みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

歌会始

2017年01月14日 | 俳句日記

 昨日、宮中で今年の歌会始の儀が執り行われました。

お題は「野」、御製をはじめそれぞれのお歌を読ませていただきました。久々に和歌とふれ

あうそのひと時は時空を超えた万葉集の「大和こころ」をしみじみと感じる時間でした。

 

 と言うのも、万葉集は日本の国体が定まりつつある大化の頃より四世代に亘る約120年

間に詠まれた4500首が収められて、しかもその半数が詠み人知らずの歌なのです。

 宮廷人に限らず万葉の頃の民の心を広く表したもので、歌は臣民こぞっての文化でした。

万機公論を旨とした明治帝の初期からこの万葉集の在り方に習い、歌会始では一般国民に

詠進(自作の歌を献上すること)の道が開かれました。戦後はさらにひらかれた皇室行事

として広く募集されることになったのです。

 

 今年の入選した詠進歌の十首は、まさに詠み人知らずの歌と同じように、紙漉き、蝶、宇宙、

絵画、医療、災害など日常の生活や自然への感慨が読み込まれたもので、17歳のお若い方

の歌は、若さゆえの驚きやもどかしさを素直に詠まれて微笑ましくもありました。

 

 御皇室方のお歌についての感想など僭越の極みで、言葉にするのも憚られるのですが

あえて国民の一人として述べさせて戴ければ、

 御製は、譲位の御心を定められた方として、越し方の思い出深い情景を詠まれ恐懼致します。

皇太子殿下は、継承なさる側としての願いを込めて、国の行く末が大河なれと歌われました。

国歌の「さざれいしの岩をと成りて・・・」と対をなす御心だと思います。

 

 皇后様の御歌は、万葉びとの悠久の生活心情が彷彿とされるようです。皇太子妃殿下は

人々と同じ家族の尊い睦みを詠まれました。そして宮様方のお歌は、まるで額田王の眼差し

でお詠みになられたように雅なものです。

 日本人としてこの雅な大和心を忘れぬように生活をし、それが永久に受け継いでいかれる

ことを祈りたいと思います。

 

一月十四日(土)  終日雪

             灯油を買う。無くなるのが早い。

            久々に古語辞典の助けを借りて万葉集をひらく。

 

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