夜来の雪が真白に街を覆い尽くし、ベランダのバケツには3㎝もの固い氷が張っています。
北国の人には大変に恐縮なのですが、九州育ちの私はこのような雪景色が好きで、穢土を禊ぐ
天の儀式のように映ってしまいます。自戒の働きなのでしょう。
江戸深川での芭蕉の句に、「雪の朝(あした) 独り干し鮭 嚙み得たり」と云うのがあります。
ここまで悲嘆する境遇でありませんが、フランク・シナトが「Regret,I had a few・・・」と
歌ったぐらいの悔悟とともに、
< そぞろ寒 真白き巷の 雪景色 > 放浪子
と発句しました。
きのうは雅な和歌の世界を覗きましたので、今日は俳句についての私の拠り所を述べます。
漱石先生は、俳句についての友人からの問いかけに、
「扇の要のような集中点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示する言葉の
遊びである」と答えたそうです。
ことばに鋭敏な文豪らしい正確な表現で、私ごときがそれこそ弄ぶとは・・・と、誹られるかも
しれません。俳聖芭蕉が和歌から独立した文芸として確立した俳句を、さらに国民文化にまで
広げた正岡子規先生が、最晩年の随筆「墨汁一滴」の中で漱石をこう評しています。
「我が俳句仲間に於いて、俳句に滑稽趣味を発揮して成功したる者は漱石なり。(中略)
この人また甚だまじめの方にて、大口をあけて笑ふ事すら余り見うけたる事なし。これを
思うに真の滑稽は真面目なる人にして始めて為し能ふ者にやあるべき。・・・」
このあと俳句界で一番の滑稽家だった一茶は、まじめくさった人であったに違いない。と
書いてありました。多分そのことは正鵠を射た話であろうと思われます。
であるならば私など、もう、俳句などいじれません。だが、芭蕉研究で著名な田中義信教授の
ご本には、芭蕉の名だたるお弟子達で其角は不良少年、嵐雪は放蕩者、杉風も血の気が多い若者
であったと書いてありました。それが、我が意を得たりの救いとなったのです。
一月十五日(日) 雪の日
終日仮宅に閉じこもる。
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