goo blog サービス終了のお知らせ 

みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

癌のつづき

2017年01月19日 | 俳句日記

 またぞろオカシナことになりました。ひょっとしてPCも寿命が来たのかも。続けましょう、

もう少しですから。

 

 洋の東西を問わず、昔から人間は何かにすがってきました。確かに奇跡も起こります。

でもね、こう思いますよ。仏様もキリスト様も元は人間様です。人間様ほど心の持ちようで

偉いものはない。

 お医者様は如来様ですよ。看護師さんも介護士さんも医療技師さんも菩薩様ですよ。

おっと忘れた、栄養士さんもそうです。ご家族様もほとんどそうです。

 

 病院に長く居るとそのことがよく分かりました。痛みに耐えた私への天のご褒美ですね。

またおいおい、いろんなことをお伝えします。今日はこんなところでおしまい。

   < 鶴亀や 病なればの 初神楽 >  放浪子

 

一月十九日(木)  晴れ、風強し

          川断念、代わりに体を動かす

          歩いてゴミだし、灯油買い、NTT・電気支払等

            


2017年01月19日 | 俳句日記

 昨日の投稿失敗は生活リズムに重大な影響を及ぼしました。床に就くのが遅くなり、深夜に

なってしまったのです。いつものように七時には目覚めたものの、少し体が重く炊飯するのも

億劫でした。なのに外は今日も晴れ。

 ですが、冬枯れの木立は幹までも大きく揺らいでいます。一昨日、昨日と違って風がかなり

強そうです。私の病は絶対に体を冷やさないこと。1Mの風で体感温度は1℃下る勘定ですから、

この様子では4~5℃も低くなるやもしれない、アイ君には悪いけれど川へ行くのは諦めましょう。

 

 失って初めてわかる大切なもの、経験者としてお若い方に申しあげておきたい。それは

昔から言われ続けてきたように、間違いなく家族と健康です。

 

 「癌」、文字からしていやな形ですね。象形文字だそうです。「品」の下に「山」と書いて「岩」と

同じ意味のものに「病ダレ」がかぶさったものですから、昔の人は体表にできた「瘍」より大きな

オデキをすべて「ガン」と呼んでいたのではないでしょうか。

 

 宣告された時は、まさかまさかの月世界でしたね。でもね、福島の名誉のために声を大にして

言っておきますけど、けして原発のためではありませんよ! 

 もともとイノシシ武者のようにイケイケどんどんの性格ですから、考えもせずに飲む・吸うで

私の場合はあたりまえだったのです。

 

「元こちら そのまま全部あたりまえ ただありがたく すみません」

 

  いい言葉ですねェー・・・・。仏様の「因果の法則」を教えた自業自得の悟りの境地ですね。

この言葉に救われましたよ。何事もあたりまえだと思えば腹が据わるものです。そうすれば

次になにをすれば良いのかが見えてくる。返す刀で過ぎた日の楽しい思い出も見えてくるもの。

 

 でもね、これからというお若い方はそうもいかない。特に子供さんは。

三か月も入院していれば、いろんな患者さんにお会いしました。いずれお伝えする機会が

あるとは思いますが、本人よりもご家族様がかわいそうで、まっとうな方ほど気の毒ですよ。

 神の世界、仏の世界があってほしいものだと思いました。来世もね


元号

2017年01月19日 | 俳句日記

 記述途中の記事が、操作ミスで投稿されてしまいました。こんな時皆さんはどうされますか?

ガックリ来ますが、お釈迦様は人間何度でも生まれ変われるとおっしゃっていますから、

気合を入れて再挑戦しましょう。

 

 富士は晴れたり日本晴れ、勿論ここ郡山から富士山は見えませんが、今日は冬晴れの

心地よい一日でした。雪の消え残る川岸でアイ君といただく朝食は、シューベルトの曲「鱒」が

嫋やかに流れているような大気の中で楽しめました。彼が元気そうでなによりです。

 

 ところで次の元号が「安久」であるとネットで噂されていますが本当ですかね?

昨今はこの種のデマが飛び交って困ってしまいます。もし「秘中の秘」であるこの事柄が

漏れたとするならば、誰もかもが脇の甘い人間になってしまって、疑心暗鬼が横行する

真(まこと)の無い日本に成り下がったということです。こんな日本に誰がしたのでしょう。

 

 それはさておき、私の手元に昭和五十年刊の「日本語雑学百科」という本があります。多少

認知バイアスの掛ったものですが、作者が朝日新聞の編集局員ですから仕方のないことかも

しれません。

 

 随筆風に書かれたそのひとつの項目に「元号の制定は是か否か」というものがあります。

天皇の称号から書き起こされているその文章はこう続けられます。

 「慶応四年(明治元年)九月八日に詔により『一世一元』と定められてから、明治・大正・昭和

と時代を経て昭和二十二年に皇室典範が改正され(注、GHQの指示によりとは書いてない)、

元号規定がなくなってから慣習で昭和が使われてきたが、昭和四十五年から日一日と歳月が

更新されてきており、政府は天皇のご在位中に恐多いことだが、もしもの時のために『元号法』

の制定を検討するため内閣部会に『元号に関する小委員会』を設けた」

 さらに、当時の世論調査の結果について、

「去る三月十八日に内閣広報室がまとめた世論結果では・・・」として中身を文章で書いていますが

長文ですので私が表にします。ここからが面白いのです。

  [制定への回答]      [理 由]  (注)作者が投書欄等から抽出したものです。

①積極的賛成・・・57%  〇生活の一部だ。愛着がある。西暦はのっぺらぼうで味気ない。

②消極的賛成・・・23%   時代を想起するのに便利だ。つまり年寄りの郷愁だけではない。 

③積極的反対・・・ 2%  〇一部の年寄りの感傷だ。戦争の匂いがする。

④消極的反対・・・12%   世界は皆西暦だ。元号が始まった中国でさえ西暦になった。

⑤不 明    ・・・ 3% 

(注)賛成には当然 〇日本の歴史や文化の伝統であり貴重な記録である。

          〇文芸や芸術を味わうのに不可欠な要素である。

   としたものもあったのでしょうが省かれています。そしてこう結んでいるのです。

「要するに、理論的に訴える人は西暦に賛成、習慣や感情に訴える人は反対の傾向が強いようだ」

 

 なんと、「西暦」という主語を使って回答の%数と賛成・反対を攪乱して入替える巧妙な手口です。

読んでいて気分が悪くなります。その頃は毛沢東信者の学生が大挙マスコミに入り込んだ時代でした。

あの時代の大学の空気を思い出します。ちなみに元号法が成立したのは昭和五十四年の六月でした。

 いま世論調査をすればどんな結果が出るのでしょう。皆さんはどう思われますか? そこで一句。

      < 千代の世に 神も仏と 初観音 >  放浪子

一月十八日(水) 午前快晴、午後にやや雲                                   

         アイ君と朝食、他の鳥も元気よし。                                

         九州の友に電話、近況を知らせる。

            

 

 

 


元号

2017年01月18日 | 俳句日記

 富士は晴れたり日本晴れ、もちろんここから富士山は見えませんが、きょうは冬晴れの

快適な一日でした。

 雪の消え残る川岸でのアイ君との朝飯は、シューベルトの「鱒」が流れているような嫋やか

で温かな大気の中で楽しめました。彼は昨日よりは元気なようで安心しました。

 

 ところで、ネットでは次の年号が「安久」だとのうわさが流されていますが、なにを根拠に

本当であるはずもないことがこの頃は拡散されるのでしょう。

 私の手もとに昭和五十年刊の「日本語雑学百科」なる、多少認知バイアスの掛った本が

あります。朝日新聞の出版局にお勤めでらした方の手になるものですから仕方がないので

しょうが、随筆風に書かれたこの本の項目の一つに「元号の制定は是か非か」というのが

ありました。

 

 天皇の称号から書き起こされたこの文章の中ほどに面白い記述があります。

慶応四年(明治元年)九月八日に詔によって「一世一元」と定められてから明治・大正・昭和

と続いてきた元号も、昭和22年にGHQの指示による皇室典範の改正で元号規定が削除され、

のち慣習で使われてきた「昭和」も「明治」の年月を日一日と超えてきて、まことに恐れ多いこと

だが元号規定を検討せねばなるまいと政府が昭和四十七年に「元号に関する小委員会」を設け

検討に入った。その際、内閣広報室がまとめた世論調査の結果が記載されている。

それによると、

①積極的賛成・・・57%

②消極的賛成・・・23%

 

 

 

 

 


欠食児童

2017年01月17日 | 俳句日記

 六日ぶりの阿武隈川です。河川敷は一面の雪原が朝日に照りかえり、眼球がまるで光に

押し込まれるような痛みさえ覚えました。

風は凪いで、蒼天に浮かぶ雲は真白にポカリと浮いているだけです。

早速、土手から川への階段をそろりそろりと下って、処女雪を踏みしめて川岸に向かいました。

 

 アイ君はいません。ひょっとして・・・餓死?! 脳裏を不吉にかすめます。

今年最大の寒波の中に六日間、ほかの鴨なら難を逃れていずこかへ飛んでいくのも有ですが

合鴨の彼は飛べません。しきりに不安が募ります。

 

突然下流からあの声がしました。私を見つけてくれました。

来ました、来ました。慌てて来ました。貪るように六日分の餌をついばみます。

嗚呼、よかったよかったと、安堵しながらよく見れば、首筋がわずかながら撚れて見えます。

肉が落ちて弛んでいるように見えるのです。野生ならぬ身の悲しさ、飢えていたのでしよう。

でも動きは常と変りません。きっと彼の中には何千キロも渡りを繰り返してきた先祖のDNAが

生きているのです。今日の餌を食べ終われば必ず回復するに違いありません。

 

 そう信じながら帰る道すがら、六人に一人が飢えている日本の子供たち。

ほんとの事ですか? 「もはや戦後ではない」から62年のこの日本で・・・・・。

なにかが狂ってやしませんか? 人間の子は野生ではないのですよ。

 

    < 聞きとどむ 菩薩いでませ 手鞠うた >  放浪子

 

一月十七日(火)  晴れのち曇り

          アイに会う、痩せていた。

          申し訳なし。