蝸牛のこちょこちょ

みずしろの普段着物と手仕事と好きなものの記録。

山に行きたい

2017年06月27日 | おでかけ

 登山は興味なかったんですよね。(いきなり斬っていくスタイル)

 それが絵を描き出したら、どんどん自然豊かなとこへ行きたくなっちゃって。
 川とか海とか山。
 元々小さい頃から山菜採りや海水浴、川遊びなど良く連れて行ってもらっていて大好きだったんですが、なんか登山って言うと怖いイメージがあって、よー行かんわ、と思ってました。

 ところが、登りたいところが出来てしまいまして。

 自宅からクルマで30分ほどのところに、一乗谷朝倉氏遺跡というのがあります。
 某携帯会社のCMに登場する犬のお父さんのご出身地ということで一気に有名になりましたが、元々日本初連発の非常に珍しく貴重な遺跡で、ここの発掘調査によって戦国時代の都市の研究が一気に進んだとか。
 …難しいことは置いといて、わたしココがすっごい好きで。
 普段からふらっと行ってぶらぶら歩いて川を眺めて帰ってきたりします。

 ここ、谷あいの復元遺跡群が観光のメインですが、実は背後の山の上にもすんごい遺跡群が眠っております。
 この、山の上の山城跡に、行ってみたくて。
 行ってみたくて。
 仕方がなくなりまして。

 しかし今の自分の体力と、それに見合わないウェイト(脂肪という名の…)を鑑みて、すぐには無理だと。
 じゃあ準備をしようじゃないかと。

 
 まず靴を買いました。
 しまOらのペタンコ靴か、クロックス(甲は穴あき)か、草履、という靴箱だったもので…(極端すぎる)
 昔は毎年祖父母に連れられて山菜採りに行ってましたので、山の地面がどんなものかは知っているつもりです。ので、必死で脳内シミュレーションをしつつ、丁寧で親切な店員さんを長時間拘束して(ごめんなさい;;;)選んできました。
 あくまでも暖かい時期の低山用なので、あんまオーバースペックなのもパス。
 …サロモンってスキーしか知らなかったけど総合スポーツ用品メーカーさんなんですね。サロモンの板には母が2桁年にわたってお世話になったので、なんとなし信頼感があります。


 で。
 新しい靴をいきなり悪路で履く度胸は、とてもありませんので。
 靴慣らしを兼ねて、登りたい山の登山口の下見に行ってきました。
 普段はクルマですうっと通り過ぎてしまうところで、登山口なんてあるんだ?? 状態でしたので。
 詳しい案内は県のHPにめちゃくちゃわかりやすいのが掲載されていたのでこちらでどうぞ。

 さて、今日下見したのは馬出ルートと下城戸ルートの登山口。
 クルマは一乗谷史跡公園センター(&一乗谷レストラント)の駐車場に停めさせていただき、徒歩でてくてくと行きます。
 …が、その前に、実はまだ行ったことのなかった瓜割清水へ。

 
 集落内に突如現れる芭蕉?の茂み。めちゃくちゃ目立ちます。なんでこんな雪深いとこに芭蕉…?

 
 
 お水は澄んでいて今でも飲めそうなくらい。湧水の常ですが年間通じて温度が変わらないそうで、夏は冷たく冬は温かく、昔の人にとっては本当に重宝な水であったのだろうと思います。
 
 来た道を一旦引き返して、今度は馬出コースの登山口へ。
 集落の中にあるのでちょっと見つけにくいですが、公園センターから一乗谷川の下流へ向かって右岸沿いに歩くと、川から離れて集落の中へ向かう道があります。分岐の先を覗けば鳥居が見えるので、そこが八幡神社さん。

 
 右手が登山道(馬出ルート)、左が八幡さまです。

 
 
 比較的新しいと思われる看板に、親切なルート図まで。
 今度地図を持ってきて見比べてシミュレーションをしてみたいと思います。

 今日は登山はしませんので、八幡さまにお参り。
 …お参…り……
 
 
 待ってこれわりときついわ。(これだけで汗だく)

 
 急な石段の踊り場的な場所にお水が出ているところがあったので、お手水と判断し手と口を清めさせてもらいました。沢水かなあ、冷たくて気持ちよかったです。

 お社の写真は撮りませんでしたが、小さいながらもきちんと手入れのされた様子で、地元の方か登山者さんか、お賽銭がほつほつと。(お賽銭箱は鍵のかかった扉の中でしたので、失礼ながらその手前に置かせていただきました)
 まだまだ先だとは思いますが上がらしていただきますのでよろしくお願いします、とご挨拶をして、苔むした急な階段をスッ転ばないように気をつけながら、そして自分の筋力の無さを痛感しながら降りて来ました。
 虫がすんごいことになってたので、ハッカ水噴いていくべきだったと反省…。

 ところでどうして八幡さまなのかしらと思ったら、朝倉氏と縁の深い足利将軍家は八幡さまを深く信仰していた、という旨の記述が見つかりました。そういや最後の将軍様がこの城下にしばらく住んでたんですよね。
 もしかしたらこのお社、その時代からここにあったのかなあ。この馬出ルートは山城への大手道(正面通路)だったという話ですし。
 歴史は詳しくないのですが、妄想が捗ります。楽しい。


 急登と妄想で上がった息を整えながら、また集落の道に戻り、一旦左岸に戻って、川沿いに更に下って行くと、向山橋という橋を渡ってすぐの右岸にこんなコーンとバリケード。
 
 左岸から見たとき、右岸に舗装路がないので一瞬「…これ渡って大丈夫…?」となりましたが、渡ってみるとこんな砂利道が。
 
 これは登山道への分岐口から振り返ってみた写真です。向こうに見えるのが向山橋。写真手前左側に登山道分岐があります。
 
 
 こっちは古い道標のようで、道の反対側には立派な新しい看板が。
 
 
 これまた丁寧な地図と解説付きです。ありがたや…。

 登山道の入り口は、防獣ネットで覆われ、ファスナーを開けて入るようになっていました。
 
 
 有害獣…[´・ω・`]
 元々彼らの住処なので、向こうにしてみれば人間こそ有害獣であろうなあと思います。
 すみません、いずれちょいとだけお邪魔します、出来る限り失礼のないように致しますので何卒穏便に…と頭を下げて、この日はここまででUターン。
 熊鈴すら持っていなかったので、ここから先に一歩でも踏み込む勇気はありませんでした。

 そういえば熊情報、先の史跡公園センターに最新情報が張り出されていました。本番の登山に挑むときも必ず立ち寄ってチェックしなくては。
 目撃されようがされまいが居るんですけどね絶対…。



 ここからはまた左岸に戻り、下城戸や遺跡遊歩道をのんびり歩いて公園センターへ戻って、写真を撮ったりぼーっとしたりの時間も含めて約1時間のお散歩でした。
 履いたことのないミドルカットの靴でしたが、足首を緩めに紐を調整したら平地でも意外とすんなり歩けるものですね。
 もっと歩きにくいかと思ってたのでほっとしました。

 あとは筋力&体力と、足運びをかなり練習せねば…。足裏全体で、そーっと、足場が安定しているか一歩ずつ確認しながら体重を移していくあの歩き方が、全く出来なくなっていて、かなりショックでした。太腿の筋力が全く足りない。
 あれ出来ないと怖くて山入れないよ…。
 頑張って鍛え直します。
 

 あ、それとコイツの練習もしておかないと。
 
 山へ行こうと決めたその日に注文しました。
 これのことはまた別記事にする予定です。



 ……ウォーキング始めた途端に順調に目方が増えていてとても納得がいきません。




福岡着物旅

2016年06月09日 | おでかけ

 福岡へ行ってきました。
 2泊3日、全行程着物のみ、Tシャツ一枚も持たない旅です。
 お宿も浴衣を貸してくださるところだったので、ほんとに和服オンリーの3日間でした。

 1日目は昼過ぎ頃に博多へ着きまして、そのまま大宰府へ直行。
 九州は高校の修学旅行以来、個人的に行くのは初めてです。
 雨降りでしたが、しっとりと風情があって非常に素敵でした。
 ゆっくりと3つの橋を渡り、お参りをして、ちょうど見ごろの菖蒲園を楽しみそぞろ歩き…までは優雅な雰囲気ですが、間に梅ヶ枝餅を3つも食べております。はい。
 いえ…ひとつだけいただくつもりだったのですが…美味しすぎまして…。
 焼きたての梅ヶ枝餅、初めて食べたんですけど、あんなに美味しいものだとはつゆ知らず。
 お茶や小梅漬けと一緒にいただけるお店もいっぱいあるので、行かれた際はぜひどうぞ。
 早くもまた食べに行きたくなっています…。

 …話がそれた。
 九州国立博物館や光明禅寺なども見て回り、ゆっくりとはいきませんでしたが堪能してまいりました。
 光明禅寺は本当に美しくて時間が許すなら半日くらい居たかった。
 参道のお店は5時過ぎには大半が仕舞い始めておられたので早めに行ったほうがよさそうです。どうしても見たかったところは両方ゆけたので満足。
 博多駅に戻り、地元のおっちゃん(通りすがり)に教えてもらった美味しいお店でラーメンをいただいて、すっかり満腹でお宿に着いた頃には21時を回っておりました。

 1日目の着物はポリの、ぎりぎり絽や紗ではない平織だけど結構透け感のある単衣。(ややこしい)
 ちょっとよく見ればポリとわかるプリントものですが、色柄が芭蕉布のような雰囲気で、どこへ着て行っても、あら涼しげで素敵ね、と褒めて戴ける優秀な子です。
 これにサマーウールの半幅帯、洋服用のストールを帯揚げのように使って垂れの長めの変わり結びにして、足元はポリ足袋に時雨草履。半衿と襦袢袖は白のポリ絽。
 雨コートは持っていかなかったんですが、無しで平気、すごく楽で涼しくて快適でした。


 2日目は友人達と会い、そのまま飲み会へ。
 着物は今度は透けない濃紺のポリに、同じくポリの博多織の名古屋帯、帯揚げと帯締めだけが正絹。
 足袋は汚れの目立たない黒裏のグレーの色足袋にしましたが、居酒屋さんが掘り炬燵式の個室だったので心配無用でした(笑)。
 着物で苦しくない?って何度か聞かれましたが、自分で着たら苦しくない加減がわかりますから、がっつり食べて飲んでも全く問題ないです。
 しかし福岡どこで何食べても美味しいですね…。確実に目方が増えたと思います。
 ごちそうさまでございました。


 3日目は美味しいフレンチトーストのお店へ連れて行っていただき、またしても満腹になって解散。
 博多駅でお土産に明太子を3種類、食べ比べてみようと友人達それぞれのおすすめを買って帰ったのですが、どれも美味しいよ決められないよ!(笑)
 家に帰りついたのは夕方。さすがにすぐ全部脱いでシャワーを浴びましたが、もうこれで何日着物で居ても大丈夫だな、と変な自信がつきました。
 楽しい旅でした。お世話になった方々、ありがとうございました。


 今回は前に書いた衣紋抜きともう一つ、マジックテープ式の伊達締めに大変お世話になりました。
 祖母の箪笥から偶然発見して貰ってきたものなのですが、裏がゴムのような素材で、僅かに伸縮性があり、巻いて留めるともう頑として動かないのです。
 これを巻くと巻かないとでは衿元の崩れ具合が全く違い、一度使ったら手放せなくなってしまいました(某通販番組みたいですが、誇張じゃなく本当にすごいの)。
 ただし通気性のツの字もなさそうなゴムとネル風の生地の合体で、保温力は半端無いです。冬は良いけど夏は……。
 わたしは汗は帯下で止めて帯には浸透させない派なので、帯板や伊達締めに通気性は求めていないのですけど、それにしたってさすがに洗い替えが欲しい。
 色々検索して、「すずろベルト」なるものがソレっぽい雰囲気だったので、ひとつ注文してみました。届いてからまた一日着て動いてみて、どんなものかレポしたいと思います。
 普段着なんだし、自分が便利だと思う道具はじゃんじゃん使っていきたい気持ちです。
 それにしても、普通の伊達締めは結び目がどうしても気持ち悪くてだめなんですけど、みんなどうしてあれ平気なんだろう…。

 

江戸の小袖の春夏秋冬展へ行ってきました

2016年04月13日 | おでかけ
 福井市立郷土歴史博物館で開催されている「江戸の小袖の春夏秋冬」展へ行ってきました。
 会期は5月5日まで。
 前期と後期に分かれており、現在は後期展示中です。
 先日、前期展示も見に行ったのですが、どちらも圧巻…でした。

 江戸の小袖、というか実際には「江戸時代の大名家の衣料展」でしょうか。
 当時の日本の、トップクラスかそれに近いひとたちの衣料です。
 当然、生地から染から刺繍から最高級。
 素晴らしいの一言なのですが、雲の上の方々すぎて、知識としては何となく習った覚えがあっても(中学校)、実際に生活をしていた同じ人間という実感がわきません(笑)
 とりあえず、さぞかし暑くて重かったろうなと…(そこか)


 不思議なことがいくつかありました。
 まず最初におや、と思ったのは、「四季通用柄」の多いこと。
 というより、「儀式用」、お正月や節句に着た礼装の打掛などは、模様に定めでもあったのかしらと思うくらい、描かれている花が似通っているのです。
 だいたい、梅、桜、牡丹、菊、藤、それに松や竹、葵、紅葉。たまに菖蒲やかきつばた(区別がつきまへん…)。今の着物にもよくある柄なんですけど、季節としてはスリーシーズン用、みたいな、多種の花々を取り混ぜてあるのが多かったです。
 なんとなく、こういうかたがたって、その季節限りの年に一度の礼服、みたいなのをいっぱい持ってたイメージだったんですけど、そうでもないのかな?
 告知ポスターにも使われてた梅の描き染め小袖は、現代人のわたしたちが見ても、一発で早春限定とわかりますが(笑)、こういうのはむしろ少なかった。

 夏の衣類に涼しげな冬モチーフ、というのは今も雪輪くらいは残っていますけど、当時はもっと豪快だったようで、どーんと梅!とか、わかりやすく雪景色!とか…。
 涼しげ通り越してますがな。
 今これをやったら、さすがにやりすぎだし、口うるさいおばさんが群がって来そうです(笑)。というか、雪景色模様の絽とか、まず手に入らなさそう。


 もうひとつ、おや、と思ったのは刺繍糸の撚りです。
 展示されている小袖や帯のほとんど全てが、全く、或いはほとんど撚っていない釜糸で、ふんわりと刺してあったのですが、一緒に展示されていた箱迫だけは、どれもきっちりと撚りをかけた糸で、かっちりと刺してありました。
 …これはナニユエ。
 懐へ入れるものだから、擦り切れないように、ということかしらん…???
 同じくらい擦れそうな掛下帯などは、全部ふんわり撚りなしだったんですけど。
 たまたまそういうものが揃ったのか、当時の傾向だったのか、ほんとの理由はなんなのか、機会があったら調べてみたいです。


 一階の第二展示場には、子どもの衣類も幾つかありました。
 今の幼い子どもの着物と、形はほとんど同じで、白絹のひもがついていました。
 一つ身の赤ちゃん用には、ちゃんと魔除けの背守りが…あったのですが、
 地の色とほぼ同じ糸で、衿の下から肩甲骨の辺りまで、なみ縫いや二目落としでちくちくと縫ってあるのみで、糸を長く残したり、紋のような飾り縫いはありませんでした。
 あの一筆書きのような、背守りの飾り縫いは、当時の大名家ではやらなかったのかしら。
「斜め線」もありません、ただ、まっすぐです。
 こういうのは、どうも書籍で調べたほうがよさそうだ… 今度図書館いってきましょ。



 ハテナばっかり浮かんで無知丸出しになってしまいましたが、本当にすごかったのです。
 当たり前ですが当時は機械なんかないのだから蚕の飼育から始まって糸繰り、精錬、織、染、刺繍、そして縫製…
 一領の小袖に、どれだけのひとが、どれだけの年月をかけたんだろう。
 今、こんな仕事をできる職人さんが、どれだけいるだろう。
 圧倒されて、ぼうっとなってしまったみずしろでありました。


 ところでこの展示、お着物割引とリピート割引がありまして。
 着物で行くと2割引き、この特別展の半券を持参すると半額(!)だそうです。
 そのためか、あるいは元々展示の内容からして着物好きの方が多いのか、素敵なお着物でいらしているかたが結構たくさん。
 展示を見ながら、ちょいと脇のお客さまも見せて戴いたりして、楽しかったです(笑)
 わたしも着物でしたが、既にここの友の会優待観覧券(年間パスポートみたいなの)を持っているためなんと無料…太っ腹すぎやしませんか…。
 せっかくですし、会期中にもう1回か出来れば2回か3k(欲張りすぎ)




 …で。
 全く関係ないんですけど、博物館ですし、お太鼓で行ったんです。
 こないだ買ったポリの博多織の名古屋帯。
 …化繊帯ってここまで滑るんですね知らなかった…。もう、お太鼓無理かと思いました。
 珍しく新品で買ったもので、色柄は物凄く気に入っているんですけど、柔らかいというよりクタクタだし、単帯だから芯を換えるというわけにもいかなくて、はてどうしたものか。
 6月にこれ締めて博多へ遊びに行く予定だったんですが。
 …柔らかい帯でいける結びを練習するしかないかな…?