B年.年間第28主日
入祭唱
「神よ、あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし神よ、あなたのもとにはゆるしがある」
第一朗読(知恵の書)
「人は王笏や王座、富や宝石、健康や容姿の美しさを求めるのが普通だが、ソロモンが祈り求めたもは知恵。しかも人生経験に基づく知恵ではなく、神から来る知恵。この知恵は見た目を奪うような華やかさはないが、すべての善をもたらすことができる」
答唱詩編(詩篇90・1~17)
「神のはからいは限りなく、生涯、わたしはその中に生きる」
第二朗読(ヘブライ人への手紙)
「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません」
アレルヤ唱(マタイ5・3)
「心の貧しい人は幸い。天の国はその人のもの」
福音説教(マルコ10・17~30)
「人間にとって最も難しい指示は持っている物を売り払って施すこと。財産は人生を保障するものに見えるからだ。しかし、知恵についてのソロモンの言葉を聞き、両刃の剣よりも鋭い神の言葉を知った者は、なんでも行うことのできる神に信頼して、財産に頼る道から脱却する」
「福音の中には、実行が難しい、そう感じるとところが沢山ある。男性で、臨終洗礼が多いのは、その所為。若い時、受洗しない、老後、のんびりなってから洗礼しよう、と思っている人が案外多い。その人達は、聖書が、押しつけがましく、窮屈で、重荷と感じている。でも、聖書は、すべての人に向けられた喜びのメッセージの筈。赤ん坊から老人まで、全民族、全時代に向けられた喜びのメッセージの筈。暗くなるものではない。でも、今日の朗読箇所は、「それは行うのが無理」という箇所。「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい」「それから、わたしに従いなさい」。普通、このようには出来ない。不可能である。その不可能なことを神は求めている。それは、「右の頬を打たれたら、左の頬をも~」の教えも同じ。出来んですよ。難しいことですよ。神は、このように出来ないことを平気で求めていらしゃる。そこで、わたしたちは、抜け穴を探すしかない。イエスのおっしゃられている本当の意味は何か?幅広く考えることが必要。しかし、それは根本からして違う。そもそも、これは神のお考え・価値観。ちっぽけな人間の脳で考えて、分かりっこない。理解出来っこないですよ。受入ることが不可能です。だから、神の思いを理解出来るよう、そう聖霊を送ってくださるよう、神に祈ることが大事。第一朗読。祈ったら、知恵が与えられた。それと同じです。祈ることによって、神の価値観が分かるようになるんです。神の力によって、神の価値観が理解出来るようになるんです。それは恵みです。第2朗読。本当の意味は何か?を聖霊によって教えて頂ける。「行って持っているもの…」の意味は何なのか?わたくし思うに、日本は、バブルから、「お金、お金」と、お金がすべてだと思い込んできた。お金以外はすべて捨てて来た。神を捨てた、家族を捨てた、愛を捨てた。理想を捨てた、理念を捨てた。それらよりお金が大事と思って来た。日本人は、どんどん捨てて来た。それがバブルが弾けて、そのお金さえも失ってしまった。その時、後に何も残らなかった。それは、現代日本の抱えている大きな問題。だから、親が子を平気で殺す、人を平気で騙す。それらのことは人間として考えられないこと。それが現代に横行している。それらは、弱い者虐め。わたしたちは、平気で神や良心を捨てて来た。そして、今、日本。お金を失った人が多い。彼らにあと何もない。そして、自殺に走ってしまう。「お金、お金」で生きて来た。だから、今日の福音、「行って持っているもの…」を理解出来ない。修道者か司牧者についてのことだと思っている。自分たちには関係無い、と思っている。でも、それは違う。それは、すべての人に向けられた喜びのメッセージの筈。そして、その意味を本当に理解するには、聖霊が必要である。司牧者は、すべてを捨てて修道生活に入った。でも、実は、その修道会自体がお金持ち。だから、この言葉を生きることは難しい。無一文になるのは難しい。だから、この言葉の本当の意味を悟れるよう、その恵みを頂けるよう、祈りたいと思います。沢山の失った大切なものを取り戻すことが必要です。見失ったものをもう一度取り戻すことが必要です。イエスは今日の箇所を、福音・喜びとしておっしゃられておられる。」
(内容はカトリック飯田教会の主任神父様・伊藤隆神父様の説教から採りました。わたくし、乗倉のメモ書きから起こしました。したがって、文責は、わたくし、乗倉寿明にあります。)
共同祈願
「主イエス・キリストあなたは、尊い十字架によって、世をあがなってくださいました。わたしたちは、ここにおいて、また、全世界の全ての聖堂においてあなたを礼拝し、賛美します」
(「聖フランシスコの祈り」より)
拝領唱
「おごり暮らす者は乏しくなり、神を求める人はよいもので満たされる」
notes
・ 今回は、「毎日のミサの友」(ドン・ボスコ、サン・パウロ刊)から採りました。
・ 来週はいよいよ南信地区5教会合同の堅信式があります。
「Lectio Divinaで味わう主日の福音」(M.A.アベラ師著:日本聖書教会刊)より
1 旧約聖書によると、財産は一般的に神の恵みとみなされていました。イエスのこの言葉は、神の国
にまったく新しい光を投げかけました。
2 後半でイエスは、わたしたちは自分を救うことは出来ない、神だけがわたしたちを救うことが出来る
のだ、と教えたいのです。
3 この箇所はわたしたちに、倫理的な善い生活を送ることだけでは足りないことを教えてくれているの
ではないでしょうか。わたしたちが永遠の命を受け継ぐには、何が必要か黙想しましょう。
4 詩篇90は、わたしたちが神を中心に出来るように助けてくれます。受ける恵みにではなく、神への
信仰と信頼を守ることこそ心に留めなければなりません。神は良い時にも、困難な時にも何時もわ
たしたちと共におられます。
5 「知恵」は、神の知恵について、「ヘブライ」は、神の言葉について。富より価値がある。わたしたちの
考えを裁く力がある。イエスの富についての教えに当てはめるなら、どういうことになりますか?
祈り
「主イエスキリストよ。あなたは聖霊をわたしたちにお与えくださいます。どうか、今日の福音の2箇所「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。それから、わたしに従いなさい。」と「わたしのため、また、福音のために、家、兄弟、…、後の世では永遠の命を受ける。」の本当の意味が、実感として悟ることの出来るよう、聖霊を送ってください。困難な時代にあっても、生涯通して、福音的な生き方が出来るよう、聖霊によって力付けてください。主イエス・キリストの御名によってお願いします、アーメン。」
入祭唱
「神よ、あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。しかし神よ、あなたのもとにはゆるしがある」
第一朗読(知恵の書)
「人は王笏や王座、富や宝石、健康や容姿の美しさを求めるのが普通だが、ソロモンが祈り求めたもは知恵。しかも人生経験に基づく知恵ではなく、神から来る知恵。この知恵は見た目を奪うような華やかさはないが、すべての善をもたらすことができる」
答唱詩編(詩篇90・1~17)
「神のはからいは限りなく、生涯、わたしはその中に生きる」
第二朗読(ヘブライ人への手紙)
「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません」
アレルヤ唱(マタイ5・3)
「心の貧しい人は幸い。天の国はその人のもの」
福音説教(マルコ10・17~30)
「人間にとって最も難しい指示は持っている物を売り払って施すこと。財産は人生を保障するものに見えるからだ。しかし、知恵についてのソロモンの言葉を聞き、両刃の剣よりも鋭い神の言葉を知った者は、なんでも行うことのできる神に信頼して、財産に頼る道から脱却する」
「福音の中には、実行が難しい、そう感じるとところが沢山ある。男性で、臨終洗礼が多いのは、その所為。若い時、受洗しない、老後、のんびりなってから洗礼しよう、と思っている人が案外多い。その人達は、聖書が、押しつけがましく、窮屈で、重荷と感じている。でも、聖書は、すべての人に向けられた喜びのメッセージの筈。赤ん坊から老人まで、全民族、全時代に向けられた喜びのメッセージの筈。暗くなるものではない。でも、今日の朗読箇所は、「それは行うのが無理」という箇所。「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい」「それから、わたしに従いなさい」。普通、このようには出来ない。不可能である。その不可能なことを神は求めている。それは、「右の頬を打たれたら、左の頬をも~」の教えも同じ。出来んですよ。難しいことですよ。神は、このように出来ないことを平気で求めていらしゃる。そこで、わたしたちは、抜け穴を探すしかない。イエスのおっしゃられている本当の意味は何か?幅広く考えることが必要。しかし、それは根本からして違う。そもそも、これは神のお考え・価値観。ちっぽけな人間の脳で考えて、分かりっこない。理解出来っこないですよ。受入ることが不可能です。だから、神の思いを理解出来るよう、そう聖霊を送ってくださるよう、神に祈ることが大事。第一朗読。祈ったら、知恵が与えられた。それと同じです。祈ることによって、神の価値観が分かるようになるんです。神の力によって、神の価値観が理解出来るようになるんです。それは恵みです。第2朗読。本当の意味は何か?を聖霊によって教えて頂ける。「行って持っているもの…」の意味は何なのか?わたくし思うに、日本は、バブルから、「お金、お金」と、お金がすべてだと思い込んできた。お金以外はすべて捨てて来た。神を捨てた、家族を捨てた、愛を捨てた。理想を捨てた、理念を捨てた。それらよりお金が大事と思って来た。日本人は、どんどん捨てて来た。それがバブルが弾けて、そのお金さえも失ってしまった。その時、後に何も残らなかった。それは、現代日本の抱えている大きな問題。だから、親が子を平気で殺す、人を平気で騙す。それらのことは人間として考えられないこと。それが現代に横行している。それらは、弱い者虐め。わたしたちは、平気で神や良心を捨てて来た。そして、今、日本。お金を失った人が多い。彼らにあと何もない。そして、自殺に走ってしまう。「お金、お金」で生きて来た。だから、今日の福音、「行って持っているもの…」を理解出来ない。修道者か司牧者についてのことだと思っている。自分たちには関係無い、と思っている。でも、それは違う。それは、すべての人に向けられた喜びのメッセージの筈。そして、その意味を本当に理解するには、聖霊が必要である。司牧者は、すべてを捨てて修道生活に入った。でも、実は、その修道会自体がお金持ち。だから、この言葉を生きることは難しい。無一文になるのは難しい。だから、この言葉の本当の意味を悟れるよう、その恵みを頂けるよう、祈りたいと思います。沢山の失った大切なものを取り戻すことが必要です。見失ったものをもう一度取り戻すことが必要です。イエスは今日の箇所を、福音・喜びとしておっしゃられておられる。」
(内容はカトリック飯田教会の主任神父様・伊藤隆神父様の説教から採りました。わたくし、乗倉のメモ書きから起こしました。したがって、文責は、わたくし、乗倉寿明にあります。)
共同祈願
「主イエス・キリストあなたは、尊い十字架によって、世をあがなってくださいました。わたしたちは、ここにおいて、また、全世界の全ての聖堂においてあなたを礼拝し、賛美します」
(「聖フランシスコの祈り」より)
拝領唱
「おごり暮らす者は乏しくなり、神を求める人はよいもので満たされる」
notes
・ 今回は、「毎日のミサの友」(ドン・ボスコ、サン・パウロ刊)から採りました。
・ 来週はいよいよ南信地区5教会合同の堅信式があります。
「Lectio Divinaで味わう主日の福音」(M.A.アベラ師著:日本聖書教会刊)より
1 旧約聖書によると、財産は一般的に神の恵みとみなされていました。イエスのこの言葉は、神の国
にまったく新しい光を投げかけました。
2 後半でイエスは、わたしたちは自分を救うことは出来ない、神だけがわたしたちを救うことが出来る
のだ、と教えたいのです。
3 この箇所はわたしたちに、倫理的な善い生活を送ることだけでは足りないことを教えてくれているの
ではないでしょうか。わたしたちが永遠の命を受け継ぐには、何が必要か黙想しましょう。
4 詩篇90は、わたしたちが神を中心に出来るように助けてくれます。受ける恵みにではなく、神への
信仰と信頼を守ることこそ心に留めなければなりません。神は良い時にも、困難な時にも何時もわ
たしたちと共におられます。
5 「知恵」は、神の知恵について、「ヘブライ」は、神の言葉について。富より価値がある。わたしたちの
考えを裁く力がある。イエスの富についての教えに当てはめるなら、どういうことになりますか?
祈り
「主イエスキリストよ。あなたは聖霊をわたしたちにお与えくださいます。どうか、今日の福音の2箇所「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。それから、わたしに従いなさい。」と「わたしのため、また、福音のために、家、兄弟、…、後の世では永遠の命を受ける。」の本当の意味が、実感として悟ることの出来るよう、聖霊を送ってください。困難な時代にあっても、生涯通して、福音的な生き方が出来るよう、聖霊によって力付けてください。主イエス・キリストの御名によってお願いします、アーメン。」