杜甫ー203
秋興八首 其五 秋興 八首 其の五
蓬莱宮闕対南山 蓬莱(ほうらい)の宮闕(きゅうけつ) 南山(なんざん)に対し
承露金茎霄漢間 承露(しょうろ)の金茎(きんけい) 霄漢(しょうかん)の間
西望瑶池降王母 西のかた瑶池(ようち)を望めば 王母(おうぼ)降(くだ)り
東来紫気満函関 東来(とうらい)の紫気(しき)は 函関(かんかん)に満つ
雲移雉尾開宮扇 雲は移りて 雉尾(ちび)宮扇(きゅうせん)を開き
日繞龍鱗識聖顔 日は繞(めぐ)って 龍鱗(りゅうりん)聖顔(せいがん)を識る
一臥滄江驚歳晩 一たび滄江(そうこう)に臥(が)して歳の晩(く)れたるに驚き
幾廻青瑣点朝班 幾廻か青瑣(せいさ)にて朝班(ちょうはん)に点せられしぞ
⊂訳⊃
蓬莱宮の宮門は 終南山と向かい合い
承露盤の銅柱は 天空にそそりたつ
西に瑶池を望むと 西王母が降り立ち
東から仙人の気が 函谷関に満ちわたる
雲が移るように 雉尾の宮扇がひらかれ
日輪が巡るように 龍衣の天子に拝顔した
だが一たび長江の岸辺に臥せば 深まる秋に驚かされる
幾たびか青瑣の宮門で点呼を受けた身分であったが
⊂ものがたり⊃ 「蓬莱宮闕」も「承露金茎」も、漢の武帝の盛時を借りて唐の都の栄華を懐かしむものです。その華やかな宮殿で、自分も天子に拝謁するような身分であったと、過去が幻想的な筆致で回顧されます。
尾聯の二句は一転して現実に立ちかえり、ひとたび長江のほとりに臥してしまえば、年の暮れの早いのに驚かされると、現実の厳しい姿に立ちもどるのです。
杜甫ー204
秋興八首 其六 秋興 八首 其の六
瞿塘峡口曲江頭 瞿塘峡口(くとうきょうこう)と曲江の頭(ほとり)と
万里風煙接素秋 万里の風煙 素秋(そしゅう)に接す
花萼夾城通御気 花萼(かがく)の夾城(きょうじょう) 御気(ぎょき)通(かよ)い
芙蓉小苑入辺愁 芙蓉の小苑 辺愁(へんしゅう)入る
朱簾繡柱囲黄鶴 朱簾(しゅれん) 繡柱(しゅうちゅう) 黄鶴(こうこく)を囲み
錦䌫牙檣起白鷗 錦䌫(きんらん) 牙檣(がしょう) 白鷗(はくおう)を起たしむ
廻首可憐歌舞地 首(こうべ)を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ
秦中自古帝王州 秦中(しんちゅう)は古(いにしえ)より帝王の州(しゅう)
⊂訳⊃
瞿塘峡の入口と曲江のほとりとは
澄みわたる秋 万里の風煙で繋がっている
天子の御気は 花萼楼から夾城に通じ
辺境の憂患が 芙蓉苑まで入り込んでいた
朱簾 繡柱 美殿は黄鶴をとりかこみ
錦䌫 牙檣 麗船は白鷗をおどろかす
遥かに望めば感にたえない 歌舞遊宴の地よ
長安は昔から 帝王の都する地であったのだ
⊂ものがたり⊃ 瞿塘峡の入口である夔州と都の曲江とは、秋空にたなびく靄によって繋がっているけれど、それと同様に玄宗の宮殿興慶宮の花萼楼と曲江とは夾城によって繋がっていたと、杜甫は玄宗皇帝の昔を回想します。
その曲江の芙蓉苑に、いつのまにか「辺愁」、つまり安禄山の憂患が入りこんでいたのです。頚聯では二句にわたって芙蓉苑に豪華な宮殿と美しい庭苑があったことを描き、そのころの都の栄華を思うと、「憐れむ可し」としか言いようのない感情が浮かび上がってくるのでした。長安は昔から帝王の都する地であったのにと、いまは見る影もなくなった長安を思って、杜甫は深い悲しみを覚えるのでした。
杜甫205
秋興八首 其七 秋興 八首 其の七
昆明池水漢時功 昆明(こんめい)の池水(ちすい)は漢時の功(こう)なり
武帝旌旗在眼中 武帝の旌旗(せいき)は眼中(がんちゅう)に在り
織女機糸虚月夜 織女(しょくじょ)の機糸(きし)は月夜(げつや)に虚しく
石鯨鱗甲動秋風 石鯨(せきげい)の鱗甲(りんこう)は秋風(しゅうふう)に動く
波漂菰米沈雲黒 波は菰米(こべい)を漂わして沈雲(ちんうん)黒く
露冷蓮房墜粉紅 露は蓮房(れんぽう)を冷ややかにして墜粉(ついふん)紅なり
関塞極天唯鳥道 関塞(かんさい) 極天 唯(た)だ鳥道(ちょうどう)
江湖満地一漁翁 江湖(こうこ) 満地 一漁翁(いちぎょおう)
⊂訳⊃
昆明の池は漢代に造られ
武帝の旗が眼に浮かぶ
いまは石の織女が 月夜に虚しく機(はた)を織り
石造の鯨の甲羅は 秋の風にそよいでいる
菰の実は 黒い雲を沈めたように波にただよい
露に濡れ 蓮のうてなは深紅の花粉を散らしたようだ
つらなる城塞 遥かな空 一筋の険しい道よ
一面の江湖の地に いまは釣りする一人の翁
⊂ものがたり⊃ 「昆明の池水」は、漢の武帝が長安の西郊に築造した人工の池でした。唐代には真菰(まこも)や蓮の生える湿地になっていて、痕跡をとどめていたようです。杜甫は武帝時代の昆明池について幻想をくりひろげ、そこがいまは荒涼とした枯れ野になっていることを描きます。
尾聯においては一転して現実にかえり、夔州から都に通じるのは一本の険しい道しかないといい、自分は都から遠く離れた江湖の地で釣りをする「一漁翁」に過ぎないと、隠者のようないまの自分の生活を哀しむのです。「江湖」は川や湖の地という意味から転じて、朝廷に対する世間、在野を意味します。また「漁翁」は楚辞を踏まえるもので、隠者の形象です。
杜甫ー206
秋興八首 其八 秋興 八首 其の八
昆吾御宿自逶迤 昆吾(こんご) 御宿(ぎょしゅく) 自ら逶迤(いい)たり
紫閣峰陰入陂 紫閣(しかく)の峰陰(ほういん) 陂(びひ)に入る
香稲啄余鸚鵡粒 香稲(こうとう) 啄(ついば)み余す 鸚鵡(おうむ)の粒
碧梧棲老鳳凰枝 碧梧(へきご) 棲み老ゆ 鳳凰(ほうおう)の枝
佳人拾翠春相問 佳人(かじん)と翠(すい)を拾いて春に相い問い
仙侶同舟晩更移 仙侶(せんりょ)と舟を同じくして晩(ばん)に更に移る
綵筆昔曾干気象 綵筆(さいひつ)は昔曾(かつ)て気象を干(おか)せしに
白頭吟望苦低垂 白頭(はくとう) 吟望(ぎんぼう)して低垂(ていすい)に苦しむ
⊂訳⊃
昆吾から御宿への道は 地形のままにうねり
やがて紫閣峰の北側が 陂の水面に影をさす
鸚鵡がつつき残した 稲の瑞穂
鳳凰が棲み古した 碧梧の古木
春には佳人と連れ立って 翠草摘みにゆき
仙人の仲間と舟遊びして 夜は席を移す
かつて詩文の筆は 天象に迫るほど冴えていたが
いまは遠くから吟唱して 白髪頭を垂れるだけ
⊂ものがたり⊃ 「昆吾」も「御宿」(川)も長安から「陂」の池にいたる途中にあり、道は田園や丘陵のあいだを地形のままにうねって通じていました。紫閣峰は終南山の一美峰で、その姿が陂の池に影をうつしていました。
「陂」は長安の西南36kmの鄠県(こけん)からさらに西へ5kmほど行ったところにあり、都人の遊楽の地でした。杜甫は天宝十三載(757)に杜曲に居を定めた年、岑参(しんじん)兄弟に誘われてここを訪れ、舟遊びに興じました。そのときの回想が杜甫の心をとらえ、池は「鸚鵡」や「鳳凰」の棲む仙境の地であったと幻想的に詠われています。
しかし、尾聯では一転して、かつて自分の詩文は自然をも凌ぐほどにすぐれていたが、いまは僻遠の地で口ずさみ、白髪頭を抱え込むだけだと嘆きの言葉で結びます。「秋興八首」には各首にみごとな対句が配され、幻想と回想が繰り返し述べられますが、最後は一転して現実の窮状にもどるという発想がとられています。この時期は杜甫の詩の完成期で、昔の自分の方がすぐれていたというのは、杜甫の謙遜でなければ、境遇から来る自己誤認でしょう。
秋興八首 其五 秋興 八首 其の五
蓬莱宮闕対南山 蓬莱(ほうらい)の宮闕(きゅうけつ) 南山(なんざん)に対し
承露金茎霄漢間 承露(しょうろ)の金茎(きんけい) 霄漢(しょうかん)の間
西望瑶池降王母 西のかた瑶池(ようち)を望めば 王母(おうぼ)降(くだ)り
東来紫気満函関 東来(とうらい)の紫気(しき)は 函関(かんかん)に満つ
雲移雉尾開宮扇 雲は移りて 雉尾(ちび)宮扇(きゅうせん)を開き
日繞龍鱗識聖顔 日は繞(めぐ)って 龍鱗(りゅうりん)聖顔(せいがん)を識る
一臥滄江驚歳晩 一たび滄江(そうこう)に臥(が)して歳の晩(く)れたるに驚き
幾廻青瑣点朝班 幾廻か青瑣(せいさ)にて朝班(ちょうはん)に点せられしぞ
⊂訳⊃
蓬莱宮の宮門は 終南山と向かい合い
承露盤の銅柱は 天空にそそりたつ
西に瑶池を望むと 西王母が降り立ち
東から仙人の気が 函谷関に満ちわたる
雲が移るように 雉尾の宮扇がひらかれ
日輪が巡るように 龍衣の天子に拝顔した
だが一たび長江の岸辺に臥せば 深まる秋に驚かされる
幾たびか青瑣の宮門で点呼を受けた身分であったが
⊂ものがたり⊃ 「蓬莱宮闕」も「承露金茎」も、漢の武帝の盛時を借りて唐の都の栄華を懐かしむものです。その華やかな宮殿で、自分も天子に拝謁するような身分であったと、過去が幻想的な筆致で回顧されます。
尾聯の二句は一転して現実に立ちかえり、ひとたび長江のほとりに臥してしまえば、年の暮れの早いのに驚かされると、現実の厳しい姿に立ちもどるのです。
杜甫ー204
秋興八首 其六 秋興 八首 其の六
瞿塘峡口曲江頭 瞿塘峡口(くとうきょうこう)と曲江の頭(ほとり)と
万里風煙接素秋 万里の風煙 素秋(そしゅう)に接す
花萼夾城通御気 花萼(かがく)の夾城(きょうじょう) 御気(ぎょき)通(かよ)い
芙蓉小苑入辺愁 芙蓉の小苑 辺愁(へんしゅう)入る
朱簾繡柱囲黄鶴 朱簾(しゅれん) 繡柱(しゅうちゅう) 黄鶴(こうこく)を囲み
錦䌫牙檣起白鷗 錦䌫(きんらん) 牙檣(がしょう) 白鷗(はくおう)を起たしむ
廻首可憐歌舞地 首(こうべ)を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ
秦中自古帝王州 秦中(しんちゅう)は古(いにしえ)より帝王の州(しゅう)
⊂訳⊃
瞿塘峡の入口と曲江のほとりとは
澄みわたる秋 万里の風煙で繋がっている
天子の御気は 花萼楼から夾城に通じ
辺境の憂患が 芙蓉苑まで入り込んでいた
朱簾 繡柱 美殿は黄鶴をとりかこみ
錦䌫 牙檣 麗船は白鷗をおどろかす
遥かに望めば感にたえない 歌舞遊宴の地よ
長安は昔から 帝王の都する地であったのだ
⊂ものがたり⊃ 瞿塘峡の入口である夔州と都の曲江とは、秋空にたなびく靄によって繋がっているけれど、それと同様に玄宗の宮殿興慶宮の花萼楼と曲江とは夾城によって繋がっていたと、杜甫は玄宗皇帝の昔を回想します。
その曲江の芙蓉苑に、いつのまにか「辺愁」、つまり安禄山の憂患が入りこんでいたのです。頚聯では二句にわたって芙蓉苑に豪華な宮殿と美しい庭苑があったことを描き、そのころの都の栄華を思うと、「憐れむ可し」としか言いようのない感情が浮かび上がってくるのでした。長安は昔から帝王の都する地であったのにと、いまは見る影もなくなった長安を思って、杜甫は深い悲しみを覚えるのでした。
杜甫205
秋興八首 其七 秋興 八首 其の七
昆明池水漢時功 昆明(こんめい)の池水(ちすい)は漢時の功(こう)なり
武帝旌旗在眼中 武帝の旌旗(せいき)は眼中(がんちゅう)に在り
織女機糸虚月夜 織女(しょくじょ)の機糸(きし)は月夜(げつや)に虚しく
石鯨鱗甲動秋風 石鯨(せきげい)の鱗甲(りんこう)は秋風(しゅうふう)に動く
波漂菰米沈雲黒 波は菰米(こべい)を漂わして沈雲(ちんうん)黒く
露冷蓮房墜粉紅 露は蓮房(れんぽう)を冷ややかにして墜粉(ついふん)紅なり
関塞極天唯鳥道 関塞(かんさい) 極天 唯(た)だ鳥道(ちょうどう)
江湖満地一漁翁 江湖(こうこ) 満地 一漁翁(いちぎょおう)
⊂訳⊃
昆明の池は漢代に造られ
武帝の旗が眼に浮かぶ
いまは石の織女が 月夜に虚しく機(はた)を織り
石造の鯨の甲羅は 秋の風にそよいでいる
菰の実は 黒い雲を沈めたように波にただよい
露に濡れ 蓮のうてなは深紅の花粉を散らしたようだ
つらなる城塞 遥かな空 一筋の険しい道よ
一面の江湖の地に いまは釣りする一人の翁
⊂ものがたり⊃ 「昆明の池水」は、漢の武帝が長安の西郊に築造した人工の池でした。唐代には真菰(まこも)や蓮の生える湿地になっていて、痕跡をとどめていたようです。杜甫は武帝時代の昆明池について幻想をくりひろげ、そこがいまは荒涼とした枯れ野になっていることを描きます。
尾聯においては一転して現実にかえり、夔州から都に通じるのは一本の険しい道しかないといい、自分は都から遠く離れた江湖の地で釣りをする「一漁翁」に過ぎないと、隠者のようないまの自分の生活を哀しむのです。「江湖」は川や湖の地という意味から転じて、朝廷に対する世間、在野を意味します。また「漁翁」は楚辞を踏まえるもので、隠者の形象です。
杜甫ー206
秋興八首 其八 秋興 八首 其の八
昆吾御宿自逶迤 昆吾(こんご) 御宿(ぎょしゅく) 自ら逶迤(いい)たり
紫閣峰陰入陂 紫閣(しかく)の峰陰(ほういん) 陂(びひ)に入る
香稲啄余鸚鵡粒 香稲(こうとう) 啄(ついば)み余す 鸚鵡(おうむ)の粒
碧梧棲老鳳凰枝 碧梧(へきご) 棲み老ゆ 鳳凰(ほうおう)の枝
佳人拾翠春相問 佳人(かじん)と翠(すい)を拾いて春に相い問い
仙侶同舟晩更移 仙侶(せんりょ)と舟を同じくして晩(ばん)に更に移る
綵筆昔曾干気象 綵筆(さいひつ)は昔曾(かつ)て気象を干(おか)せしに
白頭吟望苦低垂 白頭(はくとう) 吟望(ぎんぼう)して低垂(ていすい)に苦しむ
⊂訳⊃
昆吾から御宿への道は 地形のままにうねり
やがて紫閣峰の北側が 陂の水面に影をさす
鸚鵡がつつき残した 稲の瑞穂
鳳凰が棲み古した 碧梧の古木
春には佳人と連れ立って 翠草摘みにゆき
仙人の仲間と舟遊びして 夜は席を移す
かつて詩文の筆は 天象に迫るほど冴えていたが
いまは遠くから吟唱して 白髪頭を垂れるだけ
⊂ものがたり⊃ 「昆吾」も「御宿」(川)も長安から「陂」の池にいたる途中にあり、道は田園や丘陵のあいだを地形のままにうねって通じていました。紫閣峰は終南山の一美峰で、その姿が陂の池に影をうつしていました。
「陂」は長安の西南36kmの鄠県(こけん)からさらに西へ5kmほど行ったところにあり、都人の遊楽の地でした。杜甫は天宝十三載(757)に杜曲に居を定めた年、岑参(しんじん)兄弟に誘われてここを訪れ、舟遊びに興じました。そのときの回想が杜甫の心をとらえ、池は「鸚鵡」や「鳳凰」の棲む仙境の地であったと幻想的に詠われています。
しかし、尾聯では一転して、かつて自分の詩文は自然をも凌ぐほどにすぐれていたが、いまは僻遠の地で口ずさみ、白髪頭を抱え込むだけだと嘆きの言葉で結びます。「秋興八首」には各首にみごとな対句が配され、幻想と回想が繰り返し述べられますが、最後は一転して現実の窮状にもどるという発想がとられています。この時期は杜甫の詩の完成期で、昔の自分の方がすぐれていたというのは、杜甫の謙遜でなければ、境遇から来る自己誤認でしょう。
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