漢詩を楽しもう

tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 白居易45ー49

2010年09月24日 | Weblog
 白居易ー45
   戲題新栽薔薇         戲れに新栽の薔薇に題す

  移根易地莫憔悴   根を移し地を易(か)うるも  憔悴(しょうすい)する莫(なか)れ
  野外庭前一種春   野外(やがい)  庭前  一種(いっしゅ)の春
  少府無妻春寂寞   少府(しょうふ)  妻無くして  春寂寞(せきばく)
  花開将爾当夫人   花開かば爾(なんじ)を将(も)って夫人に当てん

  ⊂訳⊃
          地を移し変えても  枯れないでくれ

          田舎の庭だが   春に変わりはない

          県尉様に妻はなく 春になっても寂しいかぎり

          花が咲けば  お前を妻にしてやろう


 ⊂ものがたり⊃ 「長恨歌」はやがて、白居易の代表作として妓女の端までが暗誦していることを自慢にするほどの流行歌になります。しかし、それはすこし後のことです。
 元和二年(807)の春になっても、白居易の生活に何の変化もありません。独身の身で官舎の庭に薔薇(ばら)を植えたりしています。このころの薔薇は、薔薇といっても野草の野茨(のいばら)のことで、現代の西洋バラのような華やかなものではありません。唐代には庭に移植して小さな花を観賞する趣味がはじまりますが、ここではむしろ、ひとり暮らしの侘びしさの比喩として用いられていると考えるべきでしょう。
 この年、弟の白行簡(はくこうかん)が三十二歳で進士に及第し、白居易はひとつ肩の荷をおろしました。

 白居易ー46
   酔中帰蟄厔          酔中 蟄厔に帰る

  金光門外昆明路   金光(きんこう)門外  昆明(こんめい)の路(みち)
  半酔騰騰信馬廻   半酔  騰騰(とうとう)として馬に信(まか)せて廻(かえ)る
  数日非関王事繋   数日  王事(おうじ)の繋(けい)に関(かかわ)るに非(あら)ず
  牡丹花尽始帰来   牡丹  花尽きて始めて帰り来たる

  ⊂訳⊃
          金光門外  昆明池の路

          ほろ酔い気分で  馬にまかせて帰る

          ほんの数日    公務をのがれ

          牡丹の花も散ったいま  ようやく家路に向かうのだ


 ⊂ものがたり⊃ 白居易は気晴らしのため、ときおり騎馬で長安に出かけることもありました。長安には友人の楊虞卿(ようぐけい)や楊汝士(ようじょし)がいて、会話を楽しんで帰るのです。楊氏の二人は従兄弟で、白居易は一年後に楊汝士の妹と結婚することになりますので、楽しい訪問であったと思います。
 帰りは酒に酔って馬に揺られて帰るのですが、馬は間違いなく帰ってくれます。だが白居易は、酔って田舎道を揺られて帰る日ばかりではありませんでした。このころ「麦を刈るを観る」という二十六句の五言古詩を書いており、農民の苦しい生活を詩に詠ってもいます。なお、「蟄厔(ちゅちつ)」については白居易ー25を参照してください。

 白居易ー47
   寄江南兄弟          江南の兄弟に寄す

  分散骨肉恋     分散(ぶんさん)して骨肉(こつにく)を恋い
  趨馳名利牽     趨馳(すうち)して名利(めいり)に牽(ひ)かる
  一奔塵埃馬     一は塵埃の馬を奔(はし)らせ
  一汎風波船     一は風波の船に汎(う)かぶ
  忽憶分首時     忽(たちま)ち憶う   首(こうべ)を分かちし時
  憫黙秋風前     憫黙(びんもく)たり  秋風(しゅうふう)の前
  別来朝復夕     別れて来(よ)り  朝(あさ)復(ま)た夕べ
  積日成七年     日を積んで七年に成る
  花落城中地     花は落つ  城中(じょうちゅう)の地
  春深江上天     春は深し  江上(こうじょう)の天
  登楼東南望     楼(ろう)に登りて東南を望めば
  鳥滅煙蒼然     鳥滅(めつ)して  煙  蒼然(そうぜん)たり
  相去復幾許     相去ること復(ま)た幾許(いくばく)ぞ
  道里近三千     道里(どうり)  三千に近し
  平地猶難見     平地すら    猶(な)お見難し
  況乃隔山川     況(いわ)んや 乃(すなわ)ち山川(さんせん)を隔つるをや

  ⊂訳⊃
          離ればなれになって肉親を慕い
          名利にひかれて駆けまわる
          片や  塵埃の中で馬を走らせ
          片や  風波の上に船を浮かべる
          思えば    別れに際して悲しみで
          言葉を失い  秋風に吹かれていた
          別れて以来 朝が来れば夕べとなり
          月日は過ぎて  七年になる
          長安の街に   花が散り
          長江の空に   春は深まる
          高楼に登って  東南を望むと
          鳥の姿は消え 薄暗い靄が漂っている
          横たわる距離はどれだけか
          道はおよそ三千里
          平地でさえも  見分けにくいのに
          幾山川を越えてゆくのだ


 ⊂ものがたり⊃ この年の夏、都では集賢院の再編が行われており、秋になって白居易は集賢院校理を兼務させられました。また京兆府の府試の試官に任命され、試験問題の作成に従事しています。
 身辺に忙しさが増してくるなか、白居易は一家の現状に思いをはせます。詩中の「日を積んで七年に成る」の積日七年については幾つかの説があります。白居易は貞元十六年(800)に進士に及第していますので、それから七年後は元和二年(807)になると考える説によりました。
 この詩を書いた動機には、江南の不安定な状況があったかもしれません。「鳥滅して 煙 蒼然たり」には比喩の厳しさを感じさせるものがあり、江南にただよいはじめた暗雲をさしているのかもしれません。
 この年の冬十月、憲宗は入朝の約束を果たさなかった鎮海節度使李(りき)の討伐を命じ、朝廷に服さない藩鎮の討伐に乗り出しました。李は部下に捕らえられて長安に護送され、十一月一日に腰斬の刑に処せられました。鎮海節度使の使府は丹徒(江蘇省鎮江市)にあり、憲宗は物産の豊かな江南の要地を確保したのです。

 白居易ー49
    折剣頭              折剣の頭

  拾得折剣頭     折剣(せつけん)の頭(さき)を拾得(しゅうとく)す
  不知折之由     之を折りし由(ゆえ)を知らず
  一握青蛇尾     一握(いちあく)  青蛇(せいだ)の尾
  数寸碧峰頭     数寸なる碧峰(へきほう)の頭(いただき)
  疑是斬鯨鯢     疑うらくは是れ  鯨鯢(げいげい)を斬るか
  不然刺蛟虬     然らずんば  蛟虬(こうきゅう)を刺すか
  欠落泥土中     欠けて泥土(でいど)の中に落ち
  委棄無人収     委棄(いき)せられて人の収(おさ)むる無し
  我有鄙介性     我に鄙介(ひかい)の性(せい)有り
  好剛不好柔     剛(ごう)を好んで柔(じゅう)を好まず
  勿軽直折剣     直折(ちょくせつ)の剣を軽んずること勿(な)かれ
  猶勝曲全鉤     猶(な)お  曲全(きょくぜん)の鉤(こう)には勝れる

  ⊂訳⊃
          折れた剣の切っ先を拾ったが
          折れた理由はわからない
          青い蛇の尻尾の先ともみえ
          気高い峰の尖った頂ともみえる
          もしかしてこれは  大海の鯨を切ったのか
          そうでなければ   蛟龍を刺したのであろう
          欠けて泥の中に落ち
          捨てられて  拾う人もない
          私は愚かな  ひねくれ者
          剛直を好み  妥協を好まない
          真っ直ぐなため  折れた剣を軽んじてはいけない
          曲がって安全な釣り針よりは  すぐれているのだ


 ⊂ものがたり⊃ そのころ白居易は、翰林院の銀台門(南門)に呼び出されました。そこで五題の制詔についての論策を命ぜられましたが、それは翰林院へ登用するための試験でした。答案は及第し、白居易は十一月五日に翰林院学士に採用されます。翰林院学士は令外の官で、天子の特命を受けて詔勅などの草案を起草するのが役目です。令外の官といっても優秀な官僚が集められ、天子の直接の諮問に答えるのですから、非常に名誉な職と考えられていました。
 翌元和三年(808)四月二十八日、白居易は翰林院学士のまま門下省左拾遺(従八品上)に任ぜられ、いよいよ国政の中枢に参画する身分になりました。このとき親友の元愼は母親の喪に服して都にはいませんでした。白居易はひとり心中に決するものがあり、「折剣の頭」の詩を書いたと思われます。白居易には時の政事を批判する精神が芽生えていましたが、詩はその心を折れた剣の切っ先に託して詠ったものでしょう。しかし、その志がはっきりと表に出て来るのはもうすこし後のことです。

コメントを投稿