと、彼は何も気づいていないようだ。
 どくどくと、心臓が波打つ。
 三度め。
晁衡(ちょうこう)が歌う、気配を見せると、李白は、ごくっ、と、つばを飲み込み、身構える。
 三度めの歌は・・・・。
 月は、変わらなかった。普通の景色だ。窓越し、塀越しに見える、向こうの山の上に、美しい面。だが、歌が終わると、ほんの少し、光が不自然に揺れた気がする。
きらりと濡れたように輝いた。・・・ようだが。
「貴殿の言っていた、言霊、という言葉・・・わかったぞ。」
「え?」
 どうも、彼は、気付いていないようだ。
李白は、歌を聞いていた間に起こったことを、話した。
「あれは、きっと、貴殿が心を込めて歌ったからだな。」
 晁衡(ちょうこう)は、驚きと悦びの混じった表情になる。
「あなたのように、詩句を自在にあやつる才能のある人は、別だが、人が一生に一度でもそのような歌をつくれたら、幸運なことだ。そうか、私にも・・。」
 李白は、自分の杯の酒を零してしまっていることに、気が付き、手酌で酒を継ぎ足しながら。
「最後に、山の上に、きらりと光った月。貴殿を待っていてくれる女人(ひと)が、応えてくれたのではないか・・・?」
「・・・大陸に渡ると決まった時、妻には、あとは好きにしていいと言って出て来たのですが・・・。」
 もちろん、戻ってこれる証が、なかったからだ。それぐらいの覚悟があって引き受けた役目だ。けれど、人は、あっさりと情を断ち切れるものでもない。
 晁衡(ちょうこう)は、しばし、仲麻呂と呼ばれていた頃の、自分を思う。
 夜道を妻のもとへ急ぐ途中見た、山の端に、顔を出した月を思い出す。
李白など、この国の人間には、また、驚愕すべき、習慣といわれそうだが、大和の国では、若い夫婦が同居することは、あまりない習慣だ。いや、他のこの国の人はともかく、どうして女にもてるのか、未だに、両手に花よの、状態の、李白なら、喜びそうな、習慣ではあるが・・・。
恋しく、想う妻のもとへ、夜道を夫が通うのが普通だ。
懐かしい、その時を、仲麻呂になって、辿ってみる。
なだらかな山の上に輝く月を見ながら、野を越えて、妻のもとに向かう夜。池のほとりに通りかかって、ふと、輝く水面に、山の上にある月の影が映ってるのに気付き、足を止めた。夜の気配のなかに、風の音、虫の声、緑の匂い・・闇に塗り込められてわからない色彩さえ感じられ、すべてが、繊細な印象を放っている。かそけき音に、心を揺らす感動は、故郷にしかないものだ。そう、あの時、足をとめてしまい、鏡に映ったような、水面の月の影が、ゆらゆらっと揺れて、寂しげに揺れたのが、待ってる女人の白い面のように感じられて、慌てて、今度は一層、歩を進めたのだった・・。
晁衡(ちょうこう)は、しばらく目を閉じて、蘇るなつかしい故郷の匂いを感じていた。
「いつか、きっと。帰ろうと思います。」
 珍しく強い目の色をした友に、李白は、黙って頷くしかなかった。


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