goo blog サービス終了のお知らせ 

みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

季語

2017年01月16日 | 俳句日記

 まず冒頭からお詫びを申し上げなければなりません。昨日の小生の駄句についてのことです。

お気づきの方もいらしたと思いますが、実は季語が重なっていました。申し訳ありません。

 

 詠みだしの「そぞろ寒」は、私の中では窓の外の雪景色が惚れ惚れするほど美しかったので、

古語の「そぞろ寒し」の「ぞくぞくするほどすばらしい」の意と部屋内が「少し寒い」の意を掛けて

使ってしまいました。ところがなんと歳時記には、仲秋頃のうすら寒さの意として秋の季語に

なっているではありませんか。

 

 私も一応作句した場合には、歳時記をチエックして書き置くのですが、「冬」ではなく

「秋」の編にあったことに気付きませんでした。なんたる不覚、赤くなるやら、恥ずかしいやら、

後の祭りの金毘羅様よ!てなことになってしまったのです。

 

 芭蕉の時代はさほど季語にはこだわらず、歌枕からの連想が重要だったようです。

子規や虚子からは季節や風俗風習を詠みこむことで、我々一般の読み手の連想世界を

豊かに引き出すべきだということから、季題季語が大切にされるようになったということです。

 

      < 高き峰 仰げば遥か 那須の雪 >  放浪子

 

 今の心境です。何事も挫けることなく継続することで高みに近づけると言います。

 これからもお見捨てなさらずお付合い下さい。

 

一月十六日(月) 朝は横雪、午後風止みて日差し射す

         今日もアイ君に会えず。

 

 

 


俳句

2017年01月15日 | 俳句日記

  夜来の雪が真白に街を覆い尽くし、ベランダのバケツには3㎝もの固い氷が張っています。

北国の人には大変に恐縮なのですが、九州育ちの私はこのような雪景色が好きで、穢土を禊ぐ

天の儀式のように映ってしまいます。自戒の働きなのでしょう。

 

 江戸深川での芭蕉の句に、「雪の朝(あした) 独り干し鮭 嚙み得たり」と云うのがあります。

ここまで悲嘆する境遇でありませんが、フランク・シナトが「Regret,I had a few・・・」と

歌ったぐらいの悔悟とともに、

      < そぞろ寒 真白き巷の 雪景色 >  放浪子

と発句しました。

 

 きのうは雅な和歌の世界を覗きましたので、今日は俳句についての私の拠り所を述べます。

漱石先生は、俳句についての友人からの問いかけに、

「扇の要のような集中点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示する言葉の

遊びである」と答えたそうです。

 

 ことばに鋭敏な文豪らしい正確な表現で、私ごときがそれこそ弄ぶとは・・・と、誹られるかも

しれません。俳聖芭蕉が和歌から独立した文芸として確立した俳句を、さらに国民文化にまで

広げた正岡子規先生が、最晩年の随筆「墨汁一滴」の中で漱石をこう評しています。

 

 「我が俳句仲間に於いて、俳句に滑稽趣味を発揮して成功したる者は漱石なり。(中略)

この人また甚だまじめの方にて、大口をあけて笑ふ事すら余り見うけたる事なし。これを

思うに真の滑稽は真面目なる人にして始めて為し能ふ者にやあるべき。・・・」

このあと俳句界で一番の滑稽家だった一茶は、まじめくさった人であったに違いない。と

書いてありました。多分そのことは正鵠を射た話であろうと思われます。

 

 であるならば私など、もう、俳句などいじれません。だが、芭蕉研究で著名な田中義信教授の

ご本には、芭蕉の名だたるお弟子達で其角は不良少年、嵐雪は放蕩者、杉風も血の気が多い若者

であったと書いてありました。それが、我が意を得たりの救いとなったのです。

 

一月十五日(日) 雪の日

         終日仮宅に閉じこもる。

 

 

 

 

 

 

 

 


歌会始

2017年01月14日 | 俳句日記

 昨日、宮中で今年の歌会始の儀が執り行われました。

お題は「野」、御製をはじめそれぞれのお歌を読ませていただきました。久々に和歌とふれ

あうそのひと時は時空を超えた万葉集の「大和こころ」をしみじみと感じる時間でした。

 

 と言うのも、万葉集は日本の国体が定まりつつある大化の頃より四世代に亘る約120年

間に詠まれた4500首が収められて、しかもその半数が詠み人知らずの歌なのです。

 宮廷人に限らず万葉の頃の民の心を広く表したもので、歌は臣民こぞっての文化でした。

万機公論を旨とした明治帝の初期からこの万葉集の在り方に習い、歌会始では一般国民に

詠進(自作の歌を献上すること)の道が開かれました。戦後はさらにひらかれた皇室行事

として広く募集されることになったのです。

 

 今年の入選した詠進歌の十首は、まさに詠み人知らずの歌と同じように、紙漉き、蝶、宇宙、

絵画、医療、災害など日常の生活や自然への感慨が読み込まれたもので、17歳のお若い方

の歌は、若さゆえの驚きやもどかしさを素直に詠まれて微笑ましくもありました。

 

 御皇室方のお歌についての感想など僭越の極みで、言葉にするのも憚られるのですが

あえて国民の一人として述べさせて戴ければ、

 御製は、譲位の御心を定められた方として、越し方の思い出深い情景を詠まれ恐懼致します。

皇太子殿下は、継承なさる側としての願いを込めて、国の行く末が大河なれと歌われました。

国歌の「さざれいしの岩をと成りて・・・」と対をなす御心だと思います。

 

 皇后様の御歌は、万葉びとの悠久の生活心情が彷彿とされるようです。皇太子妃殿下は

人々と同じ家族の尊い睦みを詠まれました。そして宮様方のお歌は、まるで額田王の眼差し

でお詠みになられたように雅なものです。

 日本人としてこの雅な大和心を忘れぬように生活をし、それが永久に受け継いでいかれる

ことを祈りたいと思います。

 

一月十四日(土)  終日雪

             灯油を買う。無くなるのが早い。

            久々に古語辞典の助けを借りて万葉集をひらく。

 

      < 川柳も 元はかしこき 歌心 >  放浪子

 

 

 


すめらぎ

2017年01月13日 | 俳句日記

 暦どおりの寒がしまり、きのうからの雪が根雪となりそうです。雪はすでに止み、

星が小さな氷の粒のように光る東の空に十六夜の月が冴え冴えと昇り始めました。

 軒先からしたたる水の音が聞こえなくなったと思ったら、幾条ものツララになっています。

気温はよほど0度を下まわっているのでしょう。吐く息が白く流れてゆきます。

 

 昨日、三島先生のことを書きましたら、早速旧知の友人から電話が掛かってきました。

若い頃のことを少し湿っぽく、かつ慚愧をもって語り合いました。それに時局のことも。

 はなしの中身についてご披露するには及びません。それぞれが、それなりに憂いていた

とだけにしておきましょう。

 

 ただ、「霜のような雪なのに深雪とは可笑しいじゃあないか」と、俳句の指摘をしてきました

ので「バカ!あれは、みゆきだ、雪の美称だ」と応えましたが、初霜と深雪の取り合わせ

については注釈が必要なのかな?と思い付け加えさせていただきます。

 

     『 益荒男が たばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜 』

 

 これが三島先生の辞世でした。私のようなものでも憶えているくらいですから、ご縁のあった

方には終世忘れられない遺詠でしょう。この辞世が浮かびましたので「初霜に似た・・・」とさせて

戴いたのです。

 天才中の天才であった先生の想いをここで代弁するには、その資格も能力も持ち合わせては

いませんので、若い方は是非ウィキペディアで検索してください。ご理解がいくと思います。

 

一月十三日(金) 降雪、午後には止む。

          旧友から電話、話し込む。

          昨日のお礼の品を送る。        

            

     < すめらぎの まつり尊き 四方拝 >  放浪子


三島由紀夫先生

2017年01月12日 | 俳句日記

 な・・なんと! 47年の時空を超えて三島由紀夫先生の肉声テープが発見された!?

東雲の薄明かりを透かして見ると、朝霜のように薄っらと降り積もる雪景色が見えます。

その中を今朝も新聞配達の少年が朝刊を届けてくれました。玄関ドアの郵便受けに差し込む

音がすると、私は起きていれば必ず「ご苦労様!」と声を掛けるようにしています。

 

 取り出して一面を見ると冒頭の記事でした。戦慄が走りました。昭和45年二十歳の大学生

だった私が、市ヶ谷の防衛庁のバルコニーで拳をあげる三島先生の姿をテレビで見たときの

衝撃に似た戦慄でした。何故今になって、何故こんな時に、また不思議なことが起ころうとして

います。

 

 3.11の後、実に毎年のように不思議なことが起こっているのです。天災の連続もそうです。

御岳山は霊山ですよ。阿蘇の地震も不気味です。桜島はさらにさらに不気味です。あそこは

7400年前にカルデラ大噴火を起こした喜界カルデラの北端です。このカルデラ噴火で西日本の

縄文人は死滅しました。火山噴火予知連絡会によるとカルデラ噴火は地質の研究から約6000年

周期で起きているそうです。最後の噴火が7400年前ですからもういつ起こってもおかしくない。

 

 地震についてはなおさらです。地震年表を繰ってみると、どの時代も火山噴火を伴い、5年10年と

地震が続くと世の中が乱れます。250年間太平の世が続いた徳川政権でも天保時代に入ってから

35年間続いた地震で約5万人の死者をだしました。幕府の財政が破綻するのはあたりまえですよね。

35年後の維新で官軍の前に次々と親藩・譜代の藩まで手をあげていったのも頷けます。

 

  今日、日本は21世紀に入ってからM7以上の地震が毎年どこかで起っています。そして東日本

大震災です。前述のように噴火の懸念に加えて、直下型、東海・東南海連動地震が起こればこの国は

どうなるのでしょう。「だから、東北の復興を急がなければならない」と、全国から復興支援に集まっ

てくださった自衛隊のOBの前で話したことがあります。

 そしてこうも付け加えました。「この災害に乗じて、中共の工作員が騒擾を起こした隙に、尖閣に

大挙中共軍が押し寄せてきたときにはどうなります。警察と自衛隊は国土を守れますか?」

 

 ちょうど瀑買いや土地の買い占めが横行していた時分です。いまとなってはもう尖閣どころ

ではない。国自体の存続も危ぶまれるでしょう。2500万人の海外来航者の中に0.1%の工作員

を紛れ込ませていればすでに国内には内応者もいるのですから混乱させるぐらいは楽勝でしょう。

あとは想像がつきますよね。全国40万の警察官で武装集団と戦えるのは10万もいません。

 

 そんなときに、今上の玉音です。トランプ大統領の登場です。韓国の分断工作です。そして、

「憲法を改正して国体を守るために決起せよ!」と叫んで諌死された三島先生の霊が現れた。

神ながらを思うと戦慄が走ります。

 

 三島事件は、若い方にとっては歴史上の事件ですよね。昭和45年のこの事件は、当時20歳だった

私からするとちょうど47年前の関東大震災の記事を見ているようなものでしょう。

実感が湧かないのも当然です。 

 ですが、歴史は切れ目なく徐々に変化しながらある日突然に動き出すもの。天災も同じです。

 

  半径5メートルの生活の中から少し飛び出し、歴史の流れの中に身を置いて考えてみてください。

 貴方の恋人の為にも、将来の家族の為にも。

 

一月十二日(木) 時々日は射すものの、終日雪模様

       6:00 起床、朝刊を見て驚愕

       7:00 三島先生の本を読みながら朝食

       9:00 灯油を買いに走る。

      10:00 資料整理

      12:00 昼食ののち散歩

      15:30 九州よりレターパック届く、有難し。

      18:00 ブログ 

       

       <東雲に 初霜に似た 深雪かな >  放浪子