新たな仕事、職場、居場所を得て6か月が経過した。
この間の私自身の成果は、「職場内に『●●クオリティ』という言葉が独り歩きしている」現状を生み出せたこと、である。
(※“●●”には、私の名前が入ります)
こんなことがあった。
さきごろ、実習に来ていた新人さん(
2016年3月29日の記事)のための歓迎会があった。
私は午後からの出張があり、「19:30頃に合流する。」と伝えてあった。
で、偶然ではあるのだが、ぴったり19:30に到着して、その瞬間に歓声で迎えてもらった。宴席で「そろそろ時刻だが、ほんとうに着くのか?」と談笑していた矢先に、たまたま(!)到着できただけのことである。
続いて間髪を入れずに、「歓迎のあいさつと乾杯の音頭を…」との指令を受けた。(みなさん酔っ払い(笑))
(しまった。)と思った。想定していなければならない流れだったが、到着まで、気持ちのスイッチをOFFにしてしまっていた。半人前気分が抜けていなかった。
「ええい、ままよ!」と、とっさに文言をまとめあげ、アドリブでその場を切り抜けた。(前職での経験が効いたな~)
新人さんの実務習得に関しても、「●●の下で、そのやり方を習得できるよう、育成計画を見直すべき。」という意向を持つ方がいる、とも耳にしている。これには、組織の力学やら個人の思惑やら、複雑な要素もからみ合っているのだが。
着任から半年をかけて、この程度には存在を示すことができるようになった。
初歩的なことを聞いたり、的外れなふるまいであったりは続いているが、酒席以外の場でも、意見を求められるようにもなってきた。
想定よりも早い展開であり、『●●クオリティ』は過大評価の感は否めない。
困惑の気持ちが大きいが、周囲に認知されたという安堵感は、気分の悪いものではない。
一方で、私と同日に入社した設計者(候補)の方は、3月末で退社となってしまった。
紹介予定派遣として採用されたが、双方合意のうえで、契約解除した模様である。
年齢は違えど、「同期」との別れの悲しさは耐え難いものであり、悔いも残った。
『●●クオリティ』は、自分なりに誠実に取り組んだ成果であるのは間違いない。
しかし、そんなものはきわめてもろいものだ。「同期」の一件は、そのことをはからずも痛感させてくれた。自身の居場所は、自分で確保し続けなければならない。
ただ、そのために行動するのは、いささか消極的で、消耗を余儀なくされる気がする。『●●クオリティ』の物質的なアウトプットを模索すべきではないか、と感じている。
困惑、安堵、悲しさ…etc.。いろいろな感情が行き交う、激動の2016年度の終わりであった。