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St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2012-12-03 02:43:04 | Weblog
「喜びまたは苦しみ、賞賛または屈辱を、
同じ心情で受け入れます。
一つひとつが過ぎ去っていくことを覚えています。
人々がわたしについて言うことが、
わたしにとって重要でしょうか。
わたし個人に関することを皆、ずっと以前に放棄しました。
わたしの名前はホスチア-あるいはいけにえです。
言葉においてではなく行いにおいて、
優しいイエスよ、我が師よ、
自分自身を無にすることにおいて、
そして、十字架上のあなたのようになることにおいて
[わたしの名前はいけにえです]。」
(「485 わたしの名前はホスチア、つまりいけにえです」
(「聖ファウスティナの日記 
わたしの霊魂における神のいつくしみ」;
庄司篤氏監修;ユリアン・ルジツキ女史・相原富士子女史共訳;
聖母の騎士社;p.224) よりの引用。)




わたしはこれを詩として読みました。
重要な章(勿論、すべての章が悉く重要であるが)
「474 神の怒りの執行者である一位の天使を見ました」
~ 
「476 神の慈しみのチャプレットの啓示」
の後にあって、他と少し雰囲気が違い詩と感じました。
しかも、これまで読んだどの詩より価値あるもの。
ちなみに、監修者の庄司篤神父様は、
わたくしが受洗したときの神父様。
受洗前の半年の勉強の時代から、6年間お世話になった神父様。




最近、ラジオ・マリアに嵌っています。
インターネットで24時間のラジオ。
いろいろな国にあるが、アメリカの。
写真は、30日・1日、
金土と東京・横浜に教区の一粒会委員会のことで行く。
そのとき折に触れ撮ったもの。




昨日は典礼元旦。C年。降誕節第1主日。
静かに神を待つ。
「主よ、わたしの中に来てください。」
家に入るとき、誰が入るより先に
「主よ、わたしの家に来てください。」と
ドアを開ける。
朝、一番に「主よ、わたしの部屋に来てください」
と言う。
そう願えば、象徴ではなく、本当にそこに主は来られる。



降誕節第1月曜日福音朗読より。
マタイによる福音8章より。
(謙遜に言おう。
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできる
ような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。
そうすれば、わたしはいやされます。)
「「イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。
「はっきり言っておく。
イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。
言っておくが、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、
イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」

+主の慈しみが皆様の上に御座いますよう。
+主に賛美と栄光。
2012年12月3日
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