まず冒頭からお詫びを申し上げなければなりません。昨日の小生の駄句についてのことです。
お気づきの方もいらしたと思いますが、実は季語が重なっていました。申し訳ありません。
詠みだしの「そぞろ寒」は、私の中では窓の外の雪景色が惚れ惚れするほど美しかったので、
古語の「そぞろ寒し」の「ぞくぞくするほどすばらしい」の意と部屋内が「少し寒い」の意を掛けて
使ってしまいました。ところがなんと歳時記には、仲秋頃のうすら寒さの意として秋の季語に
なっているではありませんか。
私も一応作句した場合には、歳時記をチエックして書き置くのですが、「冬」ではなく
「秋」の編にあったことに気付きませんでした。なんたる不覚、赤くなるやら、恥ずかしいやら、
後の祭りの金毘羅様よ!てなことになってしまったのです。
芭蕉の時代はさほど季語にはこだわらず、歌枕からの連想が重要だったようです。
子規や虚子からは季節や風俗風習を詠みこむことで、我々一般の読み手の連想世界を
豊かに引き出すべきだということから、季題季語が大切にされるようになったということです。
< 高き峰 仰げば遥か 那須の雪 > 放浪子
今の心境です。何事も挫けることなく継続することで高みに近づけると言います。
これからもお見捨てなさらずお付合い下さい。
一月十六日(月) 朝は横雪、午後風止みて日差し射す
今日もアイ君に会えず。