みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

国家運営のジャイロスコープとしての座標軸

2017年01月29日 | 俳句日記

 天と地がひっくり返ったように、薄く真白な雲が雪原のように空一面に広がっています。

ゆっくり西へ動いていますから風がないわけではありませんが、地上では感じません。

曇り空でも手袋がいらない陽気ですから、昨日に引き続きもう春です。

もう一度言います。ジャパンファースト!四季通りの暦から日本へ回帰していきましょう。

 

 ということで、国体論のさわりを。

イメージを座標軸で共有していきます。縦軸(Y)が神道の軸です。横軸(X)が仏教の軸です。

 故三島由紀夫先生は「天皇は、時空の座標軸の中心におわすべき方である」とおっしゃられ

ましたが、私のような凡庸な人間には難しすぎてよく理解できませんでした。何となく超越的なご

存在であるとは感じましたが、超越的なご存在であるならば、なぜ八百万の神々に国の安寧と

国民の弥栄とを祈られるのであろうか?

 

 陛下がご先祖様の皇祖皇宗に祈られるのは、われわれ一般国民が仏壇にむかってご先祖を

拝むのと同じではないか、どこが超越的なのだろうと思ってしまったのです。

 ところが神道を勉強していくと、ことの起こりは古代人共通の世界観であるシャーマンを伴った

アニミズム(祖先崇拝)に由来することがわかりました。

 

 文化人類学の検証では、世界中の宗教の始めは自然や先祖を崇拝する多神教であった

ということが解かっています。神道もごく自然にそこから始まりました。だからといって多神教

だから未開で、文明が発達したら一神教になるというのは誤りです。

 

 一神教の起こりは、アケメネス朝ペルシャが古代オリエントの再統一をしたときにゾロアスター

に命じて統一宗教を作らせたことに始まります。ゾロアスター(ドイツ語読みでツアラストラ)は、

善なる神と悪い神が天上で戦って、善神が勝利するという一神教の教義を書き上げたのです。

2500年後ニーチェによって神は殺されますけど。

 

 それが、支配、被支配の繰り返えされる歴史の流れの中で、多神教を滅ぼしていきます。

元凶は間違いなくローマですね。ローマも元々は多神教だったのですけどキリスト教を国教と

してからおかしくなります。キリスト教も同様におかしくなりました。

キリスト様が可愛そうですよね。心からそう思います。 

 

 話をもとに戻します。

 「神道」は森羅万象の超常現象を含む自然の在り方を畏れ敬い、自然に逆らわずに生きる

ことを本質としました。「しらしめす」ということはこの生きる道を示すことで統治するということ

なのです。ですので善い事は拒否せずに受け入れます。逆に悪いことは忌むのです。善悪は

経験則に基づきます。いわば感応の世界観といえますね。

 

 かたや仏教は、お釈迦様が自らの精神世界と現実世界を極限まで見つめ導き出した世界観

に基づいて衆生を救う教えですから「信と行」を説きます。つまりは信じることと実行することを

修行の根本に置いて「悟り」を開けば人々が救えますよ、と言う訳です。

今日的に表現すれば実践哲学の教えですね。こちらは観応の世界観と言えましょう。

 

 そこで思い出していただきたいのですが、日本は二万年ものあいだ人間が生存するのに最適な

自然環境の中で、外敵から皆殺しにされるようなこともなく「倭国→和国→大和→日本」と国体を

維持して今日に至っています。何度か危ないこともありましたが、その都度難を逃れてきました。

 

 刀伊の乱、元寇、維新の時も欧米の植民地にはならず、終戦後も米ソの対立のお蔭で四分割

統治を避けられました。不思議と必要な時に必要な人材が現れて、今日まで国を保って来ることが

出来ています。不思議な国です。

 

 再び座標軸に戻ります。

 神道軸は上が天上界です。下は黄泉の国、つまり幽界です。O点は天界と幽界のあいだ、つまり

現世です。そこに天孫が降臨されました。同時に人々は素直にそれを受け入れました。君民一体の

思想が生まれました。天孫がこのクニを力で支配しようと思わなかったからです。

 

 仏教軸は、左が極小(量子)の世界、右が極大(宇宙)の世界です。もちろん想念上ですが、ここに

想いが至るお釈迦のIQはいったいどの位あったのでしょう。そこまで考察を深め人を救済する法を

説いたのですから、こんにちまで優秀な仏弟子が途絶えず競って学んでいるのも頷けます。

 

 仏教軸XをY軸に交わらしたのは聖徳太子です。太子は仏教の深遠な哲学性に感銘を受け、

当時の周辺世界と対等以上に付き合うためには仏教の人間観と社会観を広く民衆に広めなければ

ならないと十七条の憲法を発布し、自らも三経義疏を著わし学問府であった寺院の建立に努めます。

 

 しかし、やはり第一条は神道の根本である「調和」の精神をもってこられました。第二条が「三寶」

を敬えです。三宝とは「仏」と「法(仏の教え)」と法の実践者の「僧」としています。当時の先進

国家を目指すためには僧侶の持つ実践力が不可欠だったということでしょう。

 

 この憲法を役人への教書だという方がいますが、そのころ文字が読める民衆がいったいどれほど

居ましたでしょう。まずは役人に徹底して模範を示せと憲法の中で指示してるではありませんか。

 私は、この十七条の憲法を以って日本の「国体」が定まったと思います。皆様はどう思われますか。

 

 まえに国体とは国の品格だと言いました。この座標軸の中心に同じ価値観をもつ品格のある国民が

いたからこそ幾多の困難を乗り切って来れたのではないでしょうか。もちろん祖霊のお働きもあったと

思います。この座標軸は国と日本人のジャイロスコープだと思っています。このジャイロセンサーが

あるから我が国はぶれないでいられるのです。 

 

      < 冬往きて 御楯鎮めよ 西の風 >  放浪子

 

一月二十九日(日) 曇りのち晴れ

          アイが待っていた。今日の餌はパン屑のみ

          いささか不満げ、キチとツグミは喜ぶ。

          夕刻、コメを買う。

             


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