ぼけの花

のらりくらり日々感じたこと。
自分のための記録。

勝手にコーフンしてます

2017-07-27 23:31:18 | おんがく
現在、職場は車で15分かからないぐらいの距離だが朝は渋滞するのでその時間は3割増しぐらいになる。
その昔実家にいた頃は電車で2時間かけて通勤していたが、ハマった本があるとその時間はとても贅沢に感じると過去に書いたような気がする。
車通勤の今、CD聴きながら行く訳だがこの朝の渋滞がたまらなくありがたい。
基本ノロノロ運転。ひとりの空間。
どっぷり聴き込めるのです。
もう少し渋滞しててもいいよーって思っちゃうぐらい。
意外と家でこんな時間持てないんだよね。

誰かを車に乗せると「ほんとにクラシック聴いてるんですね」とか、週末は汗だくになりながら楽器吹いてたと言うと「えー、すごーい!」なんて言われるけど全くもってすごい事は無く、逆に、あぁすっかり遠退いた生活してんだなーと寂しくなる。

今朝、イベールの三つの小品を久々に聴いてて、コレ楽しいけど聴いてるよりも実際やると思ってたよりカタチになりにくいんだよなと。
今ひとりでこの曲さらってても絶望に打ちのめされるだけのような気がするけど、5人揃ってやればひとりの時には出来なかったところが出来ちゃったりする部分もあるよなーきっと。なんて思った。
ひとりの時にはない勢いだったり、一緒に吹く人らの助けだったり意思疎通でクリア出来ることってアンサンブルにはあるよね。
…あぁ…憧れ(遠い目)。
ひとりじゃないってステキ。
しかし、ワクワクするなこの曲。

で、今日書き残しておきたいのはここから。

小さい頃から音楽聴きながら過ごしてきたけど、今までわたしは「曲」を聴くと言うよりも「演奏」を聴いていたんだなと。
だから、
何だか音程悪いな。とか、作りかた・テンポ・音色が好きじゃないな。とか要は自分の好みに合わないとその音源は聴く回数が減っていってしまってたのだけど、

この人の作ったこの曲はなんて素晴らしいのかしら。

と最近感じるようになってたことに今朝気付いた。
曲自体を聴いてるということ。
だから誰がどう演奏しても大して気にならなくなった。こんな解釈もあるのねと。

今さらこんなこと書くのなんか、恥を晒してるようなものだがわたしの中では結構な出来事だったりする。
今まで見えなかったことが見えるようになったような感動すら覚えてる。
それなりに自分にも音楽の好みはあるけど、この曲があって…存在してくれてよかったーと心底思う。
イベールに続きラヴェルも聴きながら行ったんだけど、もう、なんだろね。
沁みて沁みてしょうがない。

もちろん奏者の表現あっての音楽。
でも今は曲(作品)の持つ力の大きさに心震わせております。

バカなくせして伝えたがりーの為文才の無さに呆れるわ。