11月25日(旧暦10月20日 六白 大安 己卯)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今日は晴れて、午前中は青空となっています。
この時期の太陽の光は気持ちがよく、感謝すら感じさせます。
週末からは天候が崩れてしまう予報ですので、雨対策をしっかりと取っていきたいと思います。
おととい23日は、勤労感謝の日で祝日でした。
日本の歴史では、石器時代から縄文時代には狩猟や採取といったものが行われ、弥生時代には稲作による農耕が始まりました。
現代を含むここ50年以外の時代は食料は豊富ではなく、その時代の人々にとっては自分たちが食料を得ることで、生きていけることに対する「感謝」の気持ちが今よりも強かったと思っています。
収穫が行われ、終わった時期などには、土地や神さまに対する「感謝」を、「祭り」を行うことで表し、その名残が現代まで続いていると思います。
さて、太平洋を挟んで隣の国となっているアメリカ合衆国では、今日は「感謝祭」の祝日に当たっています。
英語では、「Thanksgiving Day(サンクスギビングデー)」となっているこの祝日は、毎年11月の第4木曜日となっています。
アメリカの北の隣国カナダでも感謝祭がありますが、カナダでは10月の第2月曜日になっているそうです。
感謝祭の料理としては、七面鳥が有名です。
今から400年ほど前、日本では大坂夏の陣が終わって徳川幕府の力が磐石となっていった時代に、イギリスの南西部にあるプリマスという港町から、一隻の船が新大陸へ向けて出港しました。
102人の乗客と40人ほどの乗員を乗せたこの船の名は、「メイフラワー号」といい、乗客は「清教徒」と呼ばれるキリスト教の一派の人々でした。
それより前の時代、イギリスにおいては教皇を頂点にしたカトリック教会から離れ、イギリス国王を頂点とした「イギリス国教会」が成立しました。
イギリス国教会が成立した時代には、絶大な権勢を誇っていたカトリック教会から、ルターやカルバンを代表として宗教改革を行う動きが出てきて、それらはプロテスタントと呼ばれる一派を形成していきました。
イギリス国教会内においても、カルバンに習って宗教改革を進めていくべきと訴える人々(清教徒)が出てきました。
ここで、あくまで国教内に属したまま宗教改革を進めるグループと、国教会から離れて宗教改革を進めようとするグループ(分離派)がうまれ、両者は対立し、分離派は弾圧を受けました。
分離派は弾圧から逃れ、自由を得るために新大陸を目指しました。
アメリカを目指した清教徒たちは、「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれました。
1620年9月に出港してから、3ヶ月以上に及ぶ過酷な船旅を経て、アメリカのマサチューセッツ州ボストン近郊にたどり着きました。
すでにアメリカでは、コロンブスによる新大陸「発見」以降、ヨーロッパ各国による植民が始まっていましたが、ピルグリム・ファーザーズの植民地(プリマス植民地)は、すでにつくられていたジェームズタウンなどとともに、アメリカにおけるイギリス植民地のさきがけとなりました。
現在でも、ボストンのあるマサチューセッツ州、コネチカット州、ニューハンプシャー州、バーモント州、メーン州、ロードアイランド州の6つの州は「ニューイングランド」という地方として、その名残を残しています。
入植したピルグリム・ファーザーズたちには、最初の冬で半数近くの方が亡くなるという、船旅以上の過酷な運命が待ち受けていました。
近隣のインディアンに助けられ、街を作っていった彼らは、翌年の秋には最初の収穫を迎えることになりました。
収穫は豊作となり、助けられたインディアンも呼んで大きな収穫祭が行われました。
これが、アメリカの感謝祭の始まりとされています。
しかしその後の歴史は、先住民のインディアンとの土地をめぐる対立、イギリスとフランスがアメリカ植民地をめぐる戦争へと続いていき、特に先住民にとっては虐殺と略奪という悲劇の始まりともなりました。
10月21日 コロンブス・デー
感謝祭も収穫を祝うことから、日本の勤労感謝の日の前身であった「新嘗祭」と似ている部分があります。
やはり土地や食べ物への感謝の気持ちというものは、世界各国どこにでもあるものだと思います。
感謝を忘れないことが重要ですが、感謝の気持ちが強すぎて食べる量を過ごしてしまうと、冬場が終わったときの体型が残念なものになってしまうかもしれません。
補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先
有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今日は晴れて、午前中は青空となっています。
この時期の太陽の光は気持ちがよく、感謝すら感じさせます。
週末からは天候が崩れてしまう予報ですので、雨対策をしっかりと取っていきたいと思います。
おととい23日は、勤労感謝の日で祝日でした。
日本の歴史では、石器時代から縄文時代には狩猟や採取といったものが行われ、弥生時代には稲作による農耕が始まりました。
現代を含むここ50年以外の時代は食料は豊富ではなく、その時代の人々にとっては自分たちが食料を得ることで、生きていけることに対する「感謝」の気持ちが今よりも強かったと思っています。
収穫が行われ、終わった時期などには、土地や神さまに対する「感謝」を、「祭り」を行うことで表し、その名残が現代まで続いていると思います。
さて、太平洋を挟んで隣の国となっているアメリカ合衆国では、今日は「感謝祭」の祝日に当たっています。
英語では、「Thanksgiving Day(サンクスギビングデー)」となっているこの祝日は、毎年11月の第4木曜日となっています。
アメリカの北の隣国カナダでも感謝祭がありますが、カナダでは10月の第2月曜日になっているそうです。
感謝祭の料理としては、七面鳥が有名です。
今から400年ほど前、日本では大坂夏の陣が終わって徳川幕府の力が磐石となっていった時代に、イギリスの南西部にあるプリマスという港町から、一隻の船が新大陸へ向けて出港しました。
102人の乗客と40人ほどの乗員を乗せたこの船の名は、「メイフラワー号」といい、乗客は「清教徒」と呼ばれるキリスト教の一派の人々でした。
それより前の時代、イギリスにおいては教皇を頂点にしたカトリック教会から離れ、イギリス国王を頂点とした「イギリス国教会」が成立しました。
イギリス国教会が成立した時代には、絶大な権勢を誇っていたカトリック教会から、ルターやカルバンを代表として宗教改革を行う動きが出てきて、それらはプロテスタントと呼ばれる一派を形成していきました。
イギリス国教会内においても、カルバンに習って宗教改革を進めていくべきと訴える人々(清教徒)が出てきました。
ここで、あくまで国教内に属したまま宗教改革を進めるグループと、国教会から離れて宗教改革を進めようとするグループ(分離派)がうまれ、両者は対立し、分離派は弾圧を受けました。
分離派は弾圧から逃れ、自由を得るために新大陸を目指しました。
アメリカを目指した清教徒たちは、「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれました。
1620年9月に出港してから、3ヶ月以上に及ぶ過酷な船旅を経て、アメリカのマサチューセッツ州ボストン近郊にたどり着きました。
すでにアメリカでは、コロンブスによる新大陸「発見」以降、ヨーロッパ各国による植民が始まっていましたが、ピルグリム・ファーザーズの植民地(プリマス植民地)は、すでにつくられていたジェームズタウンなどとともに、アメリカにおけるイギリス植民地のさきがけとなりました。
現在でも、ボストンのあるマサチューセッツ州、コネチカット州、ニューハンプシャー州、バーモント州、メーン州、ロードアイランド州の6つの州は「ニューイングランド」という地方として、その名残を残しています。
入植したピルグリム・ファーザーズたちには、最初の冬で半数近くの方が亡くなるという、船旅以上の過酷な運命が待ち受けていました。
近隣のインディアンに助けられ、街を作っていった彼らは、翌年の秋には最初の収穫を迎えることになりました。
収穫は豊作となり、助けられたインディアンも呼んで大きな収穫祭が行われました。
これが、アメリカの感謝祭の始まりとされています。
しかしその後の歴史は、先住民のインディアンとの土地をめぐる対立、イギリスとフランスがアメリカ植民地をめぐる戦争へと続いていき、特に先住民にとっては虐殺と略奪という悲劇の始まりともなりました。
10月21日 コロンブス・デー
感謝祭も収穫を祝うことから、日本の勤労感謝の日の前身であった「新嘗祭」と似ている部分があります。
やはり土地や食べ物への感謝の気持ちというものは、世界各国どこにでもあるものだと思います。
感謝を忘れないことが重要ですが、感謝の気持ちが強すぎて食べる量を過ごしてしまうと、冬場が終わったときの体型が残念なものになってしまうかもしれません。
お問い合わせ先
有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp